第480回 番組審議会議事録

1.開催年月日
平成19年3月9日(金)
2.開催場所 読売テレビ役員会議室
3.委員の出席 委員総数 10名
出席委員数 6名
出席委員の氏名 熊谷信昭、馬淵かの子、阪口祐康、川島康生、吉岡征四郎、河内鏡太郎
欠席者の氏名 秋山喜久、金剛育子、林 千代、 佐古和枝
会社側出席者 ・髙田孝治 (代表取締役社長)
・丸山和男 (代表取締役専務)
 編成・コンテンツ・制作スポーツ・東京制作・ 報道担当
・越智常雄 (専務取締役)
 内部統制・コンプライアンス・総務・労務・事業担当
・吉野俊太郎(取締役報道局長)
・久保哲郎 (執行役員コンプライアンス推進室長)
・位寄雅雄 (執行役員編成局長)
・村上博保 (執行役員制作スポーツ局長)
・松下泰紀 (コンプライアンス推進室視聴者センター部長)
事務局 新谷 弘 (コンプライアンス推進室次長兼番組審議会事務局長)
菱田千佳 (コンプライアンス推進室番組審議会事務局)
森本泰輔 (コンプライアンス推進室考査著作権部兼法務コンプライアンス部)
4.審議の概要
「最近の放送番組の一連の問題に関して」
放送倫理・番組向上機構〔BPO〕
理事長 清水英夫
 3月度の番組審議会は3月9日(金)に、読売テレビ本社で開催された。
審議会では、関西テレビの番組で起きた捏造問題に関連して、番組委員会の改組と権限強化などを打ち出した、BPO、放送倫理・番組向上機構の清水英夫理事長を迎えて、今回の問題に対するBPOの考え方について話を伺った。
この中で清水理事長は「今回の問題について、テレビの影響力が極めて大きなものになっているのに対して、放送人の意識がついていっていないのではないか」と指摘した。
清水理事長の話を受けて、委員との質疑と意見交換が行われた。
このあと、2月に読売テレビに寄せられた視聴者からの意見や抗議、苦情などについて概要を報告した。
出席は、熊谷信昭、川島康生、馬淵かの子、阪口祐康、吉岡征四郎、河内鏡太郎の各委員と読売テレビからは、土井会長、髙田社長以下12名。
5.審議内容 別掲の通り
6.審議会の意見に対して取った措置
特記事項なし(議事録は関係部署に配布)
7.審議会の答申・意見の公表
●3月22日(木)付け読売新聞夕刊に議事の概要を掲載。
●4月14日(土)午前5時14分から放送の「声~あなたとよみうりテレビ~」の中で議事の内容を放送。
●本社コンプライアンス推進室に閲覧用として議事録を備え置く。
●インターネット読売テレビホームページ「テレビの門・話し合ったもん」で議事録を公表。(http://www.ytv.co.jp)
●社内LANにて全ユーザー(全社員および関連スタッフ)に議事録を配信。
8.配布資料 ●BPO報告NO.44
●2007年2月に寄せられた視聴者からの意見・苦情
9.送付資料 ●民放連機関誌「月刊民放」
●民放連機関紙「民間放送」

【審議内容】

社側
 おはようございます。皆さま、お揃いですので、少し早いんですが、始めさせていただきたいと思います。
 まず、委員の方々のご出欠の確認ですけれども、きょうは3月で、いろいろ年度末でお忙しいことがおありのようで、急遽欠席のご連絡をいただいた委員もありまして、ご覧のとおりの4名の方がご欠席でございます。よろしくご了承ください。
 きょうは事前にもご案内を差し上げましたけれども、関西テレビの『あるある大事典』という番組の中で捏造があったという問題が、さまざまな波紋を呼んでいるわけですけれども、そういう中で、私ども民放連とNHKと、それから第三者機関であるBPO、放送倫理番組向上機構の三者が、ちょうどおとといなんですが、BPOの権限を強化して、こういう問題について我々が自主的、自律的に解決していくようにしようということを発表いたしました。
 その発表があることを知っていて、きょうの会を持ったわけではないんですけれども、ちょうど本当に偶然、おととい、そういう運びになりまして絶好のタイミングで、きょうBPO理事長の清水先生にお越しいただくことになりました。
 では早速ですが、今回のその合意、それからその背景とか、考え方等について、BPO理事長の清水先生からお話をいただきたいと思います。先生、よろしくお願いいたします。
清水英夫BPO理事長
 ただ今、ご紹介いただきました清水でございます。本日は読売テレビの番組審議会にお招きいただきまして大変光栄に存じております。この機会にBPOを中心にして、最近の状況をお話しすることができることを大変幸せに思っています。よろしくどうぞ。
 私はBRC「報道と人権等権利に関する委員会」というのが最初に放送界の第三者機関として設立されたときからかかわっておりまして、ちょうど10年になります。BRCの委員を委嘱されました当時、日本テレビの番組審議会の委員長をしておりまして、社長は氏家齊一郎さんでございましたが、「今度、放送界が第三者機関をつくることになったので、そちらのほうで、ひとつよろしく世話をしてほしい」というご依頼がありまして、それで、そちらのほうに移って、10年になります。
 その後、BRCが約6年経過したのちに、それまでずっと長い間、NHKと民間放送連盟が共同でつくっておりました放送番組向上協議会というのがございましたが、そこの番組に関する委員会と、それから青少年に関する委員会を吸収合併するという形でBPOが発足いたしました。間もなく5年目を迎えようとしております。
 私自身は、この3月でBPOの理事長を退任することが決まっておりまして、どうやら静かに退任できると思っておりましたら、今回の問題が起きまして、この1、2か月は大変忙しい思いをいたしました。
 ようやく、おととい、民放連会長とNHK会長同席の上、BPOの新しい組織強化について記者会見をしたわけでございます。
 ところで、発端となりました関西テレビの『発掘!あるある大事典II』につきましては、問題が発覚してからBPOに視聴者からの苦情が殺到いたしました。
 BPOは、BRCのときからですけども、視聴者窓口というものを開いておりまして、6人の担当者が視聴者からの苦情を、電話、メールあるいはファクス等で受けております。大体年間9,000件ぐらいの意見が寄せられますけれども、今年に入りまして急増いたしまして、3月末には1万500件ぐらいに達するだろうという見込みでございます。
 その増えた原因としては、今言いました関西テレビの問題もございますけれども、NHKの紅白歌合戦で、ヌードに見えるようなバックダンサーの踊りがありまして、それに対する批判的な意見も多数寄せられました。そんなこともありまして、それにつられるといいますか、テレビ批判が非常に多くなったのが最近の実情でございます。
 その中で『発掘!あるある大事典』の問題につきましては、これまで1番組に関する批判、意見としては過去最多に上りました。一月だけですけど、総数の11%が『あるある大事典』に関する苦情といいますか、批判でございました。
 それでBPOとしても「これは大変なことだ」という認識のもとに理事長声明を1月の末に行いました。
 それから約1週間遅れまして、放送番組委員会の有識者委員による声明が出されました。この二つの声明とも、BPOとしては初めてのことであります。
 それで理事長声明を出すにあたりましても、「このような問題について、理事長として声明を出すことができるのか」という初歩的な議論から始めまして、しかし「どうしてもこれは、きちんとした見解を表明する必要があるだろう」ということで、急遽まとめて声明としたわけであります。
 それから放送番組委員会は、これはちょっと説明を要するんですけれども、BRC(人権委員会)と、「放送と青少年委員会」の委員は、すべて第三者、有識者委員で構成されております。
 唯一、放送番組委員会だけは、放送事業者側の局長級にあたる方が委員として参加しておりまして、その意味では、第三者機関とは言えないんではないかという批判が前からございました。
 それで、その批判に応えまして、出発当時は有識者委員が6名、事業者側の委員が8名という構成だったんですが、それを同数にいたしまして8名8名とする。それから委員会は、有識者委員だけの委員会を隔月に行う、合同の委員会は、また隔月、1か月交代で開くということに変更しました。番組委員会だけが第三者と放送人で構成していたという仕組みについては幾つか理由がありまして、一つは、番組向上協議会からの長い伝統があったということが一つと、それから放送番組については、具体的に現場の方と、いろいろ席を同じくして率直に意見を交換することが重要ではないかという見地から、そういうような構成になっておりました。
 一方、BRCは一種の司法機能を持った機関でありますけども、「放送と青少年委員会」も、これまで提言というような形で外部に意見を出してまいりました。例えば、消費者金融のコマーシャルなどについて、放送各局に意見を出すということもしてまいりました。
 ところが、放送番組委員会は何か意見を出そうと思いましても、やはり放送局内部のことでございますので、放送事業者側が委員がいるところで、一つのまとまった意見を出すということが現実的にできなかった。
 そういうことから、今度の声明も有識者委員だけの声明ということになりまして、放送番組委員会としての声明ではなかったわけであります。
 お読みいただくと分かりますけれども、この声明は第三者の立場から「この問題について深い憂慮を表す」と同時に、「その問題では、こういうところに問題があるのではないか」ということで声明が出されました。
 ところで先ほど申し上げましたように、私は10年の間、BRCを出発点として、この第三者機関に携わってまいりましたが、その間で最も印象づけられたことは、近時ますます放送、特にテレビの持っている政治的な、社会的な、あるいは文化的な影響力が、ますます強まっているということと、そのますます強まりつつある影響力と、それに対して、それを担っている放送人の責任感、あるいは倫理観といってもいいんですけども、それとの間のギャップがあって、しかも、それがだんだん大きくなっているんではないかという印象を私は持っておりました。
 それは放送人に責任感がないとか、倫理観がないとかいうことではなくて、テレビの強大な影響力の拡大・深化に対して、放送関係者の認識や対応が追いついていけないんではないか、追いついていけなくなっているんではないかという、このギャップが相次ぐ不祥事の大きな原因ではなかったかと思われます。
 一昨年、日本テレビの視聴率操作疑惑というのが起きまして、そのときにも民放連は、私を座長にした「視聴率調査研究会」を立ち上げまして、それで検討し、提言をしたんですけれども、そのほかにもNHKを含めて、いろいろとテレビ界に関して不祥事が続いたということは皆さまご承知のとおりであります。
 今回の関西テレビの問題にいたしましても、その原因として視聴率稼ぎ、視聴率至上主義が生んだものであるとか、あるいは放送番組制作の下請け化による責任の分散ということが、しばしば指摘されておりますけれども、しかし、その根本には、私が先ほど言いました放送の持っている、テレビの持っている強大な影響力と、それを担っている人たちとの間の認識、対応のギャップが一番大きな要因としてあるんではないかというふうに思っております。
 今回の関西テレビの問題は、ご承知のように納豆がダイエットによく効くということで、何か大阪の方は納豆はあんまり召し上がらないようですけれども、その大阪においても納豆が売り切れるというぐらいの影響力を持ったわけであります。日本テレビの『おもいッきりテレビ』ですか、みのもんたさんの、これは読売テレビでもおやりになっているものですね。そうすると、あそこで取り上げられた食品などが、すぐにスーパーで売り切れるという噂は、かねがね私たちも聞いておりました。
 おそらく関西テレビの制作担当者たちは、これまでの経験から、こういう番組で視聴者の間に納豆ブームが起きるということを十分予想し、確信し、あるいはそれを喜んでいたんではないかというふうに想像されます。それはいいんですけども、しかし、そこに欠如していたのは、そのような強大な影響力を発揮するテレビという社会的道具を扱う者にふさわしい責任感が欠けていたんではないか、その結果、捏造問題を引き起こしたのではないかと考えております。
 先ほどテレビの政治的影響力、社会的影響力、文化的影響力と申し上げましたけども、例えば、政治につきましても、最近は政治家が最も期待し、あるいは半面、恐れているのはテレビだろうと思われます。小泉劇場といわれた先の総選挙につきましても、それを演出したといいますか、小泉劇場を意識的に、無意識的に演出したのは、やっぱりテレビ界だったと思いますし、宮崎県の「そのまんま東知事」が、最初は泡沫候補扱いされていたんですけども、それがアッという間に圧勝したというのも、これはテレビの非常に大きな影響力であったと思われます。
 そのような大きな影響力を持っているテレビですけれども、視聴者は本当に民放テレビを、民放テレビの情報を信頼しているんだろうか。それに関しては重要な調査があります。日本新聞協会は、このところ1年おきに全国メディア接触評価調査というのを行っております。
 その中にたくさんの質問項目があるんですが、「そのメディアの情報内容が信頼できるか」という項目があります。各項目とも、新聞、NHK、民放テレビ、雑誌等について答えを求めているんですが、新聞が38.1%であるのに対して、民放テレビは11.0%、これはごく最近の2006年度の調査であります。新聞の38.1に対して、民放テレビの情報信頼度は11.0%に過ぎない。
 私は調査書ができるたびに、それを取り寄せて見ておりますけども、その傾向はほとんど変わってないんです。つまり、民放テレビの信頼度というのは高まっていない。それでは、なぜ視聴者は、あまり自ら信用してないテレビの情報に強く動かされるんだろうか。信頼しているから動かされるというんなら分かるんですけども、あんまり信頼していないのに、その情報に左右されるというのは一体どういうことなんだろうか。
 それは一つ私自身にも、まだよく分かっていない点であり、一つの謎なんですけども、私が考えますのに、視聴者は民放テレビに強い親近感を抱いている。新聞とかNHKについては、信頼していいんだろうけども、あんまり親近感は持っていない。どこか冷たいところがある、客観的に過ぎる、いろんな理由があると思うんですけども。
 ところが民放テレビのほうは、どこか親近感があって親しみやすいということと大きな関係があるんではないかと思います。
 このことは、先ほどの全国メディア接触評価調査によっても、「親しみやすいか」という項目がありまして、「親しみやすいメディア」という質問に対しまして、新聞が31.3、NHKテレビが21.6%であるのに対して、民放テレビは何と67.0%という高さ、親しみやすいというアイテムについては、断然、群を抜いている。
 視聴者が民放テレビに強く影響される秘密というのは、どうやらその辺に潜んでいるんではないかというのが私の一応の推論でありますけれども、そこにまた民放テレビにとって落とし穴があるのではないか。
 男女関係でもそうですけども、好きなだけに裏切られたときの怒りとか、恨みというのは反対にすごく強くなります。それと同じように、みんな視聴者は民放テレビが好きなんです。とても愛していると思うんです。だからこそ、それがいい加減なことをやった。嘘をついたというときの裏切り感というのは、逆に非常に高いものになってくると思います。
 これはBPOに寄せられる、さまざまな意見においても、例えば、NHKの紅白歌合戦に関する苦情というのも、すごい数に上りました。これも「NHKというのはまじめな番組だ」という一種の想定が視聴者にあって、それに裏切られたということで怒りが爆発したんではないか、同じことを民放テレビがやったら、実はあんまり問題にされなかったのかもしれないんですけども、そういうような関係が、視聴者と放送の間にあるんではないか。そして「悪いのは関西テレビだけではない」、「ほかのテレビ局にも同じようなことがあるんではないか」というような疑いに発展していきます。
 先ほどのBPO理事長声明と番組委員会の有識者委員の声明に共通しておりますのは、「こんなことをやっていると公権力によって放送干渉が起きるぞ」という警戒感であります。果たせるかな、この今回の問題を契機として、国会におきまして放送批判が取り上げられ、放送法の改正というところまで議論が進んできたことは皆さんもご承知のとおりであります。
 これまでも、たびたび総務省は、厳重注意であるとか、そういう行政上の処分をしてまいりましたけども、今度は一段と強い規制を放送に対して行えるように放送法を改正するということが国会で、総務省の当局者から説明されました。
 特に、いわゆる真実でない放送をしたときの場合についてのことでありますが、恐れていたことが、たちまち現実の問題になったんですけども、しかし、これが政治とか、行政のレベルだけの問題で、もともと放送規制というものがあるわけですから、それだけならば従来とあまり変わったことはないんですけども、問題は、視聴者のほうに「今の放送界は信用できない」という不信感が急速に高まっているのではないかということなんです。
 それは想像だけではなくて、現実にBPOに寄せられる意見も、「もう、こうなったら放送に対して、政府が取り締まりをすべきではないか」という意見もかなり出るようになりました。理事長声明などにも「公権力の干渉を招くことになる」とあるけれども、「とんでもないことだ」と「もう、そんな段階ではないんだよ」という意見ですね。それも複数寄せられております。
 さらに「BPOは何しているんだ」と「BPOなんていうのは、もう放送界がつくった、いい加減な機関なんだから解散したらいいんじゃないか」という、これも極端な意見ですけども、それも出るようになりました。
 そういうような視聴者の不信感が全般的に広がっているというわけではありません。まだ「BPOは、もっとしっかりやってくれ」という激励の声のほうが多いんですけども、不信感が、それを上回ることになりますと、それは政治には絶好の口実になるだろうと思うんですね。
 つまり「自分たちは放送の自由を尊重している。だから、やりたくないんだ」、「だけども視聴者のほう、国民のほうから、そういう声が出ているならば、やらざるを得ない。それは政治の責任だ」と、そういう組み立てになってくると思うんです。つまり錦の御旗が動いてしまう。「放送の自由よりも、放送の正確性、あるいは放送の責任というほうが重要なんではないか、それを政府が主導で行って何が悪いんだ」というようなことになる恐れが現実に出てきたというのが私の認識であります。
 BPOができたときに、その目的にもありますように、BPOというのは、放送の自由を守りながら、視聴者との間に立って健全な放送を目指すということが、そもそもの趣旨でありまして、放送の自由というのを大前提としているんですけども、その大前提が揺るぎかねないという事態になりまして、BPOとしても「このままでは放置できない」という認識になってきたわけであります。
 これまでBPOというとBRCと言われますように「放送と人権等に関する委員会」の活動というのは、かなり周知されておりまして、しかも裁判所と違って、放送による人権侵害申立に対して全く費用がかからずに、また迅速に結論を出してくれるということで、BRCの功績については、かなり評価されてきておりますけれども、ほかの二つの委員会、特に放送番組委員会は「何をしているんだ」ということにつながりかねなかったわけであります。
 そういうような私たちの危惧よりも、おそらくNHKを含めた放送界の方々の危機意識は非常に強いものがあったと思います。そこで今回のBPO強化策ということになってきたわけです。
 お手元にございます「BPO放送倫理の確立と再発防止に関する委員会の設立について」は三者間の基本合意として3月7日に発表されたものでございます。そこに7項目にわたりまして今後の方向が示されております。
 第1は、放送番組委員会を発展的に解消し、新たに「放送倫理の確立と再発防止に関する委員会(仮称)」を設置する。
 2.新委員会は、放送倫理上の問題が発生しないように努めるとともに、万一問題が生じた場合、再発防止策を放送事業者に求め、その実効性の確保を図ることを目的とする。
 3.新委員会は、虚偽の内容の放送により、視聴者に著しい誤解を与えた疑いがある番組ついては、検証をし審理する。
 4.新委員会は、放送事業者に対し調査や報告を求めることができる。委員会の審理の結果は勧告または見解としてまとめ、当該の放送事業者に通知し公表する。新委員会は、勧告または見解の通知から一定の期限を定め、当該の放送事業者から再発防止計画の提出を求め、意見を付して公表する。また、その計画の実施状況を検証する。
 6.放送事業者は委員会の求めに協力し、勧告または見解を最大限尊重することとする。
 7.新委員会は、今年5月をめどに発足させる。委員は放送事業者以外の法律家や学者、ジャーナリスト、評論家、作家などで構成し、第三者性を確保する。
 ということでありまして、この具体化は作業委員会をつくりまして具体化するわけでありますけども、この方向性だけは確認されたわけであります。
 当日の記者会見には、テレビ全局を含め百数十名が集まって来られまして、三者の代表から最初に意見が述べられ、続いて具体的な問題について作業委員会の人から説明が行われたわけでございますけれども、各紙にも報道されましたし、テレビでも報道されましたが、概ね各紙とも、事態を正確に報道していただけたと思います。
 ただ中には、かなり皮肉な見方をする新聞もございまして、「これでは倫理も外部に丸投げではないか」という見出しを付けた新聞もあります。また「これは倫理の外注化である」「本来ならば言論機関としては自主・自律で処すべきなのに、第三者といえども外部の者に倫理を判断してもらうというのは何事であるか」というような趣旨だと思います。
 それはそのとおりだと思うんです。メディアの自主性、倫理性、自ら律するというのが、これが理想であります。しかし、一番大事なことは、やっぱり視聴者の信頼感であって、その信頼感が大きく揺らいでいるときは、法的規制に頼るか、あるいは法的規制と局の自主性の中間といいますか、そこに依拠するかということになります。
 言論機関に対する法的規制というのが放送にあるというのは、実は不思議なことなんです。活字メディアにはない。それは一体どうなのかと、これは議論がちょっと長くなるので別になりますから、今申し上げませんけども、政治が直接干渉してはいけない分野というのは、社会の中にあるわけです。教育の分野であるとか、あるいは労働の面とか、あるいは公正取引の問題とかは、これは政治が直接規律するんではなくて、独立した行政委員会ですべきだというのが戦後の考え方であって、これはアメリカの考え方ですけども、日本も放送については、最初は電波監理委員会という独立行政機関で処理するということに、新しい放送法ができて、そうなっていたんです。日本がサンフランシスコ講和条約で独立すると、すぐにそれが廃止になりまして、当時の逓信省、郵政省、現在の総務省というぐあいに、電波監理審議会というのはありますけれども、要するに、政治、行政が直接、放送を規律するという仕組みに大きく変わってしまった。
 これは、かねがね私たちが批判しているところですけれども、本来ならばFCCのような独立行政委員会が権限を持つべきだろうと思うんですね。それが、そうでないところに大きな問題があるんですが、そうであるならば、やはり放送界が自主的に第三者機関をつくって、そのような仕事をそこに任せるという民間型FCCというんでしょうか、そういう期待がBPOには出てきているんではないかと思います。
 それでBPOに関しては世界でも、だんだん注目されておりまして、BPOを訪問して、いろいろ調査をする外国も増えてまいりました。現在までのところ、イギリスとトルコとモンゴルから訪問を受けまして、いろいろ説明をしているのでありますけれども、一様に口にすることは、公的な、つまり「法律上の根拠もないのに、どうしてそういうことができるんだろうか」という質問です。
 イギリスにも同様の機関がありますけども、これは法律に基づいてつくられております。そうすると法律に基づいていれば当然強制力もあります。
 しかし、放送界が自主的につくったという機関が、どれだけの効能が発揮できるんだろうかということに、やっぱり議論が集中しております。いろいろ説明しますと「よく分かった」と「それはもう非常に民主的で理想的な形ですね」ということを言われます。特に昨年、トルコの国務大臣、日本の総務省担当のような大臣が、直接、日本駐在の大使と一緒に尋ねて来られまして、1時間以上にわたって意見を交換したんですが、大変感銘を受けられたようで、私に「ぜひトルコに来て、一度話をしてほしい」というふうに言われましたけど、まだ実現しておりません。
 そういうようなことで、ある意味では中途半端であり、ある意味では何といいますか、問題がある機関ではありますけども、やはりこれを外してしまうと、直接、公権力に立ち向かわなければならないということになりますので、委託された私たちとしては、力を尽くしていきたいと思い、そうやって努力してまいりました。
 これからのBPOについては、新しい理事長にお任せすることになりますけれども、各委員会とも、先ほども言いましたように有識者の委員によって運営されることになりました。
 そして何より大事なことは、この機関の公正さということです。そのためにBPOは、BRCの時代から「委員は評議員会が選任する」というシステムになっています。これを理事会が承認するという二段構えで、放送業界が直接、委員を選任するんではありません。
 現在、その評議員は7名で構成されておりまして、委員長は慶応大学名誉教授の生田正輝さんであります。それと、あと東大副学長の濱田純一さん、青山学院大学の元学長の半田正夫さん、作家の津村節子さん、同じく三浦朱門さん、それから首都大学東京の学長の西沢潤一さん、作家の堤清二さんの7名でございます。委員の候補者が出揃いますと、この評議員会にかけるという考えられる可能性としては、おそらく最大の配慮を公正さの担保のために尽くしております。
 大急ぎでお話ししました。何かございましたら、ご質問にお答えするということで一応私のお話はこれをもって終わらせていただきます。どうもご清聴ありがとうございました。

社側
 貴重なお話ありがとうございました。それでは、この後は委員長にお任せをいたしますのでよろしくお願いいたします。

委員長
 どうも先生、貴重なお話をありがとうございました。
 きょうの問題は、私ども放送番組審議会の者にとりましても、極めて重要で、かつ最近の身近な課題でございますので、先生のただ今のお話に対する質問、皆さん方の意見を自由にお願いしたいと思います。どなたからでも結構なんで、どうぞ。

委員
 感想めいたお話になるかもしれませんけれども、二つほどちょっと、この件について感じたことを申し上げたいと思うんですけど、1点目は、今の先生のお話にもありました、その視聴者の受け止めということでありますけれども、私自身は、この番組を見たことがございませんでしたので、周りの人が、どういうふうに受け止めているかということを、ちょっと聞いてみようと思いまして、私、会社におりますものですから、20人ほど、ごく普通の視聴者という、そんなイメージの方に「どう受け止めているか」ということを聞いてみました。
 そしたら、先ほど不信感の話がございましたですけど、実は「これはけしからん」とか「だまされた」というふうに怒っている人もいますけれども、実は半分以上の人は「こういうことは、よくある話で、今さら驚かない。氷山の一角だ」とか、あるいは中には「だまされるほうが悪いんだ」とか、もっと行きますと、「ちょっと騒ぎ過ぎじゃないか」とか、非常に冷めたというか、物わかりがいいというか、そういう意見が結構たくさんありまして、先ほどの先生のお話には「民放の信頼感が11%」というお話がありましたけど、同じような傾向が、これは是非は別にして、現実として、そういうことになっているんかなという印象を改めて持ったわけです。
 これは、あんまり喜ばしい話ではない。メディアリテラシーが行き渡っているという見方もできるかもしれませんけれども、これはやっぱり、全体に不信感という傾向が出ているというのは、一つの現実として受け止めなければいけないんじゃないかなというのが一番目の感想です。
 それから二つ目は、今回の対応として、いろいろ放送界も全体の問題として対応をされようとしているわけですけれども、このBPO報告も、いつも拝見していますが、有識者委員のほうで、今回、幾つかの声明の中で指摘をされています。特に教育システムの充実ということもおっしゃっているわけですが、非常に大事なことだと思いますけれども、やっぱり、その教育の前提になる基準みたいなものの有り様というのは、もう一度検証してみる必要があるんじゃないかというのが私の感想であります。
 もうちょっと具体的に言いますと、実は以前もNHKのドキュメントで、ヒマラヤの何とかいうやつで「やらせ」問題が非常に問題になったことがあって、その時にNHKと民放連が、「放送番組の倫理向上に関する提言」という、そういう提言を出しておられるわけです。そこには、こういった問題についての原則的な考え方が示されていまして、それで虚偽や捏造はもちろん絶対してはいけないと、それと並んで「過剰な演出に走ってはならない」という、そういう物差しが示されているわけであります。
 その物差しなんですが、過剰な演出というのは場合によっては、なかなかまぎれのある基準で、人によっては幅がいろいろ違うと、先ほどギャップという話がありましたけども、実は、視聴者の受け止めもいろいろ幅があると思いますけれども、例えば、平均的な視聴者の受け止めと、放送する側の過剰な演出という、この認識が少し、ひょっとしたらズレが最近出てきているんじゃないか。
 ですから、もっと平たい言葉で言えば、演出と「やらせ」ということのボーダーラインが、放送する側と見る側で少しギャップが出てきているんではないかという、こういう印象も正直言って多少あります。
 ですから今回、自主的に放送界としてやっていくという、ぜひその方向でやっていくべきだと思いますけれども、その際には、そういったズレがあるかないかということも、多少は留意して検証してやっていかなければいけないんではないかというような、そういう感想を私は今回の件で感じたわけでございます。以上でございます。

委員長
 ありがとうございました。新聞という同じマスコミの世界にいらっしゃる委員、いかがでしょうか。

委員
 清水先生、非常に明快な分析で現状を理解することができました。ありがとうございました。
 その中で非常に印象深いのは、親近感というパーセンテージが極めて高いという、親近感というものと、それからモラルというものが、果たして、どういう形でリンクしていくのかというところが非常に難しいなと思いました。
 それは恐らく放送人の倫理というものの背景には、親近感というものに対する倫理観ではなくて、信頼とか、メディアのあり方とか、報道のあり方に対する倫理は持ってますけれども、信頼感という非常に漠としたもの、それでなおかつ強いエネルギーを持っているものと、どう教育システムがからんでいくかというような気が少しいたしました。
 我々、先生のご説明によりますと、やや愛情から遠ざかったところにある信頼感はあるんですけれど、その中でも今一番苦しんでますのは、記者をどんな新聞人に育てていくか、若い人たちを、ここがもう最大の課題であります。
 最近、我々の中でも捏造、盗用あるいは情報漏洩など、根幹にかかわる問題が多数起こっておりますけれども、今の若い記者たちと、ずうっと話していますと、「捏造、盗用と、それから参考にすることとは、どう違うんですか」という質問がよく出ます。
 こんなことは、もう大学教育のところで、あるいは、もっと家庭の中で既に、はっきりした認識を持って社会へ来るのが当然なんですけど、新聞記者を目指す若者でも、そういうことが混乱している。その中で放送という、また違うシステムなんでしょうけれども、放送人をどうモラルを高めていくかというのは、非常に難作業であるなということは、同じ悩みを抱えている私たちからも実感いたしました。ありがとうございました。

委員
 私は難しくて、ちょっとコメントしようがないんですけれども、普通の主婦としてテレビを見ている場合、やはり先ほどおっしゃったみたいに、親近感があるんで、ほとんど民放のほうに偏ってしまいますね。そして私どもの年齢になりますと、わりと冷めた感じで、バラエティでも軽い感じで見てますけれども、本当に信じる人は、もう、あれがいいんだって、これがいいんだってというて、飛びつくような年代の人は、多分そういう番組を見るのやと思うんです。
 ですから私なんかというと、本当に中途半端なんで、ちょっとコメントしにくいんですけれども、冷めているから、新聞は信用しますけど、テレビはあんまり信用しないで、半分は「これはつくられたもんや」とか、そういう感じで見ているので、真剣に考えたことがないし、こうして皆さんが本当に頭突き合わして、ここまで本当に学者がいっぱい考えながら、こういうことをつくっていらっしゃることに、改めて敬意を表しまして、これからは、そういう感じで、もっと真剣にテレビを見ないといけないなと思いました。勉強させていただいておりますので、私のコメントは、これぐらいにさせていただきたいと思います。

委員
 民放の信頼度が11%というお話だったんですけども、11%でも納豆が売り切れるというのは、やっぱり絶対数として随分多いからだろうと思います。だから影響力はすごいんだなと思うんですけれども、どちらかというと納豆が効くというようなことを信じるほうが悪いんじゃないかなと、私も思っていたわけです。
 というのは、この捏造というのは、ちょっとまた別の話で、これはけしからん話ですけれども、納豆が効くというのを聞いて、儲かるのはスーパーマーケットであって、民放はちっとも儲からんわけですね。だから、これは信じるのは、放っておかないとしようがないんじゃないかなという気もしておったわけです。そのぐらい捏造という問題は、これは全く別の問題で譴責されなければならんと思うんですけども。
 しかし、それが私は医者ですので、こういう科学的なことについては、番組を見れば、どこまで本当であるかというふうなことは、ある程度判断できますけど、もしこれを政治でやられたら、私は分からないと思いますね。そうすると、これはやっぱり怖いなと、やっぱり、こんなことはやめてもらわないといかんなという気がいたしました。
 それと、もう一つ私は、常々思っているんですけども、さっき言いましたように、納豆は売れても、スーパーマーケットが儲かるだけなんですけれども、広告の場合は、広告主が儲けるわけですね。捏造したり、あるいは、いい加減なデータで放送して、これはコマーシャルです。コマーシャルですから番組審議会にも、あんまり関係ないんかもしれません。放送局もいいんかもしれませんけれども、これは全くの詐欺です。それを広告した会社が儲けるわけですから、これは全然取り締まらなくて、取り締まるというと皆さんお嫌いになりますが、これは何とかしなくてはならないのではないかと、私たちの立場から見ると、あの詐欺まがいの広告によって、お金を無駄に使っている人、あるいは、さらに自分の健康を害している人が、いかに多いか、これがまた野放しになっているというのは、放送倫理ということから言って、民放は放っておいてもいいのかなというのが私の大変大きな懸念でございます。

委員長
 捏造は別とおっしゃいましたけども、データを捏造して専門家が、それを添えて放送すると、やっぱり詐欺。そして、それを放送することによって視聴率が、その番組は人気があって、結局は放送局も儲かるということになれば、やっぱり捏造とか、儲けというのは、全体として実態になっているんじゃないでしょうかね。
 同じ法曹界の委員は、いかがでしょうか。

委員
 私ども、もちろん在野法曹という観点から見ると、やはり先生が最初に言われたように、公権力が放送に介入してくることの懸念が、どうしても、そこに非常に関心を払わざるを得ない。理念で言えば表現の自由の主体である新聞あるいは放送局に対して、公権力が介入してくることはいかがなものか、まさに、そのとおりですけれども、それが成り立つのは、やっぱり世論の支持があってのことだと思うので、理論でそうだだけじゃ結局は砂上の楼閣で、世論も「当然そうですね」という支持がなければならないと。
 きょうは先生、さらっと触れられましたけれども、行政指導の問題、法律の根拠があるのかないのか、よく分からないけれども、ただ、こういう『あるある大事典』のような捏造の問題があったら、世論がそれを支持してしまうというところなんで、そこから徐々に公権力が放送に介入することが進んでいく。やっぱり、そこが一番の問題です。どうしても、これは私らとしては、そうならないということに関心を払わざるを得ないと。
 同じことが私ども弁護士会も実はございまして、私ども弁護士会は、戦前は公権力の監督下にあったのが、戦後に自主独立ということで、弁護士自治ということで、何か不祥事があれば弁護士会が処分をすると、その代わり公権力からは干渉を受けないという前提があって、ただ私ども、それがあるが故にずうっと、その信頼を維持するために先人、私どもの諸先輩の方がいろんなご苦労をされたと、法曹界も同様だと思うんですけれども、残念ながら私どもの世界も、先ほど委員が言われたような状況、徐々に出てきているところがございます。
 要するに弁護士自治とかいうよりも、利益重視というところもあって、現実に刑事事件で逮捕されたりというようなこともある。そこで私どもの弁護士会でも常に議論になるのは、やはり倫理の教育、そしてもっと言えば歴史ですね。弁護士自治が獲得できた歴史をベースにした教育、そして自分たちの持っている自治ということの大切さを、どう教えていくか、そこにもう尽きることになるんだろうと思います。
 放送テレビ局も同じ、新聞も同様、戦前のところから戦後に変わって、それでずうっと先人たちが努力して信頼を得てきている。その意義というか、そこの教育がやっぱり一番大事なんだろうというのが、きょう先生のお話を聞いて再確認させていただいた次第です。

委員長
 追加のご意見ございませんでしょうか。
 私は先生のお話をお伺いして大変よく理解できましたし、納得できることばかりでございました。
 実は、こういう倫理上の非常に重大な問題だと、深刻な問題だという事態は、テレビ等のマスコミの世界だけではなくて、現在、日本でほかのいろんな分野でも最近、特に顕著に頻発するようになっているわけですね。例えば、私などの生きております学会でも、ご承知のようにデータの捏造とか、論文のでっちあげというようなことが非常に頻繁に話題になるようになったんです。
 これはマスコミの今回のような捏造による放送の問題もそうですが、学会の場合も含めまして、例えば、新聞とかテレビなどのマスコミ関係のトップの方が、社長や取締役の人たちの倫理観がどんどん低下してきたからだとは、とても思えないんです。それから学会でも、顕著に研究者の倫理観というものが低下してきたから、こんな事件が続発するようになったのだとは、ちょっと思えないんです。ですから、なぜかということを考えないといけないですね。
 データの捏造なんていうのは昔からあって、私が直接聞いた話などでも、大阪大学の工学部で、昔々の話ですけれども、先輩の教授が応用化学ですけれども、万有還銀説というのを立てて、すべてのものは結局銀に還えるという、そういう説を立てて、それで理屈もあったんでしょうね、実験をずっとやってまして、助手にやらすんですよ。ほんでもう自分の思っているとおり、ちゃんと銀が出なかったら、その助手は本当に叱られて、あまりのつらさに助手は、夜帰る時に自分で銀をちょっと入れて、そうすると次の日に銀が検出されたというようなことをやったんです。
 で、教授は非常に喜んで、そういうデータを学会に発表する。だけど、こういう類いの捏造は、結局はすぐ分かるわけです。世界中で関係者が追試をすれば、そんなこと絶対起こらないということがはっきりしたんで、助手を追及すると、実は自分で入れたんだいうことが分かった。しかし、そういう話を私が先輩教授から聞いたとき、笑い話のような感じで聞いたわけです。先輩の教授たちも、かつて、そんなことがあったということを、わりにのんびりした感じで言っていたんです。
 それが、やはり競争が激しくなって、競争とその評価と、評価結果がいろいろ具体的に反映されるというような世界になってきたわけで、日本よりも先に、そういう世界になっていたのはアメリカなんですが、アメリカなんかでは学会でも非常に競争が激しいんで、それで日本の場合でもそうですけれども、例えば、論文を学会に投稿しますと、査読委員というのが論文の中を読むわけですけれども、そうすると、似たような研究をしている人が困っている時に、うまいソリューションを書いた論文が出てきたら、それを使いたくなるわけです。実際そういうことも起こり得るんで、査読委員が人の論文の中身を盗用するということは、そういうシステムである以上は幾らでも起こり得るんで、学会の場合は、論文が掲載された学会誌が発行された年月ではなくて、一番基本にするのは、その論文が学会に投稿されて学会が受理した日付が基本的に、新しさ先見性の基本になるわけで、制度上の工夫をしないと起こるわけですね。
 アメリカなんかでは、ですから、論文の数のほかに、その論文がどれだけ引用されたかというデータなども数値的に評価の対象にするようにしたと、そしたら、どういうことが起こったかといいますと、自分の論文の中の数式とか記号なんかの本当にちょっとしたところを、わざと間違えて出すわけです。そうしますと、世界中にサーキュレーションのよい国際学会雑誌ですと、世界中から、その論文を読んだ人が、その論文を挙げて、ここの何ページの何番の式の、これは間違いだというような、その著者名と論文名を挙げて一斉に来るわけです。それは全部引用された論文数にカウントされている。それで、わざとそういうことをするのも出てくる。
 ですから昔から、そういうことがあるわけで、今回のテレビ番組の場合も、現場に対するプレッシャー、それから競争、そういうものがやっぱりあって、必ずしもテレビ会社の社長や取締役の倫理観が、どんどん低下してきたからだとは思えないです。だから私は、その倫理観をもっと持てというようなことを言うことも必要でしょうけれども、そんなものが特に低下しているとは思わないんで、やっぱり清水先生がおっしゃったように、そういう現実と倫理観が現実的にちゃんと確保できるような仕組みとのギャップ、これが問題だったんだろうと思うんです。
 ですから競争は、これは反対できませんし、必要なことなんでしょうが、それにセットとなって、システムの出来るだけ合理的な体制をつくるということが、むしろその工夫のほうが大事じゃないかなと思うんです。
 それぞれについて責任の筋がちゃんと明確であること、漠然として上のもの全体の責任というのではなくて、ここの課題ごとに責任の筋が明確になっているようなシステムをつくるとか、それから罰則を強化すると、こういうことを具体に検討しないと、倫理観が最近落ちてきているんじゃないかというような、そういう繰り言では問題は解決しないんじゃないかと、私はちょっと、そういう気がしているわけです。

清水理事長
 それでは、今までのご意見を受けて、追加的なご説明を含めて締めくくりとさせていただきます。
 最初に関西テレビの番組などは、もともと信用していないんだ、どうせ番組というのは、ああいうものなんだろうというご意見が多いということに、ちょっとびっくりしました。というのは、BPOに寄せられる意見というのは、大概ほとんどが憤慨、憤激の意見なものですから、そう申し上げたんですが、考えてみますと、どっちが恐ろしいかというと、どうせテレビというのは、あんなもんだというふうに視聴者が考えているほうが恐ろしいのかもしれないですね、そういう意味では。そういう感じを受けました。
 メディアリテラシーとはちょっと違うことかと思います。メディアというのは大体こういうものだということを十分知った上で接触するというのがメディアリテラシーだと思うんですが、そのことと、どういう関係になるのかというのは、これからもちょっと考えてみたいと思います。
 それから例えば、CMの問題などにも十分問題があるんじゃないかというご指摘ですけれども、これは全く私の個人的な考えで作業委員会の考え方ではないんですが、新しい番組委員会の仕事の一つとして、放送基準の解釈権を付与するのも一つの考え方ではないか。ある番組なり、あるいはコマーシャルなりが放送基準に反したかどうかという問題が常に起きております。
 私が最近担当した2件の訴訟事件も、広告に関するメディアの責任をめぐるものであります。私はメディア側の代理人になったんですが、原告のほうは、法律のみならず、自ら定めた広告掲載基準とか、それに反しているではないかという主張を必ずしています。
 それはあくまで倫理的な基準なんで、法的解釈とはなじまないんだということを主張して、裁判所も認めてはくれたんですが、だからといって広告基準に反していいということにはならない。問題が起きますと、基準には反していないというふうに局側の方は、よく言われるんですが、実際問題としてCMの中には問題があるCMがあるし、オカルト的な番組もあるし、占い的な番組もある。それが放送基準に抵触するんではないかという客観的な解釈を新しい委員会にしてもらうということも一つの考え方ではないかなと考えております。
 それから、表現の自由の問題ですけれども、これは今、カナダ大学に行かれましたけど、阪大の憲法の松井茂記教授がかねがね言っていたんですが、今や表現の自由派は死滅寸前にある、学会においても、あるいは法曹界においても、表現の自由派は少数派どころか死滅寸前にあると松井さんが言われたことがあるんですが、それほど極端ではないにしても、今、やっぱり表現の自由とか放送の自由ということについて、一般社会でどれだけ認識があるのかということについて、もう一度メディアの人には、よく考えていただきたいと思っております。
 それから最後に、これは作業部会でも問題になったんですが、今度の新しい委員会、名称は何というふうになるか分かりませんけれども、そこでの論議とか、あるいは結論については、各放送局の番組審議会とネットワークを組んで、すぐに番組審議会にも報告して、そこでも議論していただくというように、今まではBPOと番組審議会とは直接の関係がなかったんですけども、もう少しその点を組織的に考えてみたらどうかという意見も出ておりますので、ご紹介しておきます。以上でございます。

委員長
 ありがとうございました。

社側
 本当にきょうは、清水先生に来ていただきましてありがとうございました。
 あと2月に視聴者の皆さんから寄せられた声なんですが、ちょっと時間が押しておりますので、資料をお配りしてあるとおりでございます。お目通しをいただきたいと思います。
 次回ですが、4月13日、金曜日に開催をさせていただきますので、よろしくお願いいたします。
 きょうは本当にありがとうございました。


終わり

  • 平成18年度読売テレビ番組審議会委員
  • 委員長    熊谷信昭   兵庫県立大学名誉学長、大阪大学名誉教授
  • 副委員長    馬淵かの子   兵庫県水泳連盟   顧問   元オリンピック日本代表
  • 副委員長    川島康生   国立循環器病研究センター   名誉総長
  • 委員    秋山喜久   関西電力株式会社  顧問
  • 委員    金剛育子   能楽「金剛流」宗家夫人
  • 委員    林  千代   脚本家
  • 委員    阪口祐康   弁護士
  • 委員    佐古和枝   関西外国語大学教授
  • 委員    北前雅人   大阪ガス株式会社   代表取締役副社長執行役員
  • 委員    谷  高志   読売新聞大阪本社   専務取締役編集担当