第478回 番組審議会議事録

1.開催年月日
平成18年12月8日(金)
2.開催場所 帝国ホテル大阪
3.委員の出席 委員総数 10名
出席委員数 10名
出席委員の氏名 熊谷信昭、秋山喜久、金剛育子、林 千代、馬淵かの子、阪口祐康、佐古和枝、川島康生、吉岡征四郎、河内鏡太郎
会社側出席者 ・土井共成(代表取締役会長)
・髙田孝治(代表取締役社長)
・丸山和男(代表取締役専務)
 編成・コンテンツ・制作スポーツ・東京制作・報道担当
・越智常雄(専務取締役)
 内部統制・コンプライアンス・総務・労務担当
・吉野俊太郎(取締役報道局長)
・久保哲郎(執行役員コンプライアンス推進室長)
・村上博保(執行役員制作スポーツ局長)
・松下泰紀(コンプライアンス推進室視聴者センター部長)
事務局 新谷 弘(コンプライアンス推進室次長兼番組審議会事務局長)
菱田千佳(コンプライアンス推進室番組審議会事務局)
森本泰輔(コンプライアンス推進室考査著作権部兼法務コンプライアンス部)
4.審議の概要 「事件報道の在り方について」
12月度の番組審議会は12月8日(金)に、帝国ホテルで開催された。
審議会では、今年一年を振り返り、読売テレビ側から相次いだ凶悪事件の報道についての問題点や課題について報告した。
委員からは、未成年者の犯罪報道をめぐって、匿名にするのか実名で報道するのかといった問題や、知る権利の問題などに対する意見が相次いで出された。
この後、11月に読売テレビに寄せられた視聴者からの意見や抗議、苦情などについて概要を報告した。
出席は、熊谷信昭、川島康生、馬淵かの子、金剛育子、阪口祐康、秋山喜久、林 千代、吉岡征四郎、佐古和枝、河内鏡太郎の各委員と読売テレビからは、土井会長、髙田社長以下11名。
5.審議内容 別掲の通り
6.審議会の意見に対して取った措置
特記事項なし(議事録は関係部署に配布)
7.審議会の答申・意見の公表
●12月28日(木)付け読売新聞夕刊に議事の概要を掲載。
●1月13日(土)午前5時14分から放送の「声~あなたとよみうりテレビ~」の中で議事の内容を放送。
●本社コンプライアンス推進室に閲覧用として議事録を備え置く。
●インターネット読売テレビホームページ「テレビの門・話し合ったもん」で議事録を公表。(http://www.ytv.co.jp)
●社内LANにて全ユーザー(全社員および関連スタッフ)に議事録を配信。
8.配布資料 ●視聴番組 概要
●2006年11月に寄せられた視聴者からの意見・苦情
9.送付資料 ●民放連機関誌「月刊民放」
●民放連機関紙「民間放送」

【審議内容】

社側
 きょうは年末のお忙しい中お集まりいただきまして、本当にありがとうございます。
 まず、委員の方の出欠の状況なんですが、きょうは全員ご出席でございます。
 私ども読売テレビ側は、きょうは編成局長の位寄が、どうしても外せない会議がありまして欠席をさせていただいております。ご了承ください。
 この12月ですが、毎年、番組の視聴ではなくて、その年のトピックスといいますか、問題があったことを取り上げて、ご報告をしてご審議いただくという形をとっております。
 今年を振り返ってみますと、後でも話が出ると思いますが、幼い子どもたちが被害に遭った、被害者になってしまった事件。逆に未成年者が加害者になった事件というのが全国で相次ぎまして、我々の場合、ニュースだけではなくて、ワイドショーなんかでも同じことを取り上げますので、1年中そういう話題というか、そういうニュースで一色だったような印象を持っております。
 どうしても、そういうエキセントリックな事件ですから集中報道といいますか、メディアスクラムという言葉もありますけれども、そういう問題が起きたり、あるいは、さっき申し上げた加害者側が少年であることによって、どのように実名を出すのか、匿名にするのかといった報道の仕方の問題とかにも、いろいろ議論があった年でございます。
 そこで、きょうは報道局長の吉野から、そのあたりを、まとめてご報告をさせていただいて、その後、それについてご審議をいただきたいというふうに思います。では吉野報道局長、よろしくお願いいたします。

社側
 報道局長の吉野でございます。ご報告の前に、この1年、数多くのご指導、ご指摘を賜りまして本当に厚く感謝を申し上げます。今後とも引き続きよろしくお願い申し上げます。
 それでは、きょうの審議のテーマであります「事件報道の在り方について」ということで、ご報告を申し上げます。この1年を振り返りますと、ご承知のとおり、陰惨な事件が多発をした1年であったかというふうに思っております。一方では、時代の変化、これに伴い、ある意味では理解のし難い犯罪も現れてきているというのが現状かと思います。
 本日は、お配りをいたしました資料に基づき、時系列的に特徴的な事例、そして報道に課せられた課題と対策について振り返ってまいりたいというふうに思っております。何分にも、私、報道経験半年ということではございますが、短い期間の間に、実は大変多くの事例が出ておりまして、必然的に毎日、日々勉強といったような状況でございます。つたない報告になるかと思いますが、ひとつよろしくお付き合いのほど、お願い申し上げます。
 それでは、お手元の資料でございますが、報告書の概要が、まず1枚、それから、それに伴っての資料が各4部お付けしておりますので、併せてご覧いただければというふうに思っております。
 それでは、まず一番上にございます長浜の園児の殺害事件でございます。内容に関しましては、今年の2月17日、滋賀県の長浜市で発生いたしました。これは園児の母親が自分の子どもが日ごろからいじめられているという思い込み等がありまして、同級生2人を幼稚園に送り届ける途中で殺害したというものでございます。
 この件での報道上の問題と対策でございますが、問題点は、被害者と容疑者の自宅が近接しております。そんな中、多数の報道関係者が集中をしたという、いわゆるメディアスクラム状態が発生したことでございます。
 これに関しましては、資料1と、1枚目と2枚目にありますように、在阪の部長会、民放5社ということになりますが、事件発生直後に節度ある取材を申し合わせております。併せて葬儀等の取材は、遺族の意向を受けて、会場内の撮影は通夜の前に、1系列1カメラで撮影などの配慮をしてまいっております。
 また、中でも、今申し上げました集団的加熱取材問題に関しては、地元協議機関の充実を一方では図っております。
 これまでは、全国紙、NHK、それから通信社で構成をいたします在阪の8社、社会報道部長会と一方の民放5社の在阪の民放報道部長会、それぞれが協議してきたものを3月1日より横断する組織に拡充をいたしております。おおよそ、この1件目の事例に関しての概要、状況、それから対策等は、今申し上げたとおりでございます。
 続きまして、秋田の連続幼児殺害事件でございます。これに関しましても、過剰取材、それから逮捕前の犯人視した報道というものが問題になりました。地元では、さまざまな対策がとられましたが、結果的に長期間にわたって特異な展開を見せたため、東京から大量の取材陣が押し寄せたということでございます。結果、一時収集のつかない状況に陥ったということも当時ございました。
 そのような状況ではありましたが、地元の報道機関は自主的な合意を結んだ上、メディアスクラム状態の緩和に相当努力をしたというふうに承っております。
 続きまして、3番目の「JR事故1年報道」という事例でございますが、遺族・負傷者の団体というのがございまして、「JR福知山線脱線転覆事故4.25ネットワーク世話人会」といいますが、ここから幾つかの要望が寄せられております。
 中身に関しましては、ヘリコプター、クレーンによる撮影の自粛、それから追悼行事会場での取材制限、それから白いリボンをつけた遺族並びに負傷者への取材禁止等でございます。
 対策といたしましては、まず取材場所の限定と、それからクレーンを使用しない時間を設定すると、これらを記者クラブで取り決め、自主規制を行い、それ以降、ヘリコプターの取材は自粛をしたという経緯がございます。
 続きまして、奈良の少年による放火殺人事件の事例でございます。これは今年の6月20日、ご承知の方もいらっしゃるかと思いますが、奈良県の田原本町で発生した事例でございます。関西でも有数の進学校に通う16歳の高校生が自宅に放火。結果、母親と弟、妹の3人が死亡したという悲惨な事例でございます。
 この事件に関しましては、父親及び関係者、そして容疑者が通学していた学校などから、これもお手元に資料を添付しておりますが取材自粛の申し入れがございました。
 これを受けまして、我々在阪民放報道部長会で、引き続き節度のある取材と報道ということを、口頭ではございますが申し合わせをしてまいりました。
 一方、学校からの取材自粛要請に関しましては、私ども進学校での受験生活で父親と葛藤したことが事件の背後にあると、重要な要素となるというふうに判断をいたしまして、取材方法等には配慮はいたしました。ただし、取材自体を自粛するということはしておりません。
 一方で、実名・匿名の判断というものが、また意見が分かれる部分ではございますが、事件発生直後は死亡した3名と、それから父親の名前は実名で、行方不明でありました長男に関しましては匿名で報道をいたしております。
 その後、少年の容疑が濃厚ということになった時点で、すべてを匿名に切り替えるということにいたしております。これは本人を推知させる報道を禁止するという少年法第61条ですが、これの取り決めに従ったものでございます。というのが、奈良の少年の放火殺人事件の事例でございます。
 続きまして、1件飛ばしてご説明を申し上げますと、山口の同級生による高専生殺人事件でございます。
 発生はご覧のとおり8月30日、そして容疑者の少年の遺体発見が9月8日ということになっております。山口県周南市の徳山高専の校内で女子学生が殺害され、同級生の19歳の男子学生が殺人容疑で指名手配をされております。そして、その後、自殺をしたというものでございます。
 容疑者の学生が遺体で発見された際、実名・匿名の判断が報道機関によって分かれております。具体的に申し上げますと、我々日本テレビ系列NNN、それから読売新聞、それからテレビ朝日系列が実名で報道いたしております。そのほかに関しましては匿名報道ということになっております。
 私どもNNNは、遺体発見以前から地元の山口放送、そして日本テレビが詳細に協議をいたしまして、遺体で発見された際は実名で報道することを決定いたしましたが、当然、系列の各局にも、その旨の文書を配付いたしております。これもお手元に資料として付け加えさせていただいております。
 実名報道に切り替える根拠といたしましては2点ございます。
 まず第1点は、少年法は「少年の更生を妨げることのないこと」を目的として実名報道等を禁止しているのであり、あくまでも生存を前提にした理念でございます。死亡した際は、この限りではないと、あえて解釈できることからという点が、まず1点でございます。
 それから第2点としましては、事件が、やはり殺人事件という重大なものである。社会的な関心も高いこと、というのが第2点の理由でございます。
 この事件の場合、匿名とする根拠は少年法のみであります。その法が求めている目的、「当事者が更生する機会があること」という目的がございますが、これがなくなった時点で報道原則である実名報道に切り替えたと、これは今でも正しい判断であったというふうに思っております。
 一方、匿名で伝えた報道機関の判断は、いろいろ分かれております。
 まず、朝日新聞に関しましては、「死刑が確定、逃走中で再犯の恐れありという項目に当たらない」という観点から匿名報道にいたしております。
 それから毎日新聞は「少年法の理念を、あくまでも尊重する」ということで、同様に匿名と。それから産経新聞は「今回は特殊な場合というふうには判断し難い」ということで、匿名で報道いたしております。
 それから共同通信、これに関しましては「少年法が規定する保護対象からは外れておりますが、実名に切り替える積極的な理由が欠けているんではないか」ということで、これも匿名報道。
 それからNHKに関しましては、「累犯の可能性がないこと」などを総合的に判断をして匿名報道というのが、この事案の特徴的な事例でございます。
 続きまして、類似したケースとして広島の女児誘拐殺人事件、それと奈良の同じく女児誘拐殺人事件死刑判決と、この2例に関しまして非常に、ある意味では我々の判断の中で類似したケースではないかというふうに思います。いずれの事件も幼い女児、これが性的な被害を受け殺害されたものでございます。
 広島の事件では、父親が「求刑段階の報道では、犯行の実態が正しく伝えられていない」ということで会見を開いております。そして「実名を出して犯行の残虐さを伝えてほしい」と訴え、積極的ではないですが、「名前や写真が犯罪の抑止につながるのなら出てもかまわない」というような状況がございました。
 一方、奈良の事件では、当社は事件発生当時から被害者名を匿名で報道しておりましたが、判決の段階で両親が手記を発表しております。実名報道を了承するとともに、被害者の顔写真を提供されております。
 いずれも被害者、遺族の意向をくみ取り、実名報道をいたしております。
 以上、これらが各事例のかいつまんだ報告でございます。
 総論としてまとめさせていただきますと、ここ数年、犯罪被害者となった方が積極的に発言をし、当事者が置かれている状況や要望を訴える機会、これが以前と比べて飛躍的に増えてきているということも今年の非常に顕著な状況かと思います。併せて被害者や遺族が自ら執筆いたしました本が出版されたり、メディアとともに勉強会等、直接意見を交わす機会も現実に増えております。
 私どもも、その肉声を尊重して、何とか取材等に反映していきたいと思っておりますし、している状況もございます。
 また一昨年でございますが、制定されました犯罪被害者基本法、これに基づきまして、昨年、暮れではございますが、犯罪被害者基本計画が閣議決定された動きが一方ではございます。この計画に関しましては、発表を実名でするか、あるいは匿名でするかの判断を事実上警察が行うことにすると、私どもメディア側から批判の声も上がっておりますが、おおよそ、そういう趣旨のものでございます。
 一方で、刑事事件の処理のプロセスで置き去られた形となっております犯罪被害者、彼らの立場を、前進させるものではあるんではないかという評価もございます。
 これら、いろんな環境変化、それから我々報道機関に課せられました責任と使命と、私ども日本テレビ系列各社の報道ガイドライン、これはあくまでも尊重すると、あるいは、その前提を守るということではございますが、一方でネットワークの速やかな判断と対応という基本原則もございます。
 今年、特に、このような事例が続いたということもありますので、可能な限り、想定される範囲を広げながら実名・匿名等のルールづくり、これを進めてまいりたいと。
 また一方では、おそらく各審議委員の方が感じられておることかと思いますが、ニュースの本質を、場合によってはゆがめかねない昨今のワイドショー化等、それと直近では、いじめ自殺の問題等、数多くの問題がございますが、これらも併せて我々系列の中では、一つの問題提起として取り扱っていっておる最中でございます。
 以上で概要説明並びに対応・対策に関しましての報告を終わらせていただきますけれども、犯罪報道に関しましては、報道する側、それとされる側、昨今非常に関係が変わりつつあるということを実感させる1年であったというのが私の実感でございます。
 以上をもちまして、概要ではございますけれども、報告を終わらせていただきます。

社側
 特異な事件が多かった1年ですし、だからこそ報道のあり方も問われた1年だったんだろうと思います。
 委員長、よろしくお願いいたします。

委員長
 それでは、委員の皆さまからご自由に、今の吉野局長のお話に関する直接的なご質問でも結構ですし、ご意見でも結構なんで、どうぞ、どなたからでもご自由にご発言をお願いいたします。
 
委員
 それでは僭越ですけれども。今、吉野局長がご報告された背景には、当然のことながら権利意識の高まりといいますか、法律関係の利益関係の複雑化というのがあると思います。
 昔は、あくまで被疑者、被告人は刑事の対象になっていて、それは当然、捜査の過程の問題だから報道して当たり前。被害者、関係者は、これは取材の対象であって、これまた実名も出て当たり前と。捜査過程についての適正化を監視するのは、これまた当然のこと、当たり前という、まさに「だから実名報道は大前提」と、こういうところだったかと思います。その唯一の例外が少年法という形であったと。
 ところが変わってきて、まず被害者というのは、今まで、まさに報道の関係でいえば取材の対象、刑事手続きの中でも、まあいうたら証人としての対象という形だったのが、まさにそれが「刑事手続きの中で放置されているじゃないか」という問題が上がってくると同時に「被害者のプライバシーというのが報道によって侵害されているではないか」というところの権利意識の高まり。それで、また、今ご報告されたような形で被害者の実名報道という問題が上がってくると。
 他方、被疑者・被告人の関係には、ご承知のとおり、そもそも、これまた被疑者・被告人のプライバシーとの関係で、「実名報道というのが果たして必要以上にプライバシーを侵害しているんではないか」という流れの中で、また少年は「より一層、更生の関係で控えるべきではないか」という問題、非常に複雑化してきていると思います。
 また、それと、きょうは、ご報告はありませんでしたが、平成21年からは、ご承知のとおり裁判員制度が出ると。そうすると捜査段階での取材によって、将来裁判員になる人間が予断を抱くのではないかと、刑事の前提である、まさに予断排除というところを報道が破るのではないかというところで、ますますもって微妙な問題が出てくるであろうと。
 そんな中で、私が見てちょっと思うのは、実名報道というのが必要なんだというところの必要性が、浸透度というのが、かなり薄れているんじゃないかな、あるいは理解しきれてないところがあるんではないかなと、一般国民のほうがね。そこが、何か見ていても押されっ放しというような感じで、そこがちょっと報道機関側としても、実名報道の有用性というのが、まだ十分みんなを説得しきれるような形で展開しきれてないんじゃないのかなという、ちょっと感じはいたします。
 いずれにしも、今までのような形で「実名報道原則があるんだから流せばいいんだ」という形じゃなく、非常に個々具体的なケースの微妙な判断が求められるようになっているのは、もうまず間違いがなくて、その傾向は、今後一層強くなっていくんだろうなというところで、ますます報道としてのあり方といいますか、要するに世論、これは確かに実名報道で被害者・被告人、あるいは被害者・被疑者等のプライバシーを、ある程度、侵害するところはあったとしても、なお、その報道をしなければならない。
 また、世間のみんなから見ても、これは確かに一部被害者・被告人のプライバシーを侵害するところはあるけれども、それなりに節度を持って、しかも社会にとって有用な情報を流しているというような評価をされるような報道のあり方というのが、今まで以上、あるいは多角的に吟味されていかなければ、ますます実名報道というのができなくなるんだろうなというのは、ちょっと日々感じているところです。

委員
 今、委員がおっしゃいました点につきまして、実名報道の意味というのが読者あるいは視聴者に十分伝わってないということは本当に認識しておりますし、これをどんな形で伝えていくかという大きなテーマを我々は抱かざるを得ないと思っております。
 ただ、このごろ私たちが現場にいまして事件が発生したときに、従来と違うのは、実名にすべきか、匿名にすべきか、メディアスクラムは起こらないか、まず、そこから事件を考えていかなければならない時代になっているということは現実であります。
 JR事故で乗客が106人亡くなったわけですけども、そのときに私が指揮をしたときは、106人一人ひとりの遺族に、一人ひとりの記者を張り付けるために106人の新聞記者を集めたんです。
 それは106というユニットの中に、一人ひとりの命が込められてしまっては絶対駄目だと。106人を分解すると一人ひとりの命になるという、そのイメージをメディアとして絶対につくらなければ駄目だというふうに思いました。
 もちろん取材は困難を極めたんですけれども、それでも、その実名報道を基本にすることによって、あの事故のリアリティーは格段に僕は強くなったと思います。あの106人が、すべて匿名であれば、果たしてJRの責任も含めて、ああいう事故を起こさないためのさまざまな方策が取り得たかどうかということが一つあると思います。
 遺族ではありませんけど、怪我人の中で、よくメディアに実名でお母さんと娘さんが登場されますけど、鈴木順子さんという31歳の女性がいますけれども、この方は、もう事故の直後に「あと1カ月もたないであろう」と言われた女性なんですけれども、それをお母さんが、あえてメディアに露出するということを選ばれたわけです。
 それで彼女は1年半経ちまして奇跡的に回復しまして自宅へ戻って、このごろは、パソコンもかろうじて打てるようになりました。
 そのお母さんに、「どういう意味あいでもって、メディアにそれだけ出たんですか」ということを質問したんですけれども、お母さんが言われたのは「亡くなった人、もの言わぬ人たちのために、うちの娘は生きていると思うんです」と「全身にチューブでつながれたような状態になりながらも生きている娘を見て、同じ病院でたくさんの人たちが勇気づけられて元気になって、また現場へ戻られました。うちの娘は生きているだけでえらいんです」という話をお母さんがされたときに、私は少し背筋が寒くなるような思いをいたしました。
 何か実名報道の一つの根っこというか、一番ベーシックなところが、そのお母さんの発言にあるような気がします。
 ただ、いずれにしましても、先ほど吉野局長が言われましたように、本当に一つ一つのケースが本当に新しいテーマばかりです。先ほど殺人事件で、その実名云々という議論が出ましたけれども、このごろは自殺、自殺というのは我々の報道原則であれば、よほど有名な人でない限り匿名であります。匿名を原則としておりますけれども、例えば富田林のいじめの中学生などは、翌日になって、お父さんとお兄さんですか、これが「実名を出してくれ」と「いじめを告発したい」という発言が出されましたし、それからJR事故で言いますと107人目の乗客の死者といわれています、亡くなった人の内縁関係にある女性が自殺されたこともあります。これも初めから「実名で報じてください」という、ご遺族のほうから言ってくるという、こういうケースが最近非常に増えてきたと思います。
 いずれにしてもメディアとしては、遺族の心に、どれだけ丁寧に寄り添えるかというところが本当に基本かと思います。その意味では、実名・匿名の背景には、取材力とか、記者力とか、記者の行動に対するモラルとか、さまざまなものが私たちの責任としてあることは事実だと思います。

委員長
 なるほど。遺族とか、被害に遭われた方の遺族の心情というのは伝わるでしょうが、被害者のほうが、加害者について、例えば、加害者が少年法でいう子どもの場合、取材なさっている吉野局長とか、委員、どんな感じでございますか、ほとんどの人が、被害者の名前も言わないでほしいという意向のほうが多いですか。
 取材等をなさっていて、一般に「加害者も含めて名前などは出さないでほしい」という、そういう希望が多いんですか。

社側
 被害者のほうからですか。

委員長
 被害者のほうから。

社側
 それは、ほとんどないですね。

委員長
 そうですか。

社側
 私が聞いている範囲では、それはほとんどございません。やはり、どうしても被害者の立場という心情からすると、普通でいいますと「加害者の名前を出してほしい」というのが普通でございますけどもね。ですから、それをも客観的に冷静に「それも出さないでほしい」というケースは、まずないですね。

委員長
 なるほど、そうでしょうね。
 いかがでしょうか、ほかにご意見、ご質問等ございませんですか。

委員
 感想めいた話になるかもしれませんけれども、一般的に、これテレビも新聞も基本は一緒だと思うんですけど、報道機関というのは、要するに、よくいわれる言葉として「国民の知る権利にこたえる」ということが言われております。実際、報道に際しては、国民の何を知る権利にこたえるのかということが、ひとつ大事なポイントになるんじゃないかなと思うわけです。
 ですから報道する側としては、この事件、いろんな事件があるわけですから、事件によって伝えるべき内容というのは当然異なってくると思うんですけども、これについては何をやっぱり伝えたらいいのかということが非常に明確に意識されて、意図されておれば、その後の取材の方法とか、放送の実際の番組も、そうおかしなものにはなっていかないんじゃないかなという気がします。ですから実名かどうかというような問題も、いわばその延長にあるんじゃないかなというような気もするわけであります。
 テレビの場合は、非常にある意味で速報性というのが一つの長所なんですけれども、新聞なんかだと記事になる前に何回かチェックの機会があると思うんです。いろいろな方が、それをチェックするプロセスというのがあると思うんですけど、テレビは割合に速報性であるが故に、実際に取材をされてから編成されて放送されるまでの間が比較的短くならざるを得ないから、そのチェックの機会が、少し吟味していく機会というのが少ないんじゃないかなと思いますんで、その辺が、一つテレビの場合の留意点ではないかなという感想を持つわけです。
 だから、そこが少し一面的なもの、あるいは非常に情緒過剰な放送になってしまうリスクは、そこにあるんじゃないかなという気がします。
 ですから、やっぱり基本は、その繰り返しになりますけど、この事件は、どういう性格の事件だと、それは何を伝えるべきかという基本的なそのスタンスとかを、まず確立しておくということが、さっきから出ているような、いろいろな問題、視聴者に対する説得力、あるいは取材対象の方に対する理解とかを得られるための条件ではないかなというふうに思います。感想めいた話でありますけれども、以上です。

社側
 今のご指摘のとおり、知る権利というものが、どこまでの範囲なのか、実は我々ネットワーク、いわゆる系列でも、当該局と、そうでない局とで、常にやはり、この辺の葛藤がございます。
 我々とすれば、当該局の立場からすると、やっぱり興味本位になる恐れのある事例、言いにくいですけれども、いわゆる性犯罪、特にそういう象徴的ないじめなのかもわかりませんけれども、いわゆる当該局として、その辺のところをどれだけ主張できるかと。
 例えば、地方の局もそうだと思います。山口の放送の問題も然りですけれども、やはりその辺の主張を、どれだけ今度はネットワークの中で、きちっと認識し合えるかと。
 ただ、その事件をいかに早く伝えるかという一方でのテーマもございますので、なかなかその結論めいたところまでは、これまで至っておりませんけれども、でもこれは、だからといって棚上げをするとか、諦めるというようなやはりテーマではないし、重々重い我々に課せられたテーマだと思っておりますし、現実やはり今でも系列の中で、特にこの12月あるいは来年にかかるかもわかりませんけども、その辺は相当突っ込んだ議論をしている最中でございますので、意見として本当に参考になります。

委員長
 委員、いかがでございますか。

委員
 非常にこれ難しいテーマで、なかなか論評しにくいと思うんですけど、一応報道の自由と少年法61条という、きょうのテーマであれしているんですけど、そうすると報道の自由ということについて、まず、しっかりとした考え方を持つということが大事じゃないかと。
 今言われたようにメディアスクラムだとか、あるいは興味本位にならない、「自分たちは自由だ」というからには、さっきもおっしゃったように責任なり、そういったものが、その裏側にあるはずですわな。
 やや話は横にそれますけども、ある大学教授がアメリカの大学へ行って、ベンチへカメラを忘れてきた。あわてて取りに帰ろうと思ったら、そのとき向こうのアメリカの教授が「もしも、そのカメラがなくなったら、もう大学の自治は返上しますよ」と。要するに大学の自治というのは「自分たちでちゃんと秩序を守っているから、大学の自治をもらっているんだ」ということで、自由と、それからその責任が裏腹だということで、大学は大学で自分たちで自衛組織をつくって秩序を守っているわけです。
 そういった意味で、報道についても、自由というときには、おのずから皆さん自分たちのほうで、責任なり、限界なり、あるいはワ一ッと行って被害者に迷惑をかけるようなことだとか、そういったものを、どこまで自分たちでレギュレーションできるかというふうなことをいつも考えておく必要があるんじゃないかなというふうに思います。
 今度は少年法のほうで、確かに更生の機会、その他を得るためには匿名性というのも必要かと思うけども、匿名性と、それからもう一つは、16歳以下は事件にならずに家裁送りだとか、あの辺が昔の酒鬼薔薇事件でしたか、あるいは、あれは福岡鉄道バスもあれだったかな、佐賀から福岡へ行くバスで殺したのも、あれも「俺は17歳だから死刑にならないから」というんで人を殺しちゃったのが。
 そういった意味で少年法を、今度、少年たちが自分たちを守る、保護というか、「罰せられないんだ」という変な意識を持っちゃっている面があるかと思うんです。そういった意味で、少年法そのものが持っている意義、もちろん匿名性もそうだし、更生の機会があるんだから、今度16歳から14歳に下げたんでしたかな。そういった意味で、少年法そのものの本当の正しい解釈なり、運用なりということを両方を徹底していく必要があるんじゃないかなと。
 そういう前提の上に立って、その匿名、報道の自由と少年法61条とをどう考えていくかという問題になってくるかと思いますけど、ずるいけど「正解はない」と、こう思うんですね。
 要するに、真実は一つという時代は、もう終わっちゃって、非常に世の中が複雑になってきて、いろいろな価値観が出てきているという中では、一つ一つの報道について、一つ一つの事件について、みんなで考えて、「これでよかったのか」「もっと違う方法があったんじゃないか」という、いろいろな積み重ねをやっていって、観念法的に「これは正しくて、これは正しくない」ということではなくて、帰納法的に、いろいろの積み重ね、事件の積み重ねなり、報道の自由と少年法との関係を、みんなで議論しながらやっていって、一つの何かルールが順次出てくると。そのルールも、その日その日によって、だんだん変わってきているということがあるんじゃないかなと、国民性もかなり変わってくると思うんです。
 アメリカは、結構あれは報道の自由で、もう全部実名を出しちゃっていますな。逆にスウェーデンあたりは非常に少年法のほうを重視しているということで、国民性によっても違ってくる。日本のほうも、どちらかというと、やっぱりオープンな、そういう報道のほうを求め始めているんじゃないかなというふうに思うんですけど、その辺は、みんなでその一つ一つの事件の報道なり何なりについて議論して、そういった議論の積み重ねの上に立って、報道関係者の方が一つの判断基準をつくっていくと。その判断基準は一定のものではなくて、常にその日、その日その日といったらオーバーかもしれませんが、時代によって変わってきているということを頭に置きながら、常にクリティカル・シンキングをやって、「これでいいのか、これでいいのか」ということを反省しながら積み重ねていく以外に方法はないんじゃないかなというふうなことで、要は「正解はない」ということで、逃げの答弁ですけども、そんな感じがしておりますけどね。

委員長
 今の報道の自由ということに関連して、お答えは、もう今すぐいただかなくていいんですけれども、私がかねがね感じておりますのは、報道の自由、自由といいながら最も自主性、主体性がなくて、みんなで渡れば怖くないだろうというような対応をしておられるのが、いわゆるメディアというのか、テレビとか新聞、これはもう最たるもんじゃないかという気がするんです。
 ですから今の報道の仕方にしたって、それぞれが自主的に判断し、主体的に判断すべきで、それに対する批判とか賛成は、それはそれぞれ信念を持ってなさったことですから、それは率直にお受けになったらいいと思うんですが、みんな申し合わせて並びでやると、それは報道の自由を唱える資格があるのかということとか、新聞にして言えば、この間も申し上げましたけど、字にしたって、自分たちで新聞特有の字を決めてしまう。固有名詞ですら自分たちが勝手に決める。
 例えば附属病院という「附」は、本来「こざとへん」が付いているんですけど、新聞では、全員が言い合わせているんでしょうね。「とにかく俺たちはそれは認めない」と、こざとへんのない「付属病院、付属中学校、付属高等学校とするんだ」と決めておられるんでしょうけど、固有名詞ですからね。そんなものは現場に行ってみれば、そんな看板は、表札はないわけです。
 それから皇室の皇族方の報道についても、敬語の使い方が新聞の場合とかなんかも、もうみんな大体同じで中途半端な敬語になっているわけです。それが全部同じような文体で揃っているわけですから、そういうことで、表現の自由とか、報道の自由を主張できるのかという気持ちが、かねがね私にはあるんです。しかし、それについてのお答えとか、ご意見は、今この場では結構ですけれども。
 委員いかがですか。

委員
 もう実名・匿名の話は、法律の専門家をはじめ随分出ましたので、「正解がない」というのが正解だということで、私があえて申し上げることは控えさせていただきますが、一つだけ、私申し上げたいのは、そういった問題とは別に、このような事件の報道をワイドショー、吉野さん、最後にちょっとおっしゃいましたですね。ワイドショー化して、面白おかしく、しかも誇張して報道する。あれも報道の一種なんだと思うんですけども、これはいかがなものかと、これこそ節度のない報道ではないかなという気がいたします。
 そういうふうにされるのであれば、最後にお話しになったような、元気になった娘さんの話を組まれるとか、少しでも、その不幸な中にも明かりの見えるような、そういうワイドショーを組んでいただければいいんではないかなという気がいたします。
 それと「犯人が、今拘置所に入りました」とか、そういうのを競ってビデオに撮って、それを報道しておられるというのは、あれは一体何のためにやるのかなという全く無駄なことをおやりになっているんじゃないかなという気がいたしました。

委員長
 委員、いかがですか、何かご意見ございますか。

委員
 私も、もう匿名・実名に関しては、もう本当によく分からなくて答えがないんです。ですけれども、ここのところずうっと事件があまりにも多くて、「ああ、そうだ、こんな事件もあったんだ」といって、もう私の記憶の中でも薄れてしまっているような事件が、ここにずらずら、まだたくさんあるんですけど、この一つ一つの事件にも、ワイドショーのキャスターが飛んでいって、みんな現場でババババーッとやって、各局回しても必ずそれが出てきて、長い貴重な時間を、それに釘づけのようになって私たちは見ているんですけれども、翻って明くる日に新聞を見ると、まあ簡潔に、事件の骨子だけ書いてあって、そっちのほうが分かりやすいんです。「ああ、なるほどなるほど」と。
 ワイドショーを見ているとよく分からなくなってきて、それで新聞のほうが頼りになるなと、そういう事件の扱い方もトップでゴーンと出てきたりしませんし、三面の事件のところで大きく扱っているとしても、テレビが使っている時間よりは新聞の紙面のほうが、その事件に対しては小さい。ですから私は、いつも新聞のほうを一生懸命見るんです。
 だから、こういうのはやはり競争で行くんですかね。早いですよね。あっという間にキャスターが行っていて、いきなり「すごい事件が起こりました」となるので、まず、そういうところから少し「ちょっと待てよ」という感じで、このテレビ局の偉い方が「ちょっと待てよ」ということで、皆さんが、そのようにおっしゃって、よく考えて放送していただいたら、あんな過激なことにはならないんだろうなと、ちょっと残念に思います。
 殺人だとか、いじめだとか、自殺だとか、暗いニュースのワイドショーが多いようで、世の中そんな事件ばっかりになって、そういうのが嘆かわしいのですが、悲劇的な、もう猟奇的なワイドショーは、あまり念を入れてやってもらいたくないという私一人だけですけれども思っております。皆さんの意見を、また聞きたいと思いますけど、以上でございます。

委員
 先ほど委員が言われました実名報道については、一般国民が理解してないとか、分かってないということについて、まさに私自身は、それに当てはまるんじゃないかと思うんですけれども、実名であろうと、匿名であろうと、その近辺で起こった事件であれば知っているし、そのほかについては、写真が出ようが、名前が報道されようが、もう次の日には、それを覚えてないし、どこかであったとしても写真は分からないと、それがそれほど大変なことかということは、多分、私自身わかってないことだと思うんですけれども、今の事件で、人権ということを考えた場合に、被害者の人権よりも加害者の人権が非常に守られていると、それが更生という話が先ほどもありましたけれども、事実、重い罪を犯している人に関して、「更生、更生」というけれども、やはり殺人とかいう重い罪を考えた場合には、更生よりも、やはりそれを顔を映すとか、名前を報道するとか、それが罪と罰ではないかと思うんです。
 少年法で、それが守られているということを考えた場合には、先ほども少し出ましたけれども、逆に子どもたち、特に罪を犯す子どもたちにとっては、それが「いいじゃないか、今」という形でとらえる場合があるので、顔を映したりとか、名前を報道という場合から考えたら「それはいいんじゃないか」と。
 昔、我々は、おじいさんやおばあさんに「嘘をついたら舌を抜かれるよ」とかいうようなことを言われながら「嘘をついてはいけない」というようなことを学んできました。そしたら、ある意味、悪いことをすれば顔を映す、名前も報道されるということは、これは脅しじゃなくて、ある意味からは「いいのではないか、今の世の中では」というように考えておりますので、もしかしたら、その実名報道匿名ということに関して、私自身は理解してないし、分かってないのかもわかりませんけれども、それほど重要なことではなくて、別に載せても、先ほど申し上げましたように、知っている人は知っている、知らない人は知らない、それはもう1週間後には忘れてしまうことだということで、それほど重要な重大なことかと言われると、ちょっと私自身は認識不足でした。

委員
 私も、次々と悲惨な事件が本当に後を絶たなくて、もう連日のように、こっちが慣れてしまうぐらいになる中で、いつもやりきれないと思いますのは、被害者の方は、もう本当にプライバシーなしで、連日のようにテレビや何やに出されて、もう本当にプライバシーなしで、悲しい中で、そういうものを受けている。
 反対に加害者のほうは、その先ほどから言われている少年法ということで、本当に守られて、更生という話があって、またいろいろ聞きますと、何といいますか、何年か経つと、すぐに出てきて、また犯罪を犯した少年などは「何年か経ったら、また出てきます」みたいな手紙を書いているとか、いろんなそういう報道を見ると、何か大変腹立たしくなりまして、また、そういう再犯率がすごく多いということも聞きますと、すごく怖いなというのは、横にそういう方が立っていても、みんな知らないわけですね。反対にちょっと怖いなという感じもありますし、少年法のあり方、今の委員の意見も含めて、ちょっと考えてみるべきでないかなというふうに思います。
 それで、こういう事件が起きるたびに被害者の人が「二度とこういう事件が起きないでほしい。もう自分たちだけでたくさんだ」ということを言われますけども、次々にやっぱり後を絶たないということで、やはり「こういうことが二度と起きないようにするには、どういう報道の仕方をしたらいいか」ということを実名・匿名を考える判断の上で、そういうことも考えていただきたいというふうに感じます。以上です。

委員
 私も多分、実名報道の必要性、有用性があまり分かってない国民の一人だと思います。
 確かにいろんなケースがあるので一概には言えないし、ケースごとに慎重に配慮が必要だと思うんですけれども、特に被害者に関しては、例えば先ほどのお話が出ましたJRの事故のような場合は、知っている人がいるんじゃないかなと思うので、やっぱり実名を知りたいというのがありますけれども、こういう個々の事件の場合は、受け止める側は、先ほど委員もおっしゃったけども、実名だろうが、匿名だろうが、あんまり受け止める側、第三者としては、そんなに印象に残らないんじゃないかなと思います。
 それよりも実名か匿名かで一番影響を受けるのは、やっぱり被害者の皆さんご自身だと思うので、それを実名にするか、匿名にするかというのは、やっぱり被害者の皆さんの意見というのが一番大きいんじゃないのかな、それを警察とか、マスコミさんが決めるというのもどうなんだろうと少し思いました。

委員長
 なるほど、ありがとうございました。ほかに何か言い残したこと、よろしゅうございますか。
 それでは、きょうは非常に難しい問題で、しかも、やっぱり大なり小なり程度の差はあるにしても、私どもを含めまして一般市民、今の報道のあり方については、匿名か、実名かということも含めて関心は、みんなやっぱりございますんで、なかなか難しい問題を、きょうは実例をもとにお話しいただいて、どうもありがとうございました。

社側
 ありがとうございました。年末には、ちょっと重たい話題で申しわけございませんでした。
 次に、11月に視聴者の皆さまからいただきましたご意見につきましては、きょうは時間も押していますので紙をお配りしておりますので、お読みいただきたいと思います。番組個別には、あまりございませんでして、やはり報道している内容について、いろんなご意見をいただいております。
 きょうは本当にありがとうございました。1年の終わりということで、私ども社長から一言ごあいさつをさせていただきたいと思います。

社側
 この1年間、大変ご苦労さまでございました。また、本日は年末の大変忙しいときにもかかわらず、委員の皆さん全員ご出席いただきまして、また貴重なご意見を伺いまして本当にありがとうございました。
 この1年間、きょうご審議いただきましたように、いろいろな事故、事件、あるいは自殺、いじめ、さまざまな問題、それに対するテレビ局の報道ぶりについて、いろいろなご意見、ご批判がありました。それから選挙報道に関しても、皆さんから厳しいご批判もありました。我々は、それらの批判を一つ一つ受け止めて、これからも皆さんに信頼されるテレビ会社を目指していきたいというふうに思っております。
 それから経営的に見ますと、テレビ会社は今、大変大きな曲がり角に立たされております。この12月に全国で、すべての都道府県でデジタル放送が始まりました。ただデジタル放送は大変お金がかかります。
 一方では、ブロードバンドが、どんどん進みまして、放送と通信の垣根が低くなって、テレビ会社の経営は、これからもっともっと厳しくなるだろうというふうに思います。
 そういう中で政府のほうも、放送持株会社を認めようというような制度改革を進めておりまして、年明けの通常国会で、電波法、放送法の改正が提案されるやに聞いております。いずれにしても来年も、テレビ業界いろいろな動きがあると思います。
 それから私ども読売テレビにとっても、実はこの1年間、大変厳しい1年でございました。視聴率については、さまざまなご意見、ご批判もあるだろうと思いますけれども、民間放送にとりまして、やはりビジネスモデルは視聴率次第という面もございます。
 その視聴率でございますけれども、私ども関西におきまして、今4位に甘んじております。それが大変経営的にも苦しい状況に追い込まれております。
 そうした中で、この7月の末から新しい情報番組を夕方でございますけれども、毎日、放送を始めております。あるいは今テレビのCMというものが、ハードディスクレコーダーとかいうようなものでスキップされているため、ドラマの中になんとなくCMが紛れ込むような、手法を試みています。テレビ会社自身が新人を発掘しようということで、プロダクションと協力して、オーディションをやって、そういった人たちに登場してもらって、今番組をつくっております。
 内容は、もっぱら歌とダンスでございますけれども、ドラマもやろうということで、実は先週から深夜のローカル番組で、何本かつくって、新しいものを実験をして、次に備えようと、いろいろ工夫をしております。
 これらの試みがいつか必ず花開くんだろうというふうに確信をしております。私ども読売テレビは、再来年、開局50年を迎えます。この開局50年に向かって、新しい読売テレビをもう1回つくり直そうというふうに我々一生懸命努力しているところでございます。番組審議会の先生方に日ごろから大変厳しいご意見、ご批判、あるいは非常に建設的なご提案をいただいておりますけれども、これからも私どもを温かく見守っていただきたいと思います。本日は、どうも本当にありがとうございました。

社側
 それでは、これで12月度番組審議会を終わらせていただきます。
以上

  • 平成18年度読売テレビ番組審議会委員
  • 委員長    熊谷信昭   兵庫県立大学名誉学長、大阪大学名誉教授
  • 副委員長    馬淵かの子   兵庫県水泳連盟   顧問   元オリンピック日本代表
  • 副委員長    川島康生   国立循環器病研究センター   名誉総長
  • 委員    秋山喜久   関西電力株式会社  顧問
  • 委員    金剛育子   能楽「金剛流」宗家夫人
  • 委員    林  千代   脚本家
  • 委員    阪口祐康   弁護士
  • 委員    佐古和枝   関西外国語大学教授
  • 委員    北前雅人   大阪ガス株式会社   代表取締役副社長執行役員
  • 委員    谷  高志   読売新聞大阪本社   専務取締役編集担当