第467回 番組審議会議事録

1.開催年月日
平成17年11月11日(金)
2.開催場所 読売テレビ 役員会議室
3.委員の出席 委員総数 10名
出席委員数 9名
出席委員の氏名 秋山喜久、金剛育子、林 千代、馬渕かの子、阪口祐康、佐古和枝、老川祥一、川島康生、吉岡征四郎
欠席委員の氏名 熊谷信昭
会社側出席者 土井共成 (代表取締役会長)
髙田孝治 (代表取締役社長)
丸山和男 (代表取締役専務)
編成・制作スポーツ・東京制作・事業担当
越智常雄 (専務取締役)
総務・労務・報道担当
久保哲郎 (執行役員審査室長)
森岡啓人(執行役員報道局長)
位寄雅雄 (編成局長)
村上博保 (制作スポーツ局長)
本田邦章 (執行役員東京制作局長)
松下泰紀 (審査室視聴者センター部長)
田中壽一 (東京制作局)
事務局 新谷 弘 (審査室次長兼番組審議会事務局長)
菱田千佳(審査室番組審議会事務局)
前田義信(審査室考査著作権部)
4.審議の概要 番組視聴
「終戦60年ドラマスペシャル
日本のシンドラー杉原千畝物語・六千人の命のビザ」
放送日時 10月11日(火) 21:00~23:09
放送エリア 全国ネット
 11月の番組審議会は11月11日(金)読売テレビ本社で行われ、10月11日に放送した「終戦60年ドラマスペシャル 日本のシンドラー 杉原千畝物語」について審議した。
 委員からは、戦後60年にあたって適切なテーマでよかった。骨太で良心的なドラマだった。若い世代に戦争や日本人の姿を伝えるきっかけにして欲しいといった推奨の声が相次いだ。
 また、ドラマ制作自体についても、バラエティばかりでなく今後もこうした本格的なドラマを作って欲しいという意見も出された。
 この後、10月に寄せられた視聴者からの意見や抗議、苦情などについて概要を報告したが、このなかで10月9日に放送したバラエテイ番組のロケ中に起こったトラブルに批判の意見が相次いだことについて、社側から経緯と対策にについて報告した。
 出席は、秋山喜久、馬淵かの子、林千代、金剛育子、阪口祐康、佐古和枝、老川祥一、川島康生、吉岡征四郎の各委員と読売テレビからは土井共成会長・髙田社長以下14名。
5.審議内容 別掲の通り
6.審議会の意見に対して取った措置
特記事項なし(議事録は関係部署に配布)
7.審議会の答申・意見の公表
●11月24日(木)付け読売新聞夕刊に議事の概要を掲載。
●12月10日(土)午前5時25分から放送の「声~あなたとよみうりテレビ~」の中で議事の内容を放送。
●本社審査室に閲覧用として議事録を備え置く。
●インターネット読売テレビホームページ「テレビの門・話し合ったもん」で議事録を公表。(http://www.ytv.co.jp)
●社内LANにて全ユーザー(全社員および関連スタッフ)に議事録を配信。
8.配布資料 ●視聴番組 概要
●2005年10月に寄せられた視聴者からの意見・苦情
9.送付資料 ●民放連機関誌「月刊民放」
●民放連機関紙「民間放送」

【審議内容】
社側
 それでは、11月の番組審議会を始めさせていただきます。
 はじめに、きょうの出欠の状況ですけれども、熊谷委員長が大学の公務でご欠席をされていらっしゃいますので、きょうは川島副委員長に議長役を務めていただくことになっています。
 私ども読売テレビ側は、きょうご覧いただく番組が東京制作の番組だったものですから、東京制作の本田局長が出席させていただいております。

社側
 本田でございます。どうぞよろしくお願いいたします。

社側
 それで、きょうはご案内をいたしましたとおり、終戦60年のスペシャルとして放送いたしました『日本のシンドラ―杉原千畝物語』というドラマをご覧いただいて、ご批評をいただきたいと思います。
 早速ですが、制作を担当しました田中から制作意図等についてご説明をさせていただきます。

社側
 東京制作の田中でございます。よろしくお願いいたします。
 今年は終戦60年ということで、昨年の夏ぐらいから、いろいろ企画を探しておりました。そういう中で杉原千畝というキーワードに出合いました。杉原千畝というのは、皆さんご存じかなと思っていたんですが、案外周りの人に聞いてみると「杉原千畝というのは誰でしょう」という声が大きくて、話していくと「ああ、あのシンドラーみたいなことをした人」みたいな形のリアクションがあったと、「案外、杉原千畝というのは知られてないんだな」というのを実感したのが出発点でした。
 1990年代初頭に『知ってるつもり?』という番組で杉原千畝が取り上げられ、それまでは、あまり知られない存在だったんですけど、その番組で、かなり日本中で反響を呼んだというのが状況としてはあるんですが、実は2005年になっても、この杉原千畝という名前を知らない方が案外多い。じゃあ、やっぱり杉原さんの偉業というか、彼の功績というものを、もう一度、世の中の人に改めて伝えてみたいというのが今回のドラマの出発点でした。
 21世紀になっても、テロだったり、戦争がなかなかなくならない、この時期に杉原さんという素晴らしい人間がいたということを日本中の人々に知っていただきたいというのがスタートです。
 この番組をつくる上で海外ロケというものが全編の8割近くを占めているんですが、「どういうところでやろうか」というのが、かなり難しいところでした。
 リトアニアという国自身が、僕らはどこにあるのかも、あんまり知らないところからスタートしたような状況で、ロケハンということで監督を含め、東京のプロデューサーがリトアニアに向かいましたところ、リトアニアにBBCのドラマであるとか、イタリアの映画であるとか、そういうものをつくっている制作会社を見つけました。
 かつてベルリンの壁が崩壊したときに、チェコスロバキアであるとか、東欧の国というのは、人件費などがかなり安いということで、世界中のテレビだとか、映画とかが集中していった結果、ハリウッド資本でコストパフォーマンスが高くなり、なかなか現在では、そのあたりで撮影するという状況ではありません。そのときにリトアニアという国の制作会社と出合ったことで、「ここならできる」という確信をしました。
 ロケの部分、外で撮る部分に関してはリトアニアで撮って、セットの中は、当然、日本の東京で撮ろうというところが一番はじめの出発点だったんですが、監督がロケハンから戻ったときに「セットもリトアニアで撮りたい」という提案がありました。その理由は「リトアニアの俳優を存分に使いたい」ということでした。
 そのときにリトアニアでオーディションをしたんですが、監督はリトアニアの役者を見たときに、やはり「リトアニアの役者には歴史の重み、あるいは魂を感じる」というリアクションがありました。
 リトアニアというのは1991年にソ連から独立した国でありまして、1940年にソ連に併合されて、おおよそ50年間占領下にあった国でございます。50年間の占領の中で、お父さんが、あるいは、おじいさんがKGBに連れていかれて、シベリアに抑留されたり、あるいはナチスにいろいろ蹂躙されたりという歴史があり、ほんの十数年前まで、ある種、歴史の最前線にいた国でございます。そういう人たちの中に、本当に歴史の重み、歴史の魂を監督が感じ、「彼らを存分に使って仕事をしたい」というのが監督の狙いでした。
 というのはリトアニアから日本のセットの中に役者を連れてくるといったときには、飛行機で20人も30人も連れてこないとだめだということで、物理的にかなり難しい問題があったんですが、向こうでセットを建てると、当然リトアニアの役者さんは自由に使える。そういうところが一つの狙いでした。
 あと、もう一つの狙いは、反町さんや飯島さんという二人をリトアニアのセットという、ある種、杉原千畝と同じ状況に置くことによって、彼らに本当に杉原さんの気持ちになって考えてもらう、彼らに歴史を感じてもらうことが芝居にプラスになるんじゃないかというのがありました。
 そういう中で、リトアニアに我々スタッフ30人が今年の7月に向かいました。日本のスタッフ30名、リトアニアスタッフが50名という形で、大型映画張りのスタッフ編成でした。文化の違いとか、そういうものが、かなりありながらも、割合、良好な形でいったんですが、通訳も当然必要でございまして、なかなかリトアニアで日本語をしゃべれる通訳の方がいらっしゃらないという中で、大学で日本語を勉強されている方、そういう方々を探してオーディションで選びました。
 ほとんど女性なんですが、彼女らは、撮影の経験はゼロなんで、日本語はできるけど、ドラマの現場、あるいは映画の現場みたいなのは見たことがなわけで、そのときには本当にカルチャーショックを受けていたようです。
 リトアニアという国は、国の法律で12時間しか撮影ができないということが決まっておりまして、朝の8時半から始まれば、夜の20時半には終わらないとだめです。日本だと7時に始まったら夜中の2時とか、3時ぐらいまで撮影しているということは平気であるんですが、向こうでは撮影が始まって12時間で、終わって逆に食事をゆっくりとれて、割合、環境的には、いい環境でできたんじゃないかなと思っております。
 リトアニアという国は白夜の国でございまして、夏の時点では夜の10時ぐらいにならないと暗くなりません。それでナイトシーンが、なかなか通常では撮れない状況です。それで、台本の上でナイトシーンは出来るだけ減らしたんですが、どうしてもナイトシーンが必要だというときには、昼間にたくさん明かりを当てて、しぼりという画面の光量を調整するというシステム「アメリカの夜」とか、「day for night」とか呼ばれるシステムなんですが、そういう形で昼間にナイトシーンを撮ったりいたしました。
 そういう中で、割合リトアニアと日本人スタッフが、意気投合していきまして、無事に撮影は終わりました。日本では1週間ぐらいの撮影という形で、計1か月かかった作品です。
 撮影していった中で、『六千人の命のビザ』というタイトルのなかの「六千人」というのが、すごい抽象的に僕にとっては響いていたんですが、今年は阪神・淡路大震災10年で、うちの局でもいろいろ番組をしたり、いろいろキャンペーンをしたりしました。  そういう中で、やはり、あの地震で亡くなった方が6,000人近くということで、僕にとっては割合リアルな数字、この6,000人というのを抽象的な形でとらえるんじゃなくて、具体的に地震で亡くなった一人ひとりの人の気持ちみたいなのを大切にしながら駅のシーンとかを描いていったつもりです。
 この後、見ていただいてご意見をいただければ、いろいろ考えさせていただきたいと思いますんで、よろしくお願いいたします。

社側
 これからダイジェスト版を見ていただきます。2時間9分枠の長いドラマを、ちょっと短くしましたので無理があるかと思いますが、ご覧いただきたいと思います。
 ちなみに当日の視聴率は、関西が18.1%、関東16%ということで非常に高いご評価をいただいたというふうに思っております。それではVTRをお願いします。

<VTR視聴>

社側
 どうもありがとうございました。それでは、この後は川島先生にお預けしたいと思います。先生、よろしくお願いいたします。

副委員長
 きょうは熊谷先生がお休みですので、私が代行をさせていただきます。よろしくお願い申し上げます。
 それでは早速ですが、委員から順によろしくお願いします。

委員
 見させていただいて、やっぱり企画書に書かれているように、戦後60年の節目に取り上げる題材として、適切な題材を取り上げられて、人を救うというのは当たり前、どちらかといえば当然のことだけども、その当時の情勢として、誰もができるわけじゃなくて、現に他の国は、いうたら見捨てた中で、この杉原さんが国の命令に反して、背いてまで人を救うという形でずっと取り上げられて、やっぱり60年の中で、もう一度思い出すべき題材ということで、非常に評価高く見させていただきました。
 ただ、やっぱり原作が奥さまのほうからのものなんで、どちらかというと家族の目からのドラマになるのは、これは、当然のことやと思うんですけど、なかなかこういうホームドラマというか、そういう観点から見ると、私はあんまり何とも論評しようがなくて何人かに、事務所の人間に聞いてみたところ、見た人間、結構おりました。やっぱり肯定的というか、評価するほうが多数で「いいドラマだった」というのが多かったと思います。
 重たい題材やと思うんですけれども、ごめんなさい、ちょっと主演の反町氏と飯島氏の演技が、重さが、もうちょっと足りなかったように私には感じました。
 「何でかな」と思ったんですけど、私ちょっと最初に違和感があったのは、戦前の着物とかを着ているシーンが割と前半にあったと思うんですけれども、今の日本人の体形と合わないんですかね、ものすごく、そのところが違和感があったんですね。  だから、ちょっと反町氏と飯島直子さんの演技と、その題材とが、僕の中では最後まで消化しきれなくて、その点だけが、私個人的な意見かも分かりませんが、ちょっと残念でした。

委員
 私も杉原さんが、そういうことをしたということは頭の隅っこにあったので、この番組があるということを知ったときから「見なきゃいけないな」と思って当日拝見しました。やっぱり終戦60年を記念するのに、とってもいい題材を取り上げていただいて、多分、今の若い子たち、あまり知らないことだと思うので、若い子たちにも伝えられる、とてもいい企画だったと思いました。「いい番組をつくっていただいたな」と思いました。
 番組を見ていて、ちょっと気になったのは、外務省をクビになってから何して暮らしてはったのかなということとか、それから、きょう、その6,000人という意味のご説明があったんですけども、その6,000人というのが、リトアニアのユダヤ人の中で、どれぐらいのパーセントなのかな、その救われてよかった、よかった部分はバーッと出てくるんですけど、サインをもらえなかった人たちがどれぐらいいて、どうなったのかなというのが、きょう改めてダイジェストを拝見して、ちょっと気になりました。多分、ハッピーエンドの部分だけではない、ものすごく悲惨なことが背景にあると、そのことは皆さん、みんなよく知っているんですけども、やっぱりその部分も忘れちゃいけないところなのかと、「よかったな」と「素晴らしいな」だけじゃない部分というのも、ちょっとあったらよかったかなと思いました。
 それともう一つは、先ほども委員もおっしゃいましたけど、何か反町さんが格好よすぎるのかなと、戦争が終わって帰ってきてからの日本人て、あんなにきれいな暮らしをしていたのかなとか、何か、そのあたりがちょっときれいすぎて、そのリトアニアの役者さんたちは、それなりに歴史の重みを感じるというのは分かるんですけど、日本側がちょっと何か、きれいすぎるのかなというような気もして、人間味というか、ちょっと何か感情移入しきれない部分が私も残ったかなという気はしました。企画としては非常に素晴らしい企画だったと思います。

委員
 私も、この審議会委員をやらせていただいて、ドラマについてコメントするというのは初めてなもんで、どういうコメントをしたらいいのかなというふうに考えましたが、まず何よりも、こういうドラマに読売テレビが力を入れられるということ自体に僕は、まず高い評価をしたいなというふうに思うわけです。
 最近はバラエティーものとか、こういうのが、やたらに目につくわけなんで、我々どうも、あまり興味をそそられるものが、残念ながらないという現状。それからドラマもアクションものとか、あるいはサスペンスものとか、そういうものが多くて、こういう重厚な、しっかりした作品をつくられるということは非常によかったなというふうに思います。  特に、この作品は、もちろん知っている人は知っている話ですけれども、これを取り上げられたということは、読売テレビの戦後60周年の今年に向けての作品として非常に意気込みを感じました。
 「非常にいい番組だったな」というふうに思いますし、私自身も、また個人的な話ですが、ある映画のスターの人から「何かいい作品があったら、あるいはお前が『これがいい』と思うようなものがあったら教えてくれ」というようなことを言われて、僕は、この「杉原千畝をテーマにした作品はどうだ」と言ったことが、かつてありまして、そのとき僕が提案したのは、杉原千畝のその後、その後というのはあまり知られていないんですね。おそらく大変な葛藤があったんじゃないかなと。
 このビザを発給されたという、これ自体はものすごい感動なんですが、そこから先というのは、あんまりよく分かっていなくて、その辺を、むしろ「そっちに絞った作品をやったら面白いんじゃないかな」なんて言ったことがあるんですが、なかなか材料がなくて、結局それは話だけで終わっちゃったんですが、そういう意味で、これ僕は非常に興味を持って見たんで、委員がおっしゃったように、あの後どうされたのかなというあたりが、あんまり説明的になっては、これはドラマとしては面白くないんでしょうけれども、ちょっとあってもよかったなという気がします。
 それから「原作に極めて忠実に描かれていたな」というふうに思うんで、そのこと自体は非常に僕はいいことだと思うんですが、同時に、もうひと味あってもよかったかなという気がするのは、戦前、つまり彼は外務省の命令に違反して、あえてやっているわけで、そのこと自体は彼は、しっかり自覚していたはずなんです。
 しかし、戦前の段階では何ら処分を受けないで、戦後になって平和になったら逆にとがめられると、こういう理不尽さというか、おかしさというか、その辺がもうちょっと何か、作者の解釈みたいなのがちょっとあっても、味つけとしてよかったかなという気がしました。
 ダイジェスト版ではありませんでしたけど、僕は、この番組で非常に印象的だった場面としては、伊東四郎の松岡洋右、わずか2シーンだったけども、これが非常に印象的で、そこに何か暗示されているのかなという気がするんですけれども、それが、それだけでちょっと終わっていますんで、もうちょっとそこら辺に何かあったら、なお重みが増したかなという感じがしました。
 いずれにしても、後でご紹介があるんだろうけど、視聴者の反応で、この二つが挙げられていますけども、まさに、ここに象徴されているんで、あまり知らなかった人にとっては、これ自体が非常に強いインパクトであったろうし、それから2番目にあるように、あまり「さあ、感動だぞ」と「感動しろ」という押しつけがましさはなくて、非常に淡々と描かれたということは非常によかったと思うんです。そういう意味で、総じて非常に優れた作品だというふうに思いますけども、ストーリー自体が感動を約束されているような面がありますんで、「もうひと味あってもよかったかな」というのが、ちょっと欲張っているかもしれませんけど印象としてありました。

委員
 さっき副委員長が言われましたように非常に素晴らしい作品なので、こういうのを審議会にかけてもらうと困るんですけどね。批判のしようがないというような、韓流ブームが非常に盛んな中で、久しぶりに涙できる番組だったんじゃないかなというふうに思います。
 それでストーリーそのものについては、いろいろ問題があるかと思いますけども、今、世界的に必要とされているのが、個人愛とか、あるいは家族愛とか、あるいは何かの組織に対する愛とかいうふうなもの、あるいは、その上の国益ですか、こういったものを乗り越えて、人類愛みたいなものを、これから持っていくというのが非常に必要とされていると。
 特にアジアの中国とか、日本とか、そういった国にとっては「こういった人類に対する思いやり、あるいは人類に対する使命感というふうなものが国益の上にあるんだよ」ということをみんなで考え直す非常にいいドラマではなかったのかなというふうに思っています。
 従って、これも出来たらば外国語にでも直して、外国でも一遍見てもらうと、日本人の中にも、ちゃんと国益だけではなしに、戦時中の非常に軍国主義の中でも、国益を乗り越えて人類愛を持った人間もいたんだということと、その人類愛を持った人が、いかに後世にいろいろな人々の幸せに役立っているかということを知らせる意味では、日本だけではなくて外国にも、場合によっては何か映画祭にでも出されて広く知ってもらうということも大切ではないかなと。あるいはアーカイブスに残して、後世にまた見る機会を持つということも大事なんじゃないかなというふうに思います。
 細かい点を言えば、さっき委員も言われましたように、もう戦後というのは、みんな一般的に、もうちょっと惨めだったですな。だから、その辺の、あるいは、特に職を失って暮らしておられたら、多分相当惨めな質素な生活をしておられたというふうに思いますんで、そういった時代考証をしておかれたらば、よりいい行為をしたことに対する報いが非常に貧しかったというか、そういったことでストーリーとしての面白さが出てきたんじゃないかなというふうに思います、いずれにしても非常に素晴らしいドラマであったというふうに思います。

委員
 私は個人的な思い入れが、もともとちょっとありまして、実は2、3、以前に本も読んでいたりしたものですから非常に期待を持って拝見をしたわけでありますが、皆さんおっしゃってますように、非常に素晴らしい、いいドラマであったと、骨太の良心的なドラマであったというふうに感じました。
 ドラマの中にも出てきますけども、このビザ発給をしたというようなことについては、戦後、本人もずっと言わなかったとか、外務省も、そういうことについて消極的であったといいますか、世の中に知れなくて外国で有名になって、大分経って、やっと日本で認められると、そういう経過になったわけですけども、本当にそういうことについては残念に思うわけですが、このサブタイトルに『日本のシンドラー』というサブタイトルがついていますけど、つけざるを得ないということだと思うんですが、その「つけざるを得ない」というのは、いささか残念に思うわけであります。
 アメリカの、この研究をしている人がいまして、分厚い本を書いていますが、それをちょっと見ますと、この杉原さんがビザを出したことに関して、当時、昭和15年にイギリスの駐日大使が松岡外相に対して書簡を送っていまして、「ああいう人間でないものを人間のように扱うことは危険である」という警告を出しているわけです。
 この反ユダヤ主義というのは、何もナチ、ドイツの専売特許ではなくて、相当ヨーロッパは、あんまり受容的じゃなかったということを物語っていると思うんですけど、当然、松岡外相はそれを無視するわけですけども、そういう状況の中であるだけに、このビザ発給というのは訓令に背いてやったわけですけども、非常に値打ちのある行為であると思いますし、こういった日本人がおったということを、やっぱり今の若い世代に知らしめるというのは非常に意味がある。
 お金もかかって大変だと思うんですけども、ぜひこういった骨太のドラマを、これからもつくっていただきたいというふうに思います。
 それから先ほど、ちょっと委員がおっしゃいましたことに関連するかもしれません。当時の日本というのは、ユダヤに対して基本的な態度というのは、やっぱりヨーロッパ、アメリカに比べてずっと受容的といいますか、そういう態度が一般的であって、例えば、昭和13年にユダヤ難民がどんどん増えてきたということから、首相、陸相、海相、それから外相、蔵相の五相会議というので「対ユダヤ人政策大綱」という基本方針を決めている。
 その中では「ドイツの考えはそんたくしなければいけないけれども、基本はやっぱり公明正大に扱うべきである」と、そういうことを一応原則論として確認をしております。
 そういう背景がありますから、やっぱり外務省の中も、戦争中、先ほど委員もおっしゃっていましたけれども、あんまり深くとがめだてしないという雰囲気はあったのかもしれないなという気もいたします。
 非常によかったと思うんですが、ノンフィクションドラマということでありますんで、些細な点でちょっと1点だけ私気になったことが、非常に本筋に関係ない些細な点ですけども、先ほどのビデオにも出てきました最後に辞職を通告する、解雇を通告するのは確か岡崎外務次官です。吉田内閣のときに外務大臣になりました岡崎次官です。
 戦前にビザ発給当時のいろいろなやりとりをするときの外務大臣は松岡さんですけども、そのときの杉原の上司にあたる人とは、また別の人だと思うんです。ドラマの中では同じ人のようになっていましたけども、あの辺は本筋に関係ない話なんですけど、やっぱりそういったディテールも、ノンフィクションというからには、ある程度、丁寧にやっていただくほうが、ドラマとしての厚みといいますか、そういったものがいいんじゃないかなというふうに、これはもう非常に些細な点であります。
 個人的に関心のあったテーマなので、少し立ち入ったお話になったかもしれませんけど、以上であります。

副委員長
 どうもありがとうございいました。私どもといいますか、少なくとも私自身は知らなかった事実も含めてお教えいただきまして、ありがとうございました。

委員
 私自身は杉原さんが、お名前も、何をされた方ということも知っておりましたし、そういう意味で自分の考え、こういう人間像というものを思い描きながら見せていただいたのですけれども、これを知らなかった人たちに、今回このドラマをつくることによって、こんな立派な日本人がいてたということを若い人たちにとって、視聴率もかなりよかったので、ドラマとしての意義はあったと思います。
 ただ、俳優さんでいうと描いていたイメージと、ちょっと今回の俳優さんとギャップがあったかなということと、それから、もちろん今回の本筋である「六千人の命のビザ」と同時に、サブテーマである「夫婦の物語」ということから考えたときに、極力、喜怒哀楽を抑えた人物に描こうとされていたのかもわかりませんけれども、ちょっと主人公が人間的な部分に欠けているぐらい冷静というのか、夫婦のあり方というのに、ちょっと共感できないようなものがあって、戦後、辞職勧告を受けて家へ帰ってきたときに妻である人が、人間の夫に対する言葉として初めて本音をぶつけたような言葉遣いでお話しされた。
 その後は、一歩下がって丁寧語で、妻が夫に対してしゃべっているという部分に非常に違和感を抱いて見ておりました。
 それから杉原さんという人は、人を好きになるきっかけが、まず人間、相手を見て、美しいとか、そういうところで引かれるのであれば共感できたのですけれども、エピソードから入っていて、「こういう人が自分の奥さんとして将来必要で」という、将来のビザというものを考えたときに、伏線を張っている部分が非常にあざとかったような気がして、ここで夫婦のつながりというものが、もう少し人間的なつながりであれば、もっともっと感情移入できたかなと。
 それから、もう一つは、ラストの辺でドキュメントタッチになっていて、最終的に「私はあなたに必ず会いに行きます」という、あの向こうの役者さんが全部さらっていったような気がするんです。
 最後に会いに来たときに、あの方のドラマになっていて、杉原さんが脇へ行っているような気で素直に感動できなかったところが、ちょっと惜しかったかなというふうに思いました。
 ただ、このドラマで多くの人たちが、こういう誇り高い日本人がいるということに気がつき、「尊敬する人は誰ですか」と言われたときに、その一人として多分挙げられることがあると思うと、このドラマの意義が非常に大きかったと思います。以上です。

委員
 私も、最近あんまり「見たい」と思うドラマが少ない中で、これは大変見ごたえのある、やっぱり感銘を受けるドラマだったと思います。
 もう皆さんに言い尽くされましたんですけど、1点思いますのに、昨今、本当に連日のように戦争やテロの映像が映る中で、それと対照的なように、すごいバラエティー番組とか、お笑いですとか、歌番組とか、そういう番組が多いような気がします。
 今こういう世界がすごく大事な時期に「これでいいのかな、若い人たちはこれでいいのかな」ということを常日ごろ、すごく考えておりますので、やはり若い人が、こういう戦争のことですとか、そういうことを真剣に考えるきっかけになるような、何か「そういう番組があってもいいのにな」といつも思っていますんですが、今回、先ほど俳優さんの話が出て、やっぱり若い方に人気のある俳優の方を使っていただいて、それで若い人も興味を持って見る、そこから、また戦争とか、命の尊さですとか、そういうのをちょっと考えるきっかけになるという意味で、そういう若い俳優さんを使っていただいて内容のある、いい番組をつくっていただくということも、一つ非常に意義があるのではないかなと思います。
 もう最近の若い方の何といいますか、非常に刹那的な生き方ですとか、そういうのに非常に危機感を持っておりますので、こういう番組で取り上げていただいて、若い人が本当に戦争はどうかという、いろいろ考えるきっかけ、テレビの影響がすごく大きいので、ぜひ今後もそういうことに力を入れていただきたいと非常に痛感しております。非常にいい番組だったなと思って感銘を受けました。

委員
 私、放送された9月の本放送のときも見まして、ビデオも、また見まして、きょうで3回ぐらい見たんですけど、一番はじめ見たときは、先ほど聞きました裏方のことの話を全然知らなかったから「これ、どこでロケやったのかな」とか、そういうことばっかり考えながら見ていたんで、外人がいっぱい出てくるし、「これは、どこか外国でやっているわ」と。
 それでドラマが進んでいくと、反町さんよりも、向こうのリトアニアの人のほうが存在感があるような、暗い感じの何か恐ろしいような歴史を感じるような顔の方が次から次へ出てくるので、その人たちの個性に、格好よすぎる反町さんが、ちょっと合わないなと、一番はじめはそう考えて見てしまったんです。まさか、この番審にかかると思っていませんからね。
 それとユダヤ人は、例えば日本を通過するのに30日ビザをもらって通過するけど、あの戦争中の混乱した日本に入って、また、あんな遠いところ、出ていきましたね、ずうっとロサンゼルスかどこか、アメリカへ渡るか何か、どこか島でしたよね。

社側
 キュラソという島です。実際にはほとんど行ってないですが。

委員
 行ってないんですよね。

社側
 ほとんど上海とかですね。

委員
 それで上海で止まっちゃった人が多いんですかね。

社側
 日本から上海に逃げたという方が圧倒的に多いです。

委員
 それで後から見ていると、「ああ、これはやっぱりドラマなんだわ」というのが、ちょこちょこ出てきたのは、その反町さんが、ちょっと浮いちゃっている感じがすごくしましてね。いい俳優は、あまりにもきれいなんですよ。
 そうすると人間味が、もう一つ、あんまり笑うようなところもなかったし、いつも顔が固まったような表情をしていたから、演技のほうで、もうちょっと軟らかい感じの夫婦で、冗談でも言うような感じですか、子どももいっぱい出てくるんですけど、みんな硬い表情でしたね。
 ですから、ちょっと日本人が、あまりにもかしこまり過ぎて、向こうの俳優とギャップがあったなという感じが、2回目をこの前、家で見たときありましたので、それ以外は、「こんな立派な人がいてはったんやわ」という、感動ですね。それは最後の場面でちょっと涙がぐっとくるような感じがありましたので、ドラマ的には非常によかったと思いますけれども、やっぱり何か疑問を感じた点が、「どうして日本を6,000人も通過していったのか」とか、みんな感じていると思うんですけど、私自身は、それをすごく感じてしまいました。以上でございます。

副委員長
 ありがとうございました。私が代行を務める日の番組が素晴らしい番組であったので大変助かっております。皆さんからも、ほとんどご意見は出尽くしたと思いますが、私も実は昨年、ここへ行っているんです。実際に、その領事館ですか、今、記念館になっています。
 ですから、私もこの番組を、この審議会に出るとは知らずに、その前に私も見たんですけれども、「あれ、これはちょっと違うではないか」と「領事館が違うではないか」と思って、「ああ、そうか、これはドラマだな」と、それでまた気がついたような感じなんですけども、確かに、わざわざリトアニアまで行かれたという、そういうリトアニアという国の感じは何となく出ているような気がしました。そういう点では、やっぱり向こうへ行って撮影されてよかったんじゃないかなという気がいたしました。
 もう本当に素晴らしい番組で、何が一番素晴らしいかというと、やっぱりこのテーマを選ばれたということが一番素晴らしかったんじゃないかという気がします。こういった題材を、もっともっと探せないのかなという気がいたしました。
 ちょっと一つだけ、これはドラマですからそうなんでしょうけど、私が感じたのは、やっぱり奥さんの目から見た事実ということに基づいているんで、ちょっとそもそもが感情移入の大き過ぎるところもあるんではないかなという気はいたしました。ちょっと何か「オーバーにドラマがつくられているんではないかな」という気がいたしました。
 私も外務省の人に「どう思うの」というて聞いてみますと、それは「外務省は堅物であるように言われるけれども、あのとき在外公館を、もうほとんど閉鎖せざるを得なかった」と、そうすると外交官の行き先がないんで、杉原さんだけではなしに、ものすごくたくさんクビを切ったというんです。ですから「本当に、そのときにクビを切ったのが、そのことのためにクビを切ったのかな、どうかな」というふうなことも言っていました。これはドラマですから、少しはそういうフィクションがあってもいいんではないかと思いますが。
 それと、もう一つ、夫婦のドラマとして見ると一番最初から「正直」というのが伏線にしておられるんです。しかし、それはもう、このドラマの性格上、埋没してしまったかなという気がして見ておりました。
 いずれにいたしましても、私もこれは、やはり素晴らしい番組で、私が審議会にかかった番組を、その前に見ていたという唯一の番組で、本当に素晴らしかったように思います。
 ほかに何か皆さん、追加があることはございませんでしょうか。
 ちょっと領事館の形なんかも、あれは本物とよく似せたところを選ばれたんですか。

社側
 やはり、これはドラマなんで、よりエモーショナルになるというか、当然フィクションでリアルなものは撮れません。それはドキュメンタリーじゃないんで、その部分では、やっぱり監督のイマジネーションを含めたところで、それらしきプラス感情を高めるような舞台装置みたいなものをいろいろ探っていったという状況でございます。

副委員長
 委員も最初におっしゃいましたですけども、その後というのは確かに知りたいところですね。それは、いろいろ調べられて、ある程度、分かっているんですか。

社側
 今回は2時間9分という枠組みの中で、やはり「彼の人生のどこにスポットを当てるか、2時間9分の中で何を描こうか」というのを、いろいろ監督を含めてディスカッションしまして、やはりそれはリトアニアでの行為、戦後の行為ということは、ドラマとしてまたつくろうと思えば、1時間でも2時間でも3時間でもつくれるとは思うんですが、やはりこの2時間9分の中に何を盛り込むかというのを考えたときに、やっぱりリトアニアを中心で、戦後というのは、ある種の説明という形ぐらいのレベルに収めようと考えました。
 杉原さんは戦後は貿易商社でソ連とかに駐在されていたり、ちょうど68年にイスラエル大使館で再会するときも、モスクワから戻られてきたときに、たまたま訪ねて来られて、あの時点とかは、ずうっとモスクワに単身赴任されていたり、あるいは途中はNHKで、いろいろ語学を生かした仕事をされたり、職は転々とされていました。
 ですが、実は戦後になると、そういう普通の生活という形で、実はリトアニアでビザを書いたということも、ずっと黙ってられた方ですし、実はやっぱり、そこを描くには、リトアニアをちゃんと描かないと、そちら側を膨らましても、やっぱりドラマ的にはしょうがないのかなというのが今回のジャッジメントでした。

副委員長
 よろしゅうございますでしょうか、皆さん。それではどうも。

社側
 ありがとうございました。貴重なご意見をいただきまして、ありがとうございました。それでは、いつもどおり10月に視聴者の皆さまからいただきましたご意見、苦情についてご報告をさせていただきます。

社側
 10月に視聴者の皆さまから寄せられました、いろんなご意見、苦情についてご報告いたします。
 総件数は7,503件ということで、特に目立ったものとしては、一番最初に書いております9日に放送しました『寛平のアヘアヘ世界遺産の旅』で、ロケ中に起こった問題に関して、一部報道、実際の放送は9日で、報道されたのが18日なんですけれども、夕刊紙に載りまして、それがホームページ等で大きく取り上げられましたことから、苦情・抗議が寄せられました。
 放送し終わった段階で何らかの意見が来たのは、4、5件ぐらいなんですが、実際この報道をされたことによって、400件以上の意見が寄せられたということです。
 簡単な経緯をご報告いたしますと、番組としては、知床が世界自然遺産に認められたということで、その世界遺産を満喫しようというようなことで、バラエティーですけれども、体験リポートをしようということで取材にまいりました。
 間寛平さんがメーンですので、桃太郎の鬼退治というような衣装、扮装でリポートをされました。網走から知床半島をずうっとリポートしていたんですけれども、その中で知床五湖に行きました時に、東京から来ている観光客から、自然の中でうるさい、邪魔だというような形でお怒りを受けまして、それに対してタレントの一人が、暴言を吐いてしまったというようなことで、この事件になりました。
 それで、すぐに連絡がまいりまして、読売テレビとしては、すぐ謝罪を申し上げまして、それから、いろいろな事情聴取を行った上で、その制作会社とか、その他が謝りを入れたということで、いったん収拾しておりましたというような状況です。

社側
 この件に関しまして、我々にとって、かなり重要かと思い、課題を抱えている事案だというふうに思いますので、改めて私のほうから補足の説明をさせていただきたいというふうに思います。
 まず、この番組の制作体制が、どういう形で行われたのかということでございますけれども、今回は、当社の編成部がプロデュースする形で、制作会社ワイズビジョンに発注をしたと、こういう経緯でございます。それでワイズビジョンというのは、当社と吉本興業が立ち上げた制作会社でございまして、主にYTVの番組制作のいろいろな形での協力と、こういう位置づけの会社でございます。  従いまして、今回は編成部とワイズビジョンのほうで企画を固めた上で、実際の取材に関しては、ワイズビジョンのスタッフが現地で行ったと、こういう状況でございます。
 それで問題が発生しまして、取材班のほうから当社のほうに報告がありました。それを受けて当社のほうのプロデューサーが相手のご本人とお会いをして謝罪をし、かつ、その後、制作会社のスタッフ、それから吉本興業、それから暴言を吐いたといわれるタレントが、ご本人にお会いをして謝罪をしたということで、その段階で一応ご本人は了解をしていただいたということで放送をいたしました。
 それで、実は412件という苦情は、先ほど報告いたしましたように、番組を見ての苦情ではなくて、番組放送が終わったあと、一部新聞記事等で、それを読んだ方々からの苦情なんです。逆に言うと、そういう形で番組を見たということではなくて、400を超える苦情が当社に殺到したということの重みというのか、意味をやっぱり我々としては、きっちり考えていかざるを得ないというふうに思います。
 結局、我々がやっている仕事というのはオンエア、放送という最後の段階だけではないと、これは当然のことですけれども、取材を始めて最後に番組が放送されるまでの、あらゆる局面で、すべて視聴者の方々と一般市民の方々等から厳しい批判の目で見られているということだと思いますし、報道の取材なんかでも大事件等について、いろいろな批判を受けますけれども、こういったバラエティーの番組でも、やはり取材するに当たっては、細心の注意がスタッフ、それからタレントの方々も含めて、全員がやはり持っていかざるを得ないということだと思いますので、これは、なかなか実は難しいことなんですけれども、やはり最終責任はテレビ局、我々のほうにございますから、日常的にこれまでもやっておりますけれども、社内はもちろん、番組制作に協力していただいておる外部の方々、外部の会社、それから出演していただくタレントの方々も含めまして、地道な、かつ徹底して、これからも、こういうことがないように努力をしていくということに尽きるのかなというふうに思っております。
 今回の件につきましては、とりあえず当社の段階では考査責任者会議という場で全社に情報を共有し、かつ意識の徹底を図るという手立てをいたしまして、ワイズビジョン、それから吉本興業についても厳しく指導して再発しないような形での指導を行ったという次第でございます。簡単でございますけれども、一応ご報告させていただきます。

社側
 どうしても大阪でロケをやっていると、寛平さんとか有名な方がいらっしゃると、皆さんワアワア集まって来て喜んでいただくみたいな、ちょっと普段そういうことが多いものですから、北海道という違う場所に行けば、全く反応が違うんだというあたりを十分考えて、制作現場には、周囲の皆さまに迷惑をおかけしないということで、今回、社内でも問題として取り上げております。
 それから二つ目ですが、アイドルの『KAT-TUN』が出ております、バレーボールですけども、『グラチャン応援プロジェクト』に多数の放送してくださいという要望が寄せられております。
 それから、今見ていただきました『六千人のビザ』に関しては、一つ特徴的でしたのは、杉原千畝さんが、あれだけ幾らビザを書かれても、実際はシベリア鉄道を経由して満州国から日本に入国という形なんですけれども、満州の人が杉原さんの活躍に非常に感銘を受けておりまして、「杉原さんが書いたものだからということで、非常に快く通過させたというようなことがあるんだということをちゃんとテレビで言ってください」というようなことが放送の1週間ぐらい前に寄せられておりました。以上でございます。

社側
 それではちょっときょうは長くなってしまいましたけれども、これで11月の番組審議会を終了させていただきたいと思います。

終わり
  • 平成17年度読売テレビ番組審議会委員
  • 委員長    熊谷信昭   兵庫県立大学名誉学長、大阪大学名誉教授
  • 副委員長    馬淵かの子   兵庫県水泳連盟   顧問   元オリンピック日本代表
  • 副委員長    川島康生   国立循環器病研究センター   名誉総長
  • 委員    秋山喜久   関西電力株式会社  顧問
  • 委員    金剛育子   能楽「金剛流」宗家夫人
  • 委員    林  千代   脚本家
  • 委員    阪口祐康   弁護士
  • 委員    佐古和枝   関西外国語大学教授
  • 委員    北前雅人   大阪ガス株式会社   代表取締役副社長執行役員
  • 委員    谷  高志   読売新聞大阪本社   専務取締役編集担当