第465回 番組審議会議事録

1.開催年月日
平成17年09月09日(金)
2.開催場所 読売テレビ 役員会議室
3.委員の出席 委員総数 10名
出席委員数 7名
出席委員の氏名 熊谷信昭、金剛育子、林 千代、阪口祐康、老川祥一、川島康生、吉岡征四郎
欠席委員の氏名

秋山喜久、馬渕かの子、佐古和枝

会社側出席者 髙田孝治(代表取締役社長)
社長室・審査室担当
丸山和男(代表取締役専務)
編成・制作スポーツ・東京制作・事業担当
越智常雄(専務取締役)
総務・労務・報道担当
久保哲郎(執行役員審査室長)
森岡啓人(執行役員報道局長)
位寄雅雄(編成局長)
村上博保(制作スポーツ局長)
松下泰紀(審査室視聴者センター部長)
高岡達之(報道局)
牧野立太(事業局次長兼事業部長)
事務局 新谷 弘(審査室次長兼番組審議会事務局長)
菱田千佳(審査室番組審議会事務局)
前田義信(審査室考査著作権部)
4.審議の概要 「天保山10デイズ わくわく宝島」報告
番組視聴
「報道スペシャル『命どう宝~戦後60年この国の"戦"~』」
放送日時 2005年8月15日(月) 24:58~25:53
放送エリア 関西ローカル
 9月度の番組審議会は9月9日(金)読売テレビ本社で行われ、8月15日の終戦記念日の24時58分から放送した報道スペシャル「命どぅ宝」~戦後60年この国の戦~を視聴して審議した。
  委員からは、戦後60年で新聞、テレビなどで様々な特集が企画されていたが、この番組はその中でも取り上げた話題も、声高に反戦を叫ぶのではなく、当事者に淡々と語らせた取り上げ方も良かったと推奨の声が相次いだ。また、番組で取り上げた「戦争マラリア」についても、歴史に埋もれよく知られていない問題を掘り起こしていて良かったとの評価があった。
  その上で、こうした戦争の事実こそ、若い世代に伝えてゆく必要があり、放送時間帯などに配慮して、もっと多くの人が見ることが出来るようにして欲しいという意見が出された。
  審議会では、この後8月に視聴者から読売テレビに寄せられた一万件を超える意見や抗議、それに問い合わせなどの概要を報告した。
  出席は、熊谷信昭、金剛育子、林千代、阪口祐康、佐古和枝、老川祥一、吉岡征四郎の各委員と、読売テレビ側から髙田社長以下14人。
5.審議内容 下記の通り
6.審議会の意見に対して取った措置
特記事項なし(議事録は関係部署に配布)
7.審議会の答申・意見の公表
●9月22日(木)付け読売新聞夕刊に議事の概要を掲載。
●10月8日(土)午前5時25分から放送の「声~あなたとよみうりテレビ~」の中で議事の内容を放送。
●本社審査室に閲覧用として議事録を備え置く。
●インターネット読売テレビホームページ「テレビの門・話し合ったもん」で議事録を公表。(http://www.ytv.co.jp)
●社内LANにて全ユーザー(全社員および関連スタッフ)に議事録を配信。
8.配布資料 ●視聴番組 概要
●2005年8月に寄せられた視聴者からの意見・苦情
9.送付資料 ●民放連機関誌「月刊民放」
●民放連機関紙「民間放送」

【審議内容】
社側
 おはようございます。それでは9月度番組審議会を始めさせていただきます。
 きょうは事前にご案内を申し上げているとおり、番組の審議にお入りいただく前に、読売テレビ側からご報告をさせていただきたいことがございます。
 この夏、天保山で『わくわく宝島』という催しをいたしました。催しをしたということだけであれば、番組審議会にご報告することはないんですけれども、このイベントは日ごろ我々がやっております番組をテーマにした催しものでしたし、それから会場からも、毎日、特別の番組を放送したりしまして、日常の放送活動と非常に密接に関係をしたイベントを初めてやってみたということでしたので、委員の方々にも、ご報告をさせていただきたいと思います。
 はじめに、手短に2、3分で、その様子をまとめたVTRをつくってありますので、それからご覧いただきたいと思います。

<VTR視聴>

社側
 ご覧いただいたような催しを夏の10日間やらせていただきました。補足の説明を事務局を担当いたしました事業局の牧野からさせていただきます。

社側
 事業局で今回の事務局を担当させていただきました牧野と申します。よろしくお願いいたします。
 お手元に、パンフレットをお配りさせていただきました。明るく、楽しい、わくわくするようなイベントということで、そういったカラフルなパンフレットをつくり皆さんに配ってマップ代わりに使っていただきました。
 では、ご説明させていただきます。
 先ほどのVTRにもありましたけれども、開催しました期間が7月29日から8月7日、10日間、10チャンネルということで、あえて10日間という形で開催をいたしました。
 場所は天保山のハーバービレッジ、大阪港です。主催が読売テレビに加えまして、大阪市、大阪ウォーターフロント開発さんのご共催をいただきまして、併せて天保山商店会など地元の企業であるとか、団体の皆さんにご協力をいただきました。それに読売新聞大阪本社、それから報知新聞社にご後援をいただいて実施をいたしました。
 今回のイベントの趣旨ですが、まず、我々が視聴者と直接触れ合うことによりまして、読売テレビ、それから読売テレビの番組を、もっと身近に視聴者の方に感じていただこうと、それから、この大規模でわくわくするようなイベントを開催することを通しまして、大阪にも元気になってもらおうというようことです。
 イベントそのものは、ファミリー、それから若い人たち、こういった人たちを中心に、普段のテレビの番組を皆さんに分かっていただけるようなイベントづくりを心がけました。
 先ほどVTRの中にも少しありましたけれども、イベントの内容は『なるトモ!』であるとか、『ほんわかテレビ』『週刊えみぃSHOW』、それからスポーツであるとか、ニュース、合わせまして読売新聞さんのブースであるとか、大阪市港湾局さんのブース、それから『名探偵コナン』のオリジナルの3Dムービーの制作上映、さらに『どっちの料理ショー』のレストランであるとか、合わせて16のパビリオンやブースを開設いたしました。
 それから「宝島ドーム」という会場を仮設テントでつくりまして、先ほどもありましたように『マツケンサンバII』の振付師の真島茂樹さんによるオリジナルのショー、試写会、番組収録などを含めまして20のステージが開催されました。
 また併せまして、イベントとは別に読売テレビでは夕方に『わくわく宝島スペシャル』という特別番組を毎日、夕方放送いたしまして、これは合わせて15時間にわたる生放送でした。
 そのほか、『なるトモ!』『どろんぱ!』などは普段のスタジオを飛び出して、現地、天保山での生放送を行いました。それから『ニューススクランブル』のお天気コーナー、『ズームイン!!SUPER』『あさパラ!』なんかも、ここから毎日、生放送を行っています。
 それから『高校生クイズ』の近畿地区の決勝戦であるとか、我々の音楽番組であります『WEST21』という番組の公開収録も行いました。
 合わせますと結果的には10の番組が生放送を行いまして、六つの番組が現地で公開録画を行ったということになります。まさに読売テレビが天保山に引っ越しをしたような10日間だったのかなというふうに思います。
 結果といたしましては、45万人の方がご来場をいただきました。開催中は常にイベントの中に番組がありまして、番組の中にイベントがあると、まさに一体となったイベント、そして番組になったかなというふうに思います。
 『わくわく宝島』は読売テレビにとっても初めての今回体験でした。来場者に少しでも読売テレビと読売テレビの番組を身近に感じてもらえる機会になったかなというふうに考えております。

社側
 貴重なお時間をいただきまして申しわけありませんでした。これはご審議いただく対象ではないんですけれども、ご意見、あるいはご質問等ございましたら。

委員長
 これは、来年以降も毎年なさる予定なんですか。

社側
 それにつきましては、今まず、今回の結果をいろいろ検討させていただいてというふうに考えております。

社側
 また、来年の開催等、決まりましたら、この場でもご報告させていただきたいと思っております。
 ご報告がちょっと前後してしまいまして申しわけございません。きょうの審議会ですが、秋山委員と馬淵委員、それから佐古委員のお三方がご欠席をされております。それから私ども読売テレビ側では、会長の土井が所用のため、欠席をさせていただいております。よろしくご了承下さい。
 それでは番組審議に移らせていただきたいと思います。
 今回は8月15日に放送いたしました『命どぅ宝』という番組をご覧いただきたいと思います。『命どぅ宝』、後で話は出てくるかと思いますが、沖縄の言葉だそうで、「命こそ宝」という意味だそうです。終戦60年を迎えまして、報道局が番組をつくりました。担当の高岡から概要について、まずご説明をさせていただきます。

社側
 高岡でございます。報道局のデスクをやっております。昨年、児童虐待の番組でご審議をいただきました。今回は、戦争をテーマの番組をつくらせていただきました。
 企画書の中にもございますが、戦後60年ということで、私どもだけではなくて、全局あるいは活字のメディアも全部、かなり大々的に年が明けてからキャンペーンをやりました。私どもが、どういう視点でやるかという話を最初に報道局でしたときに、私ども、やはり常日ごろのニュースとリンクしてといいましょうか、ニュースの中でテーマを投じてきて、それが集大成して、出来れば8月に一つの形になればという議論から出発をいたしました。
 私もそうでありますが、やっぱりメディアの人間も戦争を、当然本人は知りませんし、父親ですら知らない、祖父でギリギリみたいなぐらいまで年齢が下がっておりますので、戦場というのを見たことがある、経験したことがある、そこから議論を始めないかという大変広い枠から、少しずつ枠を狭めてまいりました。
 というのは、ご案内のように、今北朝鮮情勢もありますし、イラクもありますし、考え方によっては戦後60年の中で、一番我々は戦争に今近い、戦争という言葉に近い時代にいるのではないか。
 振り返ってみれば、当然のことでありますけれども、我々の父祖は、その戦いを60年前にやったわけでありまして、その戦場というものが、何もイラクに目を転じなくても、我々の身近にあるのではないか、そのあるというところに、いろんな形で残っているのではないかというところから調査を始めました。そういう観点でいけば、やはり民間人が一番亡くなられた沖縄であろうと。
 硫黄島、それから八重山、「大和」という並びは脈絡がないように思いますけれども、そもそもの出発点は、沖縄の方々からいろいろお話を伺って、そこから入りました。
 大和は、ご案内のように沖縄を助けに行こうとして、特攻しようとして沈んだ船でありますし、硫黄島は、硫黄島の戦いがなければ、アメリカ軍はそのまま九十九里浜に上陸をしておったわけでありますので、そういう問題もあります。
 それから八重山については、これは沖縄の人たちが、「あなたたちは沖縄本島のことをいっぱいやるけれども、最近、認められた被害があるんだよ」ということで教えていただいたのが出発点でございます。ですから脈絡がないようでありますけれども、戦場であるということ、今も続いている形が何かあるということ。
 それから大和については、60年が経ったから世の中に出た史実というものもあるんだと。大和という言葉は皆さんご存じでありますけれども、大和の本当の人間のドラマであるというか、沈んだ後、生き延びるために人々がどうしたのかというようなことは、書物では紹介されていますが、映像としてはあまり出ていないというふうに私は思っておりましたので、60年だからこそ伺える、聞ける話を掘り起こしたつもりでございます。
 それは八重山のマラリアについてもそうでありまして、証言をしていただきました17人の中で1人だけ生き残ったお母さんは、おそらくテレビに出たのは初めてです。3年ぐらい前から、ようやく事件のことを触れることができるようになったというふうにおっしゃっていました。
 ですので、今、記録しておかないと、やはり生存者の方、経験者の方のご年齢というものがありますので、私どもとしては出来るだけ、我々のアナウンスのコメントも控えて、いただいた生の証言を長くつないだつもりでございます。
 ですから、よく各局が主張として盛り込む反戦であるとかをメッセージとして盛り込むのではなくて、聞いていただければ60年前に何があったかということと、それから番組の最後については、未来の方向に対して、若い方々が見ていただいたときに何か汲み取っていただけるようなインタビューを集めて構成をしたつもりでございます。

社側
 この番組は終戦の日の8月15日の深夜に55分枠で放送いたしました。日ごろの『ニューススクランブル』、夕方のニュースの中で放送してきた素材を集めて特集にしたものです。番組については事前にお送りをしておりますが、改めまして、きょうダイジェスト版をご覧いただきたいと思います。

<VTR視聴>

社側
 ご視聴ありがとうございました。
 それでは委員長、よろしくお願いします。

委員長
 60年目の8月15日を挟んで、新聞、ラジオ、週刊誌、情報雑誌、そしてテレビジョンを含む、あらゆるメディアがいろんな企画をなさって、それぞれに工夫が見られたんですが、その中で、今視聴させていただいた読売テレビの番組は、企画も含めて大変いい番組だったと思っております。
 60年前の8月15日、昭和20年8月15日には、私は16歳の旧制中学校4年生でございまして、戦場に行った経験はございませんが、学徒動員とか、空襲の現場には何回も遭遇いたしました。
 この中で戦場の経験がある方はおられないと思いますんで、一番この戦争に近かった委員からご発言いただけませんでしょうか。

委員
 委員長が一番最初に「非常によい番組である」とおっしゃいまして、私も全く異論はございません。いい番組であると思いました。
 特に、やはり最初にもお話がありましたけれども、いまだに知られていない事実を掘り起こした、これは「そんなことが、まだあるのかな」と私も思いましたですけれども、医者でありながら八重山のマラリアのことを私も存じませんでした。大変ショックでした。非常に重要なことであったと思います。
 大切なことは、こういった現実を、いかにして国民の多くに知っていただくかだと思います。街で歩いている若い子の中に「昔、日本はアメリカと戦争したんやってね」というようなことを言う人がいるということを聞いて愕然としたことがありますが、そういう人たちにも、こういう現実を知らせるというのは本当に大変な難事業だなというふうに思います。けれども、報道を担当しておられる方々は、やはりそれに努めていただかなければならないなという気もいたしました。
 それから、なぜ、この番組がよかったかというのは、やはり企画されたときから、そのように考えられたんだと思いますけれども、「戦争反対」というふうなことを、中で一言もおっしゃってない。これが本当に、この番組を非常に価値のあるものにしているのではないかなという気がいたしました。
  そういう「戦争反対」という番組は無数にあるわけですね。上っ面のスローガンだけの「戦争反対」というのは、いくら言ったって、そんなことは意味がないんであって、こういう番組こそ本当に、いい番組なんだなという気がいたしました。
 ついでですので、私ちょっと意見を申し上げたいんですけれども、「戦争反対」といって「平和が何よりも尊い」と言っただけで平和が訪れるんであれば、現在、こんなに戦争が世界中であるということはないわけです。
 「アメリカが世界の警察官のような顔をしている」といいますけれども、アメリカの2億4,000万人のうちのおそらく半分以上はブッシュがイラクに攻め込むのを賛成したんだと思います。「戦争反対」と日本は言いながら、現実にアメリカは戦争を仕掛けているわけです。それに対して日本は、その一端を、もう本当、ごく一端であるかもしれませんが、それを担っているわけです。
 そうすると「戦争反対」と言いながらも、人間には、やはり戦争よりも、もっと大事なことがあると、平和よりも、もっと大事なことがあると思っている人間がたくさんいると思います。私も現実に、その一人です。「何が何でも戦争はやらない」などと私は考えません。どこかの国が日本へ攻めてきて、上陸して来て、日本の国をつぶすと言ったら戦争をせざるを得ませんですからね。
 戦争というのは、やはり起こり得るものである。それをいかにして避けるかというのが賢明な策なんであって、それをするためには、やはり日本の過去を振り返って、「平和は大切である」というだけではなしに、いかにすれば平和を維持できたであろうかということを、それこそ検証していかなければならない。
 これは負けたほうの日本だけでやったんでは駄目なんで、やっぱり勝った方の国とも一緒になって、「ここでこうしておれば戦争は防げたんではないか」ということを正直に検討し合うと、科学的に検証していくという、そういう番組が将来出てきてくれればいいなという気がいたします。
 まだ早いかもしれません、まだできないかもしれません。我々のような年代が、みんな死に絶えてしまった後で、やっとそういうことが始まるのかもしれませんけども、それがなければ世界の平和というのは訪れないんではないかなという気がいたしております。
 この番組は本当に立派な番組であったと思います。

委員
 私も年代的には戦前ですから、空襲もよく覚えています。
 いい作品だったと思います。今お話がありましたように、戦後60年に当たっては、新聞も含めて、いろんなメディアで取り上げているわけで、どういう角度から取り上げるかということについては、それぞれ、みんな知恵を絞るところであるわけですが、得てして大体、戦争をやるとなれば広島か長崎、原爆か沖縄です。
 この番組も沖縄からはじまっているということですが、今お話がありましたように、知られていない事実、私もマラリアのああいう事態というのは、今回初めて知ったわけですが、そういう具合に知られてない事実もたくさんあるわけです。
 それから私自身は、東京の浅草でしたので、3月10日の大空襲というのは今でも覚えています。私の親戚は、みんなあそこで死んじゃった。戦争の被害というのは、広島、長崎、沖縄だけじゃなくて、いろんなところに、いろんな形であるわけです。そういう意味でも沖縄を主たる切り口にしながらも、いろいろ新しい事実も含めて、かつ、それがまた淡々と紹介されたということ、これはテレビの作り方として非常によかったなと。
 委員がおっしゃったように、大体、戦争反対、戦争は悲惨だ。おろかな戦争だというようなことを言うわけですけども、ここに出て来てコメントされている方のお話も非常に説得力があるしね、戦争反対自体は正しいんだけれども、そんなこと言って、それで自分の責任を果たしたというような風潮がしばしばありますけれども、そうじゃなくて、本当に一人ひとり生きた、あるいは死んだ人たちの立場を思い、そういうものを訴えることによって、おのずと伝わるような、そういう作り方をされるということは非常によかったと思います。
 特に今のこの圧縮版にはありませんでしたけれども、私が非常に印象に残ったのは辺見じゅんさんのコメント、辺見じゅんさんは『男たちの大和』という作品で新田次郎賞をお取りになっているし、近々、東映で映画封切になるはずですが、あの作者ですけども、この番組で辺見さんがおっしゃっていることは、戦争の悲惨さとか、そういうこと以前に、若い人たちに、もっと家族の大切さ、子どもの大切さ、命の大切さ。今の若い人たちに、命というのは、こういう大切なんだということを伝える必要があるというふうにおっしゃっていて、これは私は一番、この作品からくみ取る言葉だったなと思います。
 というのは、今の自殺するにもインターネットで仲間集めをやって、ゲームみたいな感覚で命を自ら断ってしまうと、こういう例、まことに信じ難い、この平和な日本が、そういうおろかな死に方をしている。この戦争で亡くなった方、一人ひとりの無念の思い、それから自分たちが死ぬことによって、のちの日本がしっかりやってもらいたいと、生きてもらいたいという人たちの思いというのを、今の若い人は、そういうことを知るべきだなと、こう思うんで、辺見さんの言葉というのは私は深く印象に残りました。
  ただ残念なのは、いつも申し上げることだけれども、いい番組に限って非常に視聴率の低い時間帯にしか放映されないというのが、視聴者としては残念だなと、こういうことです。

委員
 私、19年の生まれでございますので戦時中生まれの戦後育ちでございます。
 この番組を見まして、最初に、あっと思い出しましたのは、実は先日、天皇皇后両陛下がサイパン島に行かれまして、あそこに「バンザイクリフ」というのがありますけれども、あそこで海の方に向かって黙祷されている。そういう記事と写真が新聞に出ておりまして、それが非常に強く感慨深いものがあったというふうに、その時に思ったわけです。
 両陛下が非常に深い鎮魂の祈りを捧げておられるというのが、その写真から伝わってくるものがありまして、非常に印象深かったんですけども、この番組を見た時に、最初にそれを思い出しまして、やっぱり戦後60年経ってますし、経済白書が「もはや戦後でない」という宣言をしたのが昭和31年だと思いますが、それから50年近く経っておりまして、私も含めて本当に戦争のことや、あるいは、戦後のことも知らない世代の時代になっていると。
 しかしながら今、私たちがこういう繁栄の中にあるわけですけども、これやっぱり戦争の犠牲の上に今の平和と繁栄があるということは、我々の世代は忘れてはいけないということは、自分の反省の意味も含めて私は持っております。そういう意味で今回の番組というのは、戦後60年という節目で非常にいい番組であったというのが最初の印象でございました。
 それから2点目なんですけれども、これは先ほどから既に話に出ておりますが、この番組の制作の基本的なスタンスといいますか、姿勢といいますか、これについては私は大変共感をするものであります。
 つまり戦争というのは非常に複雑な思いで大きいなテーマだと思いますけども、これを、どういう視点から、どういうふうに取り上げるかというのは、いろいろご議論があったと思いますけれども、あまり巨視的な視点から取り上げるんじゃなくて、微視的といいますか、あくまでも戦場の現実という、あるいは事実そこに焦点を絞って、かつ、それを実際の生存者の方、あるいは、今でも遺骨収集に尽力されているような方とか、そういう当事者の口をして語らしめたと、あまり識者とか学者の方のコメントとか解説とか、そういうのじゃなしに、あくまでも事実を中心に、この番組を構成されたということは、逆に視聴者に一定の見方を強要しないといいますか、視聴者の方がそれを受け止めて自分の中で、それぞれが考えていくという、そういうことでも、この番組のむしろ深みとかインパクトというのは強まったんじゃないかというふうに思います。
 ですから、この制作の姿勢が非常に共感を覚えました。本当にいい番組だったと思います。以上でございます。

委員
 皆さんが言われているように、事前に見せていただいたけれども、押し付けがましいところもなくて、とてもよかったと思いました。
  私はちょっと違う見方をしました。この番組を見てトータルで考えたのは、今回、見たダイジェストでは映ってなかったと思うんですけれども、おばあさんと子どもさんが二人で手を合わせて拝んでいる風景がありました。あれを見た時に、今、親を殺す子どもとか、子どもを殺す親とか、虐待とかいろいろ出ている中で、日本の原点というのが家族の中には、やはり親から子、子から孫へ伝えるものがあって、それを昔はきちんと伝えられていたと、例えば、お墓参りに行くのに、おばあさんが孫を連れて行った。お墓の磨き方からお花の供え方、それを行き帰りの中で自分の先祖のことをいろいろ教えたりとか、そういうことがあったと思うんです。
 そういうものが、どこかで戦後途絶えてしまって、核家族というものもあったと思うんです。例えば、召集令状1枚で人生を終わった人々とか、それから今現在、戦った人々の、そういう思いが今の日本を見て、自分たちの戦った、その後がこれかって思われることが多分あると思うんです。
 そういうものを家族の生活の中から、親から子、子から孫へ、その一つが今回、この番組の中に流れていた日本の唱歌、これをずうっと流しておられた時に、やっぱり思わず涙が出る。一緒に見ていた子どもに「この歌知っている」と聞いたら「うん、知っている」というような、この日本の四季折々の唱歌、こういうものの持つものをも含めて七夕とか、日本の節分とか、お正月とか、そういうものに伝統とか風習とか伝えていくものがなくなっている。そういうものを含めて、この中から感じたのは、やはり家族のあり方、この番組もそうですけれども、こういうものを見た時に、感動する心を培っていくことが、やっぱり大事かなと、これを見た時に、子どもがやっぱり同じように感動してくれたということが、やっぱり大事やったのかなと。
 それでさっき、どなたか委員の方が言われたみたいに、小学生なり中学生なりに、こういう番組を見せることによって、テーマとか、そういうものが全然押し付けられることなく素直に入ってきて、自分たちの国をつくった人々の思いとかを話し合う機会に番組を利用していただいたらいいのかと、あとに日本の唱歌じゃありませんでしたけども、ハーモニカで菩提樹か何か流れてきたと、そういうものを含めた中に押し付けがましいものがない、この番組の制作者側のコンセプトというのが入っていて、とても感動するし、涙することもできましたし、平和の尊さというものを感じまして、日本の教育のあり方、家族のあり方、そういうものもすべて含めて、非常に考えさせられる番組でした。

委員
 私も、この番組を拝見していると、現在の私どもの生き方というのを、すごく強く考えさせられたんですが、やはり、こういう戦争で非常に多くの方が尊い命を奪われて、特に、その中でも将来ある若い有意な青年たちが、たくさん痛ましい死を受けたということは、やはりそれの上に私どもが、こうして今、生きているなということがありますから、現在を見ると、先ほど委員がおっしゃったように、日常茶飯事でテレビをひねっても、新聞を見ても、本当に戦争のことで、それが当たり前みたいな世の中になり、また、身近な事件でも先ほどもお話がいろいろありますけど、親が子どもを殺す。子どもが親を殺す。友達同士も殺し合って、それでも、またきょうもやっているなぐらいの感覚になっている。子どもたちも、インターネットで見ると、そういう殺しの場面がパッと出てきたりします。そういう昔戦争で亡くなった方たちが、今現在において、この私どもの生活に、どんな気持ちを持たれるかなということをすごく感じて、どんなに思われるだろうかと思うと、すごく胸の詰まる思いがします。
 そういう現在を非常に考えさせられる、警鐘を鳴らしているという非常にいい番組だなと思いました。それから、どんな議論ですとか、いろいろな難しい話題よりも、やはり生きた方、体験した方の話というのは、本当に心を打ちますので、それでずうっと淡々と紹介しているというのは、非常に番組の扱いとして素晴らしかった。こういう貴重な証言が、どんどんこれから薄れてなくなってきますので、こういうのは記録としても残していただきたい。また新しく撮っていただきたい。
 それに今の若い人たちに、何よりも若い世代に何らかの方法で、いろいろ見せていただきたいなというふうに、そういう感じをしました。

委員
 やっぱり皆さまが言われるとおり、非常に感銘を受けたんですけれども、私の父親は昭和8年生まれで72歳、母親13年生まれ67歳で、戦場には当然行ってませんけれども、戦争、特に先ほど出ている空襲は知っていると。
 私、振り返ってみて父親から、あまり戦争のことで聞いたことはございません。母親からは、私、1回だけ今でも印象に残っているんですけれども、大阪の空襲の話が、ちょっと出た時に、私、全然知らなかったんですけども、母親の弟がどうも、その時に死んだみたいです。で、その時に母親が言うたのは、「だから私は、アメリカを信用しないんだ」と、こう言うんです。要するに弟を殺されたという思いがあるんです。
 普段は、そんなことは全然おくびにも出ないんですね。アメリカの映画も好きやし、アメリカのドラマもよく見るし、なんだけど、私が小学校1年か2年ぐらいやったと思いますが、その時だけ、そういう話が出た。だから、それだけに非常に今でも覚えています。
 ただ子どもながらに、じゃその時の様子は、と聞けるような雰囲気じゃないんですね。もうこれは聞いたらあかんような話やというのが、子どもながらに分かる。ですから私、振り返ってみて、やっぱり結局、経験のある人から聞いたという話は、ほとんどないんです。私の父親の兄弟も含めて、こうやった、ああやったという話は、ほとんど聞いたことがない。せいぜいあって映画であるとか、ドラマであるとか、小説ですね。
 それで経験ある人から聞くというようなことは、私の世代は、ほとんどないんじゃないかなと、だから体験者から「どうやったか」というのを聞くという意味で、私の世代にとってはすごく、言葉は悪いですけど新鮮、あるいは感銘を受ける切り口だったなと。
 しかも脚色なしですね。あまりコメンテーターみたいな方が来られて、どうのこうのというのでなくて、まさに現場を生きられた方のことを淡々と聞くというだけに、私はインパクトは非常に大きく受けました。
 まさに、この企画書に書かれているように、このままやったら途絶えてしまうと、だから今起こす必要があるんだと。私、それで60年だからとかいうことは、これはあまり関係ないと思うんですね。また、もうちょっと言うたら8月15日だからというのは、あまり関係ないと思うんですね。もっとずうっと継続的に伝えて報道していく事柄じゃないのかなと私は思います。以上です。

委員長
 どうもありがとうございました。皆さんのご発言をお聞きになって、何か言い残したこととか、追加のご発言ございますか、よろしゅうございますか。
 この終戦とか戦争にかかわらず、歴史的な事実を記録として後世に伝えるというのは、非常に大事なことだと、いつも思っておりまして、特にテレビの場合は、映像情報として残すことができますので、もちろん、それは十分心掛けていらっしゃると思いますけれども、貴重な映像情報は手間ひまがかかり、お金がかかっても、ぜひ保存して後世に伝えていただきたいと思います。
 今度の終戦に関係する、いろんなテレビ局の、この種のものを見ていても、大変些細な大したことはないんでしょうけれども、おもしろいなと思ったのが幾つかありまして、例えば、あれはNHKの番組なんですが、ミズーリ号の上で終戦の連合国と日本との間の調印というか、サインをする場面がありまして、、おもしろいなと思った一つは、あのいわばセレモニーの初めから終いまで、司会は連合国軍最高司令官のマッカーサー自身がやっておりまして、さらにおもしろかったのは、サインする場面というのは、私もよく見ていたんですけれども、イギリスの代表だったか、オランダの代表だか忘れましたけど、どこかの国の代表が、自分の国のサインすべき欄と違うところへサインしちゃって、あと全部ずれちゃったと。
 ですから、出来上がったサインは、みんなサインはしているけど、すべきところでない、サインした人と、その国とは全部違っていたんで、重光全権が最後にサインする時に「これは違うから、こんなものにサインできない」という騒ぎになって、その時にはマッカーサーたちは、何だか連合国でサイン済んだ人たち、みんな連れてミズーリ号の艦上のレセプションか何かする部屋に、皆連れて行っちゃってたんですね。どうしようもなくて、結局、その国の名前は全部書き直すことにするということで重光さんがサインしたとかいうような話を初めて知りまして、些細なことですけども、そういうこともあったのかと、おもしろいと思いましたけども、そういう些細なことも含めて記録としての保存をぜひお願いしたいと思います。
 この私どもの発言や感想について、いかがですか、高岡さん何かご感想なんかありますか、特にご意見は。

社側
 一番評価していただいて私も大変ありがたく思うのは、押し付けてないということが一番の念頭でございましたので、それをご評価いただいたのは大変ありがたいことだと思っています。

委員長
 ちゃんと皆さん、よく感じとって評価していますね。

社側
 ありがとうございました。
 それでは、8月に読売テレビに寄せられました視聴者からの声について視聴者センター部からご報告をさせていただきます。

社側
 8月、視聴者から寄せられました、いろんな苦情、問い合わせは1万556件ということで、7月、8月、2カ月とも1万件を越えました。これは7月は郵政国会で衆議院の可決、参議院否決みたいな、いろんな問題がありましたり、それから一部アイドル番組への非常にリクエストが多かったりというようなことがありまして、それぞれ例年ですと大体7,000件ぐらいなんですが、2カ月連続で1万件越えをしております。
 今も申し上げましたように、郵政国会等のことで、やはり総選挙を控えての報道のあり方に対して、多くの意見が寄せられまして、一部の政党に偏った報道ではないかということであったり、その司会方法について多くの苦情が寄せられております。
 それから、先月末に行いました24時間テレビ「生きる」に関しましては、1,100件の問い合わせ、苦情をいただきまして、今回は激増いたしましたのが、どちらかというと問い合わせということで、韓国の俳優さんの出演時間の問い合わせ、それから募金基地やチャリティーグッズに対しての問い合わせが多くありました。
 それから特徴的だったものでは、そのチャリティードラマ『小さな運転手 最後の夢』というもので、拡張型心筋症の少年の夢をかなえると、江ノ島電気鉄道の運転席に座るという感動的なドラマだったんですが、その直後に深夜のバラエティーに関するつなぎのところで、「パッとやりましょう」みたいな非常に不謹慎な発言があったということで、かなり強い抗議がたくさんございました。
 それから、これは日本テレビの60年記念番組でございますけれども『二十四の瞳』という番組がありまして、そこに改めて戦争について考えさせられたと、60年であるからこそ、こういうドラマはやるべきであるというようなご推奨をいただきました。以上でございます。

社側
 これで9月の番組審議会を終了させていただきたいと思います。
 次回は10月14日に、同じこの場所で開催いたしますので、よろしくお願いいたします。
 ありがとうございました。

終わり
  • 平成17年度読売テレビ番組審議会委員
  • 委員長    熊谷信昭   兵庫県立大学名誉学長、大阪大学名誉教授
  • 副委員長    馬淵かの子   兵庫県水泳連盟   顧問   元オリンピック日本代表
  • 副委員長    川島康生   国立循環器病研究センター   名誉総長
  • 委員    秋山喜久   関西電力株式会社  顧問
  • 委員    金剛育子   能楽「金剛流」宗家夫人
  • 委員    林  千代   脚本家
  • 委員    阪口祐康   弁護士
  • 委員    佐古和枝   関西外国語大学教授
  • 委員    北前雅人   大阪ガス株式会社   代表取締役副社長執行役員
  • 委員    谷  高志   読売新聞大阪本社   専務取締役編集担当