第459回 番組審議会議事録

1.開催年月日
平成17年02月04日(金)
2.開催場所 読売テレビ本社
3.委員の出席 委員総数 10名
出席委員数 8名
出席委員の氏名 熊谷信昭、林 千代、馬淵かの子、野村明雄、阪口祐康、
佐古和枝、老川祥一、川島康生
欠席委員の氏名 秋山喜久、金剛育子
会社側出席者 土井共成 (代表取締役会長兼社長)以下12名
4.審議の概要 番組視聴
「~1995阪神淡路大震災・・・そして今~奇跡の運命物語スペシャル」
放送日時 1月13日(木) 午後9時00分~10時48分
放送エリア 全国ネット
 2月の番組審議会は2月4日(金)読売テレビ本社で行われ、「1995阪神淡路大震災…そして今 奇跡の運命物語スペシャル」について審議した。
委員からは「番組のテーマである人間の強さやたくましさがうまく伝わっていた」「被害の悲惨な情況を放送しても、なかなか人々を勇気づけられない。日本のマスメデイアは暗い面ばかり取り上げがちだが、明るい面を取り上げて前向きに作ってあるところがとてもよかった」「人間は逆境の中でも希望をもてるという部分が引き出せていて、見ていて引き込まれた」「ゲストのコメントが自然でよかった」といった番組に対する高い評価の声が相次いだ。
一方、「特殊な例ばかりではなく、ボランティアの活躍やコミュニティの力強さなども見せてほしかった」「資料映像と再現映像の区別がつき難く違和感があった」「内容を詰め込みすぎて、感動の余韻に浸れなかった」など、今後の番組作りに向けた貴重な意見も出された。
この後、昨年12月と今年1月に寄せられた視聴者からの意見や抗議、苦情などについて概要を報告した。

【審議内容】
社側
 2月度の番組審議会を始めさせていただきます。寒波の影響で大変寒い日が続いておりますが、ご参集いただきまして誠にありがとうございます。
本日は、今年初めての番組審議会ということですが、今年1年、また、よろしくお願いをいたします。
さて、本日ご審議いただきますのは、震災10年目の企画として10日間にわたってお届けした番組の中から、1月13日に全国ネットで放送いたしました『~1995阪神淡路大震災・・・そして今~奇跡の運命物語スペシャル』です。この番組は、震災で数奇な運命をたどった人たちにスポットを当てまして、人間の強さ、生きる勇気を訴えたものです。それでは特番の統括にあたりました編成局の部長が一連の震災特番の概要も含めて番組の内容をご説明させていただきます。


社側
それでは、まず『震災10年10DAYS』という全体の枠組みの説明を簡単にさせていただきます。
 当社では、今年の1月17日、震災発生からちょうど10年を迎えるにあたって、どのような放送を展開していこうかということを、ほぼ1年前から考えておりました。報道局とも検討を重ねながら、この10年間、我々が培ってきました震災関連の報道を集大成するような放送に取り組もうと考えまして、昨年の3月あたりから具体的な準備に入ってまいりました。全社員に向けた企画募集では60本あまりのさまざまな企画が寄せられました。それを編成部と報道局が中心に企画選考をし、今回、この10日間にわたって延べ29時間にわたる特別番組の放送を決定いたしました。
 実作業は、編成、報道はもちろん、制作、スポーツ、事業、営業といった各セクションからのメンバーで構成した「1・17プロジェクト」を結成しまして、そこでさまざまな議論を重ねてきました。その結果、10日間全体の取り組みのコンセプトを『震災10年10DAYS~REMEMBERそして未来へ~』と 定めました。また、イメージキャラクターにも、自身が中学生のときに被災をした経験を持つタレントの佐藤江梨子さん、それから当社の辛坊治郎解説委員の二人を起用して、イメージ的なPR展開もトータルに進めてまいりました。
 お手元にお配りしておりますタイムテーブルをご覧ください。1月8日から1月17日までの10日間にわたって、色づけがしてあるところが、今回の特別番組もしくは、それに関連する内容の番組です。
 青く塗っている部分が関西ローカルでの、いわゆる特別編成、特別番組の部分です。それから赤く塗ってあるところがネット番組の部分です。それから黄色い部分が関西ローカルで、レギュラーで放送をしている番組ということです。
 タイムテーブルのちょうど真ん中に位置しております『ニューススクランブル』は当社の基幹ニュース番組ですが、ここで連日、震災関連の放送特集をお送りしながら1月15日の土曜日、朝10時半から7時間半にわたりまして特別番組を放送いたしました。
 この7時間半は、神戸ハーバーランドにあります特設スタジオ、それからワールド記念ホール、六甲アイランドにあります神戸イオホールといった、震災の被害が甚大であった個所から生中継いたしました。「震災にまつわる100人の証言」といった内容、それから活断層に警鐘を鳴らす企画、防災の意識を高めようといった企画、プロ野球選手会と共催で行いましたチャリティーイベント、さらにはお笑いのパワーで復興に拍車をかけようということを旗印にした漫才の特番等々、多角的、立体的な展開で、この7時間半をお送りいたしました。
 そして翌日16日の日曜日には午後4時半から『決断!10年目の証言』と題しまして、あの阪神淡路大震災直後、当時の政治家、官僚、民間企業のトップ、それから各国の政府報道機関は、どのような判断を下したのかというところに焦点を合わせて、「今だからこそ語れる、あの日の決断」といったものをインタビュー取材で検証する番組を放送いたしました。
 それから1月17日当日は、当社の『ニューススクランブル』のスペシャル版として、『10年目の手紙』というタイトルで、歌手の平松愛理さんが長年、ライフワークとして取り組んでおられる1・17の追悼コンサートや、さまざまな人たちの10年間の思いなどを紹介いたしました。
 それから深夜枠に移りまして、こちらの方も日曜日の9日と16日は、2週にわたり当社のドキュメントのレギュラー枠であります『ドキュメント’05』で、震災後10年の心の葛藤と再生、それから中京テレビ、静岡第一テレビと共同でつくりました防災体制の検証番組という二つの番組を全国に向けて発信しました。
 それから、当社では震災後から約50本のドキュメンタリーを制作、放送してまいったわけですが、その中から4本を厳選しまして、当時ボランティアとしていち早く被災地に入られた田中康夫現長野県知事や作家の重松清さんらとの対談を交えて再構成をした番組を制作、あるいは神戸を舞台にした映画などを特集番組という形で連日お送りしてまいりました。 これが、この10日間の主な概要でございます。
そして今回ご審議をいただきます『奇跡の運命物語スペシャル』といいますのは、10日間の中核の部分、13日木曜日の21時から全国ネットで放送いたしました特別番組です。震災が人生の転機となって今の自分があるというような、いろんなエピソードをお持ちの人々に焦点を当てました。再現ドラマを中心に、本人への取材やインタビュー、スタジオに招いたタレントの方々とのトークというような形で展開するスペシャルのバラエティー番組です。
 番組の企画意図等に関しましては、お手元にもう1枚、資料をお配りしております。そちらの方をご参考いただければというふうに思いますが、地震に対する備えや教訓、そして人間の生きる力の素晴らしさといったものを全国の視聴者にメッセージとして伝えたいという意図で制作にあたりました。
 VTRの部分は、過剰な演出に陥ることなく、事実、真実の出来事を丁寧に描くことで、事実だからこそ持つ驚きであったり、感動といったようなものを伝えたいと考えました。それからスタジオの部分も、適度な緊張感と、一方で和やかな雰囲気を大事にしながら、ゲスト達の貴重なエピソードなどを披露できたのではないかと思っております。キャスティングも震災当時、いろんな場所で、いろんな経験をされた方をうまく集められたのではないかと思っております。
 視聴率の方も、全国的にプライムタイムの一つの目安であります2ケタ10%は達成できました。また、放送後に視聴者の皆さんからいただいた反応ですとか、当社の番組モニターの方々からのご評価も概ね良好でございましたので、私どもの狙いは、その点では届いたのではないかと思っております。
 それから、この番組には実は、もう一つ狙いがありまして、これは当社の報道局の協力のもとですが、大阪、それから東京の両制作部のプロデューサー、ディレクターの力を結集してつくったという点です。
 『どっちの料理ショー』、『ダウンタウンDX』、『大阪ほんわかテレビ』といった番組を担当しております当社の中堅クラスのプロデューサー、ディレクターが、この番組で結集いたしました。震災という非常に取り扱いが難しい、困難なテーマだったかと思うのですが、そこで、このような2時間のスペシャル番組をつくりまして一定の結果を出せたということは、当社にとりましては非常に大きな自信につながったと考えております。いわゆる社内のコラボレーションみたいなことを今後も、この番組をきっかけに進めていきたいというふうに考えております。
 きょうご覧いただきますのは、ダイジェストにまとめたVTRでございますが、番組内容にありますように、転身でありますとか、人間の絆、生きる力、復活への情熱といったテーマに基づく事実をピックアップしてお送りしておりますのでご覧ください。



社側
それでは早速ダイジェスト版を見ていただきたいと思います。
 本日ご覧いただくのは108分で放送いたしましたものを30分程度にまとめております。先に委員の皆さまには本編を送らせていただいていますので、それを思い起こしながら見ていただければというふうに思っております。

<VTR視聴開始>

社側
ご視聴どうもありがとうございました。それでは委員長、ご審議の方よろしくお願いいたします。



委員長
皆さん、関西にお住まいの方々ばかりですので、それぞれに、震災についてはいろんな思い出や印象をお持ちのことと思います。私も、あの日は西宮市甲陽園の山の上の方の目神山というところにおりました。
 上の娘は留学中で、家内は東京に行っておりませんで、下の娘と私と二人だけだったんですが、地震直後は、家の中は皆さまもご経験なさったように、靴を履いて歩かないと歩けないような大変な状態でございました。
 上の娘も下の娘も、まだ結婚前でしたが、下の娘は、どうしても結婚したいという相手がいたようだったんです。その結婚したいといっていた相手のお父さんが、地震で死亡されたんです。そのお父さんが生前、自分の息子と、私の娘を「どうしても結婚させてやりたい」といっていたというのを私は聞きまして、即結婚を許す決心をいたしました。
 お陰で、うちのすぐ近くに住んで、今5歳になる、たった一人の初孫もできました。そういう結果として、お父さんが亡くなって、しかし辛く悲しい経験を乗り越えた後に幸せなカップルが生まれたというようなたぐいのことが他にもいろいろあったと思います。
 山の上の方なので、電気も水道もガスも止まってしまいました。私の家のすぐ隣におじいちゃんとおばあちゃんがおられまして、目神山の一帯ではまともに道もないころから住んでいたという方で、その方は断固としてプロパンガスと井戸水で暮らしておられました。随分時代遅れの頑固な人だと思っていたんですが、地震の後、ガスと水に困らなかったのは、そのおじいちゃんとおばあちゃんの家だけで、お風呂に入れてもらいに行ったりいたしました。そういう社会的インフラ、生活インフラの個別分散型システムというのも、あんまり時代遅れとばっかり笑っていられない面もあると改めて思ったりもいたしました。
 読売テレビの番組審議会で、いつもお目にかかっていた方が、名前は思い出せないんですけれども、よくたどり着いてくださったと思うんですが、車で私の山の上の家まで、ボトルに入ったたくさんの水を運んでくださって大変ありがたかった思い出もございます。
 一番復旧に手間取ったというか、難しかったのはガスだったと思うんです。電気は割に簡単ですし、水道は漏れても濡れるだけですが、ガスは大変だったと思うんです。この番組でも、大阪ガスの方の話が出ていましたが、皆さん、いろいろお仕事の上でも、生活の上でもご苦労が多かったと思うんです。そのあたりから、ひとつ印象と思い出等を含めて番組に対するお話を聞かせいただけませんでしょうか。


委員
私は当時、ガスの製造と供給に対する責任者だったのですが、地震が起きたときに豊中の自宅におりまして、もちろんすぐに会社へ電話いたしました。そうしますと24時間稼働している中央指令室というのがありまして、それで本社の中央指令機能は健全であること、それから京阪神を結ぶ専用無線が生きていること、それからデータの入ったコンピュータシステムも生きていることがわかりました。それから大阪の泉北と姫路にありますガスの製造工場と、京阪神を結ぶ高圧のパイプライン、神戸市の葺合区(現中央区)にある丸いガスタンクが無事に動いていることが確認でき、それを聞いて、すぐ会社へ向かったんです。
 しかし、先月の番組審議会のときにも申し上げたことですが、初期情報が、いかに後の減災、災害を減らすために大事かということを、もう本当に痛感いたしました。兵庫県を中心に随分被害が甚大で、京都とか大阪の工事の部隊を持っていっても、とても個別の修繕ではやれないということが大体午前7時40分か8時ぐらいまでに分かりまして、それで順次ですけれども、うちのお客さまの15%ぐらいにあたる86万戸のお客さまのガスを根元で止めたんです。
 これは当時の社長がいいました「2次災害を起こすな」ということで、とにかくどういう状況になっているか分からないので、根元を止めようということで止めたんです。そうして道路のパイプラインネットワークを区切りまして、そこの中でガス漏れがないことを確認してから、そこでガスをお使いいただいている一軒々々のご家庭を回るんです。86万戸というのは、正直言いまして気の遠くなるような話だったんですが、それを止めました。従って、そこでの2次災害は全くありませんでした。
 神戸市の消防局が発表している、地震が起こってから2週間の間に起きた火災の原因、火災は175件あるんですが、その中でガスに起因するものは8件だったんです。無理して後のことを心配しながら86万戸止めたけれども、結果的には、あの災害の中でやむを得なかったかなと思っております。しかし、何といいましてもライフラインを止めるということは、被災された方々には、精神的にも、もちろんご不便の点でも大変なダメージですから、本当に痛恨の思いでした。
 それからすぐ、私は当時の責任者でしたから、現場を確認するというんで3日ぐらいは半日ぐらいずつ現場に出ておりました。正直申しまして、今から考えれば悪夢という思いと同時に、現実に被災者、亡くなられた方なんか見て痛恨ですね、鎮魂の気持ちというのを思い出すたびに忘れられません。これが私の体験です。
 この番組につきましては、人間の強さ、たくましさというものが、非常にうまく伝わっていたと思います。もともと半分ぐらいはテーマ性で成功していると思うんですね。このテーマを取り上げて視聴率が上がらない、あるいは、このテーマを取り上げて感動を与えられなかったら、それはむしろ大失敗ですね。これは狙いどおりの成果を上げていると、そのように思います。
 強いて、これはあえて言うんですけども、少しつくりもの感覚がないわけでもありません。というのは、例示が、それぞれ感動的な例示ですけれども、奇をてらうとは言わないまでも特異な例、落ちかけたバスの運転手、当日の出産者、それからOLからパイロットに転身しただとか、例示的にそれぞれ感動を与えますけれども、例としては特異な例だと思います。
 私自身は、現実に現場で復旧作業をやっておりまして、一番強く感じたのは、若いボランティアの方々のヒューマニズムです。それから、もう一つは日本の社会が変わった、アメリカ的になった、個人主義になったといいながら、すごい隣組意識というか、助け合うコミュニティが現実に残っているんですね。力強いものだなと思いました。
 もう一つ、私が感動したのは、うちの社員、それに全国から1万人ぐらいガス業者が応援に来てくれたんですけれども、その人々に対して「早うせんかい」とか「何しとる」という苦情とか、お叱りよりも、「ご苦労さん、ご苦労さん」という、そういう激励の言葉の方が圧倒的に多かったんです。これは本当にお客さまとの信頼の絆というか、それを痛感しました。
 ある新聞に被災された方が、ガスが復旧して、それを和歌で詠まれたのがあるんです。「ガス復旧、まず一番に風呂たてて、老母の体、温めまいらす」と、それはもう感動しました。この歌の記事は復旧作業にあたった全員に配りました。



委員
私も阪神大震災のときは、かなり揺れましたが幸い直接被害はありませんでした。一つだけ非常に印象深く残っているのは、家が全壊した友人が4日ぶりに大阪へ出てきたときに「何、全然ここは違うやん、普通の生活しているやん。地震に遭ったときよりも、もっとびっくりした」と、大阪の平和な光景を見ていった彼女の言葉です。梅田のデパートとか、雑踏の中で、もう何もなかったように、みんなが笑ったり、何かしているのを見て非常にショックを受けていた友人の言葉に、私もちょっとショックを受けました。
 そのときに、友人は家もなくなって、その後、3か月ほど京都のホテル住まいをしたんですけれども、お嫁に行くときに、母親が揃えてくれた着物などを全部タンスなんかに入れたまま逃げて、何一つ持ち出すことができなかったそうです。私が「じゃあ今一番何が欲しい」と聞いたら「口紅一つだけ買ってくれる」といわれたときに、何気なく歩いている人々の中で、ものの大切さとか、そういうものをちょっと考えてしまいました。
 番組については、本当に人間のたくましさとか、それから人間賛歌などが非常によく分かったんですが、委員が言われたみたいに、ちょっと特殊なケースが多かったと思いました。やはり神戸の人、被災者一人ひとりには全部10年間のドラマがあったと思うんです。その中で、もっと特殊じゃなくて違うドラマもあっていいんじゃないかと思いました。それから、あまりにも詰め込み過ぎていたんじゃないか、一つ一つ見せていただいて「ここで感動して泣こうかな」と思った瞬間に、もう次の話題が始まっているんです。余韻とか、そういうようなものを、もうちょっと入れていただいたらよかったのではないかと思いました。
 それと、震災を機にレスキュー犬ができたりとか、ハイパーレスキュー隊が生まれたとか、各企業の方たちのいろいろな取り組みとか、そういうことももうすこし詳しく情報として知りたかったかなとも思いました。でも、取り組まれた番組には素直に感動して見せていただきました。



委員
非常にいい番組だったと思います。特に、二つのことを申し上げたい思います。一つは、人間はこういう非常事態に接して感激というのを覚えて人生を変えていくということです。番組に登場した人たちは確かに特殊な例だとは思うんですけれども、人間というのは、やっぱり、そういうふうにして感激し感動することによって、平素出せないような力を出すことがある。そういう力を引き出すというのが大変大事なことです。殊に若い人や、学生に感動を与えるということは非常に大事なことだと思います。たとえば高等学校というのは、私は知識を教えることよりも、もっと感動を与えて「俺は人生に何をすべきか」ということを考えさせるということの方が、もっともっと大事だと思うんです。そういう点では、このストーリーを取り上げられたというのは、若い人を含めた視聴者に対して非常によかったと思いました。
 もう一つは、「日本のマスメディアは何か起こると、どうして暗い面ばっかり取り上げるんですか。アメリカのマスメディアと全然逆ですね」ということを以前にも申し上げたことがあるんですが、今回の話は、うまく、震災という悲劇を人生の転機として、災いを転じて福にした人たち、あるいは、真剣に取り組んで頑張って復旧させた人たち、そういう、どちらかというと明るい面を取り上げておられたということです。おそらく、こういう番組に対しては、「いい話ばかり取り上げよって」とか、「いまだに苦しんでいる人も多い、そっちの方は、なぜ放映せんのや」という声もおそらくあったんではないかと思います。けれども、それを一々取り上げても、国民を勇気づけることには全然ならないと思うんです。方針として明るい前向きな面を取り上げたことは非常によかったんではないかというふうに思います。日本を元気にするような、もっといい話をどんどん放映していただきたいなというふうに思います。そういう二つの点で非常に感ずるところがございました。



委員
私も、まともに震災の被害者になりまして、本当に、被害を受けた人と、全く何も知らない人とで番組を見ての考え方が、全然違うんじゃないかなと思いながらここへ来ました。全般的にいうと、あの番組は本当に感動的なものを、よくここまで集めたなと思いました。先ほどの社側のお話では一年前から準備をなさっていたとおっしゃってましたから、取材も大変だったろうなと、まずは読売テレビに敬意を表します。
 地震直後、まず隣の人が血だらけになりながら飛び込んで来て、「怪我はありませんか」と心配してくれました。それで夜が明けて、「うわぁ、これはえらいことや」と呆然としていると、いろんな人が入れ替わり立ち替わり情報を持って来てくれたんです。近所の方から「給水車が来るぞ」と聞いても、うちにはバケツ一つないんですね。はたと困りまして、家族全員で家中の大きな鍋だとかを、一つずつ持って歩いて西宮の体育館まで行きました。お水を満杯にしても持って帰るころには半分以上こぼれてしまい、もう情けなくて本当にマンガのようなことをしてました。もちろんトイレは水が出ません。子どもたちは「トイレどうしよう、水が出ないよ」とうろたえていましたが、肝っ玉は私が一番座っていたようです。私も戦争で家も焼け出された経験が神戸でありますので、「大丈夫1週間分ぐらいの食糧はうちにある。トイレは庭に穴を掘ればいい。寒くなったら、庭で火をおこして、そこらの庭木を切ってたき火したらよろしい」とか、何か、そんなことをいってたみたいです。それから子どもたちも水を汲みに行くときは、もう率先して行ってくれたりして、震災では家族の絆やご近所の絆も深まった気がいたしました。
そして1か月ほど経ちますと、「練習できない、プールがつぶれた」という情報を聞いて「このお金を使って選手たちの合宿代にしてください」とか、「大阪とか京都とかには無傷なプールがあるので、それを使ってください」といった支援の声がどんどん私どもの方に寄せられてきたんです。本当にありがたかったです。神戸のプールは全滅で、学校のプールも駄目で、もうプールでの練習なんてとても考えられない夏だったんですが、たくさんの支援をいただきまして、お陰で競技力も落ちなくて、かえって、みんな頑張りました。
 飛び込みの人たちの集まりがあるたびに、そのときの感謝の気持ちを、いまだにいっているんです。今度また復興して10年たった神戸で飛び込みの大きな大会をやるので、そのときには改めて私たち飛び込みの全国の仲間にお礼をいいたいと思っています。私自身は、そういう感動の中で来ましたので、新潟の地震のときも即、新潟の飛び込み関係者に、兵庫県内で協力して、わずかなことですけれども行いました。やっていただいてうれしかったことは、やっぱり、してあげたら喜ばれると思っております。これからもまた、そういうことがあったら出来るだけお力になりたいし、経験を教えてあげたいなと思っております。
 こういう番組を見せていただいて改めて、人の絆というのが見直されたと、私自身はそう感じております。



委員長
新聞メディアの立場から番組をご覧になっていかがでございますか。



委員
委員がおっしゃったように、暗い話ばかりメディアが伝えると、それはそのとおりで、それはそうせざるを得ない面があるんですが、読売新聞の場合は毎週月曜日夕刊の3ページ目に「このページには暗い話はありません」という明るい話題のページを2年ぐらい前から週に1回やっております。これは福井県の商工会議所などから「非常にいいページだ」といってお褒めいただいて展示会もしていただいたりしたことがありまして、そういうこともやっております。ですが委員の問題提起は全くおっしゃるとおりだろうと思います。
 それから番組に関してですが、この番組、非常にいい作品だったと思います。今までいろいろな番組、ここで見せていただいておるわけですが、そういう中では極めて水準の高い良質な番組だというふうに感じました。
 この震災にあたっては、この10年という節目で、どの新聞、放送ともおおいに力を入れて取り組んだと思います。復興までのいろんな足取りとか、あるいは、被災された方々のこの10年間の意識の変化とか、いろんな切り口があり、そこから学ばれるべき教訓であるとか、いろんなテーマがあったと思います。この番組は、そういう中でヒューマンストーリーという点に焦点を合わせて取り組まれたということでしょうし、また今、この10日間全体の取り組みについてもご説明いただいて、読売テレビが関西の準キー局として、この震災10年という節目に相当の意気込みで取り組まれたなということは十分感じられました。
 最初にスタジオが映って、司会者二人がいて、右の方に俳優さん、タレントさんがいて、まさかこの震災10年をお笑いバラエティにするのではという不安がよぎりましたけれども、拝見させていただいて非常にまじめな取り組み方で、それから出演されている方々のコメントも、非常に自然なコメントで、ナレーションも仰々しくなくて非常によかったなと思います。
 欲をいえば、最後の方で教訓といいますか、これを機に、こういうことが改良を加えられたといった紹介がありましたが、あの辺が、もうちょっと厚くあってもいいかなと思いました。特に委員もおっしゃっていたボランティアの方々については、これが結構、今回の新潟中越地震であるとか、あるいはスマトラ沖地震で活躍されているんですね。現場はものすごい混乱で、全国からボランティアが来たけれど、何から始めていいか分からない。そういう中で神戸の方々が、仕切り役、そういうことをやって非常にスムーズに行った。スマトラの方もそうだったようです。そういうところからボランティアも、やはり指導的な立場、ルール、そういうものが必要だというようなことがうかがえると思うんです。ですからこの震災を経験された方が実際に、こういうふうに役に立ったというようなことが紹介されたりすると、もっとよかったかなという感じがしました。
 それから、もう一つ、拝見していて、一つ一つのドラマは、もちろん感動させられるんですが、落ち着かない気持ちにさせられたのは、資料映像と、再現映像が、何の区別もなくまぜこぜに映されているんですね。震災の中で赤ちゃんが生まれた話題でも、夫の何とかさん、奥さんの何とかさん、お医者も何とかさんと、説明のテロップが出る。しかし、それは俳優さんですね。見ていると、当然ドキュメント風におつくりになっているんだろうということは分かってはいるんですが、「再現映像」とかの断りを入れていただかないと、フラッシュ的に現場の映像も入りますから、何か区別がつかない。これは自然に見せているという意味ではいいのかもしれないけれども、ちょっとつくり方として、まかり間違うと危険な面があるんじゃないのかなという気がいたします。ごく最近も他の放送局で、何か治療を3日間しか本当は取材してないのにもかかわらず、2週間として放送していました。あれも最初は再現イメージにするつもりだったのが、やっているうちにドキュメンタリーにしてしまったというようなところから、ねつ造ではないかというような騒ぎになっちゃった。この番組はもちろん、そうではないんですが、やはり資料映像と再現映像というのは、やはり区別をつけていただいた方が安心して見られると私は思いました。



委員
前に委員がおっしゃってましたが、こういう震災の話題で、とても前向きに希望を与えてくれるような作り方をなさって、人間の絆というものが、とてもよく伝わってきて感動しました。発生から10年ということもあるせいか、他の放送局でも震災のことが、よく取り上げられていました。ちょっと不謹慎かもしれませんが、自分が疲れていたりすると、ただ暗く重い気持ちになるだけなんで、ついチャンネルを回してしまったり、「またか、もういいや」みたいに思っちゃうこともあるんですね。そういう中で、こういう切り口で前向きに取り上げていただけたのは、とってもよかったと思いました。
 ただ、ちょっと思ったのは、個人のレベルの話に過ぎないみたいな部分を若干感じました。多分、今までもご指摘があったように、特異な例というか、偶然みたいなケースを取り上げていて、それはそれでとても感動的ではあったんですが、また違う切り口もあるのかなと思いました。例えば、特定個人ではない、ボランティアの皆さんとか、地域のコミュニティーの特定個人じゃない人たちの善意だとか、絆とか、そういうものがしっかりあるんだよという部分も取り上げていただくことができるんじゃないかなと思いました。特に今、そういう人間関係というのが、すごく希薄になっています。そんな中であの震災では「やっぱり助け合いに参加せないかん」といった気持ちが、さらに強まったんじゃないでしょうか。それを確認できたケースっていっぱいあると思うんです。それと同時に、その地域のコミュニティーが震災10年を経て今はどうなったのか、地域の枠組は崩れてしまってないか、あるいはボランティアの皆さんが、その経験を生かして、どんなふうに次につなげているのかなど、そういうことを見せてもらったらよかったなと思いました。そうすると、私にもできるかもしれないといったレベルで何かもっと次につながっていけるような内容に話が広がっていったのではないかと思いました。でも、とてもいい番組だったと思います。



委員
私は、震災について、東京にいたんで体験を語ることはできないんですが、この番組について非常に引き込まれました。私事ですけど、このビデオをいただいたときに、ちょうど双子の子どもが交互に熱を出して寝不足で、夜、とりあえず見れるところまで、とにかく30分でも見ようかと思って見始めたんですけれども、結局、最後まで見てしまいました。やはり、テーマになっている人間の力という、そこが私を引きつけたんだと思んですね。
 私の乏しい震災の経験で印象に残っているのは、ちょっと落ち着いてから、神戸のお世話になった弁護士の先生のところに、どんな様子なのか訪ねて行ったときに、当然私も日本人的ですので「先生ご苦労さんです。大丈夫ですか」というような雰囲気で行ったわけです。その先生は私に、「君、何暗い顔しとんや」と「大変は当たり前や、そやけど、そんなこというてるようなもんと違う」と「どうせ大変なら、明るく元気よくしていかなあかんのや」といって、周りにおられる弁護士さんや事務の人も、皆そういう雰囲気でした。私はそれが一番すごく印象に残っています。人間というのは、番組で取り上げられた方だけじゃなくて、誰もが、そういうしんどい、ものすごい体験をしても、また明るく立ち向かって生きていこうという力と勇気を持っている。この番組は正面からそれを強く打ち出しています。そこが人を引きつけたんじゃないのかなと思いました。
 それと、もう1点、私がこの番組を見せていただいて感じたのは、当たり前のことですけれど、「人間は普段、いろんなしがらみによって、やりたいこともやらんで生きているんやな」ということです。きょうのVTRには出てきませんでしたが、長田のカメラ屋の人ですかね、のちにプロゴルファーになった方。ゴルフは好きやったみたいですけれども、震災後の自分の車の中のゴルフバックを見て、プロゴルファーになろうと思い立たれた。あれは震災がなかったら、そんなこと思わなかったと思うし、また、あの奥さんも、例えば、震災がなくて旦那さんが「わし、プロゴルファーになろうと思うのや」言うたら、「アホか」で終わったと思うんです。けれどもあのような生死を分けるような経験があって、やっぱり悔いのない生き方をしたいということになったんだと思います。生き方というのは、本当にいろいろあって、どう生きるべきかというのを考えさせてくれたなと思います。本当に感激しました。



委員長
ありがとうございました。番組に対する私自身の意見、感想は委員の皆さまがこもごもおっしゃったご意見、ご感想の中にすべて含まれておりますので繰り返すことは省略させていただきます。委員の方がご指摘のような幾つかの問題点はあったと思いますけれども、総体的に番組としては大変よい企画であったと評価できると思います。



社側
たくさんのご評価をいただきましてありがとうございます。また、貴重なご指摘もいただきまして、また参考にさせていただきたいと思います。
 それでは続きまして、昨年12月と今年1月の視聴者の声を、ここで簡単にご報告させていただきます。



社側
12月分と1月分の視聴者の声についてご報告いたします。12月は本当に静かな月でした。それに比べまして1月は、苦情・抗議が1,000件、意見も1,000件を超えました。
 主なものを書いてございますけれども、島田紳助さんの復帰について、これが各番組、合計351件、ご意見・苦情がございました。やっぱり9割が苦情でございまして、ここに書いてありますように、「復帰したことに憤りを感じる」とか「暴力に関して芸能界はなぜ寛容なのですか」といったご意見が寄せられました。
 それと高校サッカーで準決勝でPK戦になりまして、その最後の一番いいシーンで終わったということで、これも大変なお叱りがございました。
 抗議の多い月でございました。以上でございます。



社側
それでは最後に次回の開催予定日を確認をさせていただきます。次回は3月11日、金曜日、午前11時から、場所は、ここ役員会議室で開催をさせていただきます。寒い日が続いておりますので、何とぞお体のほう、ご自愛くださいまして、また、ご参加いただければと思います。
 本日は以上でございます。ご審議ありがとうございました。

終わり

  • 平成16年度読売テレビ番組審議会委員
  • 委員長    熊谷信昭   兵庫県立大学名誉学長、大阪大学名誉教授
  • 副委員長    馬淵かの子   兵庫県水泳連盟   顧問   元オリンピック日本代表
  • 副委員長    川島康生   国立循環器病研究センター   名誉総長
  • 委員    秋山喜久   関西電力株式会社  顧問
  • 委員    金剛育子   能楽「金剛流」宗家夫人
  • 委員    林  千代   脚本家
  • 委員    阪口祐康   弁護士
  • 委員    佐古和枝   関西外国語大学教授
  • 委員    北前雅人   大阪ガス株式会社   代表取締役副社長執行役員
  • 委員    谷  高志   読売新聞大阪本社   専務取締役編集担当