第448回 番組審議会議事録

1.開催年月日
平成15年12月12日
2.開催場所 帝国ホテル大阪
3.委員の出席 委員総数 10名
出席委員数 8名
出席委員の氏名 熊谷信昭、金剛育子、林 千代、馬淵かの子、
野村明雄、阪口祐康、佐古和枝、川島康生
欠席委員の氏名 秋山喜久、老川祥一
会社側出席者 土井共成 (代表取締役会長兼社長) 以下12名
4.審議の概要 テーマ及び視聴合評対象番組
テーマ 「テレビ番組の評価のあり方」
 12月の番組審議会では、視聴率の取り扱いのあり方や、テレビ番組の評価の方法などについて意見を交換した。
 委員からは「視聴率の高い番組が子供に見せたい番組かというと、首をかしげる。テレビの影響の大きさを考えると視聴率だけを基準に、番組の編成をするのはおかしいのではないか」「テレビは完全な市場主義ではなく、規制産業の側面もある。恩恵を受けている理由のひとつは、国民の知る権利に答えることが求められているからだ。イラクへの自衛隊の派遣など重大なことは、視聴率が取れなくても、時間をとって伝えるべきだ」など、視聴率を重視して番組を編成することに対して、見直しを求める声があがった。
 一方、「視聴率は客観的で横断的な一つの評価を示すもので、唯一とも言うべき番組評価基準だ。問題は、その使われ方で、良い方向に向かうためには、新しい基準を考えるのではなく、制作者の意識改革がもっとも大切なことではないか」「視聴率以外の評価方法に、経営のプラスになるような奨励的な制度を組み合わせるのもひとつの方法ではないか」など、番組の評価基準について様々な意見が出された。
 この後、11月に寄せられた視聴者からの意見や抗議、苦情などについて概要を報告した。

【議事録】
(社側)本日は特定の番組を見ていただいて、それについてのご意見を伺うというのではなくて、もう少し幅広くテレビ番組やテレビ局について、皆さまが、日ごろお考えになっておられることをお聞かせ願いたいと思っております。
お話をしていただくためのきっかけとしまして、まず今年1年間に放送に関連して、どのような出来事があったのかを簡単に報告をさせていただき、続いて、「視聴率操作問題」について報告いたします。

(社側)それでは、私からは「テレビこの1年」について報告をさせていただきます。まず、今年は民間テレビ放送が始まって50年の節目の年でもありましたし、同時に12月にデジタル放送も始まった記念の年でもありました。ただ、今こうやって1年を振り返ってみますと、テレビを取り巻く様々な問題が相次いで起きてしまい、大変な1年になってしまったなという感じがしております。
ご存じのように、ここ数年来、メディア批判とかメディア不信とかいうものが高まってきておりましたし、メディア規制の動きが、色々と検討され議論も呼んでいたところです。そうした中で今年は、私たちテレビ局で働く者は一層倫理観を高めて、自律自浄の姿勢を明確にして番組づくりに取り組む年であった、というふうに言えると思います。そのために民放連とNHKでは、第三者機関の「BPO、放送倫理・番組向上機構」を発足させました。これは、従来の組織を統合して機能強化を図ったものでした。また、私たち、メディア関係者が、自主的にメディアスクラム対策を研究して、実施に移していった年でもありました。
さらに、テレビ各局でも問題を未然に防ぐための取り組みがなされました。例えば、読売テレビでは、これまでの考査研修の内容や、番組制作上の注意をメールで呼びかける番組考査メモの充実を図ったほか、コンプライアンス研修というものをスタートさせるなど、新しい取り組みも展開いたしました。
そのように、テレビ界にとっては、信頼回復が非常に大きなテーマの一つであった1年だったと言えると思います。
ところが問題や、不祥事が続発してしまったというのが現実です。どのようなことが起きたかを幾つか挙げてみますと、私たちの系列局でもあるのですが、FBS(福岡放送)で5月に起きました『ズームインSUPER!』での「やらせ問題」では、処分者が多数出ました。それから他局ですが、フジテレビのバラエティー番組における「王監督の侮辱問題」、テレビ朝日の西部警察収録中の事故、それから11月に入ってからですが、先般の総選挙の際、公示後であるにもかかわらず民主党の影の内閣の発表のニュースを30分以上も取り上げて、政治的公平をめぐって物議をかもしたというニュースステーションの問題もありました。この件につきましては、きのう自民党が「選挙の公正さを著しく害した」ということで、BPOに審査を申し立てたという情報を聞いております。BPOがどう対応するのかちょっと分かりませんが、そのような動きにもなっております。
そして何よりも日本テレビの「視聴率操作問題」の発覚です。さらに日本テレビのニュースの中での過剰演出といいますか、幻の伊勢エビとして市場で買ってきたえびを網にかけて放映するという問題まで発生してしまったという状況でした。
日本テレビの視聴率操作問題については、この後、もう少し詳しく報告させていただきますが、この問題がテレビ界全体に大きな衝撃を与えることになってしまったのは、ご存じのとおりでございます。
それから、もう一つ上げておきたいのが所沢のダイオキシン報道訴訟の最高裁判決の中で「テレビ報道の名誉毀損の有無の判断についての基準」が示されたことです。これも今年の大きな出来事の一つに上げておかなければいけないと思います。
資料にも書かせていただきましたけれど、「一般の人の視聴の仕方を基準に、放送から受ける印象などを総合的に考えて判断すべきである」と最高裁が述べています。出演者の発言とか、字幕スーパーなどを重視するのは当然なのですが、それ以外にも効果音やナレーションなども含めて、放送全体から受ける印象を総合的に考えて判断する、という考え方が示されました。耳を傾けなければいけないことも多いのですが、「印象という漠然としたものを基準に事実や真実性を判断できるのか」という疑問も出されていますし、「報道の自由を制約する面も強い」という指摘も出ているというのが現状でございます。
話は戻りますが、読売テレビとしては、この1年、幸い大きな問題は起きませんでしたが、お話ししましたようにテレビ界全体としましては、テーマだった信頼回復どころか、不信を増大させる1年になってしまったという状況でして、誠に残念な結果と言わざるを得ません。
一方、地上デジタル放送が始まりました。今後、順次、番組などコンテンツの量も増えていきますが、改めて襟を正して注意深く番組づくりを進めて信頼回復に取り組んでいかなくてはいけないと考えております。
ご存じのようにテレビ番組づくりは、社員だけではなく関連プロダクションの多数の若いスタッフも関係しています。私たち審査室としましては、とにかく研修を繰り返して啓発に取り組むほかに、番組づくりに関連するセクションに考査責任者を置いて、現場での指導・監督に当たっています。そうした事前のチェックが、一層機能できるようなシステムづくりを、現在検討しているというところでございます。

(社側)先月の番組審議会で、日本テレビが第三者による調査委員会を設置したということはご報告いたしましたが、先月の18日に、その調査結果がまとまりました。今回の視聴率不正操作で新たに分かった事実関係と、今後の課題についてご報告いたします。
報告書によりますと、不正工作を行った期間は2000年3月から、およそ3年間ということで、当初報告されていたものよりは、かなり長期にわたっております。それに使いました工作費を捻出するにあたりまして、番組制作費が流用されていたという事実が新たに判明いたしました。
当該プロデューサーは、自分の担当する番組の水増し請求、あるいは架空請求などの手段を使いまして、およそ1,000万円余りの制作費を流用しております。その中で875万円を今回の不正工作に使ったということです。その結果、調査会社が調べ上げた十数世帯の調査対象世帯に対して番組の視聴の交渉をいたしまして、結果、6世帯が承諾をしたということでございます。その後、ビデオリサーチの調べでは、視聴率に直接影響したのは、そのうちの3世帯までということです。600サンプルがある中の3世帯ですから、視聴率的に言いますと0.5%持ち上げたということになります。
なお、今回の不正工作については、あくまで当該プロデューサー個人の行為であり、それが組織的なものではなかったということが、調査の結果確認されたということでございます。
調査委員会では、こうした事実を踏まえまして、幾つかの提言を行っております。その一つが、「現在の視聴率調査システムの再検討と視聴率以外の番組評価基準の確立」、それと今回のような制作費の不正流用を許すような「制作費管理システムの改善」、主に、この2点が大きな提言でございます。
日本テレビでは、この提言を受けまして、ただちに「新しい番組評価基準を考える会」という組織と、「不正操作再発防止対策委員会」という委員会を設けまして具体的な検討に現在入っております。一方、民放連でも、この調査報告を受けまして、民放全体としての課題解決に乗り出しております。
お手元に資料をお配りしていますが、一つは民放連が、この件に関して出しました理事会の決議です。その中で、改めて放送人としての倫理意識の一層の向上と徹底を求めますとともに、視聴率と番組評価基準のあり方、それと現在行われている視聴率調査の妥当性などについて検討・研究に入っております。と同時に外部有識者を含めた調査研究会という組織を立ち上げ、そこでも、こういった課題について、検討を行っているというところでございます。
重要なポイントの一つは、視聴率とは別の番組評価基準が確立できるかどうかということだと思います。いわゆる視聴率に対しまして「視聴質」という言い方もございますけれども、番組を見た人の数だけではなくて、番組内容に対する評価が果たして客観的な指標として確立できるのかどうか、このあたりが非常に大きな課題として求められていると思います。
視聴質という問題については、各社単位では、これまでにも色々な取り組みを行っておりまして、日本テレビも1996年にはキューレートという形の調査を行っております。これは年に2回、約2,700人の方々に、アンケートを求めて、なぜこの番組を見たのか?など番組に対する様々な意見を聞き、いわゆる満足度についての意見を集約する形の調査でございます。我が社におきましても、「モニター報告」という制度があります。これは、モニターの数は50名なのですが、毎月3つの番組を見ていただいて、それに対する様々な考え方や意見をEメールで送っていただくというシステムです。
モニター報告はかなり長い間続けておりますけれども、こういった形で各社とも、独自に視聴者の意見を集約する努力は、これまでにもやっております。ただし、あくまで局単位の試みというところでとどまっておりまして、テレビ界全体の客観的な尺度をつくり上げるというところまでは至っていなかったというのが現状でございます。ですから今回、民放連が委員会あるいは調査会等を設けまして、検討に入っておりますけれども、全体的な主張が出るのか出ないのか、このあたりが、テレビ番組の評価が将来どうなっていくのかということに、大きな影響を与えると思います。
いずれにしましても、今回の問題が民放局全体に与えた影響は非常に大きいわけでして、当社としましても民放連を中心とした全体的な動きとは別に、やはり独自に、これまでのシステム等々、再検討をいたしまして改善強化を重ねてまいりたいと思っております。
従いまして、委員の方々にも番組の評価が、どうあるべきか、そういった点につきましても、様々なご意見を頂戴できたらと思っております。

今お聞きのように、今年1年間の放送をめぐる多くの出来事と、イラク戦争からデジタル放送開始まで、この1年間の出来事を報告していただきました。確かに、この1年は内外共に放送を含めて非常に大きい出来事がたくさんあった年だと思います。
それで最初にお話がございましたように、きょうは、そういう1年を振り返りながらテレビ放送のあり方について、色々な視点から各委員の皆さま、ご自由にご発言をお願いしたいと思います。
常々「いっぺん言うたろと思っていたけれど、なかなか言いにくかった」というようなことも含めて、建設的なご意見なら、どんな厳しいご意見でも結構でございますから、どなたからでも結構なので、ご自由にお願いいたします。
最初に私から、今ご説明のあった視聴率調査のことについて、話をさせていただきます。私が直接関係いたしております国立大学の大学法人化などと絡んで、特に最近、感じておることがあるのです。
それは、大学を法人化させると同時に厳しい評価をして、大学間の格差ができることを承知の上で研究費の配分、その他を考えるという考え方があるのですが、この評価というものをデジタルな数値的な評価基準で判断するというのは、一面客観的なのですけれども、色々と不合理な面もあるのです。例えば医学部の場合、論文の数だけで評価したりいたしますと、臨床的な研究と治療の発展に大きな功績があっても、なかなかそれが論文の数というデジタルな数字では表しにくいのです。そのような例が、ほかにもいっぱいございます。
どのような評価の場合もそうですけれども、放送の場合も含めて評価というのは非常に大事であると同時に、賢明妥当な評価というのは、どういうやり方なのかと言われると、これほど難しい問題もないのです。大学の基礎的な研究の評価などということになりますと、これはもう「本質的に不可能だ」という人もいるのです。
私は以前、近畿地方のNHKの放送番組審議会の委員長を、かなり長い間務めていたのですが、そのとき何回も繰り返し出てきたのは、NHKの放送のあり方と視聴率の問題でございました。「NHKは視聴率にとらわれることなく、良い番組を放送する義務がある」という考え方は、正論でございますけれども、それと同時に「やはりみんなに楽しく喜んで見てもらえる番組でなければ意味がないので、視聴率は非常に大事だ」という二つの意見が繰り返し出ておりました。
そういう意味で、視聴率を一つの評価の指針とするのは大変大事なことなのですが、テレビ番組の善し悪し、あるいは功罪をデジタルな数値的な視聴率評価至上主義でやっていっていいのかという非常に難しい問題を私は今回改めて感じました。

民放の方は、視聴率が悪かったらスポンサーがつかないという弱みがあるのでしょうか?私どもの方に取材にいらしても、NHKは比較的自由に、割とのんびりとしていらっしゃるのですけれども、民放の方は時間を気にして、短時間でババーッと要領よくやるということがすごく上手です。
さすがNHKはゆったりしているなと、取材を受けた際に、そういうことを感じました。ゆとりがあるから奥深い番組をつくるのかなと、何となく思いました。
私は放送に関しては素人ですが、民放の方は秒刻みで非常に忙しく、よく働くという印象を持っています。やはりスポンサーとか視聴率のことが背景にあるために、短時間に出来るだけ効率よく取材して、いい場面を欲張っていっぱい撮って帰られるのでしょうか。そこのところはNHKと違うのだなと感じています。
視聴率をどうやって調査しているのか詳しくは知りませんが、1社だけで調査していると聞きました。1社だけが視聴率を調査して、それを100%信じるというのも「何か変やな」と感じているのです。この点は皆さん、どうお思いなのか聞いてみたいなと、そのように思っています。

(社側)視聴率の調査は、ビデオリサーチという会社がありまして、その会社が行っています。昔は、もう1社、外資系のニールセンという会社があり、二つの調査会社があったのですけれども、それがある時期、ビデオリサーチ社の1社に集約されたということなのです。
今回の問題に対する外部からの批判の中には、今お話があったように「視聴率調査会社が1社だけでいいのか」という指摘もございます。そのあたりも、検討はしていくということになるかと思いますけれども、正直申し上げて経費的な面も含めまして、なかなか難しい問題もあるだろうと思っております。

歴史的に見て放送というのは、まずラジオから始まりました。ピッツバーグの放送局だったと思いますが、アメリカでまず始まって、ボクシングの試合の中継でラジオの人気が一気に広まったということを聞いています。
アメリカは、ご承知のように民間放送だけですが、そういう民間放送の生みの国であるアメリカは、視聴率調査のたぐいはどういうふうになっているのですか。

(社側)全米でニールセン1社だけが視聴率調査をしています。

じゃあ、アメリカでは視聴率を、あまり重く見ないのですか。

(社側)いえいえ、そのようなことはありません。その数字が正しいと信じられているのではないでしょうか。

視聴率のことで操作が行われたということですけれども、テレビ、放送に関係しておられる方は、それが公器であるということを十分理解してお仕事をなさっておると思うのですが、それでもなおかつ、こういうことが起こり得るということですね。
民間放送も企業ですので、やはり利益を出さなければならない、従業員を養っていかなければならないということは当然のことです。しかし、病院の株式会社論と重ねて考えるのですけれども、もし病院を株式会社にすれば、どうしても会社の利益が上がるような診療をしなければならなくなります。ということになると、視聴率どころではないことが起こります。
つまり利益の上がる、仕事の量が少なくて診療報酬の多い患者さんをたくさん集めるということになります。その方が利益も上がるし、「あそこの病院へ行ったらよく治る」という名声にもつながります。そういう操作は、かなり容易に出来るのです。医療人としての自覚に欠ける人が病院長になると、そういうことはたちどころに出来ますし、残念ながら現実にもう起こっております。
民間のテレビ局を株式会社ではない法人にしろとは考えませんけれども、病院を株式会社にするのはいかがなものかなと、この事件に関連して感じました。

現在、テレビというのは多分24時間流れているのだと思うのですけれども、NHKでは旗がひらめいて『君が代』が鳴るとその日の放送が終わるというようにしているのですけれども、ほかの局は、一応ここで終わるというところはあるのでしょうか。
「今夜の番組は、ここで終わります」という、そういう合図を見たことがないのですけれども、どうなっているのでしょうか。

(社側)事実上、つながっていますけども、終了時間というのは一応ございます。

NHKの場合には旗がひらひらとして、国歌が流れて1日の放送が終わるというように、毎日々々番組が放送されています。私自身もいろいろ仕事をさせていただいてわかるのですが、一つの番組をつくるのに、かなりの時間かかります。それを24時間、1年やっていくという中で、やはり質と量がどうしても問われると思うのです。
漫才でいいますと、コンビが非常にうまくいっていて息とか間がうまいけれども、面白くないという人がいっぱいいるのです。逆に新人の場合に、下手だけれども面白いというのがあるのです。
それを番組に当てはめて考えますと、非常にいい番組であったとしても面白くない番組がある反面、どうでもいいバラエティーで、むちゃくちゃで意図も何も分からないけれども面白いという番組もあります。
これを見極めることが、局としては非常に大変なところだと思うのです。この番組審議会でも番組を見せていただくのですが、深夜に放送している番組に非常にいいのがございます。でも、これをゴールデンタイムに放送するために、いかに面白く見せるかということが、これからの課題になっていくのではないかと思うのです。ある程度の年齢になってきますと、そういうものを子どもたちに見せてやりたいというような気持ちになりますので、いい番組を、いかに面白くつくるかいうことを考えていただきたいと思います。
それと他局の番組で、王監督を侮辱するような問題がありましたが、番組をつくって、放送するまでの間に何回かチェックする機会があると思うのです。けれども、あの番組を見たときに誰一人、止めることができなかったのかということに、私自身は疑問を感じるのです。例えば人権問題などがあったときに、誰か常識のある人が「これはまずいぞ」ということを指摘するはずだと思うのですが、あのような番組がどうして網の目をくぐって放送されたのかが非常に疑問なのです。見た時点で分かるはずだと思うのです。
先ほど読売テレビの場合には「きちんとした責任体制がある」と言われたので、ちょっと安心しておりますけれども、私の身近なところで、色々な番組をつくっているプロダクションの状況を見た場合、同じような年代の人たちだけで番組をつくっていて、リーダーになるような人がいないということも、あるのです。やはり、リーダーとなる人がいて、「これは駄目」「これはいい」というところをしっかり押さえてつくっていくことが、これからは求められていくのではないかと思います。

この場の雰囲気と違うかもしれませんが、私は、今の視聴率の測り方というのは客観的で、そして横断的で、最も信頼し得るいい方法ではないか、このやり方が唯一ともいうべき番組評価基準ではないかと思うのです。要は、その使われ方に問題があると、そのように思います。
ですから、調査する会社が1社だけよりも2社の方がいいかといえば、それはそうかもしれません。けれども1社だからいけないということは言えないと思うのです。客観性さえ確保されているのであれば1社で十分だと思うのです。
先ほどお話があったように、視聴率は番組内容の善し悪しや、功罪とは関係がないと思うのです。我々がテレビを見るときに、自分は見ておるけれど「これがどれほどの視聴率かな」ということは意識したことは、私などはありません。要するに、その後の使われ方が問題なのです。
これは好ましいことではないかもしれませんけれども、テレビには、作品と言えないような消耗品的な番組がたくさんあると思うのですね。そのような番組の視聴率が高くても、どうということはないわけですね。
最後に、どこへ返ってくるかというと、答えにならないかもしれませんが、制作者の意識改革の方が大事だと思うのです。その裏打ちとなるテレビ局の中での、視聴率の使われ方の問題に返ってくるのではないかなと思います。それは要するに世間でこのごろ言っている、コンプライアンスとか、フェアネスとか、そういう感覚になってくるのではないかと思います。
ですから、今の視聴率に対する信頼を回復するには時間がかかりますけれども、別の新しいテレビ番組の評価基準などを考え出すのではなくて、今の視聴率を運用の中でフェアにしていくということと、その客観性、横断性を積み重ねることによって信頼を取り戻すことが重要なことではないかと思います。要するに「この方法でええやないか」と、私なんかは、そう思っております。

今のことに関連して、例えば、映画ですと営業成績としては儲かったわけではないけれども、映画として非常にいいというアカデミー賞のようなものがあります。テレビ番組全体について、視聴率とは別の視点で、いい番組を表彰するようなものはございますか?あまり記憶にないのですが…

(社側)幾つかございます。民放連でも1年に1回、全国大会でドラマ、ドキュメンタリー、CMも含めて、それぞれの分野で優秀な番組を表彰しています。それから、例えばギャラクシー賞というふうに、色々な団体が様々な賞を制定しています。
ギャラクシー賞は放送評論家やメディア研究者が設立した放送批評懇談会が制定した賞ですが、それ以外にも、ATPという制作者の集団がございまして、そこでも年に1回、顕彰するというように、幾つか、そうした場はございます。

それは視聴率の高い順番ではないわけでしょう。

(社側)視聴率はまったく関係ございません。
今申し上げた賞のように、網羅的に番組を評価する賞だけではなく、色々な自治体等で制定しているものの中には、例えば、女性の視点で番組をつくった女性の制作者だけを審査して表彰する賞とか、地方の時代を反映した番組に与えられる賞など、特定の切り口を設定したものもあります。
申し上げれば七つか八つぐらいになるかと思いますが、これらは視聴率とはまったく関係なく表彰するシステムになっています。

それはいいことですね。
個々のテレビ会社の中でも、視聴率の高いものをつくった人だけを、「いい子、いい子」と可愛がらずに、社長の責任でいい番組をつくった人をちゃんと評価していただかないといけないかもしれませんね。

(社側)私どもも社内で表彰しております。1年間を通して、すべての番組を対象にどういう番組だったかを検証して、功績のあった番組を、開局記念日に表彰しています。
確かに視聴率を素晴らしく取った番組はノミネートされます。これはやはり評判も呼んで内容もいいということでの顕彰です。
しかし、視聴率とは別の基準でも表彰しています。例えて言いますと、今年の開局記念日に表彰を受けた番組で『テレビドクター』という番組がございます。この番組は長年やっていますが、早朝の放送ですから視聴率的な貢献はほとんどございません。けれども、病気や健康問題について専門のお医者さんが丁寧に説明するという内容で、視聴者に貴重な情報を提供しております。そうした番組を表彰することで、地道にそういった活動をやってきたプロデューサーを顕彰するというようなこともやっております。
そういったことで、内からも、それから外からも、そういう顕彰システムは色々ございます。

不正とか、ねつ造とか、信頼失墜とか言われると、つい「旧石器ねつ造事件」を思い出してズキズキズキと心が痛み、他人事ではなく聞いていました。一個人による極めて特異なケースなのですが、全体が信用をなくしてしまうというところが共通しており、「旧石器ねつ造事件」では私たちも大変腹立たしい思いをしたわけなのですが、考古学の学会の話をしますと、考古学会が本当に学会らしくなれるチャンスだなと思いました。
このことがきっかけになって、全体が以前より、いい方向に行ったな、というふうになっていけば、それはそれでいいのではないかと思います。
ただ、一部の人たちとは思いながらも、「やらせ」というのが発覚すると、ついやっぱり「本当にこれはどうなのかな?」という気持ちで、見てしまうという部分はあります。
特に北朝鮮関係の報道がかなり増えていますね。私も在日の友達が多いもので、ちょっと気にしながら見るのですけれども、漏れ聞いたところによると10年か、もっと以前の北朝鮮の映像を、まるで「今の姿だ」というような形で流しているとか、北朝鮮ではなくて中国のどこかの村の風景を北朝鮮の映像として使っているというので、東京のマスコミに申し入れをしたそうです。「どこで、いつ撮影したか、ちゃんと明記してくれ」と、申し入れをしたのだけれども、ちっとも聞いてもらえなかったというような話を聞きました。
それが真実なのかどうか、私は判断がつかないのですけれども、ひょっとしたらそういうこともあるのかなと思うと、テレビを見ていても、いつも「これは本当なのかな」と、ちょっと頭の隅っこによぎるようなことがあるのですね。「やらせ」みたいなことが発覚したから余計、そういう目で見てしまうというところがあるのかもしれないなという気がします。
それと北朝鮮関係のことで言うと、今までほとんど触れられることがなかった話題で、どういう国か知りたいという思いは私もあるのですが、流れてくる番組を見ているとどこの局でも「こんなひどいんだ」「こんな悲惨なんだ」という、ただ興味本位で流しているような取り扱いが多かったように思います。
それを報道することにどういう意味があるのかなと、ちょっと疑問に感じるような扱い方が多くて、だんだん見なくなりました。マスコミの力はすごく大きいと思うので、出来れば、いい方向に向かうような取り上げ方をしていただけたらなと思います。

今までの話を聞いていますと、市場主義をどこまで及ぼすべきなのかというようなところが中心の課題になっているように思うのですが、やはり民放である以上は、営利企業なので、市場主義にある程度さらされるのは、やむを得ないとは思います。ただ注意しなければならないのは、テレビ局の運営というのは完全な市場主義ではないはずなのです。有限の電波を与えられている、ある意味、規制産業という側面もこれは否定できないはずなのです。
ではなぜ、そういう形で、特権的なものが与えられているのかというと、これはやはり国民に対する知る権利に奉仕するということが根本にあると思うのです。そうだとすると、最近疑問に思ったのが、先日の小泉さんの自衛隊イラク派遣問題の取り上げ方なのです。
例えば、選挙報道であれば、選挙前から相当な時間を取って報道しているのです。それに対してイラク派遣問題の取り上げ方は、時間の割き方として果たして、それに対応するものなのだろうかと思うのです。事の重大性に鑑みますと、選挙報道よりも、もっと時間を取ってやるべきではなかろうかと、私は思うのです。
ではなぜ、そうなるのかというと、やはり選挙は、それなりに視聴率が取れるのに対して、イラクのあの種の問題を事故が起こる前に報道しても、それほど視聴率が取れないだろうと判断したのではないだろうかと、邪推かもわかりませんが、どうしてもそのように思ってしまいます。
そこはそうではないと、思います。視聴率は取れないかもしれないけれども、「国民の知る権利」という観点から判断して、重要な問題は、やはりそれなりのスペースを取って報道すべきではないのか、と思うのです。それこそが、まさに報道機関としての信頼を高める一番根本になるやり方なのではないのか、というのが私の考えです。
市場主義と、その種の問題とを、どう調整をするかということについて、一つのアイデアみたいな話をさせていただきます。例えば先ほど、民放連の賞あるいはギャラクシー賞、ATPの賞というお話が出ましたが、それに対する賞品はお金か何か分かりませんが、多分、不十分だと思うのです。結局、民放が、どこまで行っても視聴率と離れられないのなら、例えば前年度、そういう賞を総ナメにした局には、次の年、例えばワールドカップの一番いい視聴率を確実に取れそうなところの放送権を、優先的に取れるというようなインセンティブを与えたらいかがでしょうか。
そういう賞と報償とのバランスと工夫についてちょっと業界として考えていってもいいのではないかなというふうに思います。

今、非常に建設的な、すごく面白い意見が出たのを拝聴させていただきましたけれども、視聴率の問題を考えますと、やはり市場主義でずっときて、それが行き過ぎてしまって、今回の事件は起こるべくして起こったのではないかというふうに私は感じております。
それで先ほどから皆さんからお話がありましたように、会社の経営ということももちろんありますので、非常に難しい問題だと思いますけれども、人気のある視聴率の高い番組が本当に子どもたちに見せたい番組かと言いますと、率直に見ていて首をかしげたくなるような番組が随分多いのです。一方、すごくいい番組を、深夜とか、皆さんが見られない時間帯に放送しているということも残念な感じがします。
テレビの影響が昔と変わって、これだけ国民に与える影響力が大きくなっていること考えますと、やはり経済的なことだけではなくて、そういう社会責任みたいなことも考えていただいて、いい番組を、いかに楽しく興味あるように見せるかという工夫をしていただくということが、これから大事なのではないかと思います。
青少年の問題ですとか色々な問題で、今日本がボロボロになっているのを見ますと、マスコミの影響力というのは、マスコミの当事者の方が思っておられる以上に大きいと思います。そういう社会的な責任ということも意識に抱えて持っていただいて、番組の内容を考えていただきたいな、というふうに非常に強く感じます。
それとともに、イラクの自衛隊派遣の問題のように、ある意味で日本の国が大きな岐路に立っているときに、各局の番組を見ますと、ゲストの方やキャスターの人選などに、色々な色がついて報道されているように思います。私どもが一番知りたいのは、本当のことは何か、真実は何かという、色のついていない本当の情報なのです。
「やらせ」とか、色々な事件が起こると何か信頼感がなくなります。色のついていない真実そのものを、いかに正確に報道していただくか、ということが、やはり日本の国にとっても非常に大切なのではないかと思います。

新聞と放送というのは相補っていることだとは思うのですけれども、新聞にあって放送にないものがあります。その一つは、視聴者自身の声を電波に乗せるということで、そうした番組は、まず行われていないのではないかなという気がするのです。特定の人たちの討論会は、よくございますけれども、新聞の投書欄とか、論壇とか論説とか、そういう種類のものがテレビにはございません。
全然視聴率が低くて駄目かもしれませんけども、そういうのを何かの形で取り入れる考え方というのは、あり得ないのかな、という気がするのです。

難しいですね。新聞も「町の声」というので記事を出していますし、テレビでも時々「町の声」というのをやっていますが、あれは非常に問題で、私は「町の声」でなくて、その新聞社やテレビ局の声ではないかと思うことが多いのです。
先ほど子どものことがお話に出ましたが、報道に関連する一番直近の問題では、少年法が適用される子どもでも、場合によっては名前も挙げて写真も出そうという問題があります。これは多分、テレビの関係の方も悩まれる問題ではないかと思うのですが、新聞などを見ますと、いわゆる識者の声の中には慎重論というか、ネガティブな意見が大変多かったですね。
もう一つお伺いしたいのは有事法制についてです。有事の際には民間放送も公共的な放送をやってもらう、という取り決めに対して民放は、報道の自由という点から反対意見をおっしゃっているようですけれども、有事のときに国や地方自治体等の情報を公共的に放送しろと言われて、何でそれに文句があるのか、という気がちょっとするのです。どうしてそれが放送の自由を制限することにつながるのか?その辺がちょっと分かりにくいのですが、それは簡単に言うとどういうふうに考えればいいのですか。

(社側)それは報道規制につながるからです。
民放が存在するということは、NHKのほかに、様々な意見が、様々に報道されることが期待されているわけで、イラク問題でも、賛成する人もいれば反対する人もいます。そういうことが色々ありますので、有事法制に関しては、もっと時間を取って議論すべきだったと思うのですけれど、十分な議論が尽くされないまま法律が成立してしまいました。
最後は担当大臣あるいは地方自治体の首長の言うとおりにやれということになりますと、極端にいえば、民放はいらないということになります。NHK一つだけあればいいということで、いいのでしょうか。

そういう意見をコントロールするということではなくて、例えば自治体なり、国なりが伝えようとしておる情報とか考え方を、ある民放が気に入らないから、それは放送しないという、そのような自由の方がおかしいのではないかと思うのですがね。

(社側)まず、必要な情報を放送しないということは、ないと思います。
戦争に負けるまで、戦時中、我々の先輩たちは、結局、情報統制で同じことを報道させられて、私などは中学生のころでしたから当然かもしれませんが、国民は何も知らないで過ごしてきました。その二の舞になると、心配しているのです。政府というのは、1回規制すると、どんどん来るのです。
それは先生もよくご存じだと思いますけれども、我々は新聞記者をやっていましたから、一歩でも退けば、必ずそこからつけ込まれることを実感しているのです。これが一番怖いのですよ。最初は調子のいいことを言っているのです。そのうちに、法律でなくても、省令というのがありますし政令、それから通達、そうしたものを使ってどんどん、縛ってくる。
ですから、この問題は非常に怖い問題で、特に新聞のバックアップを得て民放も反対していますけれども、私は反対して然るべきだと個人的には思っております。
民放も、地震が起きたら必要な情報は全力で伝えますよ。阪神大震災が起きたときも、総力をあげてやったのですから。

(社側)例えば、こういう内容を具体的に「放送しろ」と一方的に言われますと、新聞でも紙面の限りというのがございますけれども、テレビにも時間の限りがあるわけですね。「この放送をしろ」と一方的に言われて、それを義務づけられますと、我々がもう少しほかの情報も加えて「多角的に、こういう放送をしたい」と言っても、そのことができなくなってくる可能性があります。そうした、物理的なことが起きますから、反対しているのです。

逆もありますわね。「こういうことは放送してはいけない」というのも。

(社側)それもあります。
それに対しても、「いや本当にそのようになるのだろうか?」というご意見もありますけれども、「放送しろ」と言われた内容について私らが異議を唱えられないとか、それとは違うほかの事実をつかんできたとしても、それが放送できないということがあると思います。
有事の際の放送であっても、あくまで、報道機関としての判断によってやるべきであるというのが、民放連が反対している理由です。

<視聴者センター部報告>
(社側)この1か月間に寄せられた視聴者の声をご紹介いたします。
11月に視聴者から寄せられた声の件数は、総数で6,752件と、やや低い水準でした。しかし苦情・抗議は800件以上と多く寄せられました。
特に厳しいお叱りがあったのは、『ベストヒット歌謡祭2003』についてのものです。これは11月29日に大阪城ホールで収録が行われたのですが、厳しいお叱りが40件余りありました。主なものは二つで「チケットを引き換えるために早い時間から並んでいたのに、開演の4時間以上も前に満席とはどういうことか」というお叱り、それからもう一つは「入り口が大変混雑してパニック状態で非常に怖い思い、危険な状態だった」という声が寄せられております。

(社側)今年1年、お忙しいところをご意見、ご叱正をいただきましてありがとうございました。今、議論がありましたように、民放全体というよりも、日本テレビ系列に非常に強いアゲインストの風が吹いておりまして、私たちも苦慮しているところでございます。ただ日本テレビも、番組の評価の問題につきまして、番組審議会の皆さんの意見を更に尊重して、そのご意見を生かす方法を考えているそうであります。
今、色々ご意見を伺いましたけれども、やはり視聴率という問題は、根が深い問題です。何かの雑誌に書いてありましたけれども、「今や民放界は視聴率本位制で視聴率が通貨になっている」と、視聴率によってテレビ局の売り上げが決まってくることが指摘されていました。
さらに、「そこが一番まずく、その視聴率の信頼が揺らいだことで、この際、視聴率本位制を変えたらどうか」というようなことも書いてありましたが、皆さん方がおっしゃるように、もっと視聴率と番組の質というものを考えていきたいと思います。
我々民間放送は、視聴率本位制で、何でも視聴率さえ取ればいいということでいきますと、結局、企業の体質とか、テレビの本質を問われることになるのではないかと思っております。
昔は「いい番組は視聴率が取れない、視聴率が取れるのは悪い番組だ」と言われておりましたけれども、最近、個人的に見ていますと、必ずしもそうではないような気がしております。いい番組でも高い視聴率が取れるのだということを私たちは肝に銘じて、先ほど先生がおっしゃったように、これをチャンスにして来年は一層頑張っていきたいと思います。
また、問題のある番組なのにどうしてチェックできないのだろうというご指摘がありましたが、組織の問題、それからリーダーと言いますか、人材の問題もしっかり研修などを充実させて、「テレビの常識は世間の非常識」と言われないようにやっていきたいと思います。
来年も、ますます先生方のご審議とご教示をいただきたいと思います。本当に今年1年ありがとうございました。
  • 平成15年度読売テレビ番組審議会委員
  • 委員長    熊谷信昭   兵庫県立大学名誉学長、大阪大学名誉教授
  • 副委員長    馬淵かの子   兵庫県水泳連盟   顧問   元オリンピック日本代表
  • 副委員長    川島康生   国立循環器病研究センター   名誉総長
  • 委員    秋山喜久   関西電力株式会社  顧問
  • 委員    金剛育子   能楽「金剛流」宗家夫人
  • 委員    林  千代   脚本家
  • 委員    阪口祐康   弁護士
  • 委員    佐古和枝   関西外国語大学教授
  • 委員    北前雅人   大阪ガス株式会社   代表取締役副社長執行役員
  • 委員    谷  高志   読売新聞大阪本社   専務取締役編集担当