第433回 番組審議会議事録

1.開催年月日
平成14年6月14日
2.開催場所 読売テレビ本社
3.委員の出席 委員総数 11名
出席委員数 11名
出席委員の氏名 大島 靖、秋山喜久、熊谷信昭、金剛育子、林 千代、
馬淵かの子、野村明雄、阪口祐康、佐古和枝、老川祥一、
川島康生
欠席委員の氏名 なし
会社側出席者 土井共成(代表取締役社長)以下9名
4.審議の概要 テーマ及び視聴合評対象番組
視聴合評番組 ドキュメント番組『さんとす丸の17家族~忘れられたアマゾン移民~』
放送日時 5月26日(日)25時35分~27時05分
放送エリア 全国ネット
 番組審議会では、報道ドキュメント番組「さんとす丸の17家族~忘れられたアマゾン移民~」について意見を交換した。
 委員からは「日本がアメリカと戦争をしたことすら知らない若い人たちが育っている。当事者の生の声によって、戦後の歴史の一端を伝えたことの意義は大きい」「移民しようという人たちに、正確な情報を与えず、むしろ覆い隠して政策を押し付けてくる官僚の体質を描き出すことに、ある程度成功していた」など、ブラジル移民の実態が伝えられたことを評価する意見が相次いだ。
 一方、「ナレーションが不適切で、感傷を押し付けられたような印象を持った」「客観的な情報が不足しており、ブラジル移民の全体像がつかめなかった」「"国益を守る"ということは何か?といった観点で、外務省の対応を検証すれば、現在に通じる問題を提起できたのではないか」など、さらに表現を洗練し、誰に何を訴えるのか、より明確な意図を持つよう求める声も上がった。
 この後、5月に寄せられた視聴者からの意見や抗議、苦情などについて概要を報告した。

【議事録】
(社側)先日、お知らせしたとおり、今週、歴代この番組審議会を担当してまいりました青山行雄特別顧問と中野達雄相談役が相次いで逝去いたしました。大島委員長よりご提案がございます。委員長、お願いいたします。

(委員長)このたび相次いでお二方の訃報に接しまして、誠に痛恨、哀惜の念、切なるものがございますが、ここに皆さまとご一緒に番組審議会の名において、お二方のご冥福をお祈りして黙祷を捧げたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

黙祷。

(全員起立・黙祷)

黙祷を終わります。ありがとうございました。

(社側)それでは6月度の読売テレビ番組審議会を始めさせていただきます。本日ご審議いただきますのは、報道ドキュメント番組『さんとす丸の17家族 ~忘れられたアマゾン移民~』です。この番組は5月26日(日)深夜の25時35分から85分間の枠で放送されました。
本日は制作にあたりました読売テレビ報道局の中川禎昭エグゼクティブプロデューサーが出席しております。それでは番組のねらいや意図につきまして、中川からご説明申し上げます。

ご案内のように、ブラジル移民というのは1908年の「笠戸丸」からスタートしたわけですけれども、戦争をはさんで中断いたしました。昭和27年に戦後第1回の移民船が神戸港から出て、今年でちょうど50年に当たるわけなのです。しかし、戦後移民がスタートした時点の状況、どういう国策で移民を送り出したかというようなことが全くつかめない状態でした。私たちは、それを探りましたけれども、こちらが意図するような回答は出てきませんでした。
そうした中で、当時、神戸にあった移民収容所の近くの記念写真館から、約1000枚の写真原板が出てきました。このほど、それを全部焼き起こしまして、当時移民として行かれた方の顔と一致するのかということも検索しましたけれども、全く分からない状態でした。ブラジルに移民した日本人の数は5万3,000人にも上っていますが、このままでは戦後史から埋もれてしまいます。戦後第1回の移民の人たちが、どういう状況でブラジルに渡り、どのように生きてきたのか、このまま闇に葬られていいのか、という思いから、徹底的に追跡していくことにしました。伝聞ではなく、本人の声を収録して記録にとどめたいと考え、この番組をスタートさせました。
今も外務省の体質がいろいろ云々されておりますけれども、もう一つのねらいは、外務省の"ゆがみ"が今に始まったことではないというようなところを映し出したかったということです。外務省のゆがんだ体質は、表面的ではなくて、構造的なものであったということが、この番組を通して浮き彫りに出来れば、と考えて番組を制作しました。

<VTR視聴>
(社側)この番組に対しましては、放送後、幾つかの視聴者の声が寄せられました。例えば、「この番組に出会わなければ、私はずっとあのような歴史を知らずに過ごしていたと思います。貴重な機会を与えていただいたことに感謝しております」。また「送り込んでしまえば、あとは知らないという外務省のやり方は無責任もいいところです」といったような内容の声が届いております。

この番組は、VTRを送っていただいたので何度も見てきたのですけれども、今の時点で、誰に何を訴えるのかという意図、目的が不分明というのが率直な感想であります。当時の移民政策について、遡って外務省を告発して、それでどうなのですか?という感想であります。
かなりの費用をかけて、「さんとす丸」の方々をフォローしておられます。スタッフの方々のご苦労も大変だったと思うのです。先ほどの視聴者のご意見のように「貴重な機会で、これがなければ、そんなことを知らなかった」という、風化していく移民50年の記録を残すという、一定の意味はあろうかと思います。
しかし、それであれば、あまり事々の評価を入れずに、事実をもって語らしめる、映像メディアの本来の姿で表現すべきではないかと思うのです。
内容的には、成功例の紹介もあってしかるべきなのではないかと思います。歌会始などに、ブラジルからいい歌を寄せておられる方々もたくさんいらっしゃいますよね。
また、これは映像をつくる上のテクニックでしょうから私はよく分からないのですけれども、「望郷の念」も含めて、感傷の押しつけがあるのではないかと思います。
特に、幾つか気になったナレーションがあります。まず一つは「JICAが公開を拒否した名簿」という部分です。名簿など(個人の情報を含んだもの)は当然、公開を拒否するのではないのでしょうか。それから「別の人生があったと思いませんか」という問いかけがありました。これも意味不明ですね。さらに、「ブラジル移民とは何だったのでしょうか」という問いもありましたが、移民の方は答えられませんでした。「この国の戦後は終わらない」と、番組の最後に締めくくりがありましたけれども、これも意味がよく分からないのです。

今のお話のように、厳しい面をとらえると、そういう面もあるな、とは思いました。
けれども、私は神戸の「移民収容所」の近くに実家がありまして、移民される皆さんが、丘の上からメリケン波止場まで見送られながら行くのですが、中学の2、3年の頃、私も、珍しくて何回か、それについて行ったことがあるのです。盛大に見送るのですね。今はあのようなことはあり得ないような見送り方をしましてね。
出航の2時間ぐらい前からわいわいやりまして、私はそのテープを拾い集めて遊んだりしました。番組のはじめに、あの見送りの画面が出たときに「うわ、私の家の近所やわ」と、すごく懐かしく思いました。そして、送られる方も、みんなニコニコしており、その時分は中学生でしたから「外国に行ける」というのが、すごくうらやましく思いました。よく見たら泣いている方もいたかもしれませんが、外国にすごく憧れていたので、「あんな船で、あんなふうに見送られて、ブラジルてどんなとこやろうかしら」という感じがあったのです。番組のVTRを家でよくよく見ましたところ「ああして送られて行ったのに、えらい苦労しているわ」と感じました。
具体的な例もたくさんありました。水害のときに入植したために運が悪かったのだというふうなことをおっしゃっている方がありました。水害で土地が水浸しになっていることが、日本の政府に分からなかったのでしょうか。当時の政府は、そういう情報をきちっと把握しないまま移民を送り込むだけ、という感じを受けました。
ただ、予算を使うだけのために送られていって、自殺した方もたくさんいらっしゃる。それも1人や2人じゃなくて、大勢死んでしまうのですね。それを聞きまして、これは大変なことだと感じ、私が子どものときに抱いた、外国に対する憧れは、吹き飛びました。
私も戦後、水泳の大会などでブラジルに行きまして、成功した日系人の方にもお会いしたこともあるのです。その方は大きな農場をお持ちで、優雅な生活をしていらっしゃいましたから、「苦労しましたよ」ということは聞きましたけれども、この番組で描かれていたような苦労をあまり感じませんでした。
当時は、戦後に行かれた方が、そこまで苦労したということが分からなかったのですが、今回、再認識しました。政府が無責任だったというふうに描かれていましたが、今も外務省は相変わらずだな、という感じもします。
今でしたら電話とか、ファックスで「大水が出ましたよ」と簡単に伝えることが出来るのでしょうが、当時は電話も不通、手紙もなかなか届かないところですから、情報も入らなかったのかな、などと思いながら、50年前を振り返った次第でございます。
膨大な資料を集めて、読売テレビが、このような地味な番組をつくられたということに敬意を表しますし、なかなか力作だったのではないかと私は思いました。

多分、私自身の知識不足でしょうけれども、戦後のブラジル移民を募集するために政府がうたい文句にしていた、移民することによるメリットや魅力がよく分からなかったのですけれども、少なくとも行こうと思った人たちは、新天地へ向かうために、何かそこに引かれるものがあったと思うのです。中には、引揚者だから、仕事がないからという形の人たちもいたと思いますし、国が何らかの形で押しつけた部分は、かなりあるとは思うのですけれども、どうして移民に踏み切ったのかという、動機がよく分かりませんでした。
全体的に見たときに、人間というものの、「耐える強さ」が印象に残りました。現在の我々であれば、その風景を見ただけで、多分「ああ、嫌だ」と思うのですけれど、現実には、耐える力とか、強さとかを持ち続けて、その中で50年生きてきた人も、大勢いると思うのです。その辺を、もうちょっと見せていただけたら、現代の物質文明の中に浸りきっている若者に、何かを与えることもできたのではないかと思いました。また、戦後、封印された歴史の1ページを引き出したことに、非常に感銘を受けました。
移民した一人ひとりに、色々な歴史があるということと、アマゾンの風景が、非常に感動的でしたが、その一方、見ていて辛く思ったシーンもありました。きれいな夕日の中で、「失った50年」云々というナレーションがありましたが、一人ひとりの歴史は「失った50年」ではなかったような気がするのです。一人ひとり生きてきた、その生きざまというのは、やはり頑張って耐えてきた一人の人生の50年で、「失った」というナレーションが非常に辛く感じました。
ほんの何秒間、映っていた移民した方の顔が、夕日にキラキラ輝き、すごく印象的であっただけに、ナレーションがちょっと違うのかなと思ったのと同時に、出来れば私自身も失った50年ではないような生き方をしなければいけないなと、自分を叱咤激励したシーンでした。

大変ご苦労なさって、今の若い人たちが、ほとんど知らないようなことをブラジルまで行ってドキュメント番組として、おまとめになったことは、大変意義のあることだったと思います。
ただ、番組をつくる一つの大きな目的といいますか、何を目標にしているかということが、少し甘かったな、という気はいたしました。特に、番組全編の1時間半を、これで引っ張るというのはかなりきついなという気がいたしました。きょう改めて28分にまとめたものを見させていただきますと、これならいいのではないかという気もいたしました。
大変ご苦労なさって撮られた映像ですから、カットされるに忍びなかったのだろうと思いますが、コンパクトにまとめていただくと、よりインパクトのあるものになったのではないかと思います。漠然とブラジル移民というものを、紹介するのではなく、第一陣がいかに苦労したかという、そのことを淡々と記録映像として示された方が、もっと素晴らしいものになったのではないでしょうか。
実は、私の親戚に戦前の移民でブラジルに行ったものがおりまして、大変苦労したということを聞いておりました。移民というのはそういうものか、と思っていたところ、戦後になって向こうで成功して素晴らしい生活をしている人たちの話を聞くと、移民も捨てたものではないのかな、と逆に思ったりもしました。
この番組を拝見しまして、戦争という中断があって情報不足のところへ送り出すというときに、やはり最初は、こんなことだったのかなという気がいたしました。あのニタニタしてしゃべっていた外務省の役人の態度は、どう見てもいただけないものですけれども、外務省の立場としては、ブラジル移民全体を、戦後第一陣と同じように受け取られては困るよ、という考えだったのだと思います。ですから、番組全体を第一陣の苦労ということでおまとめいただいた方が、もっと説得力のあるものになったのではないかと感じました。

私も、制作意図がちょっと不明なのかな、という気はいたしました。これが、埋もれていた戦後史をみんなの前に投げ出すのだ、という意図で作られたとすると、それは成功しているのではないでしょうか。皆さんもそうですし、私自身も、このような忘れていた移民問題についてスポットを当てて、注目を集めたという点では非常にいい番組だったと思います。
ただ惜しいのは、もう一歩突っ込むと、日本の外務省によって先導された日本の移民政策を検証するというところまで入れたのではないかという点です。つまり、現代の外務省問題、あるいは日本の国のあり方、政策のあり方に対する一つのサジェスチョンであり、批判であるということができたのではないかと思うのです。そうなると、もっと面白い番組というか、より効果的な番組になったのではないかと思います。
当時の移民政策というのは、どういう経緯で決められたのでしょうか。日本の中で人が余っているから、外国に出して何とか食べていけるようにしようという政策だったのか、ブラジル側に開発要員として日本人が欲しいと言われたのか、その辺が番組ではよく分かりませんでした。戦前、戦中のブラジル移民は、移民会社が労働力を確保するために、日本から連れて行ったというナレーションがありましたけれども、戦後の移民政策はどうだったのでしょうか。
日本のあらゆる役所、特に外務省に、国民の生命と財産を守る「国益」という概念がありません。これが、今大きな問題だと思います。外務省だけではなくて、いろいろな政策決定の過程を見ておりましても、日本人の生命と財産を守る、国の利益、「国益」を守るということに対して、遠慮がちなのか、意識にないのか、対応が不十分です。ブッシュさんほど国益を前へ出さなくてもいいと思いますけれども、やはり国の政策としては国益というものを前へ出していくべきではないのかと思います。
国益という概念からすれば、たとえブラジル政府から呼ばれて、移民を日本から出そうとするにせよ、ちゃんと現地を調査して、行った人たちが本当に生活できて、その人たちの命を守れるのかということを確認してから出すべきだと思うのですが、十分にそういったことがなされてなかったようです。外務省はただ、外国へ出さなければならない、あるいはブラジルから呼ばれているという事情に対応するだけです。そうすることで点数を稼ぐというのが、外務省をはじめ各役所の倣いとなっているのだと思います。
行った人が幸福になろうが、豊かになろうが、どうなろうが、それは評価の対象にならないのです。本来の政策としては、国益が評価の対象となるべきだと思うのですけれど、そうはなっていないために批判が集中しているのだと思います。そうした側面が、番組に盛り込まれていれば、さらに面白いものになったのではないかと思います。
例えば、この間の中国・瀋陽の領事館への駆け込み事件の問題でもそうですけれども、外務省というのは、中国派と称する人は、ずうっと中国派でいて、最後は中国大使になる。そうなると中国政府に楯突くようなことを言う人は、絶対中国派としては偉くなっていけません。つまり、日本の国益ではなくて、中国の国益を一生懸命守るということになっています。それが、今の外務省の一番大きな問題だと言われています。そういった意味で、もう一遍、我々も国益ということを考え直さないと、大変なことになってしまうのではないかと思っています。
こうした問題は、外務省に端的に現れていますけれども、あらゆる政治家、あるいは各役所について見てみましても、「国益」などという概念は全くなく、このままでいいのかなと思っています。もう一歩突っ込んだら、この番組は、そういった批判、深いところの問題点を指摘できたのではないかと思っていますので、また続編をおつくりになるのでしたら、その辺を考慮に入れていただければいいのではないか、と思います。

ブラジル移民があったのは存じ上げていたのですが、その内実は全く知らないところでした。ブラジルという日本の数十倍の広さのところで、50年前の事実を掘り起こして、この17家族を探された、その努力には本当に敬意を表したいと思います。
それと、もう1点、この番組の二つ目のねらいである、外務省に限らないと思いますけれども、官庁の体質というところを浮き彫りにしていました。これも、ある程度は成功していると思うのです。ある種の政策を打ち出して、それを進めるために正確な情報を与えず、それを覆い隠すようなことを繰り返していた体質が、今も昔も変わらないというところは、よく描かれていたと私は思いました。
ただ、ふたつ疑問が残りました。ひとつは、これは葬り去られていたというより、葬り去るようにさせられてしまったのではないのかということです。もうひとつは、番組の中でも紹介されていましたが、当時の新聞に脱耕の話が出ていました。もうちょっと大きく当時のブラジル移民の現状が報道されていれば、その後の政策決定に大きな影響があったのではないかと思います。それがなぜできなかったのだろうか、というのが、ふたつめの疑問です。
この番組は、1時間半ぐらいなので、そこまでは無理だったのだろうと思いますけれども、もし続編をつくられるのであれば、そういうことがなぜ起こってしまったのか、あるいは、それは、今も同じなのではないか、というところを突っ込まれたら、さらによい番組になるのかな、と思います。

私も、ブラジル移民というのは話では聞いてはいましたけれど、実態はほとんど知らなかったので、大変いい勉強させていただいたと思います。特に私は若い人たちと接する機会が多いのですが、今の若い人たちは、現代史、20世紀に入ってからの歴史を本当に知らないのです。この間もちょっとびっくりしたのですけれど、あるお店で、若い女の子たちが「日本とアメリカって戦争したんだってね」などと話しているぐらいなのです。これは、極端な例かもしれませんけれども・・・。
学校の歴史の授業では、大体、明治とか大正ぐらいまでくると学年末の3月になって、授業時間がなくなり、あとは自分たちでやっておけ、となってしまいます。中学校でも高校でも、それが繰り返されるので、本当は一番大事ではないかと思う、近現代史がすごく弱いのです。
ブラジルで苦労なさった方々の生の声を聞く機会というのは、私たちにはほとんどないですし、もう随分ご高齢になっていらっしゃるから、早く聞いておかなければなりません。この番組によって、そういうことを、映像にして見せていただいたことや、1950年代の報道の映像なども見せていただいたことも、記録として非常に貴重だと思っています。
せっかくビデオをいただいたので、学生たちにも見せてやりたいなと思うのですが、やはりそのときに、ブラジル移民ということについての、もう少し客観的な紹介といいますか、事実関係とか背景について、もう少し踏み込んでいただいたら、さらにいい教材にもなったのではないかと思います。でも、いい番組を見せていただいたと思います。

評価すべき点としては、非常に長い時間をかけて丹念に、しかも具体的な生の話をよく取材をされたな、ということです。そういうものを通じて、ブラジル移民の実態をほとんど知らない若い人たちに対して「当時、こういうことがあったんだよ」ということを、知らせるということができたことは、意味があると思うのです。
ただ、色々な要素が含まれていて、一つひとつは、もちろん事実だと思うわけですが、個人にかかわる問題と、政府といいますか、外務省にかかわる問題とが入り交じっているのです。ちょっと拝見した限りでは、そういった様々な素材を、もてあましてしまったという印象を受けました。それぞれがインパクトの強い話ですから、括り方にちょっと問題があったな、という気がします。
つまり、ブラジルに移民した人を被害者としてとらえると、誰かを加害者にしなければなりません。そこで外務省を加害者として描く。あるいは「忘れられた」という言葉が、何度も出てきます。タイトルがそうだし、80分の間にしきりに出てきます。また、「(彼らの叫びを)聞かなかった」という言葉も頻繁に出てきました。要するに、見ている人たちに対して、「外務省と視聴者、あんた方が加害者だぞ」と言っているように思えてしまうのです。
ブラジル移民の実態を、知らなかった方もたくさんおられるだろうけれども、知っている人もいるわけです。当時ブラジルだけではなく、南米に移民された方が相当苦労されたということは、私などはよく知っています。なぜよく知っているかというと、たまたま私が学生時代に私の学生仲間が、ある総合雑誌に投書をして、それが掲載されたのですが、その記事の見出しが「移民を棄民にするな」というものでした。昭和30年の半ばぐらいの時期ですが、当時はそういう問題意識があり、さきほど紹介があった新聞にも、そういった現状が出ているのです。
たまたま今年が、戦後の移民が始まって50年ということで、「さんとす丸」を紹介されたのでしょうが、では戦前の移民は苦労しなかったのか?あるいは、第2陣以降は苦労しなかったのか?この人たちだけがだまされて行ったのか?というような疑問も、わいてきます。そういう具合に、せっかくいい素材でありながら、善玉悪玉のパターンにしないと収まりがつかないような作りになっています。
さきほどから幾つかご意見が出ていますけれども、21世紀の初頭に立って、戦後史の再検証という視点から、今日の日本の繁栄がどういう基礎の上にできてきたのか、というようなことをしっかり考えておこうじゃないか、というような作りにしてもらうと、素直に受け止められたと思うのです。
「忘れられた」「彼らの叫びを聞かなかった」と、こういうふうにだけ言われてしまうと、せっかくいい素材でありながら、違和感も起きてしまうな、というのが私の印象です。

先ほどもお話がありましたが、今はもう戦争自体を知らないという世代が、増えていると思うのです。私なども、戦後生まれで、戦争のことを知ろうと思うと戦争体験者の方のお話ですとか、いろいろな本とか新聞、その他のメディアを通じてしか戦争というものをとらえることができません。そういう意味で、第1回のブラジル日本人移民を戦争の傷跡としてとらえた場合、こういうこともあるという事実を知らない世代に伝えるという意味で、非常に意味がある番組ではないかと思います。
今現在、サッカーで、若い人が沸いていますけれども、国際社会は大変なことになっていますし、日本に目を向けても有事立法とか、いろいろな動きもあります。また、外務省問題は目を覆うばかりの状態です。
ただ戦争がいけないというだけではなくて、どのようなことが現実に起こったかということを、事実として若い人に知らせていくことが大事なのではないかと思います。そういう意味で、こういう番組を、これに限らず戦争のもたらした様々な側面を、取り上げてほしいと思うのです。
ただ、皆さんおっしゃいましたように見終わった後で、意図は何であったのかな?と感じるところがありました。私などの世代になると、ブラジル移民の実態を詳しくは知りません。どういった経緯で、外務省がどういった呼びかけをして、どういった人を対象に移民を募ったかと、そういうことすらも知らない人がすごく多いと思うので、そういう情報を、もう少し伝えていただくと、より分かりやすかったのかな、というふうに感じました。

私は、もともと記録ものが大好きなものですから、この番組も、とにかく大変面白く、興味深く視聴させていただきました。特に私のことを申し上げて恐縮ですが、私の父親は京都大学を卒業して、すぐ旅順工科大学の助教授で赴任いたしまして、その後間もなく結婚して、私は旅順で生まれたのですが、母親の里が神戸でしたので、大連の埠頭と神戸の港の間を赤ん坊のときから小学校に入るころまで、よく行き来しておりました。
ですから、ああいう港の風景などは、自分の心に焼き付いているのです。当時、大連とか旅順というのは、遠い所という印象はあるのですけれども、日本にもないような西欧風の非常に近代的な町でした。しかし、それでも私の母親は「早く内地に帰りたい」ということをしょっちゅう言っておったのを今でも覚えております。船で二昼夜ぐらいで行き来できたのですが、それぐらいでも「内地に帰りたい、内地に帰りたい」ということを言っていました。大連、旅順でそうですから、ましてアマゾンというところへ行くというと、大変だったろうなと思っております。
それで、こういう記録物についてお話させていただきます。他局のことを言うのは、ちょっと失礼なのかも分かりませんけれども、NHKの『プロジェクトX』という番組があって、これは非常に感動をしたとか、面白いというので評判で、評価する人も多いのですけれども、直接そのテーマの中身を知っている者から見ますと、大変偏った内容になっているものが多いのです。
本当に苦労して、その人の努力がなかったらうまくいかなかったような人の名前が全く出てこないで、ほんの3、4人にだけ焦点を当ててストーリーを作っているわけですね。ですから、仕様がない面もあるのですけれども、危険な面もあります。
私が知っているだけでも、オムロンのときには、自動改札機を開発するのに一番肝心のソフトの開発に散々苦労して、彼のその設計がなかったらできなかったのですけれども、その方の名前も出てきませんでした。また、浅間山荘事件のときも佐々淳之さんがカンカンになって怒っていましたが、そういうものを見ますと、こういう記録物は、制作者があまり自分だけの考え方でストーリーを作ってしまうと、大変危険な面があると思っているのです。
私にとっては、昔の記録、あるいは、その場面を記録したフィルムその他を見せていただくだけで、もうそれが値打ちと思って面白いのですけれども、意図はともかくストーリーを制作者側が独断的にお作りになると大変危険だという印象を持っているのです。
そういうわけですから、面白かったという以外には、あまりお役に立つような意見は申し上げられないのですけれども、1年半ぐらい前に神戸で写真の乾板が見つかったのが契機だということですが、写真乾板が1000枚も、あの大震災でよく割れもせずに残っていたものだなというような、まあ冷めた感想を持ったということでございます。
  • 平成14年度読売テレビ番組審議会委員
  • 委員長    熊谷信昭   兵庫県立大学名誉学長、大阪大学名誉教授
  • 副委員長    馬淵かの子   兵庫県水泳連盟   顧問   元オリンピック日本代表
  • 副委員長    川島康生   国立循環器病研究センター   名誉総長
  • 委員    秋山喜久   関西電力株式会社  顧問
  • 委員    金剛育子   能楽「金剛流」宗家夫人
  • 委員    林  千代   脚本家
  • 委員    阪口祐康   弁護士
  • 委員    佐古和枝   関西外国語大学教授
  • 委員    北前雅人   大阪ガス株式会社   代表取締役副社長執行役員
  • 委員    谷  高志   読売新聞大阪本社   専務取締役編集担当