第432回 番組審議会議事録
1.開催年月日 |
平成14年5月10日 | |
2.開催場所 | クラブ関西 | |
3.委員の出席 | 委員総数 | 11名 |
出席委員数 | 8名 | |
出席委員の氏名 | 大島 靖、秋山喜久、林 千代、馬淵かの子、 阪口祐康、佐古和枝、老川祥一、川島康生 |
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欠席委員の氏名 | 熊谷信昭、金剛育子、野村明雄 | |
会社側出席者 | 土井共成(代表取締役社長)以下11名 | |
4.審議の概要 | ||
番組審議会では、「個人情報保護法案」「人権擁護法案」「青少年有害社会環境対策基本法案」について審議を行い、以下のように意見を集約し「議事のまとめ」として公表した。 『3つの法案が、それぞれ目的とする「個人情報の保護」「人権の擁護」「青少年の健全育成」という主旨は社会的な意義があり、その目的を達成することは国民・市民にとって重要なことです。読売テレビ番組審議会は、放送法に規定されているように、適正な放送が実現されるように、つとめる役割を持っており、これまでも「個人情報の保護」「人権の擁護」「青少年の健全育成」などに十分に配慮するよう、放送事業者に求めてきました。 放送による人権、プライバシーの侵害や、集団的過熱取材、また、青少年への影響などについて、様々な指摘がなされていますが、一方で、それらの解決に向けて、様々な対応策も実施されています。全国的には「BRO(放送と人権等権利に関する委員会機構)」や「放送と青少年に関する委員会」が設立され、活発な活動が始められているほか、読売テレビにおいては、過去の事例を具体的に指摘し注意を喚起するために番組制作者に向けた「放送用語ガイドライン」「報道・番組制作ガイドライン」などの作成、「考査研修会」の実施、また「青少年特番」の編成や「こども番組審議会」「番組づくり体験講座」の実施など、多方面にわたって、自主的な努力が積み重ねられつつあります。 21世紀の政治の基本的な方向は規制緩和にあり、可能な限り規制を撤廃して国民・市民の自主的な判断に委ねようとの大きな流れの中にあります。その時代の流れに添って、適正な放送が実現されるために、番組審議会として、今後より一層の努力をしなければなりませんし、放送事業者には、更に一層の努力を求めるものです。』 |
【議事録】
●(社側)きょうは、話題になっています、いわゆる「メディア規制3法」についてのご議論をいただきまして、番組審議会としてのご意見を承りたいと思っております。各テレビ局の番組審議会でも、それぞれいろいろ議論をいたしまして、声明を出すとか、意見を集約して、まとめて民放連へ提出するとか、そのような手続きをしております。読売テレビといたしましても、番組審議会の委員の方々のご意見を承りまして、私どももよくよく、そのようなことを頭に入れて、今後、取材あるいは番組制作に進んでまいりたいと思っておりますので、本日はよろしくお願いいたします。
●(社側)それでは本日の審議に入らさせていただきます。本日は、特定の番組を視聴、合評していただくのではなくて、このところ我々のテレビ番組や新聞などでも盛んに報じられております、メディアを規制することになるのではないかと心配されている幾つかの法案について、皆さまのご意見をお聞かせいただきたいと考えております。 法案の概要につきましては、のちほど若干補足的な説明をさせていただきますが、メディア側が特に問題にしております点については、コンパクトにまとめたVTRがございます。きょうはこの番組そのものを合評、ご審議していただくわけではございませんで、いわゆるメディア規制3法の問題点を具体的にまとめておりますので、これをご覧いただきまして、ご審議の参考にしていただければと思っております。
<VTR 視 聴>
今、見ていただいたVTRだけを見ますと、メディア規制だけをねらった法案というふうに思えるわけなのですが、本来この3法案の目的、一つは、IT化のもとで個人情報が流出して悪用されることを防ごうというもの、もう一つは、独立した人権救済機関を設けて、さまざまな人権侵害、差別や虐待から人々を守ろうとするものであります。そして三つ目は、青少年の健全育成のために社会環境を整えよう、というわけでありまして、この趣旨にはメディア側も異論はないわけです。 しかしながら、なぜかこれら法案が具体化していく段階で、3法案ともに共通してメディア規制の要素が強くなってきたという印象を私たちは受けています。 人権擁護と個人情報保護の2法案については、実質審議に入ろうとしているのですが、自民党の中にも一部には、今国会で成立させるのは無理かな?という雰囲気も出てきているようです。しかし、今のところは、あくまで成立させたいという姿勢を示しています。 それから、もう一つの「青少年有害社会環境対策基本法案」については、当初から何を基準に有害とするのか、そして誰がそれを判断するのかという問題がネックになっておりまして、与党の中でも公明党が「表現の自由との関係で問題がある」という慎重な姿勢を示しておりますし、政府としても「内容が十分議論されていない」として、今国会提出は見送るということが決定的です。 私たちも「メディアに行き過ぎがある」「なんとかしてほしい」という声が社会に強いということも十分認識しております。適正な番組を放送させていただくために、まず第一に、この番組審議会で、常にご審議をいただいています。さらに、先ほどのVTRに出てきましたが、NHKと民放が協同して「BRC・放送と人権等権利に関する委員会」、それから、「放送と青少年に関する委員会」、この二つの第三者機関を軌道に乗せております。この3法は、これらの自主自律の取り組みを、阻害するのではないかということを、私たちは非常に心配しております。 これらの点をご理解の上、ご審議いただきまして、出来れば本日、3法に対する、この審議会のご意見を何らかの形で集約していただければ幸いでございます。そして、その集約されたものを、先ほど土井社長が申しましたように、民放連等に報告させていただきたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
●それでは、これから各委員の皆さんのご意見を承りたいと思いますが、きょうはこの審議会としての意見を、ある程度まとめなくてはいけないようです。先日いただきました資料によりますと、各地のテレビ局の番組審議会も、それぞれ意見を集約しております。ただ、意見のまとめ方として大体三つのタイプがあります。 第一のタイプは、日本テレビとか山形テレビ、高知テレビの番組審議会で、これは、この3法案絶対反対、表現の自由を損なう心配があるから絶対反対という非常にはっきりした意見であります。 それから第二のタイプは、テレビ東京の番組審議会、これは番組審議会としての意見は別に集約しないで、委員の先生方のご意見を並べて書いてあるだけであります。 それから第三のタイプは、在京テレビ局の番組審議会のご意見で、これは政府の規制もさることながら、やはり国民の自主自律の努力に待つべきであるという点を強調しておりまして、殊にこの番組審議会の機能、職責、使命というものが非常に大事だということを強調しています。同時にまた、放送界自体も、さらに一段の努力が必要だと、こういうふうなことを強調しております。 大体、この三つのタイプにまとめられてあるようでございます。これから各委員の皆さま方のご意見を承りますが、審議会としての意見を取りまとめるにつきまして、あるいは最終的に委員長の私にお任せをいただきたいというようなことになるかもしれませんけれども、その節はどうぞよろしくお願いしたいと思います。
●私がこれらの法案に対して感じたのは、自分たちにとって都合のいい法案を、通していこうとしているような気がして、「悪い奴ほどよく眠る」ための法案ではないのかな、と思うのです。日本のごく普通の人たち、テレビなどのメディアに顔がのるほど、いいことも悪いこともしない人たちにとってみれば、個人情報がどうのこうのというようなことは、第三次的な出来事ではないかと思います。 そういうことから考えれば、知る権利、表現の自由というのは、今現在のままの形にしていただいたほうがいいと思います。そうでないと政治家が、どのような悪いことをしているのか、何をしているのか、ということを誰が教えてくれるのでしょうか。 今までメディアが暴いたり、告発して「悪」が明るみに出て「あっ、そういうことをしていたのか」と一般国民に知らされることが多かったと思うのです。時には行き過ぎがあったかも知れませんけれども、権力をチェックすることが、メディアの大きな役目のひとつであり、メディア側の人たちは、一つの信念を持って報道しようとしておられたと思います。 次の段階で、人権の擁護を、どういう形で法案にしていくかということになると思うのです。先ほどのVTRで、松本サリンの出来事があったときに、何でもない一国民が、たまたま農薬が自宅にあったことが報道されたことによって、犯人にされ得る、という例が紹介されていました。あの時の報道によって私たちは「やっぱり犯人やった」というふうに一時思いました。普通の人が、あれだけの薬品を持っていることはあり得ないと思ったのです。その後、疑いが晴れて、人権の擁護という議論が出てきましたが、救われるための一つの手段として、人権を擁護する法律は大事だと思うのです。しかし、行き過ぎは問題になると思うのです。 私は、過去に教育映画の脚本を何本か作ったことがあるのですけれども、脚本ができた段階で、映画の製作にかかわっている方たちに決定稿を見せたところ、根底から「駄目だ」と言われたことがあるのです。例えば、その人が「どこから来たの」「出身校はどこなの」ということを聞いたら駄目だと言うのです。つまり、どこの出身であるかという場合、大阪とか、滋賀とか、京都…ここまではいいのですが、地区はどこ、学校はどこということを聞くと、これは人権擁護の立場からすると、プライバシーにかかわる問題なのです。 そういうことを事細かに規制されていくと、娯楽とか、バラエティーとか、ドラマとかいうものが成り立たない部分もあるということを考えたときに、個人情報、人権擁護、青少年問題を含めて、誰がそれを判断するか、判断側の人間の問題が大きなポイントになってくると思います。判断する側の人間が、どこに線を引くかが問題になってきます。これを、法律で決めていくことになれば、個人による判断のバラツキをなくすために、かなり細かくいろいろなことを決めていかなければならないと思うのです。 だから、あまりこういうことに関して、がんじがらめに決めていくことは、行き過ぎではないか、と思います。ましてや、この法案を自分たちで都合のいいように決めようという人たちがいて、その方向に走っているような懸念を抱いていまして、成り行きを危惧しております。
●私は放送の専門家ではないので、今回の問題はちょっと難しいのですが、何がどうしても反対という感じではないのです。けれども、放送界が、今までにいろいろな機関をおつくりになって、自分たちを律していこうとする動きが出ているというのは、先ほどのVTRで見てよく分かりました。 放送界も行き過ぎがないように、番組を進行なさる方が自粛する一方、やはり「報道の自由」と「知る権利」というのもやはり尊重しないといけないと思います。こういう法律をつくってお国が規制するなどというのはとんでもないなと、思います。このやり方は中国とか、旧ソ連だとか、旧東ドイツの規制と、そんなに変わらないのではないかとか思いました。 ですから私は、こういうことは、今までどおりやったらいいのではないかと、そう思っています。
●先ほどのVTRを拝見していますと、報道の定義を総務大臣がするとか、しないとか、割り合い末端的なこと、あるいは、これは悪いやつの希望でやっているのだというふうな言い方がされていました。そういう面もあるかと思いますけれども、この問題はもっと国民にとって重大な問題だと思います。 報道の自由、知る権利という話、これは国民にとっては非常に大切な権利です。一方、プライバシー、人権保護というのも非常に大事だと思います。 現在は、インターネットが普及したことによって、自分は匿名のままで多くの情報を、同時に大勢の人たちにに流して、その人の人格を抹殺してしまうということが可能な時代になってきています。 人権の保護を考える上で、我々が一番心配しておりますのは、報道以外にプライバシーを侵す媒体が増えてきている状況の中で、それをどうするかという話と、報道の話を一緒にしている点です。おそらく報道以外の、インターネットなどの被害を受けた方は、当然そういうものは「規制してくれ」と言うと思います。しかし、それは報道を規制しろという話ではないと思うのです。その辺は、ある程度区別して考えていく必要があるのではないかと思います。 また、報道については「誤った報道」とか「行き過ぎた報道」ということが問題になっていますので、これに対しては、報道側で自主規制するなり、反省すべき点は、こういうことだと国民に訴える必要があるかと思います。 昔は、一つ間違った報道をすれば報道機関としての名誉が侵されるのだ、という意識を強く持って、非常に厳しいチェックをして取材をしておられたけれども、このごろは、どっちかというと「まあ、売れればいいわ」といったら失礼かもしれないけれども、商業主義的になって、間違っていても「それはそれでいいわ」というふうな感じになりつつあるというのは確かだと思います。 そういった意味で記者の方、あるいは取材側が自分自身で、自分自身を規制して、自分でやっていくということも必要だと思います。 それから、外国ですと報道機関を規制するのではなくて、個人を保護するという考え方をとっています。確か英国では間違った報道、あるいはプライバシーに関する情報を流したならば、とてつもない賠償金の支払いを裁判所から命じられるという形で、個人側を保護する法体系になっています。「報道のほうは自由ですよ」としていますが、しかし、それが間違ったことをやった場合、あるいは、プライバシ?を侵した場合は、裁判所から非常に高額の賠償金を命ぜられるという形で、社会的な整理を行うという方式もあると思います。 これは非常に大切な問題で、ある意味では二律背反の面もあるし、ある意味では、どっちかで割り切れる問題もあるかと思います。けれども、今回出てきたこの3法案については、やや拙速ではないかなと思います。その辺の議論を十分した上で、報道を除外するのであれば、きちっとそれに対する担保がいるでしょうし、報道を入れるのであればどうするのか、明確にするべきです。あるいは逆に、被害者救済のほうに力を入れていこうということでやるほうがいいのかどうか、国民的な議論をしていく必要があると思います。 3法案絶対反対というと、番組審議会の知性に欠けるような気がいたしますし、さりとて、これでいいよというのも、また知性に欠けると思います。知る権利とプライバシーの保護と、この両方とも国民にとっては重要な権利であるので、これをバランスさせていく方法について、もっと広く議論をした上で法案をつくり、必要な部分については規制をしていくということで進めるべきだと思います。慎重審議といいますか、もっとよく国民的な議論をしたほうがいいのではないかというふうにまとめたほうが、大島委員長らしい回答になるのではないかと思います。
●個人情報保護法は、そもそもは行政の握っている個人情報を、いかに保護すべきかというところから検討が始まりました。しかし、名簿業者などが出現してきて、民間が個人情報を利用するという範囲を越えて悪用するというケースも見られるようになったために、行政だけではなくて、そういうものを規制していこうという趣旨だったはずです。その限りにおいては社会的な必要性があると思うのですが、それが報道の問題とごっちゃになってしまいました。何から何まで、この三つの法律で、括っていこうというところに、そもそも無理があると思うのです。 報道に関していえば、私自身は報道に携わっている立場ですから、特に感じるのですが、この法案は極めて危険極まりないものです。先ほどのビデオにもありましたように、適正な方法であるとか、規制の目的であるとか、言葉だけを見れば、もっともらしいのですが、問題は適正かどうかを誰が判断するのかということです。 それを行政当局が判断するというようなことも、もちろん問題であるし、それから取材を受ける側が、「これは適正じゃないよ、だから答えないんだ」と、取材拒否をする根拠にもなります。そうなると、ほとんど報道に先立つ取材が成り立たなくなってしまうのです。 何か事実を報道しようという場合には、当然、ご本人に確認します。本人が肯定するか否定するかは別にして、少なくとも本人に当たってみるということが、報道の取材の基本ですけれども、会うこともできなくなってしまうわけです。 つきまといとか、待ち伏せとか、ここに書いてある表現は、ストーカー防止法の表現と全く同じです。要するに取材行為と、ストーカーの行為を同一に解釈しています。こういう姿勢で規制をしていこうというのは、とんでもない話で、この法案の作成の前提になる、政府の研究会だか審議会だかには報道に携わっている人はほとんど入っていません。漠然たる印象で議論をされて、それが行政側の思惑とうまく合致して、ここらは想像ですからこれ以上申しませんが、こういう法案になってしまっています。本来の目的に限定した法律であれば、これは必要だと思いますが、これは、誠に問題が多い法案だと思います。報道規制にかかわっている部分は、全く承服できないという立場であります。 ただ一方で、過剰な取材というか、誰が見ても「問題があるな」というような取材があり、ご当人が非常に迷惑を受けたということも実際に起きているわけです。特にテレビの場合に気をつける必要があるのは、人数が膨れ上がってくるという問題です。新聞であれば一人で取材できるものが、テレビとなりますと、カメラが必要になってくる。スチールカメラではなくて、ムービーということになると、バックアップ体制も含めて5、6人から、もっとになるかもしれません。これが1社だけならともかく、数社となりますと、それだけで相当な人数になってしまいます。 そういうようなところで、足がぶつかったり、カメラがぶつかって怪我をしたというようなことが現実に起きているわけなのです。整然たる取材ということは当然必要になってきますし、そういう努力はしているはずなのですが、時として、枠を越えてしまうとことが起きているわけで、そういう問題があることは間違いありません。 しかし、そういう問題に対しては、法律で決めるのではなくて、自主的に決められる話です。現に裁判の取材などでは、最近では、関係者の出入りについて整然とした取材が行われるなど改善されてきています。そういう具合に法律ではなくて、自主的な努力で問題を処理するという筋合いの話だろうと思うわけです。 それから、取材上の行き過ぎという問題とは別に、一つの情報を、面白ければいいと言いますか、興味本位、娯楽的に人のプライバシーを書き立てるような、これは私から見ると報道とは思えないのですけれども、そういうエンターテインメント化の問題があります。見る人は、それを面白がって見るのですが、しかし、ご当人にとっては大変な苦痛であるという問題も現にあると思います。しかし、これも法律的に規制をしていくというのではなくて、自主的に相互批判の中で、解決されていかなければいけない問題だろうと思います。 結論的には、法律で、こういったものを規制するということについては、私は絶対に反対なのですが、ただ、番組審議会として何を言うべきかということになれば、いかがでしょうか。法案についての見解は、各委員によって強弱いろいろあろうかと思うのですが、まずは何はともあれ、法案そのものに対して一つの共通する部分を表明すると同時に、我々は週刊誌とか新聞とかを審議するのではなくて、放送に対して、我々なりの見解を申し上げるということだと思います。 それから、番組審議会の役割は適正な番組が放送されるというためにあるので、番組審議会自身として、そういう自主努力の一端を我々自身が担っているという、我々自身の心得といいますか、そういうことを言えばいいのではないのかと、いうのが、私の意見でございます。
●この3法案については、幾つか問題点があるのですけれども、大きく3点にまとめられると思っております。 第1点は「公」権力、国家による人権侵害が問題となる場面と、市民間、「民」の間での人権侵害が問題となる場面では、当然、判断の枠組みは変わってくるものですけれども、この法案では、そこが区別されていないというところが一番大きな問題だ、と思います。 確かに市民間では「プライバシー」と「表現の自由」という、それぞれの権利の間で利益調整が必要になってきます。そこでは、問題になっているプライバシーの性格とか、あるいは報道の必要性とか、そのような個別的な事情で調整が図られます。 それに対して、公権力による人権侵害という場面では、民間の人権侵害とは全く判断の枠組みが異なっていまして、公権力が人権を制約するのは必要最小限度でなければならないというふうに考えられています。 ところが、これらの3法案は、そのことが反映されずに個人の情報の保護を、公権力に求める基準で民間のほうも規制しようとしています。そこに、これらの法案が過剰規制だと言われる根本原因があると、私は思っております。これが第1点です。 第2点目は、これも法律の世界では常識的な話なのですが、法律と道徳は区別されなければなりません。かみ砕いて申しますと、民主主義といいますか、自由主義というのは多様な価値観を共有するのが原則です。多くの人が「これは嫌だ」と嫌悪感を持ったとしたとしても、それをもって人権制約を正当化する根拠とすることはできません。嫌悪感はあくまで道徳の問題です。法律で規制できるのは、道徳による嫌悪感ではなくて、「人権侵害があった」という事実が必須の条件だというのが、法律の世界での常識であります。 特に表現の内容、あるいは価値観を理由に国家が規制する場合は、慎重でなければなりません。それは、多様な価値観を共有するのが民主主義の原則だ、というところに帰着するわけです。 人権擁護法案は差別的表現という表現の内容の問題ですが、これを公権力が規制しようとする法案です。あるいは青少年有害社会環境対策基本法案なども、まさに表現の規制に関する問題であります。本当に人権侵害があり、規制することを正当化できるだけの事実があるのかがポイントですが、これらの法案は、そこが区別されていないのではないかと思います。そこまで規制することを正当化できる理由はないのではないのか、というのが第2番目の問題点だと思います。 3番目の問題点ですけれども、民主主義国家は結果が正しければいいという問題ではなくて、そこに至る手続きというのも適正でなければなりません。特に公権力が人権を制約する場合には、適正な手続きが保障されなければならないというのも、これまた大原則であります。 そうしますと、これらの法案は、先ほどVTRでも触れられていましたが、まず判断権を持った者が果たして中立なのかというところと、結論に至るまでの過程で規制を受ける側が、十分に自己の主張を展開できるだけの手続きが保障されることが必要になってくるのですけれども、この法案では、その点が欠けています。 具体的に申しますと人権擁護法案で、例えば、メディアスクラムの問題が取り上げられ勧告が出たとします。しかし勧告については、取り消し訴訟が提起できないというのが、政府の答弁なのです。そのような形で、適正な手続きが保障されているといえるのか、というのが3番目の問題だと思います。 結局のところ、人権は誰の手によって守られるべきものなのか、と考えますと、決して公権力によって守られるべきものではないというのが、基本だと思うのです。あくまでも人権は国民、市民と言い換えてもいいですが、一人ひとりの力で守るべきものであって、決して公権力によって守られるべきものではないと思うのです。 この人権擁護法案は被害を受けている者が、自ら被害を救済できないというところに、その正当化の根拠があるように言っております。しかし、基本はあくまでも自らが自らを守るということであれば、直ちに国が守るというのではなくて、声を上げられない人が上げられるように、基盤をつくっていくというやり方のほうが本筋ではないかと思います。 具体的に言いますと、これは、私どもの業界の反省も含めてですけれども、弁護士の数を増やして、もっと低額の料金で人権擁護の手続きをやれるような形をつくっていく方法もあり得るのではないのかと思うわけであります。 結局のところ、場面を分けていくべきなのです。国との関係での個人情報の保護という問題と、民間との問題は明らかに違う。民間の中でも一律に利益調整が図られるべき問題ではなくて、場面場面によって、対応が当然変わってくるし、また変わってこなければなりません。 また、場面場面によって変わるといっても、直ちに公権力による規制によって守られるというやり方は、そのような方法もあるかもしれませんけれども、それは本来最終的な手段です。そこに至るまでに、自主努力もありますし、あるいは公権力の力によって救済を図るとしても、事前の規制という形ではなくて、事後の規制という形だってあるのです。さらに、間接的に損害賠償という形で規制していくやり方もあるわけで、もうちょっと細かな詰めをすべきであると思います。 最後に、番組審議会の意見を、どうまとめるかということですが、これは、いろいろ多様な意見があるかと思いますので、委員長のほうで適宜まとめていただければと思っております。
●個人情報保護法案にしても、人権擁護法案にしても、当初の目的は、それぞれあったと思うのですけれども、それがメディアの行動を規制するというところが、今、問題になっています。こういう法案ができてしまったら、すごく怖いことだなというふうに思いました。 ただ、その一方で、人権などこの法律が守ろうとしていることも、本当は大事なことなのだと思うのですが、その辺が何かごっちゃになってしまっていて、分かりにくくなっている部分があるのかなと思います。 報道の自由に関しては、政治家とか官僚とかも信用できない、と感じる事件がこれだけ相次いでくると、このような法律ができたら私たちは、そういうことを知ることができなくなってしまい、本当に怖いことだなと思いました。 もっと違う方法があるのではないでしょうか。先ほどお話があったように、自主規制とか、事後の対処の仕方とか、あるいは、イギリスのように賠償金で個人を守るとか、もっといろいろな方法があるはずです。そういう議論が尽くされているのかなという疑問もあり、何か納得できない思いがあります。ものすごく強引にこれらの法案を、通そうという動き自体も、怖いことだと思いました。 みんなが納得するのは難しいかもしれませんが、もうちょっと国民が納得できるような手続きとか、議論を踏んでほしいと思いますし、このように強引に法案を通そうという動きに対して、納得できないものを感じます。 先ほど、法律と道徳は別だというお話がありましたけれども、私たちは、こんなことまで法律で決められなければいけないほど情けない国民なのでしょうか。法律に頼らなくても、自分たちでちゃんとできるぐらいの理性は持っている国民だと思っているのですが…。
●あら方のご意見は出尽くしたと思いますが、私は少し違う立場で、発言させていただきたいと思います。私は、そもそも戦争中の育ちでございますので、報道、表現というものの自由がなくなったら、どれほど恐ろしいことになるかというのは肌で経験してきた世代でございます。今おっしゃっているような、報道、表現の自由を束縛され、あるいは規制されるような法律というのは、これはもう絶対反対でございます。 しかし、その個人情報の保護ということをスタートにしてできている法律であれば、何が何でも、この法律全部に反対であるというのは、とても言えることではないし、言うべきではありません。そこは、メリハリをつけて反対すべきところをはっきりと言わなけば誤解を招くのではないでしょうか。また、そうでなければ、少なくとも私の意図する表現ではないと思います。 ただ、報道、表現の自由を規制するものには反対であるとは申しますけれども、メディアの現状には、問題がたくさんあるとは思います。皆さん、報道の自由は国民の知る権利を守るために絶対必要であるとおっしゃいますが、それは大義名分でありますけれども、その裏には、企業の間の過当競争、先陣争いというのが明らかに見え見えになっております。そのことを、知っている人は知っておりますので、(メディア側の人が)報道の自由ということばかりをあまりおっしゃると、「なんだ、それは」というふうな気分になる人も多いと思います。 どうして、このようなことを申し上げるかというと、私自身が30数年間、心臓移植ということを一生懸命推進するためにやってまいります間に、言われてきたことだからです。「あなた方は国民の幸せのために、病める人を救うために一生懸命やっていると言うけれども、自分たちが先陣争いをしているだけではないか」ということは、よく言われたことなのです。 「そうではない」と言いましても、そういうことが、まるでないわけではないと思います。これは報道陣にとっても同じことだと思います。ここを、しっかり判断していただかなければならないと思います。 先ほど、記者が政治家に対して行っていることが、ストーカー行為と同じように言われているとおっしゃいましたが、(メディア側が)一般市民に対して、そういうストーカー的行為をおやりになっていると思うのです。こういったところに目をつぶって、政治家に対しての行為だけを例に上げて、「だから反対だ」と言われても、やはり説得力がないのではないかと思います。やはりそこは、もっと自らの規制をおやりになってからでないと説得力がないのではないかと思います。 それから、もう一つは、表現の自由ということなのですが、これも大変大事なことでありますけれども、表現の自由は、一歩誤れば表現による暴力になります。情報操作にもなります。これでいかにたくさんの人が、涙をのんでいるかということも、よく配慮していただきたいと思います。 報道している方の意見が常に正しいことではないのは、よくお分かりのとおりであります。絶対自信を持っておやりになっていることでも、間違っていることもあるわけです。その反省なしに、表現の自由は絶対大事であると言われても「そうかな、それは報道する側の理論に過ぎないのではないかな」という感じが、どうしてもいたします。 それではどうすればいいのかということになると、やはり自己規制ということしかないと、私は思います。自己規制をどれだけしたかということは、はっきり申し上げまして、我々にあまり見えてきません。「あのときに間違えたのは、ここが悪かった」と、「我々は、こう反省している」ということが、マスメディアから一般の人たちに、あまり伝えられていないように思います。 そのような姿勢があれば、マスメディアも間違うときには間違うし、そのときにはちゃんと反省をしているということが一般の人に伝わると思うのですが、そこが十分でないので、こういう法律がつくられようとするし、そういう法律に対して賛同する人がたくさん出てくるということになったのだと思います。 今回声明をお出しになるのであれば、今まで自主規制をやってきたけれども、それでまだ至らないところがあり、さらに自主規制を強めていく、あくまで自主的にやっていく、ということを強く打ち出した声明文をお書きになるのがいいのではないかと思います。 どの社会でも自らに甘いというのは共通したことでありますけれども、それでは説得力がないと思います。
●どうもありがとうございました。いろいろなご意見をいただきましたが、これを取りまとめるということになりますと、なかなか大変でございます。この3法案は、放送以外、新聞、雑誌、出版など関連する分野が非常に多いのですが、私どもの議論は、あくまでも放送だけにしぼるべきだというのが私の考えでございます。 それから私、今回のことで第一に感じたのは、この番組審議会がなめられているのではないかということなのです。番組審議会というのは、放送法にきちんとした規定があって、適正な放送を、自主的な規制によってやろうということなのです。 しかし、今回の3法案の守らんとしている法益というのは、まさにその適正な放送ということなのです。番組審議会が設置された目的は、政府の公権力による規制よりも、むしろ国民の総意による自主自律の精神による努力でやっていこうということですから、やはりこの番組審議会の努力を、さらに強化する必要があるのではないかと思います。 と同時に、こういう問題を議論しだすと、様々な意見が出てまとめるのは、なかなか大変だろうと思うのです。殊に、これから国会で論議されるだろうと思いますけれども、小泉さんというのは、なかなか議論が好きで、議論のうまい人ですから、野党の諸君が少々やっても、言い負かされるかもしれないな、と思うのであります。 そもそも小泉政権の基本方針は、政府の公権力による規制というものを出来るだけなくしていこうというのが根本姿勢だったわけですから、今回のことも公権力による規制もさることながら、しばらく辛抱して国民の自主自律の努力、すなわち番組審議会等の努力、また、放送界自体のさらに一層の努力、こういったことに待つべきではないかという感じがするのです。 だいぶん時間も予定を過ぎてまいりましたので、恐れ入りますが、お許しをいただいて委員長にご一任いただいて、成文にしてまとめたいと思いますが、よろしゅうございますでしょうか。 <一同「異議なし」の声> それでは、これから食事中にまとめまして、皆さんにご披露してご承認を賜ると、こういう段取りにいたしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
<「議事のまとめ」(4.審議の概要に掲載)を出席委員全員が確認>
●(社側)視聴者センター部から、先月寄せられた視聴者の声を報告いたします。相変わらず野球中継の苦情が多く来ておりますが、ここでは4月30日に放送された「ニュースプラス1特報」に対する視聴者の反応についてご報告いたします。これは櫻井よしこ氏、猪瀬直樹氏らに参加していただき「メディア規制3法について」討論した特別番組です。資料にも載せておりますが、視聴者の反応は、「こんな法案が法律になったら困る。メディアの皆さん頑張って下さい」という励ましと、「今までのメディアの行き過ぎが原因だ。同時に反省も必要ではないか」という批判の二つのパターンに集約されます。 この番組に対して、読売テレビには40件、日本テレビでは500件のご意見をいただきました。そのうち、法案成立に反対の意見は40%でございました。
- 平成14年度読売テレビ番組審議会委員
- 委員長 熊谷信昭 兵庫県立大学名誉学長、大阪大学名誉教授
- 副委員長 馬淵かの子 兵庫県水泳連盟 顧問 元オリンピック日本代表
- 副委員長 川島康生 国立循環器病研究センター 名誉総長
- 委員 秋山喜久 関西電力株式会社 顧問
- 委員 金剛育子 能楽「金剛流」宗家夫人
- 委員 林 千代 脚本家
- 委員 阪口祐康 弁護士
- 委員 佐古和枝 関西外国語大学教授
- 委員 北前雅人 大阪ガス株式会社 代表取締役副社長執行役員
- 委員 谷 高志 読売新聞大阪本社 専務取締役編集担当