第428回 番組審議会議事録

1.開催年月日
平成13年12月12日
2.開催場所 帝国ホテル大阪
3.委員の出席 委員総数 11名
出席委員数 10名
出席委員の氏名 大島 靖、秋山喜久、熊谷信昭、金剛育子、林 千代、
馬淵かの子、野村明雄、阪口祐康、佐古和枝、老川祥一
欠席委員の氏名 尾前照雄
会社側出席者 土井共成(代表取締役社長)以下10名
4.審議の概要
 番組審議会では、この一年間のテレビ報道をめぐる動きについて意見を交換した。
 委員からは「大教大付属池田小学校の事件の際、子供にインタビューしたことについて批判があったそうだが、報道の使命は何があったかを伝えることだ。問題は、一度に大勢が押しかけて、証言を無理に聞き出すような態度だ」「視聴者の立場から言うと、狂牛病のニュースで牛が倒れる映像を何回も繰り返してみたくはない。映像の使用を抑制することも、送り手側のモラルを示すことにつながるのではないか」など、取材方法や放送内容について指摘があった。
 また、「まったく想定していないことに対応するマニュアルはない。専門知識を持ったスタッフが集まって、刻刻の事態に的確な判断をしていかなければならない」と指揮命令システムの充実を求める意見が出されたほか「記者の質問内容がお粗末だ。もっと考えて取材をして欲しい」と、現場の取材記者に対しても厳しい声が上がった。
 この後、11月に寄せられた視聴者からの意見や抗議、苦情などについて概要を報告した。

【議事録】
(社側)毎年、年を締めくくる12月の審議会では、特定の番組に限ってご意見を伺うのではなく、この1年間にあった、放送をめぐっての様々な動きについて、委員の方々の率直なお考えをお聞きしようと考えております。
1年の動きをまとめた資料を配付させていただいておりますが、その中でも注目される点につきまして、審査室の松田士朗室長から若干の説明をさせていただきます。

(社側)この1年、テレビジャーナリズムが直面した諸問題の中から3点ばかりご報告を申し上げて、その後ご審議を仰ぎたく存じます。この1年いろいろと大きなニュースがございました。特筆すべきは、まずは何といってもアメリカで起きた同時多発テロと、それに続くアフガニスタン攻撃に関するテレビ報道ではないでしょうか。
10年前の湾岸戦争に関するテレビ報道は、史上初の「戦場からの生中継」ということをいわれましたが、今回一連のテレビによる戦争報道は、いわば「史上初のテロリズムの生中継」から始まっております。
もっとも湾岸戦争のテレビ報道においては、その後さまざまに分析されたのですが、核心的な映像のほとんどがアメリカ軍によって何らかの形でコントロールされていたということがいわれております。その「戦争当事者国であるアメリカのCNNあるいは4大テレビネットワークの映像を、日本のテレビは無批判にそのまま垂れ流し続けた」という厳しい声も一部には出てきたわけであります。
これは日本テレビの審査室とも話し合ったのですが、今回は、湾岸戦争当時に比べますと、自分たちの目でテロや戦争の実態を見て、客観的にかつ冷静に報道しようという姿勢は保っているのではないかと考えております。例えば、テロの犠牲者遺族の独自取材、これは前回、番組審議会でご覧いただきました。また、隣国パキスタンへの難民の流入、あるいはタリバンの動きを報告し、それから北部同盟とともに早くからアフガニスタンに入ってタリバンを追いつめる戦況をアメリカのネットに頼らずに報告してきたということ、刻々生中継してきたわけであります。もっともそのためにキー局だけでなく、私どもの報道局からも多数の人員を派遣しました。
次に、この1年、私どもの関西におきましても極めて衝撃的な事件が発生しました。いたいけな小学生8人が犠牲となった、あの付属池田小学校乱入殺傷事件であります。
この事件の報道で大きな問題になったのは、惨劇を見て恐怖になお震える子どもたちに大勢の記者やカメラマンが取り囲み、目撃証言を求めたことであります。事実を追求しようとする、当然といえば当然の取材行為であったわけですけれども、泣きそうになりながらも健気に悪夢を話す、その姿をテレビで見た視聴者から「何というひどいことをするんだ」との厳しい抗議の声が各局に殺到いたしました。
私どもでは、その声を即刻報道局にフィードバックし、報道局では、これらをもとに丸山常務・報道局長をはじめ報道局幹部が協議いたしまして、お手元に資料をお配りしておりますが、『当面、子どもたちへの直接取材はしない。犠牲者の通夜や葬儀の取材についても、家族の心情を配慮し、たとえ他局が強引に取材しようとも付和雷同しない。既に取材した子どもたちの証言も翌朝からは一切使わない』という明確な指示を現場に下したわけであります。
しかしながら、この事件の報道を契機に、改めて「さまざまなメディアによる集団的過熱取材による人権侵害」という問題が浮上してきました。最近では、この問題を「メディア・スクラム」あるいは「スタンピード」といった英語で言い表すようになってきましたが、いずれも興奮した家畜の群れが暴走するような、すなわちテレビや新聞や雑誌といった、さまざまはマスメディアが群れをなして走り回るといったイメージを思い浮かばせます。特に、事件事故の被害者及びその家族への集中豪雨的な取材に対する批判が強まっております。
実は、今、マスコミ界で最も対処に困っている倫理的問題が、この「メディア・スクラム」の状況です。1社の自浄努力だけでは、あるいはテレビ業界だけの自律努力でも根本的には解決できない問題ですが、やっと最近になりまして、新聞協会、民放連で真剣に対応を協議するようになりました。今月6日には、まず新聞協会が、この問題に関する初の見解をまとめております。
それによりますと、「集団的過熱取材から被害者、容疑者、被告、家族や周辺住民を含む関係者を保護すべきである」としまして、特に「被害者には格段の配慮が必要」ということを言っております。さらに不幸にも、メディア・スクラム状況が発生した場合、「メディアの壁を越えて合同で協議する必要がある」としております。
私たちのNNN系列でも既に、これまでバラバラに取材しておりましたニュースやワイドショーが、出来るだけ事件事故の映像を共有しようとか、あるいは時には「付和雷同して取材しないという見識と勇気」あるいは「報道しない度量」も持とうと、こういったことを議論し始めております。しかし、こういった努力が具体的な成果を見せない限り、メディアを取り巻く社会環境は、ますます厳しくなることを覚悟しなければならないと考えております。
そしてもう一つ、この社会環境と厳しい世論を背景にして昨年来、いわゆる「メディアの公的規制3点セット」ということが言われております。この問題については、昨年末のこの場でご審議をお願いしました。ところが、この春になってもう1点、マスコミ界にとって頭の痛い動きが、にわかに増えてまいりました。
名誉毀損等のいわゆる「マスコミ訴訟」において、メディア側にとって非常に厳しい判決が相次ぎました。また、その損害賠償額も急激に高額化しております。3月に大原麗子さんに関する記事を書いた女性雑誌に対して500万円という判決が出たのを契機に、それまで何十万単位であったものが、一挙何百万単位が当たり前というようになりました。1,000万円という判決も既に2件出ております。
直接の法的規制とはいえませんけれども、これまでの3点セットに、この裁判所の動きを加えて「マスコミ規制4点セット」ということもささやかれ始めております。訴訟事案を多く抱える雑誌社等に特に関係するところではあるでしょうけれども、私どもにとっても、こういう傾向が続くと、どうしても現場が萎縮するのではないかということを憂慮しております。
以上、この1年、放送活動が直面した諸問題の中から一部ご報告いたしました。よろしくご審議のほど、お願い申し上げます。

池田小学校の取材について、いろいろ議論があるようです。ただ、最初に事件が起こって現場へ行った取材記者としては、その現場の実情を報道するのに、子どもに聞くよりほかに方法はないでしょう。後で、それはひどいという批判をされても、その時、現場へ行った記者としては、そうせざるを得ないでしょう。
だから、話を聞くことは批判されるべきではなくて、そういう場面を引き続き何遍も報道するということが批判されるべきでしょう。対策としては、直ちに、そういう場面は二度と放映しないことにする、それだけでいいのではないのでしょうか。事件直後の現場の取材活動も批判するということになれば、取材というものはできないと思いますね。

私も全く同感です。何はともあれ、何が起きたのかということを正確に伝えるというのが報道の使命ですから。もちろん、被害者感情を配慮するというのは当然ですが、それによって取材を、真実の追求に消極的になるということは、正しいことではないと思います。
「問題は、メディア・スクラムだ」というお話がありましたけれども、そのとおりだと思います。大勢で押しかけて、相手が勘弁してくれと言っているのを無理強いする、というような過剰な取材をすることは、これは慎む必要があると思います。が、これもなかなか現場の状況を考えると難しい話で、1社が取材しようとして拒否され、引き下がったとしても、次の日に別の社が来る。そうすると、取材するほうは、かなり自粛しているつもりでも、受ける側は文句を言う。そういう問題はあろうかと思います。その辺は、個別のケースごとに判断するしかないだろうと思います。
付属池田小学校の事件に関して言えば、事件発生後、その日の夕方ぐらいに既に学校当局やPTAなどから、「取材をしないでくれ」という申し入れが各社にありました。しかし、取材してみないことには被害者の父兄も本当に、しゃべりたくないのか、あるいは何かを訴えたいのか、分かりません。やはり、取材させていただくというのが各社の姿勢だったと思うのですが、それは必要なことだと思います。
遺族の方に記者が粘り強く、誠意を持って接した結果、相手がわざわざ電話してくれた、というようなケースもありますので、取材することすべてを相手が迷惑に思うと決めてかかって、取材しないというのは、よくないと思います。

付属池田小学校の事件の場合、精神障害者が、あのような凶行をして、犠牲者が大勢出たという事実は、動かし難いことなのですが、それをめぐっていろいろな議論とか感情とかが錯綜しているような感じがします。その責任者は誰かなと思うのですが、校長ではないのでしょうか。要するに、しっかり対処していないから、そういうふうに付け込まれるのではないかと思うのです。私どもは、実態がよく分からないですから、批評する資格もないのですけれども、何か割り切れない感じがします。

新聞では、そういった問題点を指摘することも、もちろんしています。学校側の対応がどうだったのか、どの辺がまずかったのか、当然、事実関係を報道しています。しかし、その場合でも、何はともあれ、まず犯人がしたことが一番悪いんだということをあげて、それと同列に、犯人も悪いけど学校も悪かったというような印象にならないように、気を配りました。

一番大事なことは、あのような犯罪を犯した精神障害者に対する措置というか、対策です。これが今、政府としても地方自治体としても、非常に欠如している重大問題です。その問題が、いわゆる差別問題とか、いろいろ関係があって取り上げられないで、そのままになっているけれども、危険な問題だと思います。

(社側)神障害者による犯罪の問題については、年末に「ニューススクランブル・スペシャル」で特集を組んで、整理して問題提起をしていきたいと思っています。
次に、再び付属池田小学校乱入殺傷事件のような事件が起きたらどうするのかということなのですが、おそらく初動の段階は今回と全く変わらずに取材に出ると思います。それをやらなければ、事実に到達できません。
結局は、現場に取材に行ってインタビューの仕方も含めて、被害者など取材対象になる方々に、どのような形で記者たちが接するのかというのが、かなり大きな要素になるのではないかと思います。

しかし、現場ではとてもそのようなことを考えている余裕は、ないのではないですか。

(社側)余裕はないのですけれども、そこを考えてやっていかないと、一般の方々からの批判に対しては、応えられないのではないかと思います。

そのように、今回と同じような対応をすると、一般の視聴者は当然批判します。それはもう甘んじて受けるより仕方がないのではないですか。そうしなければ、取材が出来ないのではないか、と思います。

当日の状況を見ると、事件直後は、子どもたちはみんな、脅えて何もしゃべれなかったのです。ところが、一人が何かちょっとしゃべってくれたので、取材記者はみんなそこへ集まったのです。その様子が、外観的には、寄ってたかって無理やりしゃべらせている、というような印象を与えてしまったのです。
その状況を振り返ると、ある程度、先ほどお話がありましたが、仕方のない面もあります。しかし、記者の行動については十分な配慮が求められます。私どもの新聞社では、取材対象となる人に証言などをするよう不当に押し付けてはいけないなど、バランスを失わないような姿勢で取材するよう、取材記者の行動規範を決めています。

それからこれは別の問題になるけれども、付属池田小学校の事件を契機にして、心のケアとか、そういうことが盛んに言われるようになりました。子どもたちが相当なショックを受けていることは事実だろうと思いますが、あの事件を早く忘れてしまうことが一番治療になるのに、それを心のケアとかなんとか言っていろいろ精神分析したりする。そんなことをするよりも、一刻も早く事件を忘れさせることが大事なことではないかなと思いました。
また、精神医学や法律の専門家には、法を犯した精神障害者をどうするかというようなことを、しっかり研究してもらわなくてはならないのではないかなと思います。
殊に、このような重大な罪を犯した精神障害者は、やはり監禁せざるを得ないわけです。その監禁についていろいろ議論されるけれども、政府並びに地方公共団体が真剣に考えないと、いけない問題だと思います。

日本の場合、精神障害者に対して法的な責任能力という観点からとらえているわけです。しかし、国によっては、たとえ精神障害者であれ何であれ、「重大な罪を犯した者は罰するんだ」と、いうところもあります。そういう二つの考えがあると思うのですが。

法律的には、やはり被告人として処罰するためには、責任能力がいるというのは、大原則だと思います。これは、私の知る限りでは概ね一致した考え方だと思います。ただ、責任能力のない人間が、大きな犯罪や、犯罪ではないけれども人権侵害を起こしたときに、どう対処すべか、という問題はあります。
犯罪としては対処できない、刑罰を科することは無理だけれど、その人間を、そのまま放置しておいていいのか、ということについて、多くの国では、いろいろな批判はありながらも、法律的には「措置入院」と言いますけれども、要するに強制的に病院に入れてしまうという形がとられています。
それに対して、日本ではどうかというと、そのようにしようという動きもありましたけれど、結局、実らないままに不十分な形のままとなっています。だから、重大な罪を犯した人も病院に入って3か月とか、半年とかすると一般社会に出てきて、また同じようなことを繰り返すということが起きています。
それについて、何ら具体的な対応がされていないというところが大きな問題だと、私も以前から、そう思っております。

私のスクールにも、被害にあった小学生の同級生も来ていまして、スイミングを休んでいました。6月に事件が起こってから、夏の暑い時にもずっと来ませんでした。実際に子どもたちに触れていますけど、2年生になりたてですから、本当に幼い子どもたちです。まだ、身体も小さく、生徒という感じではなくて、幼児、言葉もまともに出ないような子どもが多いから、1年もして全く環境を変えるような工夫をすれば、事件のことは忘れてしまうと私は思っています。
大人にもカウンセリングが必要なほどの、あのような怖いことがあっても、子どもたちは何か夢を見ていたのではないかな、というような感じです。誰もその話をしないし、元気でやっていて、もう現に復帰して泳いでいる子もいます。小学校5、6年生ともなれば、ずっと覚えていると思いますけれど、小さな子どもは結構忘れるの早いのです。覚えるのも早いけど、すぐ忘れる。言葉でも外国へ行って半年もしたら、ペラペラになるけど、帰ってきて半年したら全部忘れます。
子どもたちの年齢はそういう時期なので、あんまり大人が神経質に対応することはないのではないでしょうか。かえって、先生方とか父兄のほうのショックを癒すような対策を練ったほうがいいのではないのかなと私自身は、そう思っております。

子どもたちがその場の状況を説明したりしているのを、テレビで見まして、やはり、そうは言っても心に深い傷を負ったということは、あると思います。悲惨な事件の直後に子どもから、あまり根掘り葉掘りきかないとか、そういう気遣いが大事ではないか、と思います。
このところよく言われていますが、付属池田小学校の事件に限らず、普段のいろいろな報道を見ていますと、被害者が根掘り葉掘り聞かれて非常に気の毒な状況におかれ、加害者のほうが保護されていると、いう印象を私も持っています。この点については、疑問に思っています。被害者側の立場を考えた報道のあり方を、今後考えていただきたいと思っております。

私も、事件直後に子どもたちから現場の様子を聞くことは、可哀想な気がしました。しかし、それは必要なのだろうな、とは思いました。先ほどお話にあったとおり、その場面が何度も何度も映し出されたことに対しては、見ていて、疑問に思いました。
報道する側は、1回や2回放送したのでは、見る人は少ないだろうと考えて、繰り返し流すのでしょうが、その映像がどうしても必要なものでもなかったように思います。ですから、繰り返して放送する必然性があるのか、映像の持つ意味を慎重に検討するなどして、映像の扱い方に配慮する必要があると思います。

先ほどメディア・スクラムという話が出ていましたが、多分これは、こういうニュースの際の過熱する取材に関してのことだと思うのですけれども、一視聴者として振り返ると、ある事件が起きて、事件の内容が大体分ると、次に私自身がしている行動は、より新しい情報がないかとチャンネルを変えている、ということなのです。
その時点では、あるチャンネルでは見なかった新しい情報を見たいと考えているのです。その後で、視聴者側からいろいろな批判が出てくるのです。
これは結局、送り手側のモラルと、見る側の欲求とのギャップだと思うのです。つまり、視聴者というのは、ある程度いろいろな情報が出揃って自分が満足すると、次に、送り手側の姿勢を批判するように変わる、という非常に勝手なものだと思うのです。
だから、送り手のほうは、いろいろな意味で大変だとは思いますが、やはり先ほど委員の方々が言われたように、幾度も問題になる映像を出さないということなど、視聴者の受け止め方へ配慮していくことが、多分それぞれのモラルの向上につながっていくのではないかと思います。
狂牛病の事件でも、牛が倒れる映像は、もう今は、見たくない、こういう病気であるということを、これ以上続けて見たくはない。その辺の、視聴者の心理を受け止める計算とか、そういうものが送り手側に要求されていると思うのです。
それと、もう一つは人権問題です。テレビを見ていて被害者のほうのプライバシーが侵害されていると感じる部分があります。そうしたことは、すごく理不尽だ思うので、取材するときに考えていただきたいと思いました。

経営的に考えれば、付属池田小学校の事件にしても、同時多発テロにしても、要するに全く予想してない出来事に対して、どう対応するかという問題だと思うのです。同じ事は、おそらく二度と起こらないでしょうが、常にこういう意外な事件が起こってくる可能性があります。送り手の側は、マニュアルがないままで、現場のほうも、編集のほうも、やっていかなければなりません。
それから、受け手の世論のほうも、右に落ちるのか左に落ちるのか、批判するのか褒めるのか、分水嶺みたいなところがあって、非常に不安定です。報道する側には、知らさなければならない義務がある中、受け手側が、それについて「これ以上、先は知りたくない」と感じるのか、「いや、もっと詳しく知らせてほしい」と感じるのか、どちらへ気持ちが動くのか分からない。
小学生のインタビューにしてみても、1回目は、非常にあどけない顔でしゃべっていて「よかったな」と思っても、二度、三度出てくると「ちょっと、しつこいのでは」と、感じると思うのです。こういった視聴者側の反応を含めて、制作体制、取材体制を、どう管理していくかという問題があります。
だんだん、世の中は報道に対して厳しくなってきて、先ほど名誉毀損やプライバシーの侵害に対してマスコミ側に厳しい判決が相次いで出されたという報告がありましたが、対応を誤ると人権侵害で訴えられるということもあります。一般の企業の場合は、緊急事態が起こると、心理学者とか、いろいろ技術的に詳しい人、あるいは法律家、そういった人を集めて本部をつくって、どう対応するか一つひとつ考えながらやっていくことになると思います。
おそらく報道機関も、今までなら、一つのマニュアルに従ってやれば大体対応できたのですけれど、これからは、マニュアルでは対応できないようなケースが起きることがあるでしょう。社会的な影響だとか、あるいは訴訟の問題だとか、つまり、テレビ局に対するイメージだとか、金銭的な問題とか、受けるダメージが非常に大きくなると思います。
そこをどう管理していくかが、問われてきます。非常時の管理体制を早くつくって、それで的確に現場へ指示を出すということになるのでしょうが、おそらくマニュアルは、ないと思います。もう1回付属池田小学校事件が起こったならば対応できるでしょうけれども、それはまずありません。
全く予想してない事件が起こると、とりあえず取材に飛び出して行くけれど、あと、どうするのだという指示を、すぐに対策本部で関係者が集まって指示を出す、という対応をしなければならないと思います。一般の企業でも、このごろは予想しないようなことが起こってくるので、あたふたとすることが多いのですけれど、結局、専門家が集まって現場に指示する以外に方法はないと思います。

私は、取材が行き過ぎていると思っています。神戸の小学生の殺人事件で、被害者のご両親が本を書いておられるのですが、報道の姿勢に対する批判が、随所に出てきます。付属池田小学校の事件の場合も同じだと思うのですけれども、少なくとも、取材する側に被害者とか遺族に対する配慮は、事件直後の瞬間には皆無で、むしろ功名心というか、先陣争いというような感覚で動いていると思います。私は、その姿勢はよくないと思うのです。
ですから、先ほどご説明のあった読売テレビが事件の当日に出した「付和雷同せずに他社が取材していようが、配慮を欠いた取材はするな」という指示は、大変適切で見識だと思います。そうあるべきではないかと思います。
公人とかタレントについては、守るべきプライバシーはどれほどか、守るべき人権はどれほどか、という議論があります。名誉毀損すれすれの報道が、特に雑誌にひどいのがあります。もし、そういうものが世の中に氾濫してくると、自然に規制が働くと思います。
先ほど、説明があった大原麗子さんの裁判例がありますが、500万円の損害賠償の支払命令に限らず、これから裁判所が世間の常識という立場で、これに規制を加えるのではないかと思うのです。それは、まさに第4の規制になると思います。
やはり自主規制で先手、先手をとって、そういった世間の常識を前提にした取材姿勢、報道姿勢をとっていかないと、こういう表現は古いですが、官憲規制に道を開くと、思います。取材には節度があるべきで、被害者、遺族の心境に配慮のできる記者の教育が必要だと思います。

たまたま、現場の小学校が国立大学の付属小学校で、大阪府の教育委員会とは、直接にはつながっていない学校だったのですが、それでも府下の公立小・中・高等学校等に、教育委員会としての考え方というのを示さなければいけない、ということになって大阪府教育委員会でコメントの原案を諮って議論したことがあります。
事務局が示したコメントの柱は、ひとつは、こういう事件が二度と起こらないように各学校とも、今後、子どもたちの安全について具体の方策を至急検討してもらいたいということと、もうひとつが、文言は正確には覚えておりませんけれども、要するに、これを機会に改めて人権の尊重ということに深く思いをいたさなければならない、という趣旨でした。
私は、そのコメントの原案を見た時に非常に頭にきました。要するに、その事務局の原案は、犯人の人権についての記述になっているのですが、人権を尊重しなければならないということは、この事件を契機に改めて認識しなければならないような問題ではなく、どんな場合についても言えることなのです。この事件を契機に、我々が特に考えなければならない問題の柱が、人権問題だというのは、見当が狂っているのではないかと私が申しましたら、委員の全員が、それはそうだと言いまして、その部分は全部削ることになりまた。
この事件について我々が特に考えなければならない問題は、子どもの安全を守る具体的な方法を検討すべきだということに絞ったのですが、この例からもわかるように、行政とかマスコミ、あるいは、いわゆる識者の一部の議論などに、やったことがはっきり分かっていても、犯人を匿名で報道しないといけないとか、写真を載せるべきかどうかとか、犯人の人権に関する議論が前面に出てきます。いろいろと難しい議論があるのでしょうけれども、釈然としない気持ちにさせられます。
ここはちょっと難しいところで、ちょっとおかしい人間は社会が注意して扱わないといけないと、措置入院が行き過ぎて、普段からけったいなことを言っている、というだけで放り込まれるようになったら、私などは、放り込まれるかも知れないので困るのですが・・・。しかし、ウサマ・ビンラーディンに「氏」を付けないと駄目だとか、やったことがはっきりしているものに対して、そういう態度をとることは、私には理解できません。

1点補足しますと、この事件に限らず映像として流すのであれば、取材記者は、質問の仕方を十分考えないといけません。一部の番組で、まことにバカみたいな質問を耳にすることがあります。視聴者は、事件の悲惨さに憤るなど、一定の感情を持って見るので、あまり単純に「どうでしたか」とだけ質問するのを見ていますと「何を聞きたいのだ」と言いたくなるような場面があります。テレビの場合には、そういう言葉のひとつひとつが、そのまま放送されますから日頃の訓練や配慮が必要だと思います。

(社側)日航ジャンボ機墜落事故のあとに、若い記者が遺族に対して「今のお気持ちは」という質問の仕方をして、厳しい批判を受けました。その後、社員教育をしないと駄目だ、という結論になり、各社努力をしているはずなのですが、まだまだ追いつかないという面があるのかもしれません。

(社側)それでは視聴者センターから、この11月に寄せられた視聴者の声を報告します。11月は比較的平穏のうちに終えることが出来ると思っていたのですが、月末の30日、多くの批判を浴びる事態が発生しました。雅子様入院の情報を伝える為「報道特別番組」に切り替えたのですが、このために、放送中だった金曜ロードショーが途中でカットされ再び戻ることが無かった為に、視聴者から大量の抗議がありました。私のほうからは以上でございます。

(社側)どうも1年間ありがとうございました。いつも活発な議論をいただいて感謝しております。
今の議論を聞いていましても、やはり戦争に負けてアメリカのジャーナリズムが入ってきたころは、新聞も、そのあと出てきたテレビも、報道機関は市民の味方というふうにとらえられていたのですが、ここへ来て、どうもメディアは市民の敵、嫌われ者になってきたような気がいたします。私どもは、そのことを、非常に重大に受け止めています。
いろいろな意見がありますけれども、対策の第一は、取材する側の教育だと思います。昔の記者が大変教養があったとは、思いませんけれども、しかしながら、市民の味方に立つ気持ちを持つということは、あったように思います。その基本的な気持ちを忘れている場合に、批判の対象になるのではないかと思いますので、こういうことがないように我々は重々社員教育をして、また自戒を込めていきたいと思います。
これからもよろしくご叱正のほどをいただきたいと思います。どうもありがとうございました。
  • 平成13年度読売テレビ番組審議会委員
  • 委員長    熊谷信昭   兵庫県立大学名誉学長、大阪大学名誉教授
  • 副委員長    馬淵かの子   兵庫県水泳連盟   顧問   元オリンピック日本代表
  • 副委員長    川島康生   国立循環器病研究センター   名誉総長
  • 委員    秋山喜久   関西電力株式会社  顧問
  • 委員    金剛育子   能楽「金剛流」宗家夫人
  • 委員    林  千代   脚本家
  • 委員    阪口祐康   弁護士
  • 委員    佐古和枝   関西外国語大学教授
  • 委員    北前雅人   大阪ガス株式会社   代表取締役副社長執行役員
  • 委員    谷  高志   読売新聞大阪本社   専務取締役編集担当