第427回 番組審議会議事録

1.開催年月日
平成13年11月9日
2.開催場所 読売テレビ本社
3.委員の出席 委員総数 11名
出席委員数 9名
出席委員の氏名 大島 靖、秋山喜久、金剛育子、林 千代、馬淵かの子、
野村明雄、尾前照雄、阪口祐康、佐古和枝
欠席委員の氏名 熊谷信昭、老川祥一
会社側出席者 土井共成(代表取締役社長)以下11名
4.審議の概要 テーマ及び視聴合評対象番組
視聴合評番組 NNNドキュメント'01
「悲しみの連鎖 ~NY同時多発テロ~」
放送日時 11月4日(日)24時25分~25時20分
放送エリア 全国ネット
 番組審議会では、NNNドキュメント'01「悲しみの連鎖」について意見を交換した。委員からは「心に重いものを残す番組だった。様々な立場にある人を公平に、取材者の考え方を押しつけることなく描いていたことが、見るものに感銘を与えたのではないか」「ニュースなどで知識や情報として理解していた事件が、被害者の生の声を伝えられたことで、身近な人間の上に起こった出来事として感じられた」など、被害者の実像に、強い印象を受けたという意見が相次いだ。
 また、「軍事行動によって悲しみが更に続くといった情緒的な結論に、安易な印象を覚えた。断固たる闘いなしに、悲しみの連鎖を断ち切る事が出来るのか?といった問いかけを滲ませるなど、工夫がほしかった」という指摘があった他「止まらない世界人口の増加や国家間の経済格差など、テロの起こる根元の問題に、答えを出すのは難しい。しかし、卑劣なものとの闘いに対して、我々の人生観や宗教観が問われていことを感じさせる、番組だった」など、テロについて深く考えさせる番組として評価する意見も出された。
 この後、10月に寄せられた視聴者からの意見や抗議、苦情などについて概要を報告した。

【議事録】
(社側)本日ご審議いただきますのは報道番組NNNドキュメント'01「悲しみの連鎖~NY(ニューヨーク)同時多発テロ~」です。この番組は、去る11月4日、日曜日、深夜の24時25分から55分枠で全国放送されました。ご存じのようにNNNドキュメントは、既に30年以上継続して編成されているドキュメント番組枠でして、NHKを含めましても最も歴史のあるドキュメント番組です。当番組審議会でも、この枠で放送したドキュメントをしばしば取り上げてまいりました。

(社側)番組のねらいや意図について担当者からご説明します。9月11日テロ事件が起こり、2か月たちましても、まだガレキは完全には撤去されておらず、ニューヨークの中にポッカリと穴が開いた、というような状況が続いております。行方不明者も4,100人と、我々の地元で起こった阪神大震災に匹敵するぐらいの衝撃が、まだ続いています。
一般的なニュースでは、当初、ニューヨークのことを中心に報道し続けたのですが、10月7日の空爆開始後、アメリカの報復攻撃が始まってからは、焦点がアフガン、パキスタンに移りました。つまり、今回の戦争の原点で、あってはいけないテロ、理不尽に殺戮されてしまった人々の思いというものが、十分に伝えられないまま、報道の焦点が移動してしまいました。
そうした人たちの現状や心情が、テレビで働く我々にも見えてこないということが、取材の動機になりまして、ニューヨークで何が今、続いているのかということをきちんとリポートしたい、ルポルタージュしたいと考え、この番組をつくりました。 制作体制としては、日本テレビとの共同制作という形をとりました。これは異例のことですが、日本テレビから取材記者1名とカメラ1班、読売テレビからカメラ1班と盛ディレクターをニューヨークに派遣しました。
非常に傲慢な言い方なのですけれども、我々プロデューサーとしては、1か月間取材すれば何か撮れるだろう、と考えていましたが、ディレクターの立場としたら、そうはいかない。ニューヨークへ行っても撮れるものは、非常に限られています。特に、遺族の方たち、家族の方たちのインタビューというものを撮る場合、現場では相当な苦労があったものと思います。救済センターなどに行きまして、マイクを突きつけたところで、「日本から来て、何をしているの」というのが、当然の反応だったと思います。
ところが、1週間何も撮影できずに、それでも、通って、いろいろな話をするうちに、ようやく心を開いてくれた人たちが、この番組の取材対象になりました。それは、6年前の震災のときに、記者たちが、被災地に散って培ってきた取材のノウハウといいますか、取材するときの気持ち、相手の立場に立って取材をするということが、今回、生かされたのかなと思っています。
ただ、事態はこれで終わっているわけではありません。アフガンで戦闘が続いています。アメリカは一方的な犠牲者だと言うのですけれども、果たして本当にそうだろうか、という部分も検証が必要だと思います。現場には、非常に苦しい取材を強いる企画なのですけれども、我々の番組『ドキュメント'01~02』なりの視点を持って、これからも追いかけていきたいというのが、放送終了後、皆さまのいろいろなご意見をお聞きしてからの私自身の気持ちであります。

(社側)今回の事件は、当初から衝撃的な映像が繰り返し流されて、その後は、いつ報復するのだ、という議論が沸き起こりました。そして、アフガンに報道の中心が移ってしまって、結局、5,000人が亡くなってしまったという重みであるとか、悲しみ、痛みというものが、ほとんど伝わらない状態のままとなっています。
あの衝撃的な映像は、あまりにも現実離れした映画的な映像であったために、そういったものが、現実として感じることができないまま報道がなされてきたと思います。そんな中で、本当に今、被害を受けた方、その遺族の方は何を考えているのかということを、原点に戻って見つめるということが必要ではないかと考えて、今回の番組を制作しました。
取材をしまして、現実に動いているものとは別に、「置き去りにされた気持ち」というものが存在しているということを、強く実感したところです。番組を見ていただいて、いろいろご意見を聞かせていただきたい、と思っています。

<VTR視聴>
実は、送っていただいたビデオテープを2回見ました。非常に重いものが体の中に、心の中に残りました。全体としては、見る人に非常に重いものを残す、いい作品ではなかったかなと思います。
まず、先ほどお話があったように、「このテーマを扱わずしてどうするか」という気持ちで作ったという点は、こういったドキュメント番組をつくられる方々の姿勢として本当に評価したいと思います。それから、この中身は、さまざまな状況にいる人々の立場と考え方を偏らずに、公平に報道しておられる。これも先ほどお話がありましたが、よく取材対象がつかまえられたな、いい取材をされたなと、そのように思います。
それから何よりも良かったな、と思ったのはドキュメント番組にありがちな、考え方の押しつけがましさがなかった、という点ですね。これはまだ今の時点で結論が出ていないわけですから、ある意味では当然かもしれませんが、よくあるのは、ベトナム戦争のときなどがその例ですが、らち外にいる人による反戦思想の鼓舞でありますとか、あるいは安物のヒューマニズムの押し付けであります。あるいは今回の場合でしたら評論家的に、やれ文明の衝突がどうとか、宗教戦争がどうだとか、言う人がありますけれど、この番組には、そういうことが全くなくて、見る人に自分で考えさせる要素が非常に多く、示唆に富んだ番組だったと思います。
ですから、私自身も無責任な観客として見ていることができなかったと感じています。何事も解決していないわけですから、当然ですが、私自身の中では、ある意味では非常に重い沈殿物といいますか、それが不消化と言ってもいいかもしれませんが、自分でどう考えたらいいのか、よく分からない、しかし考えなければいけないという、そういう思いが残りました。
実際は、これは不可能なことかもしれませんが、アフガンの戦争等が決着したときに、取材対象となった人たちに、この問題について、「いかがですか」と、もう一度、意見を聞くことができればなと、これは難しいことだと思いますけれども、聞きたいものだと思います。

この番組を見て、本当にため息が出て、それも何回も出ました。最後の方に、赤ちゃんが生まれる場面が出てきましたが、死んでいく人もいるけれども、生まれてくる人もいるのだな、ということも実感できて、もちろん悲しいのですけれども、そういう意味で嬉しく感じました。
双子の赤ちゃんとか出てきましたね。「双子もできたんだ」と、そう思っているうちに涙が出てきて、うちの娘も一緒に見ていたのですが、二人とも涙がぽろぽろっと出てきました。演技ではなくて、インタビューを受けているお母さんが、涙を流しておられるのを見て、ああ、この番組を見ている人の半分ぐらいが泣いているのだろうなと、身につまされる思いを持ちました。
番組には、重いものがあって、深い悲しみを抱いている人が5,000人の亡くなった方々の周囲に、いるのだと実感しました。ですから、報復がいけないとか、そうした議論以前に、本当に悲しんでいる人がまだいるという状態が続いていることを感じ、あのテロ事件を絶対忘れたらいけない、と思いました。

私も同じで、非常に重い気持ちで見させていただきました。取材対象となった被害者の方々は事件の後、少し時間が経ったこともあって、多分、心の中が整理されて、今自分が一番求めているものが何かが、はっきりしてきたのだと思います。被害者の家族が子どもを、あるいは夫を捜す姿を見て、テロという理不尽な行為への怒り、テロを絶対許してはいけないという思いが、沸き上がってきました。
それぞれが家族や社会の中で、幸せな生活を送っていたのに、テロによって崩れたときの悲しみや怒りを、どこにぶつけたらいいのでしょうか。平和を絶対壊したらいけないという訴え、テロを絶対許してはいけないということの大切さが、身をもって分かりました。
どう解決していくか、今後どうなるかということは、まだわかりませんけれども、憎むべきものは、何らかの形でそれぞれの幸せな生活や家族を壊すものだと思います。これだけは許してはいけない、ということを、番組を通して見る人たちに訴える、重いけれども非常にいい番組だったと思います。
ひとつひとつの日常、それぞれが守ってきた幸せが崩れていく怖さが分かり、こういうことが起こらない社会であってほしい、と祈らずにはいられない番組でした。

私も皆さんがおっしゃったのと同じように感じましたが、よくこれだけの取材ができたなと思い、感心いたしました。とてもフレッシュでナチュラルな状態が、そのまま出ていて、ニュース番組だけでは絶対分からない、テロが何を意味しているかということが、体に伝わってくる、いい番組だったと思います。
番組に登場したのは、女性ばかりで、男性はニューヨーク市長ぐらいで、あまり出てきませんでした。息子を亡くした母親や夫を亡くした妻など、一番打撃を受けている方々の気持ちが非常によく出ていて、ちょっとたまらない気持ちになり、最後は救いのない感じになりました。番組としては心を打つ番組だと思い、こういう取材をされたことに感心いたしました。さぞ苦労されただろうと思うし、いい人を取材してあるな、と感じました。
ただ、番組を見まして、コマーシャルにアンバランスな印象を受けました。相当緊張して見ていたのですけれど、コマーシャルがヒョコッと出てくる。しかも少し長く出てきまして、あれがなかったらもっと良かったのにな、という感じを持ちました。
しかし、番組としては非常にいい番組だと思いました。つくったものではない自然な姿がとらえられており、被害者の家族の方々の状況や心情が、よく理解できる番組でした。

ちょっと変な質問なのですが、他の番組もそうなのですが、この番組でも消防だけがよく出てきて、警察が全然出てこない。それは、この仕事は消防の仕事で、警察の仕事ではないということかもしれませんけれども、それにしても警察が全然出ないというのは、こういう事件の場合おかしいな、と思うのです。もちろん消防が正面に出るのは当然ですけれど、警察が全く出てこない事情が何かあるのですか。

(社側)事件の直後に駆けつけて亡くなった消防士の方が350人もいたことの重みだと思います。ニューヨークの人たちにとっては「自分たちのために、生命を失ったんだ」という思いが、強くあると思います。警察の方も、もちろん駆けつけたと思いますが、その現場で先頭に立って指揮をとって救助にあたったのが消防士、ということからスポットライトが当たったのだ、と思います。

そこに私は、消防と警察との、本質的な違いがあるのではないかと感じました。消防というのは常に火の中へ突っ込んでいく。生命の危険を賭しているわけです。
警察というのは、生命をかけて人を救うということはほとんどないのではないか。そこに大きな違いがあるのではないかという感じがいたします。

9月11日の貿易センタービルをはじめとする、テロの原点を忘れるな、という番組の意図は非常に良かったと思いますし、また、それに対して大変鮮やかに、ひとつの断面を浮き彫りにしており、このドキュメント番組は成功だったのではないかと思います。
番組を見て感じたのは、アメリカ人の心の底、あるいは宗教観の中には、聖書のパウロの『ローマ人への手紙』にある、「愛する者たちよ、復讐は自らやるな。それは神に任せなさい」と、復讐が神の仕事であるという気持ちが、根っこにはあるということです。
ところが、テロに対して「神様に任せなさい」というだけでうまくいくのかな、とも思います。今まで10年以上、テロとの戦いがあって、あれは94年でしたか、ローマ法王がフィリピンで暗殺されそうになったこともあります。違う宗教の人、それから「自分の命はどうでもいい」という人類愛のない人たちとの戦いで、神様が本当に復讐してくれるのか、という相克があると思います。
番組では、いろいろな言葉が出ていましたけれども、今回の事件は、アメリカの人たちだけではなく我々も含めて多くの人に、精神的に大きな打撃を与えました。人間性というか、そういったものに対する考え方が抜本的に違う人たちが出てきたということに、どう対応していくかという悩みが、ベースにあると思うのですけれども、この番組にも、そうした側面がチラチラと出てきていたと思います。
これから、どうしていくべきなのか、ということですけれども、テロの根源について、アメリカ人の女性教師が、自分の生徒に送ったメールが、話題になっています。「世界を100人の村にたとえたとすると、6人のアメリカ人が59%の富を独占している。50人の人が、栄養失調で、1人の人が今死にかかっている。大学教育は1人しか受けられなくて、パソコンを持っているのは1人だけだ」という内容で、こういう非常に不平等な世界がテロの根源だというのです。
けれども、自由主義、民主主義、市場経済論でいくと、どうしても格差が出てきてしまう。それを容認しないで平等化していくと、本当に罪がなくなるのかというとそうはならない。平等化したことによってエントロピーがなくなって、どっちかというと、犯罪が増えてくる、という人間性の皮肉もあると思います。
それから、そのベースには年々7,000万人、人口が増えており、このままいくと、今の食糧の生産性からいくと、あと30年ぐらいで全員が食べられなくなる、という時代が来るといいます。そのときに、人間として、何をどう考えて、どうやっていけばいいのかという問題が、テロの根源論として出てくるのではないか、と思います。
我々がどういう答えを出すべきなのか、というのは非常に難しいと思いますが、クラウゼヴィッツの『戦争論』ではないですが、鉄砲とか、大砲とか、爆弾とか、空爆とかが武器として使われている戦争は、人間が根こそぎなくなるということはなかったけれども、今のように細菌兵器などが使われるようになると、これは人類が根こそぎなくなってしまう可能性も、出てくるわけです。
そうすると、テロのように非常に卑劣な、あるいは手段を選ばないものについては、断固戦うべきだ、という結論しか我々の方にはなくなります。その辺をどう考えていくのかという問題が、これから出てくると思うのです。
一部には、アフガン爆撃によって民間人が多数死傷しているのはけしからんと、空爆を非難する報道があります。しかし、タンザニアでは、何百人もの民間人がテロの攻撃で死んでいますし、今度の事件でも5,000人が死んでいます。我々が今まで経験したことのない、精神的に嫌がらせ的な、また卑劣な、表に顔が出てこないテロリストとの戦いに対して、我々の人生観なり、宗教観なり、そういったものを持って、どう戦っていくのかということが問われているように思います。
それに対して、番組の中で答えを出していけというのは難しいかと思いますが、非常に訴えるものの多いドキュメントだったのではないかな、と思います。こういう番組を、どんどん放送していって下さい。
出来れば、先ほどもお話が出たように、今度はコマーシャルなしで、放送してほしいと思います。アメリカでは音楽会などを、コマーシャルなしで一気に放送します。コマーシャルを出すなら、最後に出せばいい。これだけいい番組だったら、スポンサーは出てくるはずです。こういう考えさせられる番組のときには、思考を中断させない為に、編成の仕方を考えていただいたらいいと、思います。

一口に5,000人の犠牲者といいましてもイメージが湧かなかったのですが、このビデオを拝見して各家族の様々な悲しみが分かり、犠牲者の周りの方、家族の方のお気持ちを、改めて実感したような次第です。
アメリカで発生した同時多発テロ、そしてまた、それに対する報復の報道を連日のようにテレビで見ていますと、テロは本当に許せない、反撃しなければいけないという大前提が、もちろんあるのですけれど、番組のタイトルに『悲しみの連鎖』とありますように、報復によって、またそこに悲しみが生じて、それがずっと連鎖していくように思います。
「悲しみの連鎖」は、結局「憎しみの連鎖」へとつながる。ですからテロは本当に許せない、と言うのと同時に、どこかで何とか、この悲しみと憎しみを断ち切るすべがないものかと、大多数の人が、そういう思いでこの番組を見ていたと思うのです。
その辺のことを、複雑な思いで拝見させていただいていましたところ、番組の最後に登場した家族の方が、「息子は生前、紳士だったので、自分も息子に習って、憎しみに変えずに、最後まで紳士でありたい」というような、コメントをされていました。この言葉が非常に印象的で、自分が、その立場になったら、とてもそんなことは言えないという思いがありますけれども、これは難しい問題だな、と重い気持ちになりました。解決策が見えないだけに、悲しみの連鎖から憎しみの連鎖へと、いつまで続くのだろうかと、複雑な思いで拝見しました。
途中、ちょっと"中弛み"みたいな感じもあり、構成的に、もう少し工夫をしていただけないかな、ということを一点、感じましたが、全体的には非常に重い、いい番組だったと思います。

皆さんおっしゃられたとおり、本当にいろいろなことを考えさせられる番組だったと思いました。報道されていることでも、ニュース番組ですと情報として、あるいは知識として受け入れてしまいます。それで、何となく分かったように思っていたのですが、被害者の家族の、生の声を積み重ねて聞かせていただくと、自分の身に置き換えて、グッと身近なところで、いろいろなことを考えさせてもらうことができました。そういう意味でも非常に貴重な番組だったと思います。
通りで口論になった場面とか、「悲しみを憎しみに変えたくない」と話す犠牲者の家族などが登場して、被害者の中にも、いろいろな考え方を持っている方がいることを、見せていただけました。
アメリカの報復にたいして、様々な考えを持った人が見ていると思いますが、そういう考え方の違いを超えて、それぞれの人が、いろいろなことを考えさせてもらえる番組だったのではないか、と思いました。

私は、事務局からビデオをいただいたら、家内と二人で見るのですが、いつも家内は見終わった後に、私から意見を聞かれるので、どこかでスッと席を外すのです。しかし、今回の番組は、私とともに、食い入るように見ていました。
なぜだろうと考えてみたのですが、それは、報道ドキュメントの基本に忠実な番組であったことが見るものを引き付けたのではないかと、思い当たりました。ひとつは、女性の、母親なり、妻なりの目で、特に技巧を凝らすわけではなくて、ナチュラルに事件をとらえているという点。もう一つは、いろいろな立場のいろいろな考え方の人を選んで、それを多角的に構成している点です。この二つの点で、報道の基本に忠実な番組だったと、感じました。そのために、いろいろな技巧を加えるよりも、見ている方に訴える力を持ったのだろうと思いました。
私も、今回の事件をどのように考えればよいのか、その答えは全然出すことが出来ず、同じようなところを行ったり来たりというような形で考えがまとまらないのですけれども、非常にいい番組をつくっていただいたと感激しております。
ただ1点、非常に残念だなと思うのは、放送時間が深夜だということです。いろいろな事情があるとは思いますけれども、こういう番組なら有力なスポンサーが付くと思われますので、ぜひゴールデンタイムで放送していただきたいと思います。

(リポート)大変よい作品で好感をもって拝見しました。特に米英による軍事行動が長期化の様相を深めてきたのに伴って、議論がその是非をめぐって拡散し、肝心の事件の原点が見失われてきたときだけに、オサマ・ビン・ラーディンという狂信者によるテロがどれほど理不尽で残酷な犯罪であったかという事件の本質を改めて思い起こさせた点で、タイミング的にも有意義だったと考えます。
抑制のきいた映像も、突然不幸に襲われた人々の悲しみの深さを見るものに実感させ、かえって効果的でした。ただ残念な点もあります。私は番組を見ながら、自分が、もしこの番組を制作したら、どういうエンディングにしたらよいかと自問し、この難しいテーマを制作担当者は、どうこなすのかと興味を持っていたのですが、結果は、軍事行動によって悲しみがさらに続くといった情緒的な結論で、少し安易な印象を覚えました。キャンペーン番組ではないようですので、明確な主張は避けて事件が与えた悲しみを描くことに重点を置いたということかもしれませんが、せめてテロとの断固たる戦いなしに、このような犯罪がもたらした悲しみの連鎖を断ち切ることは可能なのか、といった問いかけをにじませるなど、もう少し工夫があってもよかったのではないかと思います。

(社側)視聴者センターから、先月寄せられた視聴者の声を報告します。10月は特に午前の時間帯で大きな改編がありました。視聴習慣が変わったことにより、その周辺の番組に対する視聴者からの意見を多くいただきました。視聴者センター部では、それら意見を現場の担当者に伝えまして、番組づくりの一つの手だてになればと願っております。そのほか現在、安全宣言が出て一段落しておりますが、10月で一番苦労したのは狂牛病に関する視聴者への対応でした。政府の判断が一転二転したため、消費者がテレビ報道の内容には極度に敏感で、もっと詳しく調査して、駄目なのか、大丈夫なのか、テレビではっきりしてほしいという声が消費者の多数意見でした。一方、関係業者の抗議には、商売の生き死にがかかっているだけに、かなり激しく「私たちの生活がかかっているのが分かっていながら狂牛病の話題ばかり取り上げている。もういい加減にして」と、半ば悲鳴に似た抗議もありました。双方の意見は意見として、読売テレビの報道としては、これからも正確を期して続けていきたいと思います。以上でございます。
  • 平成13年度読売テレビ番組審議会委員
  • 委員長    熊谷信昭   兵庫県立大学名誉学長、大阪大学名誉教授
  • 副委員長    馬淵かの子   兵庫県水泳連盟   顧問   元オリンピック日本代表
  • 副委員長    川島康生   国立循環器病研究センター   名誉総長
  • 委員    秋山喜久   関西電力株式会社  顧問
  • 委員    金剛育子   能楽「金剛流」宗家夫人
  • 委員    林  千代   脚本家
  • 委員    阪口祐康   弁護士
  • 委員    佐古和枝   関西外国語大学教授
  • 委員    北前雅人   大阪ガス株式会社   代表取締役副社長執行役員
  • 委員    谷  高志   読売新聞大阪本社   専務取締役編集担当