第424回 番組審議会議事録

1.開催年月日
平成13年7月13日
2.開催場所 読売テレビ本社
3.委員の出席 委員総数 11名
出席委員数 8名
出席委員の氏名 大島 靖、熊谷信昭、馬淵かの子、林 千代、
尾前照雄、阪口祐康、佐古和枝、老川祥一
欠席委員の氏名 秋山喜久、金剛育子、野村明雄
会社側出席者 土井共成(代表取締役社長)以下11名
4.審議の概要 テーマ及び視聴合評対象番組
視聴合評番組 NSスペシャル『~裁判が変わる!』
放送日時 6月20日(水)25:50~27:25
 委員からは「活字ではわかりにくいテーマをシュミレーションや専門家の話などを入れて表現を工夫し、裁判員制度の問題がよく分かった」「日本の裁判については、あまりに実態が知られておらず、こうした番組は大変意義がある」「問題提起としてはよい番組だったが、残されている難しい問題に触れていなかったのが、残念だった」「シュミレーションの裁判の設定に無理があり、かえって誤解を生むのではないか」など、番組の内容について様々な意見が出された。
 また、「裁判員に選ばれた場合、中傷されたり脅迫される心配があるが、それを防ぐ方法があるのか」「選ばれた人が、公平な目を持って判断する事が出来るのか」「裁判員制度のメリットとして、時間が短縮できるとあったが、今の制度で出来ないのは、関係者の怠慢ではないか」など、司法制度そのものについても議論された。
 この後、6月に寄せられた視聴者からの意見や抗議、苦情などについて概要を報告、「小学校乱入殺傷事件」への対応についても報道局長らから報告された。

【議事録】
番組の中で、メリット、デメリットを説明した部分で、裁判がスピードアップされ時間短縮になると、ありましたが、逆ではないのですか。裁判員制度を導入すると、市民を拘束するために集中して審理をしなければならなくなり、そのために結果的に時間が短縮されるということであれば、それは現在は、裁判官が怠けているということではないですか。

なかなか難しいテーマなのですけれども、もし私が、裁判員に選ばれたら、買収されたりしたらどうしよう、ということを、まず考えました。そういうことは一切ないということは、言えませんよね。
 どこの誰が裁判員になるということは、公開されるのですか。公開されなくても、裁判員の席に座っていたら、顔を見たら分かりますよね。それで、いろいろな人から中傷されたり、「お前、有罪にしたら承知せえへんぞ」と脅されたり、また、逆の場合は買収される場合もあると思います。そういうことを阻止するような、法律的な保障は、何かあるのでしょうか。

(社側)審議会の中でも、当然それは議論されていまして、特に報復というか、お礼参りというか、テロ事件が予想されるものに関しては、何らかの防止策が必要だと最終報告書の中に書いてあります。
 今後、制度設計の過程で、防止策をどう作っていくかということが、具体的に話し合われることになると思いますが、今の段階では具体策については、決まっていません。

「裁判が変わる」という内容が映像になっていて、「模擬裁判」もあって、とてもよく分かったと思うのですけれども、内容について、一つ質問させていただきたいのは、無作為に裁判員を選ぶということですが、限られた人たちの中から無作為に選ぶのですか。それとも、すべての有権者の中から、文字どおり無作為に選ぶのですか。
 そうであれば、高齢者も多くいますし、あらゆる人たちを対象にすることは、あまりにも漠然としていて、不安です。大丈夫なのでしょうか。

(社側)アメリカの例では、実際に陪審員となるのは12人ですけれども、12人だけを呼び出すのではないのです。事前に何百人も選んで、訴訟関係人がすべて揃ったところで被告人、検察官の双方ともが「この人は嫌だ」と忌避することが出来る制度になっています。その選定作業に結構時間をかけているのです。
 アメリカでも選挙人名簿から無作為に選ばれるのですが、そのように選定作業がきっちりしているので、全く問題がないとは言えないものの、無作為に選ぶという原則の部分では、それほど大きな問題になっていないと聞いています。

活字だけでは分かりにくい制度の説明を、裁判のシミュレーションをしたり、若者の意見を入れたりして、分かりやすく工夫された番組だったと思います。
  ただ中身については、いきなり市民参加の方向が決まっている、というところから始まっているので、何故そういう制度が導入されることになったのか、という疑問がわいてきました。現状にどういう問題点があって、それを解決するために市民の参加が必要だ、という部分の説得力が足りなかったように思います。確かに市民感覚で、これでいいのかな、と思うような判決もあるのですが、番組ではそこからいきなり市民参加というところに、行ってしまったような印象を受けました。1、2、3が飛んで4ぐらいから始まったような気がしたのです。  
  それから、ひょっとすると裁判員制度を導入する方向が決まっているので、専門家の皆さんは「支持する」としか言わないのかもしれませんけれども、出演した3人の専門家は、皆、支持する側のご意見でした。でも、自分は、ちょっと懸念している、という意見を持った専門家の方が一人いて、そこで議論していただいたら、もう少し現状の問題や、市民を導入した後の問題とかが浮かび上がったのではないかと思いました。

この番組は、問題提起としてはいいと思いますけれども、非常に難しい問題が、いろいろ未解決のままになっているような気がます。裁判員を無作為に選ぶということですが、果たしてどのような方法で選ぶのか、選ばれた場合に拒否権があるのか、また、「したくない」という人が、どんどん出てきたらどうするのか、私は、むしろ「したくない」というような人の中に非常にいい方がいらっしゃると思うのですが・・・。
 医学研究の面でも、倫理委員会のメンバーに、専門家だけではなく、一般の方を入れよう、ということでその作業に当たりましたが、倫理委員になっていただくのに随分苦労したことがあるのです。心臓移植をやっていいかどうか、ということを議論するときにも、委員になっていただくようにお願いしても、なかなか引き受けてもらえませんでした。裁判員となると、危険性のある重大な犯罪などを裁くことになるわけで、なりたくない人が相当いるのではないかと思うのです。
 日本の場合は、大体、社会参加の意識が薄い。家族意識は非常に強いけれども、社会意識は弱いですね。ですから心臓移植でも何でも、なかなか社会に根づかないのです。コミュニティーに生きているという思想を、日本人はあまり持っていないですね。そういう意識がベースにあるときに、この裁判員制度を根づかせるには、相当苦労がいるし、国民のレベルが、そういうレベルになるということが、まず必要ではないか、という気がするのです。裁判員に選ばれた場合に、喜んでなられる方は、少しおかしいのではないかと思うのです。むしろ、「それは・・・」と躊躇するような人のほうが、真面目に考えていらっしゃるかもしれない。

番組は、問題提起として非常に面白いと思いました。特に、スタジオに来ていた100人の若者に対して行ったアンケートの、あの数字は面白かったです。裁判員制度を導入した方がいいという人は、番組の冒頭は多かったけれど、実際、制度の中身を見てみると、やらない方がいいのではないかという人が、むしろ多くなりました。もうちょっと厳しくやれば、やめた方がいいという意見が、さらに増えるかもしれないな、という思いで見ていました。今後制度を実施していく上で、非常に参考になる数字ではないでしょうか。

こういう時期に、このような番組をおつくりになったことについては大変結構なことですが、極めて不十分であったり、誤解を一般に与える恐れがある番組になっていたのではないか、という気がするのです。
 例えば、模擬裁判を見ましても、誤解を与える点があると思うのです。番組の冒頭で、殺人事件のような非常に重大な事件について、この制度を適用するという断りがあった上で模擬裁判があるわけです。そして、被告役の人が何か言っている場面が少しあって、裁判員と裁判官が議論するシーンがあるわけですが、「この評決には1時間半かかった」とナレーションがあり、「1時間半もかけて評決をした」というような感じに、受け取れるようになっており、1時間半の評決で有罪か無罪かが決まった、というストーリーになっているわけです。
 しかし、死刑にするか、無期懲役になるかというような重大な事件の裁判では、鑑定から、証拠の認定から、現場検証から、あらゆる手だてを尽くして過ちがないようにやるわけです。従って裁判が終わるまでに数年から、ものによっては10年以上、かかることもある。
 番組では、1時間半ぐらいの評決で決まったとあり、そしてメリットの中に「時間が短縮できる」ということがうたわれているのでは、誤解を与えるといいますか、制度のねらいが正確に伝わらないのではないかと思いました。裁判員制度を適用するのは、難しい事件に限られるということです。問題になるのは難しい裁判で、結論がはっきりしている場合はいいのです。この番組のような表現では、難しい裁判の実態が誤解されるのではないかと思うのです。
 もし、そんなに早くできるのであれば、連続してやれば一月ぐらいで判決が出せるというのであれば、20年もかかるという現状は、今の裁判のやり方がおかしいのではないか、ということになるわけですが、番組はその回答にもなっていない。
 タイムリーな番組だとは思いますけれども、視聴した範囲だけでは、我々素人から見ると、疑問がすっきり解けたという印象を受けない番組でした。

評価できる点は、こういう真面目なテーマ、考えなければいけないテーマを、時間をかけて正面から取り上げたということです。放映時間が深夜の時間帯になっているということにも象徴されているように、民放としては、こうした番組を放送することは、なかなか難しいことだと思うのです。そういう中で、読売テレビが、こういうテーマを取り上げて問題提起をしていくということは、結構なことです。
 それから、裁判員制度に賛成だといっていた人が、実際の模擬裁判などを見て、一部が反対に変わったということに示されるように、裁判員制度というのは、いろいろな問題を含んでいます。ある意味では、危険な制度でもあるわけで、そこのところを考える必要があるということを伝えた点では、よかったな、と思うわけです。
 最近の風潮として、「市民の参加」ということが非常に良いことのように言われる。それは全く、そのとおりですけれども、その前提として「市民イコール善である」とか、「プロはいけない、アマチュアなら正しい」とか、こういう妙な思い込みが、あるように思うのです。しかし、市民であっても「いかがなものか」と思われることをやる市民もいれば、市民が出した結果が一般の常識と逆になってしまうケースもあるわけで、単純な二分法というのは危険だと思うのです。番組では、裁判員制度が導入されるとなると、市民それ自体が相当な責任を負わざるを得ないのだ、ということを自覚させたという、その点でよかったと思います。
 ただ、疑問に思う点、あるいは問題だと思う点が二つばかりあります。その一つは、この司法の改革というのは、裁判員制度そのものだけが問題ではないのです。今の裁判制度がいろいろな問題を含んでいるのは、単に市民が裁判員になって参加してないから、というだけではないわけです。先ほど、時間の短縮の問題が出ましたけれども、裁判がこんなに長くかかっているというのは、いろいろ理由があるのだと思うのです。
 慎重に審理しなければいけない、という問題もあるし、一方では、極めて一部の弁護士に限られるのかもしれませんが、最近の弁護活動が、真実の追求とか、被告人の利益ということと、離れてしまっている。裁判の妨害をしているような印象すら受ける。オウムの裁判を見てもそうなのですが、早く進められるものが、ひたすら、意図的に引き延ばされている、という問題もあるわけで、これは、市民が入ろうが入るまいが関係ない話です。
 裁判の問題というのは、裾野の広い問題なので、この1点だけが今日の裁判をゆがめている原因であるかのような印象を与えてしまった、というところに、この番組の一つの問題があったと思います。

「模擬裁判」をしていましたが、私が見た限りでは、これでは判決の出しようがないと思えるシナリオです。つまり、「被告がストーカー行為で女性を刺し殺した」「現場にバタフライナイフがあった」「サンタクロースの格好をしていた男が現場付近で目撃された」と、こういうようなことですね。それに対して弁護人が、サンタクロースの格好していたのは、当日スーパーのアルバイトで5人ぐらいいて、みんな同じ格好をしていたから、被告を犯人と特定できない、というような所見が出てきたり、目撃者はサンタクロースの袖口など、あちこちに血がついていた、と証言するのですが、しかし、弁護士の反対尋問に対して、1回見ただけで、はっきり分からないのではないか、となってしまう。
 さらに、サンタクロースの洋服が10着あって、そのうちの9着はあるけれど、1着がなくなっている、というところで終わっているわけです。その結果、「疑わしきは罰せず」で、無罪の判決になっていました。しかし、こういうプロットでは、判決の出しようがないですよ。
 実際の裁判は、そんな甘い審理があるわけはありません。サンタクロースの格好していて、しかも1着なくなっており、それが犯行に結び付いている疑いがあれば、警察は必ず物証を探さなければ、起訴に持ち込めません。そういう中途半端なやりとり1回だけで有罪、無罪を決めてしまうなどということは、実際には、あり得ないわけです。
 番組では、事実が何かを判断することが、いかに難しいかということを示すために、敢えて曖昧な部分を含んだストーリーにしたのだと思うのですけれども、その結果が、裁判員制度に賛成か反対かを問い掛けた、数字につながっていたのだろうと思いますので、ちょっと設定に無理があった、という感じがするのです。あれで、裁判員制度のあり方を判断しろといわれても、ちょっと難しいのではないか、という感じが私は受けました。

この番組を見て、企画あるいは、その意図、素晴らしいものだと思います。
 司法制度改革というのが出てきた理由は、規制緩和の流れの中で、自己責任を強調していくということになると、当然、社会の安全弁である司法の役割が増えていく、司法の役割が拡大していくのであれば、ある程度、市民の参加ということが必要ではないのか、という大きな枠組みの中で、裁判員制度などの問題が、いろいろ出てきているのです。
 ただ、この問題を議論するためには、まず現状はどうなのか、ということについて認識することからスタートするべきだと、と思うのです。番組に出た裁判官も言っていましたけれども、私自身も、司法試験に通るまでは裁判所へ一度も行ったことがなかったのです。司法修習生になって、まず刑事事件の裁判所へ行って、自分でもアホなことを聞くな、と思いながら聞いたのですが、「"コンコン"、静粛に、という木槌というのは、どこかにあるのですか」と裁判官に聞いたのです。
 「そんなもの、あるわけないじゃないか、日本では」という答えだったのですが、最近テレビ番組でも法廷を描いたものがありますが、基本的には、アメリカの映画やテレビをイメージしているのですね。私も、よく裁判所には、こういう木槌あるのですか、と聞かれます。
 日本の司法に対しては、それぐらいの知識しかないのです。いろいろ制度を変えていこうと議論する過程では、理念的に言うのではなくて、まず現状はどうなのか、ということについて認識することからスタートすべきです。
 そういう意味で、視聴者及びスタジオにおられる方に、実際の裁判は、模擬裁判とそのまま同じではないかもしれませんが、こういう形で進んでいくのですよ、というものを提示した上で意見を求める、この番組のやり方は非常にいいやり方だと思うし、もっと、やっていくべきでしょう。
 これは私たち法律家の責任なのかもしれませんけれども、裁判が、どういうものかということが、あまりにも知られていない。これが問題の、一番根本にあります。私は、啓蒙というような言葉を好きではないのですけれども、裁判の実態がもっと知られていき、その上で、どうあるべきかということを議論していくというのが、本道だと思います。そういう意味で、この番組は本当にいい番組だった、と思います。

出演していた家裁の判事さんが「これは決まっていることですから」と言っていましたが、現段階では、ただ最終意見書が出された、というだけで、実際にこれをやるのかやらないのか、どういうふうにやるのか、ということは、これから議論することになっています。あの部分のコメントも丁寧ではなかった、という感じがします。

議論を深める意味で発言するのですが、裁判が遅いという指摘がありました。私自身も、確かに遅いと思います。なぜ遅いのかというと、二つぐらい理由があると思います。一つは裁判というのは、どんどん動いていきます。動いていくたびに、いろいろ立証活動をしていくのです。新しい資料が出るたびに、反論を準備しなければならない、いうことなどでやむを得ず時間がかかります。
 その部分で、もうちょっと根っこにある問題として、証拠が開示されていないことがあげられます。証拠が全部開示された上で、「さあ、これから裁判始まりますよ」というのであれば、この枠の中で判断することになるので事実関係が浮かびあがります。だけれど、証拠が開示されていないから、裁判がどう動くのか、やりながらでないと、分からないのです。というのが、制度の問題としてあるだろうというのが、まず一つ。
 二つ目は、これはご批判を受けると思いますけれども、法律家にとって裁判を早くしようというインセンティブがないと思うのです。つまり、アメリカは、日本よりは早いと言われていますけれど、あれは集中的に人員を投入してやるからです。そうすると、当然フィーが高くなる。フィーは高くなるけれど、アメリカの場合は、勝訴した場合には、弁護士が得た金額の3割から5割をとれる。しかも、皆さんご存じのとおり、アメリカで賠償金というと、相当に高額です。その3割から5割を取れるのなら、人員を投入しても元が取れるのです。
 ドイツはどうかというと、ドイツは扶助制度みたいな制度があるのです。日本の国民健康保険みたいな制度がありまして、点数制になっています。ですから、数多くやっていたほうが、弁護士としての実入りが増えることになります。やはり、そういうインセンティブがあると思うのです。
 日本は、そういうインセンティブはほとんどありません。フィーの関係もあるし、人員を投入しても、元が取れないという事情もあるのです。
 この二つが、日本の裁判が遅い、大きな原因ではないか、と思っております。

日本の場合は裁判制度に対する国民の不信感というのは、果たして、そんなにあるのでしょうか。その辺は審議会では、どんな議論があったのでしょうか。

(社側)番組で、中坊さんが説明されていましたけれども、この制度を導入するにあたっては、不信感があるから変えるというのではなくて、現状では民主主義が正常に機能していないではないか、という考えが出発点となっています。司法は独立だ、と言ってきたけれども、それが独善に変わってきているのではないか、民主主義が正常に機能してない、というところから変えなければいけないという議論になっていったようです。

時間が経ったら常識というのは変わってきますから、あまり時間がかかったら、裁判も正しい判断に結び付くのだろうか、という気がするのです。世の中は、10年経ったら、かなり変わります。10年前の常識と今の常識とが、果たして同じかどうかというようことを考えると、そうではないわけで、それだけに時間のかからない裁判をやっていただいた方が国民としてはありがたいのです。いずれ判決が出るのであれば、なるべく早く判決が出た方がいいのではないか、という気がします。
 また、最終的には常識が大事だと思うのです。人間として、それでいいのかどうか、という議論になることが、医学の場合にもあるのですが、裁判の場合は、もう少し証拠が厳しく追求されるのですけれど、似たところがあるような気がします。常識にしたがって判断するという意味で、一般の方に入っていただくというのは、必要なことではないかと思います。

(社側)続きまして視聴者センターからの報告です。今月は、小学校乱入殺傷事件がございまして、5月より苦情・抗議が増えました。報道全般で135件、中でも小学校乱入殺傷事件に約90件、ここに時系列順に並べておりますが、中でも一番多い批判は、児童にマイクを向けた、このことでした。
 次に、田中外務大臣関係も相変わらず多く、32~3件寄せられております。ただ、ここに来てちょっとトーンが変わってきており、少し冷静になってみよう、という意見も多少寄せられています。

(社側)大阪教育大学付属池田小学校で発生した「小学校乱入殺傷事件」につきましては、大変多くの視聴者から様々な声が届くなど、高い関心を集めています。この事件について、報道局長から、事件を報道する過程で、どのような問題が生じて、どう対応したのか、などについて報告させていただきます。

(社側)事件そのものが非常に異常かつ悲惨であったということは、もちろんですけれども、今回、特徴的だったのは、視聴者の声が、事件を報道するのと並行して我々の方に寄せられたことです。リアルタイムで視聴者の声を聞きながら報道していったということで、そういう面では、幾つかの教訓、あるいは課題も抱えながら放送を行いました。
 事件そのものはご存じのように、発生が6月8日、午前10時10分です。一報の段階では「小学校に刃物を持った男が乱入して児童を刺した」というものでした。従いまして、その段階で我が社を含め各社が小学校に殺到したということになります。
 事件が学校、特に教室の中で起こったということで、我々取材陣は当然、目撃者である児童にインタビューを重ね、それを放送しました。
 その点について視聴者の声を集約しますと、子どもに対するインタビューの是非、あるいは疑問。それともう一つは容疑者を「なぜ匿名で放送するのか」という疑問でした。
 まず、生徒へのインタビューについての見解をお話します。私どもは取材の基本として、現場で何が起きているのか事実を集めて、それをいち早く知らせるというふうにとらえておりますので、今回も、そのような行動をいたしました。
 また、次に同じようなことが起きても、やはり何が起きているのかを現場で取材をする、事実を集めるためには、目撃者を探し、それに近い場所にいた方たちから話を聞くのは、当然だと思っております。
 ただ、いろいろなことが分かってきた段階で、取材のやり方を変えていくことが必要だ、ということを今回痛感いたしました。具体的には、視聴者の方々からの指摘もありましたし、私どもも画面を見ておりまして、子どもたちに対するインタビューが適切かどうか、随分考えました。
 夕方のニュースが終わった段階で、一つの判断をしまして、子どもたちに対する直接の取材を控えるように、現場に指示しました。こうした判断をした背景には、99年12月に起きた京都のいわゆる「てるくはのる」事件の時の経験があります。
 次に、既に放送を続けていた、子どもたちのインタビュー映像の扱いですけれども、これについても、その日の夜をもって使用を禁止いたしました。それは、何が起きたのかを伝えるという役割を、この映像は既に終えて、むしろ負の影響の方が出てくると判断し、そういう措置をとりました。
 もう一つの問題は、精神障害の可能性がある容疑者の実名報道を続けている点です。当初は、名前が分かった段階で実名報道しています。お昼のニュースの段階です。ただ、その後、精神病を理由に不起訴処分になったことや、精神病院の通院歴が分かってきましたので、午後1時をもって匿名報道に切り替えました。
 そこで、視聴者の方々から「どうして、これだけのことを起こしている人間を匿名で報道するのか」というような意見が寄せられることになりました。この点につきましても、夜に入って、いろいろと検討をいたしました。取材の最前線にいる警察担当の記者等から、警察の判断、また一方で私ども、これは全国ネットになっておりましたので系列局の日本テレビの社会部長とも相談を続けました。
 私どもの、相談相手である刑事事件の専門家、精神医学の専門家の方たちの意見も参考にしまして、8時55分のスポットニュースから実名報道に切り替えております。
 読売テレビでは、通常は実名、匿名の判断については、「報道・番組制作ガイドライン」及び「実名、匿名ハンドブック」というものに沿ってやっておりますが、一言で言いますと、小学校乱入殺傷事件に関して、今、続けている報道は、これを超えています。私どものマニュアルによれば、実名報道をする際には、精神病歴、通院歴については触れない。また、匿名で報道する際には、どうして匿名で報道しているかをわからせるために、通院歴、精神病歴について触れることもあるということになっておりまして、現在、実名で報道して、精神病歴、通院歴に触れていますので、そういう意味では私どものガイドライン、ハンドブックに沿ってはおりません。
 ガイドラインは、憲法ではありませんから、必ずしも、これを金科玉条のごとく守る必要はないのかもしれませんが、一定の基準ですので、むやみやたらに変更することはできません。しかし、時代の趨勢、また世論の動向と合わせて見直していく必要があるものだと考えております。
 どうしても、マニュアル的なものというのは、先例を集めて、それを分類して、ある種の法則性を見いだして、基準をつくるというようなことをしておりますので、これまでにないようなものが起きてきてしまいますと、ほとんど判断基準になり得ません。そういうことが今度は突き付けられた、というふうに判断しております。
 読売新聞の「新・書かれる立場、書く立場」の中に、犯罪報道の最後の基準は被害の大きさと、与えた社会的衝撃の広がりの規模と深さで考えるという一節があります。これは非常に、示唆的な言葉だな、というふうに思っております。
 これから先、難しい取材が続くのですが、事件の全貌を解明をして再発を防ぐという視点を忘れないでやっていきたいと思います。また、実際に8人の幼い子どもたちが命を落としており、多くの方が、心理的にも傷ついていらっしゃいますので、取材には一層の配慮をして臨みたいと思っています。
 たまたま、先日、大教大の副学長、総務課長と懇談の機会がありまして、その際に、この事件のテレビの報道について伺いましたところ、「発生直後の混乱期は、やむを得なかったと考えている。その後については非常に抑制的になり、かつ配慮していただいているように思う」というような返事をいただきました。
 また、今後の運営についてですが、先日フリースクールという、まず再建への一歩が出ました。また、学校も新しく建て替えるということになったようで、そのことについては遺族の方たちからは、自分たちが取り残されてしまう、そのままにしておいてもらいたいと考えているのに対し、一方で、一般の父兄の方たちは、この忌まわしいことを、早く払拭してしまって、正常化したいというような希望が寄せられているそうです。この両方の思いを満たすには非常に難しい、というふうに率直に言っておられました。
 そうした点について、皆さんの思い、それから総合的なものの見方というようなものを社会に問うという意味で、報道機関の役割に期待している、というような話もありましたので、このあたりも肝に銘じて報道していきたいと思っております。

子どもへのインタビューについて、ほかの局は対応や、その後の扱いはどうなのですか。

(社側)他局にも、同じような指摘が視聴者から寄せられておりまして、ほぼ同じような扱いをしています。直接取材をしない、あるいは親がいて、親が許可した場合に限ると、それから映像についても、顔を映さない、声だけにするというような判断をした局もあります。一般的に配慮するという意味では共通しています。
  • 平成13年度読売テレビ番組審議会委員
  • 委員長    熊谷信昭   兵庫県立大学名誉学長、大阪大学名誉教授
  • 副委員長    馬淵かの子   兵庫県水泳連盟   顧問   元オリンピック日本代表
  • 副委員長    川島康生   国立循環器病研究センター   名誉総長
  • 委員    秋山喜久   関西電力株式会社  顧問
  • 委員    金剛育子   能楽「金剛流」宗家夫人
  • 委員    林  千代   脚本家
  • 委員    阪口祐康   弁護士
  • 委員    佐古和枝   関西外国語大学教授
  • 委員    北前雅人   大阪ガス株式会社   代表取締役副社長執行役員
  • 委員    谷  高志   読売新聞大阪本社   専務取締役編集担当