第421回 番組審議会議事録

1.開催年月日
平成13年4月13日
2.開催場所 読売テレビ 役員会議室
3.委員の出席 委員総数 11名
出席委員数 8名
出席委員の氏名 大島 靖、金剛育子、林 千代、馬淵かの子、
野村明雄、尾前照雄、阪口祐康、佐古和枝
欠席委員の氏名 秋山喜久、熊谷信昭、小谷直道
会社側出席者 土井共成(代表取締役社長)以下12名
4.審議の概要 テーマ及び視聴合評対象番組
視聴合評番組 「ニューススクランブル」
放送日時 18時23分~19時00分 放送

【議事録】
どういうことを報道するかということについての基準というか、考え方はあるのですか。例えば、視聴者が知りたいと思うようなことを取り上げるとか、あるいは視聴者に知らせる必要があるから放送するとか、何か、基本的な考え方があるのですか。新聞報道もそうですが、テレビの報道も、警察や犯罪に関するものがちょっと多過ぎるのではないか、という感じがしているのです。それは新聞社などから、警察へ派遣している記者の数が多いからかな、と思ったりもするのですけれど、しかし、そうした事情とは別の基準があるべきだと思うのです。

(社側)まず、政治とか、経済の大きな流れは全国ニュースで扱われるため、ローカルニュースでは、ほとんど取り上げません。ただ、例えば、オリンピックの誘致の問題での大阪市の動きや、経済の問題なども特集で繰り返し取り上げていますが、日常的に大きなスペースをとって政治や経済のテーマをフォローするところまではやっていません。視聴者の視点から見ますと、事件、事故というのは興味がある、と考えており、優先して取り上げている部分はあるかと思います。我々のスタンスとして、視聴者に迎合するつもりは全くないのですが、かと言って、啓蒙しようなどとも思っておらず、淡々と視聴者のニーズに答えようと考えています。

例えば、気象情報、天気予報などというのは、知らせる必要もあるし、知りたいとも思う。これなどは、テレビニュースの内容としては格好のものだと思います。季節の風物というか、梅が咲いた、桜が咲いた、こういう鳥が鳴いている、こういう魚がいる、といった季節の風物も、いい題材だと思うのです。しかし、どうも警察関係のものが多過ぎるような気がします。

私のように、司法界にいる人間には、読売グループというのは社会面に強いというイメージを、新聞社、テレビ局を含めて持っております。午後6時半ごろには、他社も同じようなニュースをやっていますが、その中で特徴をアピールするために、読売グループとしての強いところを、生かそうとしているのかな、と感じています。ただ、生かそうとしながらも、主婦層向けということで、それなりに視聴者層のニーズに合わせながらというところに、ご苦労の跡が見えるな、というふうに思いました。

この「ニューススクランブル」は、報道番組の中でも好きで、よく見ておりますが、どういうところがいいのかなと、改めて考えてみました。そうしたところ、ひとつは、キャスターの方の語り口ですね。すごく歯切れがいいというか、てきぱきしています。他局のキャスターの方は、無駄口が多く、気になるところもあるのですが、「ニューススクランブル」のキャスターは、知りたいことを本当に歯切れよく言ってくれます。そうしたところに、好感が持てる、と思っています。

私どもはニュースで、色々な事件ですとか、世の中の出来事を知るわけで、そういう意味で先ほどの奈良県警関連のスクープなどは、放送されることで初めて私ども、一般の者が知る事が出来る事実です。今、様々な癒着とかがありまして、テレビなどの、報道関係が取り上げないと、なかなか表に出ずに闇に葬られることが、あまり多過ぎると思いますので、こういうふうに追跡して社会的に問題として取り上げることは、非常に素晴らしいことではないかと思っています。

私も、これは癖になっていまして、この時間帯になると読売テレビにチャンネルを合わせるというふうになっているのですが、今、改めて「なぜか」ということを考えると、読売は庶民の味方というのか、正義というものを前面に押し出しているような部分があるような気がして、そこに共感するからなのです。コメントにしても、何か反発できない部分があり、ついチャンネルを合わせてしまうのではないか、と思うのです。それと、多分、坂さんと植村さんの魅力だと思います。男性キャスターと女性キャスターの掛け合いというのか、役割の分担が非常にうまくいっていて、両方ともが、ある部分について厳しくなりすぎないように、抑えながら訴えている部分が効果的だと思います。

我々は、報道された色々な情報から、今、何が起こっているのかということを知って、怒りを感じたり、世の中の流れをつかむことができると思うので、私は今回の、奈良県警関連のスクープというのは「もっと続けてほしいな」「結果はどうなったのか」「この局が告発することによって、どういうふうになったのか」というものを、引き続き知らせて欲しいと思います。  また、一方では、ローカルニュースの番組の特徴である旬の素材とか、関西ローカルの桜情報とか、夕日がきれいな場所はどこであるとか、そういうものも、38分の中に含まれていますと、見る側も引きつけられるのではないかと思うので、これからも関西ローカルを意識して色々なものを見せてほしいなと思います。

我々、テレビを見ている者は、画面に出てきたものだけをニュースとして知る事が出来るわけです。つまり、出てこない事実は、ないのと同じになるわけですね。従って、テーマの選定の基準、何をテーマとして放送するのかという、選定の基準が大切だと思います。あるテーマに、時間をかけて調査をしてフォローしながら、きちっと出していくことが、かえって全体としてのニュースの公平性というか、バランスを失する恐れがあり得るのではないかな、という心配があります。例えば、社会部的なニュースもあれば、学芸、文化部的なニュースもありますね。その辺を、どのように取り混ぜていくのかという、比重の置き方、テーマの選び方について、ある程度バランスがないと偏ってしまうのではないかと思います。奈良県警のテーマは大変いいと思いますけれども、続報への期待を、あまりにもばらまき過ぎない方がいいのではないかと思います。

天気予報の中の鮒ずしなどという風物は、これは一つのローカルらしさがあって大変いいと思うのですけれども、「月間の地震ファイル」というものは、何をテーマとして視聴者に対して見せていくのかということの選定を、誤らないようにしないといけないな、という印象を受けました。

この番組は「ニューススクランブル」ということですから、普通の一般的なニュースを報道するだけではなくて、どこまでニュースを掘り下げていくのか、というのが重要なポイントになってくるし、この番組の価値を決めることになるのではないか、と思います。ニュースですから、扱う範囲は非常に広いわけで、どういうものを取り上げるかというのに、勉強もしなければなりませんし、頭を使わなければなりません。しかも、近畿地方を中心に、周囲に広く網を張ってニュースバリューのあるもの、皆さんに見てもらったらいいだろう、と思うものを見付ける。そこのところが、一つの決め手になるのではないかと思うのです。社会的なもの、あるいは、健康の問題、天候の問題、地震の問題、自分の身を守ったり、社会を守ったりするために、どういうニュースがあるかというようなことを掘り下げて、知らせる事が大事だと思います。

地震の問題なども、内容はよく分かりましたけれど、分かったのは分かったけれど、どうして防げばいいのかというようなことが、もう一つ伝わってきませんでした。こういう準備をしておけばいいとか、何か、そのようなことが、もし含まれていれば、役に立つのではないかな、と思いました。

この番組の放送時間は、夕食の前ぐらいですね。夕食の前か、早いところでは夕食食べている時間でしょうけれど、私は健康の維持や家庭とか社会を健康に維持していくために、役に立つ番組というようなことをポイントに、構成していくといいのではないかと思います。政治などの問題を伝えるのは、主にもっと広い範囲をカバーするキー局の役割で、この地区で、特色を生かしていくなら、そういうことではないか、という気がしています。バリエーションが多いので、番組を作られる方としては、工夫がいるし、努力している番組だと思って見ました。迫力があり、歯切れも良くて、非常に分かりやすい番組だと思います。

地震のことが扱われていましたが、私の聞いている範囲では、地震の予知というのは全然できていないということです。予知のできるのは、「津波の心配はありません」ぐらいのことで、成果が上がっていないということですので、先程の放送のように地震を研究している教授が出て、もっともらしい話をすると、何か錯覚を与えるのではないかと思います。むしろ予知は全然できてないということを、はっきり知らしめるのが大事ではないか、と思うのです。それから、NHKなどで各地の地震を、震度2とか1など小さなものまで報道していますが、ああいうことは、まことに良くないことではないかと思います。

先ほどから地震のことが、いろいろ出ていますけども、私は、鳥取県の出身で、鳥取の地震のときも地元にいて、びっくり仰天しました。今でも、山あいの震源地に近い町はブルーのシートがかかっている家が、いっぱいあります。そういう景色を見ながら行ったり来たりしているものですから、ああいう形で定期的にでも、地震のことを取り上げるというのは、大事なことなのではないかなと思いました。地震が、どこででも起こり得ることなのだということは、ずっと以前、地震があったときに本当にそう思いまして、目先の事実、事件を追っかけるだけではなくて、地味かもしれないけれども、大事な情報を定期的に少しずつでも皆さんに発信していくというのは、良いことだと思います。ただ、その切り口が問題にはなると思うのですが、いたずらに恐怖心を煽るだけでは困るけれども、「起こり得ることなんだよ」ということを、ときどき伝えてもらうと、それを見て「ああ、そうだったっけな」などと思い出して、防災の問題に目が向くと思います。それから、鳥取でも風評被害というのがありました。そうした時に放送で、「もうそんなに危なくないんだよ」というようなことも併せて伝えたら、地元も助かるはずだ、というようなことも思いました。

ニューススクランブルは、ビジュアル的に随分工夫していると思います。空撮の写真に活断層のラインが入ったり、地震のメカニズムの表現なども分かり易くきれいに出来ています。ああいうところの楽しさというのも、視聴率につながっているのかな、という気がしました。

私は、あの地震を取り上げた日に「ニューススクランブル」を、和歌山に住んでいる人と一緒に見ていました。「和歌山が、今度危ないよ」と、そんな話から始まりまして、神戸は画面に出た地図に全然印が入っていなかったので「神戸は大丈夫、大丈夫」と言ったり、後半で先生が「終息に向かっている」と話すと「こんなんで安心したらあかんのよ」というような話になってみたり、素人は、そういう見方をしていると思います。和歌山の人はちょっと不安になり、神戸の人は安心したというところで、終わっていたように思います。簡単に言えば、結論はそうだったのですね。この日の特集は、そういうところの締めが、もうひとつ弱かったな、と感じました。「ああ、もう安心なんだ」と思ってしまう、というのも困るので、地震のあとに、怖いことが起こることだとか、危ないものを上に置かないとか、そうした情報が必要なのではないでしょうか。

このごろ、なぜかコメントしている人の画面の下にスーパーインポーズが出るのです。英語でしゃべっている人に、日本語の字幕が出るいうのは、分かるのですけれど、話している日本語がそのまま文字で出るのです。なぜ、こんなこと言うかといいますと、2、3日前にある番組に中国出身の私どものスイミング・スクールのコーチが出演しました。そのときに、彼が言った言葉が画面の下に、字幕で出たのです。それで、私が「あんた言葉が通じてないから、こんなことになったんや」と言って「わあっ」と笑ったのですね。それで、本人がすごく悩んでしまいまして「ぼくの言葉は、そんなに通じていませんか」と、言うのです。そんなことがあって、きょうこの番組を見ると、やはり字幕が出ているのです。大学の先生がしゃっべっているシーンにも出ているのですね。言葉でしゃべったことは、オリジナルですので、よくよくの理由がない限り、言い換えたり、字幕を入れたりしない方が良いのではないでしょうか。方言なども、字幕で直していますね。こういうふうにされますと、方言、地元の言葉で言うのはまずいな、普段私たちが使わないような標準語的な言葉で、コメントしようか、と考えるようになり、本当のきれいな地元の言葉や、専門用語とかで、話しにくくなるような感じがします。

(社側) ああした字幕は、ここのところ増えてきています。報道部の中でも議論があり、音は、音で聞けばいいではないか、という意見もあります。ただ、夕方に限った事ではないのですが、この番組の時間帯は、片手間に見る方が多く、そういう方が目を離して、また見ても分かる、というように、よりやさしく見ることが出来る形にしようとしている、というのが一つの理由なのです。ただ、それが行き過ぎて、映像を邪魔するとか、オリジナルの言葉の印象を変えるなどの問題は我々も感じていまして、今後は出来るだけ分かりにくい部分に限って字幕を入れたり、簡潔に要旨だけを文字にするなど、方法について議論しているところです。

私も震災を経験したのですけれども、確かに高いところに荷物を置きはじめているのですね。それを見て「こんなもん下ろせ」と言ったのですけれども、人間いろいろ失敗があるけど、失敗というのは忘れられるものだ、ということみたいですね。10年、1世代になるかどうか分かりませんけれども、例えば、先日読んだ本によりますと、よく津波が来る地域の海岸線には、昔の人は「ここから下に家を建てたらあかんよ」という意味で碑を建てたけれども、何年か何十年か経つと、また、その下の方に家が建っていく。失敗というのは忘れられるものだ、というのがありました。そうすると、先ほどの「月間地震ファイル」の"失敗を忘れない"という切り口は、まさに生活に密着した意味で重要なことだと思うのです。しかし、あまり「危ない、危ない」と言いすぎると、地元の方のご商売などにかかわるので、そこのかねあいに苦労されたと思うのです。

(社側) 「月間地震ファイル」は今年の1月から始めました。なぜ始めたのかというと、阪神大震災から5年以上がたち、一般の方々の中では、かなり経験の風化が進んできました。また一方、去年、鳥取地震がありまして、そのときに我々も取材の応援に行ったのですが、我々の中でも風化が進んでいる事を実感したのです。阪神大震災が起きて、そのあと猛烈に我々は反省というか、「こういうときには、こうしなければいかん」、「こういう取材に対して、こうした方法をとらなければいけない」ということを決めたはずなのです。ところが、震災の現場に出ると、そのあたりも、かなり、あやしくなっていたのですね。そのことに思い当たったのが、理由の一つです。 もう一つは、西日本が地震の活動期に入っているのではないか、という思いがあります。そういう中で、月1回でもいいから、地震に関する情報を出していく事にしたのです。今回、見ていただいたのは、ちょうど湯村温泉のあたりで、群発地震が続いていましたから、それをテーマに取り上げましたけれども、毎月々々ああいう形ではありません。「予知」の問題とか、一般の備えの問題とか、いろいろな切り口で展開をしていきたいと、思っています。

奈良県警のところで、「警察の本部長が出て謝らなかった」というくだりがありましたけれども、私は、あれは反対なのです。警察の本部長というのは、厳とすべきだと思います。今ほど警察がなめられているときはないと思うのです。だから犯罪も増えてくる。警察というのは、厳めしい警察、怖い警察であるべきです。親しめる警察などというのは、私はナンセンスだと思う。やはり怖い警察で権威を持たなければいけません。ですから、ああいう事件があるごとに本部長を出すということは、私はよくないと思っております。まあ課長か部長が謝ればいいと思います。

警察は、府民の治安を守っているわけですから、権威を不必要におとしめる必要はない、と思うのです。ですから、記者会見に出ないことが、責められる対象になるような事象ではないと、私も思います。
  • 平成12年度読売テレビ番組審議会委員
  • 委員長    熊谷信昭   兵庫県立大学名誉学長、大阪大学名誉教授
  • 副委員長    馬淵かの子   兵庫県水泳連盟   顧問   元オリンピック日本代表
  • 副委員長    川島康生   国立循環器病研究センター   名誉総長
  • 委員    秋山喜久   関西電力株式会社  顧問
  • 委員    金剛育子   能楽「金剛流」宗家夫人
  • 委員    林  千代   脚本家
  • 委員    阪口祐康   弁護士
  • 委員    佐古和枝   関西外国語大学教授
  • 委員    北前雅人   大阪ガス株式会社   代表取締役副社長執行役員
  • 委員    谷  高志   読売新聞大阪本社   専務取締役編集担当