今回の配達先はロシアのサンクトペテルブルク。プロの指揮者を目指し、ロシア最古の音楽院の一つ、国立サンクトペテルブルク音楽院で学ぶ清水雄太さん(28)と、埼玉県に住む父・光男さん(60)、母・美月さん(52)をつなぐ。音楽の道へ進むことには反対だったという両親は「音楽で生活できない人は多い。好きでやっていくのとは違う。進路の話になるたびに反対した」と振り返る。
国立サンクトペテルブルク音楽院は、第1期生のチャイコフスキーを始め、多くの高名な音楽家を輩出してきた名門。オペラ・シンフォニー指揮科で学ぶ雄太さんは、数日後に迫った試験の準備で忙しく過ごしていた。オーケストラすべての楽器の譜面を暗記するまで読み込み、独自の演奏イメージを作り上げていかなければならないのだ。この楽譜の解釈の仕方で、演奏は大きく変ってくる。「指揮者は人に弾いてもらわなくてはいけない。自分が“こうだ”と楽譜から掴んだものを相手と共有し、一つのものを作っていかなければいけない」と雄太さんはその難しさを語る。
小学生になる前、母からピアノを教えてもらったのが音楽との出会いだった。その後、街の合唱団に入り、幼心に音楽家に憧れ、やがて指揮者になるという大きな夢が芽生えた。しかし両親は大反対。「“音楽家では食べていけないだろう”と。両親の言っていることは正しいから、否定ができない。でも音楽で食べている人も現実にはいるわけで、“そこにどうしても行きたい”と説得するんですが…いつもケンカでした(笑)」。結局、高校も大学も親の言うとおり普通科に進学。しかしどうしても音楽の道が諦めきれず、両親の反対を押し切って大学を中退。音楽大学に入り直した。そして3年前、この音楽院の指揮科へ。日本人で合格したのは、雄太さんただ一人だった。
指揮科の試験は生徒が課題曲を指揮し、その演奏に得点が付けられる。演奏するのは一流のプロのオーケストラだ。採点する先生も第一線で活躍する著名な音楽家たちばかり。「これだけのチャンスがあるのは、学生にとってありがたい環境」と、プロを相手に経験を積める絶好の機会を雄太さんは歓迎する。試験のリハーサルを経て本番を迎え、雄太さんは半年間、頭の中で膨らませてきた楽曲のイメージを、プロのオーケストラ団員相手に見事に形にして見せた。雄太さんは「気持ちよかった!リハでやったことは全部できた。すべてがうまくいった」と、手応えを感じたようだ。結果は5点満点中4点。演奏終了後にオーケストラから拍手が起ったのは雄太さんだけだった。
今は音楽に没頭する雄太さんだが、正直不安もあるという。「今はこうして自分の立場があるが、いざ卒業したら居場所はあるのか?指揮者で食べていけるのか?すごく狭くて厳しい世界がすでに見えている。そういうものと葛藤していかなければならない苦しさは常にある」と胸の内を明かす。
そんな雄太さんに両親から届けられたのは、小学校の時、親にねだって買ってもらった譜面台と合唱団の楽譜。雄太さんが音楽の道で生きる事を意識し始めたころの宝物だ。添えられていた父からの初めての手紙には「雄太の希望をもっと早くから尊重していれば、こんな遠回りしなくても済んだろうと後悔している」と綴られていた。だが雄太さんは「反対してくれたからこそ、やってやろうという気持ちになれた。反対されたプロセスは僕にとって意味のあることだった」と、両親に感謝の気持ちを語る。