ディレクターのこぼれ話

こぼれ話一覧
2019年
#5192019年6月30日
アメリカ/ニューヨーク 日本の心をリスペクトするニューヨーカーたち
#5072019年3月31日
アメリカ/アトランタ その後スペシャル
#5002019年2月3日
フィリピン/セブ島 500回1時間スペシャル
#4962019年1月6日
カナダ/スミスス・フォールズ カナダの国技愛
#4852018年10月7日
メキシコ/オアハカ たこ焼きはジャパニーズソウルフード!
#4712018年6月3日
ドイツ/ビーレフェルト オペラ歌手の父との約束
#4602018年3月18日
ドイツ/シュトゥットガルト 世界遺産・石見銀山へ
#4542018年1月28日
アメリカ/ニューヨーク 規格外なデザイナー
#4392017年10月1日
台湾/台中 世界一のスクーターパフォーマー
#4252017年6月11日
イタリア/フィレンツェ 唯一無二の和紙画作家
#4112017年2月19日
インドネシア/バンジャルマシン 『0』を『1』に
#3952016年10月9日
カンボジア/シェムリアップ カンボジアの家族
#3822016年6月26日
ジョージア・トビリシ/ワインとバレエ
#3682016年3月13日
韓国/オモニの温かさ
#3522015年11月1日
中国・北京/自由とチャンスの国
#3492015年10月4日
イタリア・ミラノ
#3382015年6月28日
イタリア・カッラーラ/常に想像を上回る芸術家
#3232015年3月1日
アメリカ・ロサンゼルス
#3202015年2月8日
カナダ/カルガリー マジシャンのパートナー
#3052014年10月12日
イギリス/ロンドン 「戦う23歳」
#2942014年7月20日
アメリカ/ニューヨーク 「NYは世界の中心」
#2802014年3月30日
ハンガリー/ジュンジュシ 師弟の絆
#2632013年11月10日
タイ/バンコク バブリーなタイ
#2432013年6月9日
モンゴル/ダルハン 心地よい時間
#2412013年5月26日
オーストラリア/パース  カナーボンの落とし穴
#2402013年5月19日
タイ/ナーン
#2392013年5月12日
ボリビア/ウユニ・天国に一番近い湖
#2342013年3月31日
アメリカ/ニューヨーク 大雪のニューヨーク
#2322013年3月17日
オーストラリア/シドニー 鬼頭家の“法則”
#2312013年3月3日
ニューヨークで「建造物修復師」として活躍する日本人 前川宗人さん(43)
#2302013年2月24日
イタリア/クレモナ
#2262013年1月27日
オーストラリア/ゴールドコースト
#2252013年1月20日
イタリア/ボローニャ 一流ジェラート職人の元気の源は「サザエさん」
#2242013年1月13日
アメリカ/ボストン ホタテの島!
#2192012年12月2日
チュニジア/マハディア おもてなしの心
#2182012年11月18日
イタリア/ベネツィア ヴェネツィアでガラス工房を営む日本人
#2132012年10月14日
スイス/ゾロトゥルン
#2102012年9月23日
スペイン/バルセロナ スーパースターが認めた才能
#2092012年9月9日
カナダ・ホワイトホースで写真家として活躍する日本人
#2082012年9月2日
アメリカ/テキサス州 観光にオススメ!独立リーグ
#2072012年8月19日
ウガンダ共和国/熱い国で熱い男が作る最高のチョコレート
#2062012年8月12日
イギリス/ロンドン
#2042012年7月29日
台湾
#2032012年7月22日
カナダ/ブリティッシュコロンビア州アボッツフォード
#2022012年7月15日
アメリカ・カリフォルニア 47歳、不屈の魂
#2012012年7月8日
バングラデシュ・ダッカ 世界住みにくい街ランキング2位の街は、もう一度行きたい街1位だった
#2002012年7月1日
ピッツバーグで金管楽器奏者として働く日本人
#1992012年6月24日
モザンビーク、ある村の真実
#1982012年6月10日
エルパソ
#1962012年5月27日
ドイツ/ブラウエン
#1952012年5月20日
ケニア ちょっぴり賢くなった旅
#1932012年4月29日
ロンドンでストリートフォトグラファーとして働く日本人
#1922012年4月22日
大韓民国/90年代にタイムスリップ
#1902012年4月8日
タイ・オムコイの村
#1892012年4月1日
新しい自転車欲しい。
#1882012年3月25日
ラオスのハプニング
#1862012年3月11日
アメリカ・ソルトレイクシティ バスケと犬と少年と
#1852012年3月4日
ブータンのティンプー市役所で働く日本人
#1842012年2月19日
ブラジル/クリチーバ
#1832012年2月12日
地球便 香港編
#1822012年2月5日
ブラジル リオ・デ・ジャネイロの熱い夜
#1792012年1月15日
ポルトガル/リスボン
#1782012年1月8日
NASCARレーサー 尾形明紀
#1772011年12月25日
アメリカ/ニューヨーク
#1762011年12月18日
湖と星空の町・テカポ ~パワフル&ポジティブ!~
#1752011年12月11日
オーストラリア/スーツとネクタイとシャンパン。
#1742011年12月4日
ポーランド、ウッジ市でバレリーナとして活躍する日本人
#1732011年11月27日
フラワーアーティスト
#1702011年10月30日
カンボジア/夢追う夫婦に学ぶことばかりの旅
#1692011年10月23日
ニュージーランド/男のロマン
#1682011年10月16日
ドイツ/ザクセンカム
#1672011年10月9日
ベルギー・ブリュッセルで
   プロのジェットスキーライダーとして活躍する日本人
#1642011年9月11日
今回は夏真っ盛りのハワイ・オアフ島ホノルル。
#1612011年8月14日
『スペイン/カナリア諸島』 同い年として…。
#1602011年8月7日
『アメリカ・サンタローザで介助犬訓練士として奮闘する日本人』
#5192019年6月30日

アメリカ/ニューヨーク 日本の心をリスペクトするニューヨーカーたち

今回は、ニューヨークで鮮魚・飲食店経営する原口雄次さんを取材させていただきました。

鮮魚店・ラーメン&定食店・寿司店・鮮魚販売専門店と4つの店舗をニューヨークで経営する雄次さん。
素材である”魚"を各店舗で無駄なく使い、「もったいない」をコンセプトに魚ビジネスを展開しています。

その日本らしいコンセプトがニューヨーカーの心を掴み、お店は連日お客さんで大にぎわい。

お店で働くスタッフもそのコンセプトに惹かれて集まってきたアメリカ人ばかりです。
「ニューヨークに住む日本人よりも、ニューヨーカーの方がより日本好きが多いように思います」と雄次さん。

現在は順風満帆そのものですが、始めたばかりの頃は経済的にも苦しかったといいます。
当時、キッチン設備に必要な30万円を集めるため、クラウドファンディングに挑戦。
オリジナルのメニューを企画し、出資を募りました。
その時のメニューが、なんと・・・「ラーメンのコースメニュー」!

小ぶりなラーメンを何種類も楽しめるコースメニューを発案したと言います。
そんなコース料理、た、食べたいに決まってる。。

ラーメンにしては高い値段設定に感じましたが、コース料理として考えると安い方なので、
結果としてニューヨーカーの人気を集めたといいます。
うーん、アイデアがすごい。。
今では珍しくなくなったクラウドファンディングですが、
雄次さんが挑戦した当時は、まだまだ世間に浸透しておらず
雄次さんが日本人初めての成功者らしいです。

和の心を持ちながら常に新しいことに挑戦する雄次さん。
「ニューヨークという街は、挑戦する人間を当たり前のように受け入れてくれるんです。
 この街だからこそ僕は挑戦できた。」
雄次さんの思いに共感するニューヨーカーが自然と集まり
お店のスタッフも熱意のある人たちばかり。
取材期間中、ラーメンの出張ケータリングをしていたのですが、
そこでの主役は雄次さんではなく、お店のスタッフ。

普段のラーメンではなく、スタッフたちが考えた新しいラーメンを出展していました。
スタッフたちが忙しい日々の中、いつか店に出したいと試行錯誤し考えたラーメン。
そのスタッフの熱い思いを知っていた雄次さんは味付けに口を出さず、
思いのままやらせてあげたのだとか。
「最終的な成果はコントロールしつつも、できる限りスタッフのやりたいことをやらせてあげる。
 そうすると、みんなモチベーション高くついてきてくれるんです。
 僕の父も、僕がやりたいと言ったことを一度も否定することはなかった。
 信じて任せることがその人の成長につながると思うんです。」
と雄次さん。
心に染み入る言葉です。

雄次さんの名前の「雄」は、お父さんの「睦雄」という名前から引き継いだのだとか。
そして、雄次さんの長男は「雄一朗」くん。
「僕にとって、代々『名前』と『思い』を受け継いでいくことが、人生であり家族のような気がして」
亡きお父さんへの思いを胸に抱きながら、今日もニューヨークの空の下、魚をさばきます。

天国のお父さんが見守る中、どこまでも挑戦し続ける雄次さんを応援しています。

ディレクター:市井

#5072019年3月31日

アメリカ/アトランタ その後スペシャル

今回取材させていただいたのは、8年前に放送させてただいた新体操のコーチ・篠原奈美枝さん。
当時アメリカのアトランタで、新体操クラブに通う娘・枝令菜ちゃん(10)のために
アシスタントコーチとしてボランティアで活動していました。
6歳から4年間新体操をしていた枝令菜ちゃんも、8年後の今は新体操歴12年・・・
現在どんなレベルで、どんな活躍をされているのか、ワクワクしながらたずねました。

アトランタの体育館、奈美枝さんとの再会。
8年経ったとは思えないほど、まったく変わらない素敵な笑顔で迎えてくれました。
夫の稔さんとともに家族3人で設立したという自分たちのクラブで新体操の練習中。
以前取材した後、コーチの資格だけでなく、国際審判という難易度の高い資格も取得されていました。
なんでもその資格を持っているのはアジア人で奈美枝さんだけなんだとか。。
夫の稔さんもコーチの資格を取得し、万全の体制で新体操クラブを運営されていました。

そしてそこには18歳になった枝令菜ちゃんも。
なんと現在、アメリカのナショナル選手で、トップ10人の中の1人。
東京オリンピックを視野に入れた強化選手の仲間入りを果たしているのです。
あの小さくて幼かった女の子が、アメリカを代表する第一線の選手に。。
8年間、地球便を黙々と続けてきましたが・・・
気がつけばこんなに変化するほど時間が過ぎていたんですね。。

今はすっかり大学生で、稔さんの職場でもあるジョージア工科大学に通っています。
稔さんの影響もあり、がっつり「文武両道」。
二足のわらじはかなり大変だと思うのですが・・・
「新体操に疲れたら勉強して、勉強に疲れたら新体操、気分転換になるの」
と、笑顔で語る枝令菜ちゃん。。とんでもなくポジティブです。
そんな枝令菜ちゃんはナショナル選手でありながら
実は、コーチの資格も取得し、審判の資格も取得しています。。
お、おそろしい。。
現役代表選手でありながらここまでの資格を持っている人はいないのだとか。。
コーチはもちろん、審判としてルールを細部まで理解することは
現役選手としてかなりメリットがある・・・のだそうですが、それにしてもスゴイ。。

代表選手ともなると、かなりガチガチに周りを固めて練習を重ねるものらしいですが、
奈美枝さんたちは常に3人家族で突き進んできました。
その家族スタイルと、異端の快進撃に、今やアメリカ新体操界で「篠原ファミリー」として
かなり有名な存在になっているんだとか。

しかしながら・・・
「自分たちだけで頂点を目指す」そう決めた時、周りからは
「『コーチと選手』=『親と娘』、その関係性では衝突してしまってうまくいかないよ」
と反対する声が多かったといいます。

奈美枝さんはコーチとしての責任を重く受け止め、「母親」ではなく「コーチ」として厳格に指導にあたりました。
それでもやはり、奈美枝さんはコーチとして指導しているのに、枝令菜ちゃんは娘として母に甘えたくなってしまう・・・そんなシーンが多々あったといいます。
奈美枝さんの気持ちとは裏腹に、枝令菜ちゃんは前に進めなくなり、まったく結果がついてこなくなってしまいました。。
奈美枝さん自身、かなり葛藤を抱え悩んだ時期があったといいます。

そんな時、救ってくれたのは8年前に届けられたお父さんの手紙でした。
「壁にぶつかった時、枝令菜自身の気持ちになってあげて」
その言葉が何度も頭をよぎり、枝令菜ちゃんが行き詰まった時
奈美枝さんは「コーチ」ではなく「母親」になることにしたんだそう。
そうすると、枝令菜ちゃんの演技も生き生きと、奈美枝さん自身もおおらかな気持ちで指導にのぞむことができるようになり、ここまでの高みに登ってこれたといいます。

日本にいるご両親にも今回ご挨拶に行ってまりました。
娘の成長と孫の活躍を喜び、そして何より稔さんの存在に感謝しておられました。
3人がアトランタに渡って18年。
「離れていても安心して日本から見守っていられるのは篠ちゃんのおかげ」と。


今回のアトランタ取材中、枝令菜ちゃんの
「世界一になりたいんじゃなくて、ママを超えたいだけなの」
という一言がとても印象的でした。

篠原家では、新体操の中に「親子の愛情」があり
その絆がどんどん深まって、気づけば世界トップクラスの選手になるまでの成長を成し遂げています。
「親子のシンプルな愛情が世界を舞台に羽ばたく力になる」まるで漫画のようなストーリー。
「地球便を続けてきて良かった」心からそう思わせてくれる素敵な取材になりました。

ディレクター:市井

#5002019年2月3日

フィリピン/セブ島 500回1時間スペシャル

番組放送500回を記念してぐっさん自らセブ島へ。
セブ島を中心とするビサヤ諸島を転々としながら生活する三浦聖子さんを訪ねました。

ビサヤ諸島の玄関口になっているマクタン島。
この島には数多くのギター工房があり、世界的にもギターの名産地として知られています。
フィリピンがスペインに統治されていた時代、やってきたスペイン人がギターの文化を持ち込んだのだそう。

それ以来、地元の産業として発展し、代々職人たちがそのギター製造の技術を守り続けているといいます。
訪れたのはギタリストでもある夫のジェフさんが大好きなお店「スシングスギター」。
ひとつひとつ手作りで作られ、中にはマンゴーの木を素材にしたギターもありました。
ウクレレを手にしたぐっさんも思わず一曲。世界に二つと無い手作り楽器。
その精巧さと味わい深さに惹かれ思わず買って帰ったスタッフも(笑)

聖子さんは、ジェフさんのツアー会社を手伝いながらNGO団体を主宰し、離島スラムと呼ばれる貧困地区にボランティアの手を届ける支援活動を行なっています。
今回、ぐっさんとともに訪れたのはパンダノン島という小さな島。
フィリピンでは「天国に一番近い島」と呼ばれるとびきりのリゾートアイランド。
しかし、そのすぐ裏側には2000人の人々がひしめくように暮らすスラムの村が。
インフラが整わず、ガス・水道もない困窮する人々。
決して楽ではない不便な生活の中で、不思議と目をひいたのは、島の人たちの笑顔でした。
真っ直ぐな瞳から感じる温かい穏やかさ。驚くぐらい明るく優しく僕たちを包み込んでくれました。

この島を訪れる日本人をいつも歓迎してくれるといいます。
「この人たちの魅力に惹かれるからこそ、私は頑張れるんです」と聖子さん。
ジェフさんが生まれたこの島で、今はお互いに助け合い、心の交流ができているといいます。

セブ島は、どうしても海のリゾートに目が行きがちですが
今回聖子さんのおかげでいろんな目線でセブと向き合うことができました。
そして聖子さん自身にはもう一つの目標があるといいます。

聖子さんのお子さんであるカイくんは、現地の学校に通うことなく、ホームスクーリングという方法で勉強をしています。聖子さんやジェフさんの仕事現場に一緒に行って、たくさんの人と出会い、ふれあい、ここでしかできない体験を積み重ねています。それは日本人・フィリピン人の区別なく、人と人としてのふれあい。8歳のカイくんは日本語だけでなく、英語・ビサヤ語も自由にしゃべることができます。そしてなにより自分自身の思いや興味に対して素直に行動できる強い男の子でした。
家にはカイくんの従兄弟や、日本からホームステイで来ているお子さんも。

「国を超えて子供たちが自由に学べる場を作り出したい」

それが今、聖子さんが抱く大きな夢です。

少しずつそれが形になってきて、最近、日本のお子さんを受け入れホームステイできる環境が整い始めたという聖子さん。「Homestay×Original Learning」というサイトで本格的に募集をスタートさせたそう。

「『日本で学校に通う』という選択肢以外の道を、フィリピンで作り出します!」

一歩一歩大きな夢に向かって前進する聖子さん。
その意思の強さと眼差しに心を大きく揺さぶられました。
聖子さんの夢が実現することを祈りつつ、またいつかこの地を訪れたいと心に誓いました。

ディレクター:市井

#4962019年1月6日

カナダ/スミスス・フォールズ カナダの国技愛

アイスホッケーの本場カナダで、ジュニアリーグの選手として奮闘する小川大和さんを取材させていただきました。

日本にいた頃は、アイスホッケーが盛んな栃木県・日光で経験を積んできたという大和さん、さらなる飛躍を求めて15歳の時、カナダに移住しました。

大和さんが所属するチーム「セトラーズ」は、練習が毎日あるわけではありません。
ホームのアイスリンクは、決められた日・時間しか使用できないそう。
そのため、隣町のリンクに出かけることもしばしば。
同行させてもらうと・・・そこで行われているのは小学生の練習でした。

参加している子供達は学校に行く前の朝7時から8時の間、リンクでアイスホッケーの練習をするんだとか。
アイスホッケー大国というだけあって、小さな子供達でもスーイスイ。
そのあまりのレベルの高さに唖然。。

現地のテレビをつければアイスホッケーの試合が。街を歩けばアイスホッケーのポスターが。
常に生活の中にアイスホッケーがあり、それが当たり前のように人々の中に根付いていました。

大和さんはその子供達の練習を手伝って、子供達が終わったあと、リンクを少し借りて自分の練習をしていました。「少しでもリンク上での練習ができれば」と、言葉少なめな表情にも闘志がみなぎります。

その後、練習終わりに立ち寄ったのは町のスケート道具屋さん。
一週間に一度は、スケート靴の下についている金属部分・ブレード(エッジ)を、磨いてメンテナンスをするんだそう。

意気揚々とメンテナンスをしてくれるお店のおじいさんは
得意そうにアイスホッケー愛を語りながらご機嫌です。
町のピザ屋さんも、ホームセンターも、バス会社も、みんなスポンサーとなって
チームをサポートしてくれていました。
「ホントにこの国の人はアイスホッケーが好きなんだなぁ」と実感。

大和さんが生活しているチームの寮も、実は町の人がサポートして提供してくれている”元病院”の建物。

どこか、作りに"病院らしさ"が残っていてそそられます。
奥の方には元リクリエーションルームなのか、ビリヤードやエアーホッケーなどの遊具もあったり。
今では選手たちがリラックスするための憩いの場になっていました。

国民みんなから愛されるスポーツというものは、単純に人々の娯楽というわけでなく
人々の生活に根付いた、かけがえのない存在・象徴なのだと・・・
改めて感じさせられました。
だからこそ、そこでプレイする選手も情熱を持って人生をかけてのぞんでいるのだと。
スポーツとサポーターのあり方の理想を見ることができたような・・・
そんな素敵な取材でした。

またいつの日かこの国にアイスホッケーを見にこれるといいなぁ。

ディレクター:市井

#4852018年10月7日

メキシコ/オアハカ たこ焼きはジャパニーズソウルフード!

メキシコの中で最も多民族が混在していると言われているオアハカ州。
世界遺産にも登録されているカラフルな街並みと、そこに息づく人々から、メキシコのビビットな空気感が伝わってきました。
今回は、この街でたこ焼き屋さんを営む竹下幸子さんを取材させていただきました。

住所をもとにたずねると「たこ焼き」と日本語で書かれたちょうちんが。

明るく元気に迎えてくれた幸子さん、そしてそこには16歳年上の夫・和之さん、4ヶ月の娘・まつりちゃんの姿も。たこ焼き屋の厨房で元気な声をあげ続けるまつりちゃん。

メキシコでは昔からの風習で、男女の区別をつけるために女の子の赤ちゃんにはピアスをつけるそうです。
まつりちゃんの耳にもピアスがありました。

生まれた直後、へその緒を切ったあとすぐにピアスをしたとか。
現地のお客さんに助けられながら、小さなたこ焼き屋さんで家族3人、忙しいながらも終始明るい雰囲気に包まれていました。
ほっこりしたその空気感にこちらの心まで癒されます。

30歳を前に勤めていた日本の会社を辞めて独立した幸子さん。
半年間のメキシコ留学を経て帰国後、日本で移動販売のお店を立ち上げました。
販売したのはメキシコのソウルフード「トルタ」というサンドイッチ。
トルタ屋サチータ号に乗り、東京の街を転々としながらの販売。
研究を重ねたトルタと、持ち前の明るさで売り上げはグングン上がり、
渋谷では知る人ぞ知る、行列ができるトルタ屋さんになったそうです。
独り立ちして順風満帆だった幸子さんですが・・・
2年後、そのトルタ屋さんを休業することに。
そのきっかけは、夫の和之さんの言葉だったといいます。
「今は順調だけど、一生トルタ屋さんのおばちゃんでいいの?」
同じ会社で働いていた時から、上司として仕事だけでなく、仕事に対する姿勢までも
親身になってアドバイスをくれていた和之さん。
その言葉をきっかけに改めて自分の人生を見つめ直したそう。
「トルタ屋さんをするのは大好き。でもこのまま一生同じことをやるのは違う気がする。
 やっぱり次は、メキシコで、日本のソウルフードで勝負してみたい!」
心に決めてからは行動が早い幸子さん。
あれよあれよと決めていき、購入したマンションも売り払い、和之さんとともにメキシコに渡ったんだそうです。
その後、メキシコでたこ焼き屋さんとして奮闘して1年。
今は、新たな店舗&住居物件を探し、次なる展開を模索しているとか。。。

いつかは従業員を雇い、たこ焼き屋さんを大きくして、
日本でトルタ屋、メキシコでたこ焼き屋さんを展開させたいと夢を膨らませています。
常に前を向いて奮闘するポジティブな明るさに圧倒されました。

「まつりちゃんが大きくなった時、この地球便で両親の原点の姿を見て、何かを感じてくれたらうれしいなぁ。」
そんなことを思いながら、メキシコの青空にひたったロケでした。。

ディレクター:市井

#4712018年6月3日

ドイツ/ビーレフェルト オペラ歌手の父との約束

今回はドイツでオペラ歌手として奮闘する木村善明さんを取材しました。

ちょうどこの時、善明さんは舞台の本番期間中、
演目はリヒャルト・ワーグナーの「ラインの黄金」という大作もの。
善明さんはアルベリヒという役で、主役の一人です。

重要な役どころに抜擢され、プレッシャーと戦いながらも懸命に歌の練習と本番を繰り返す日々。
しかも、そんな中、劇場で次に上演される別の演目の立ち稽古も。。

劇場専属の歌手だけに次から次へとブッキングされ、それらを全てこなさないといけません。



何が何でも出演に穴をあけるわけにはいかないと
健康管理には一番気を使うそうで・・・
週に三回はスーパーに買い出しに行き、喉に良い果物や野菜を仕入れ自炊。

家では、体幹を鍛えるためにバランスボールやフラフープで、運動を欠かしません。

『歌手として生きていく』
それは善明さんにとって子供の頃からの夢であり、
亡くなったお父さんと交わした大切な約束でもあります。
「毎回公演本番直前に、必ず父親のことを思い出すんですよね。
 フワっと、浮かんでくるんです。きっと観に来てるんだと思いますよ(笑)」
笑顔で力強く語る善明さん。

善明さんは、壁にぶち当たった時は必ず
「お父さんだったらどうするだろう・・・」
と思い浮かべながら乗り越えてきたといいます。

プロの歌手として活躍する善明さんの姿を見ることなく
亡くなられたというお父さん。
でも、きっと今の善明さんの姿をどこかで見てくれている・・・
僕も現場にいてそんな気がしてきました。

地道な努力を重ね、今の劇場で少しずつ認められてきたという善明さん。
取材中、劇場を取り仕切る音楽監督と総合指揮者の二人に面談を受けていました。
なんと、再来シーズンの演目「フィガロの結婚」で、主役のフィガロに大抜擢との報告!
また父に報告することができたと、喜ぶ善明さん。

歌が大好きだという思いと、亡くなったお父さんとの絆。
善明さんの中には、絶対に揺るがない確固たる強い思いがありました。

海の向こうでも、天国からでも、どんなに遠く離れていても
人の"思い"は人の心の中に息づいていくのだと改めて感じることができる取材でした。

これからも素敵な歌声を世界中に届けてください、
応援しています!

ディレクター:市井

#4602018年3月18日

ドイツ/シュトゥットガルト 世界遺産・石見銀山へ

今回は「海の向こうの大切な人は今」と題し、以前取材させていただいた人が今、どう過ごされているのか?を追跡取材しました。

6年前、ドイツでお菓子マイスターの資格取得に奮闘する岩切直子(当時36歳)さん。
国家資格であるマイスターは超難関で、厳しい試験に合格すべく日々努力を重ねておられました。
そんな直子さんを、日本で心配するお母さんは・・・
「お菓子作りもいいけれど・・・年齢のことも考えて、結婚・出産と幸せな人生を歩んでほしい」
と、将来のことを気にかけておられました。

実際に現地で取材を進めると・・・
試験に向けた勉強に取り組みつつも、お付き合いされている彼氏がおられ
将来のことも心の中にはイメージがある様子。
「ただ、今は目の前の資格試験に一生懸命なので・・・」
とのことでした。

そしてそれから6年が過ぎ・・。
直子さんを訪ねてみると・・・そこは島根県・石見銀山。
石見銀山??そう、世界遺産に登録されいてるあの石見銀山です。
ふもとの街並みも銀山とともに世界遺産として登録されており、島根県でも有数の観光地。

当時、僕と一緒にドイツを取材したカメラマンと共に石見銀山を訪ねる。。
なんとも不思議な気分です。
そこには当時の彼氏・日高さんが店長を務めるパン屋さんが。。
パン職人のマイスターでもある日高さんのお店です。
そしてもちろん、直子さんの姿もそこにありました。

菓子マイスター資格を無事取得し、彼氏の日高さんとも結婚、帰国して自分たちのお店を経営しているといいます。
なんと素敵な。。
僕もカメラマンも顔がほころびます。
しかも・・・

お母さんが熱望されていたお子さんが三人も!!
元気一杯、無邪気に走り回る子供たち。
お母さんも終始笑顔で、こちらにまでその幸せ感が伝わってきました。
いやー、素敵な空間です。

実は、帰国してすぐこのお店を開いたわけではなく、
しばらくはそれぞれ別のお店のスタッフとして働いていた時期もあったそうです。
そんな中、石見銀山の人と知り合いになり、「石見銀山でパン屋をやってほしい」というお話があり
自分たちのお店を持つことになったとか。。
今回、その地元の人ともお会いすることができたのですが、
「美味しいパン屋さんがこの街に欲しい」という石見銀山に対する熱い愛情をお持ちの方でした。
その情熱に二人も惹かれこの地での開業を決めたんだそうです。

今は三人目のお子さんが生まれたばかりでなかなか現場に立てないという直子さん。
落ち着いたらまたガッツリとドイツ菓子を作ってお店で出したいとおっしゃっていました。

いつもは、わずかな取材期間だけで、その人の人生を描いてきた地球便ですが
今回、その人の“その後”を取材させていただくことで
「放送が終わったあとも、人の人生は移り変わっていってるんだなぁ」と改めて実感。

人の人生を伝えることの意味と、その難しさをしみじみと感じつつ・・・
これからも「グッと!地球便」として邁進したいと美味しいパンを口にしながら思いました。

担当ディレクター 市井

#4542018年1月28日

アメリカ/ニューヨーク 規格外なデザイナー

今回取材したのはアメリカ・ニューヨークでファッション・デザインを学ぶ学生、小西翔さん。

翔さんが通う大学は、ファッション界で世界トップ3に入ると言われている「パーソンズ美術大学」。

世界をまたにかけて活躍する超一流デザイナーを多く輩出するこの学校は
授業内容・学費ともに規格外のものでした。

取材時に学校から出されていた課題は・・・
定期的に刑務所へ通い、受刑者の人にお話を聞いてそこから受けたインスピレーションを元に作品を作るという・・・
なんとも不思議な内容。
デザイナーとしての感性を磨く授業だそうです。
翔さんにとっては、今までやったことないデザインへのアプローチ。
周りの学生たちもみんな戸惑いながら挑戦していました。
それでも翔さんは臆することなく・・・
「やったことないけど、あえて違うやり方に挑戦して新しい可能性を見つけたいですね!」
と明るく笑顔で話してくれました。

他にも、最先端技術の3Dプリンターを作品制作に使ってみたり、
ヴァーチャルな空間の中で、服も人もヴァーチャルで見せるファッションショーができないかと企画してみたり・・・様々な挑戦を繰り返していました。
「単純に先人がやって来たことをトレースしても、その人たちと同じレベルには行けない。
僕らの時代には「僕らの時代の活躍の仕方」があるはず。」

とんでもなく前向きで挑戦的です。
取材しながらどんどん興味が湧いてきました。

そして私生活の方も規格外。
ルームシェアで、わずか2畳半ほどの部屋を借りている翔さん。
置いている荷物は必要最低限のものだけで、寝に帰るだけの状態。
しかも週の半分は友達の家を泊まり歩いています。
「僕はこれをヤドカリ生活って呼んでます!」とこれまた明るく笑顔。
翔さんに宿を貸してくれる友達がたくさんいて
いろんな家を泊まり歩いているとか。
友達に話を聞くと
「翔の人生は、デザインとお酒と友達の三本柱だよ」と
翔さんへの信頼感の強さをすごく感じました。
コミュニケーション能力の高さもこれまた規格外。

現在はまだ学生で、両親からの援助と奨学金に頼ってきた翔さん。
そんな中、翔さんはずっと無遅刻無欠席を貫いてきました。
日本の専門学校4年間、ニューヨークの語学学校1年間、
パリの美術大学1年間、そしてパーソンズ美術大学、
この間、ずっとです。
「どんなに体調が悪くても、休まない。朝一番に学校に行って、ぎりぎりまで勉強と制作作業に取り組む。
友達と遊んだり、呑んだりするのはその後ですね(笑)。
親からもらったチャンスだし、自分自身できることはすべてやりたいんです。」

学生を続けることで、学費や生活費のことで幾度となく両親と衝突してきたという翔さん。
普段はなかなか言い表せないものの、
最終的になんとかしてくれる両親に対しての感謝の気持ちの強さも規格外でした。

きっとこんな翔さんだからこそ、
今まで見たことのないような規格外の素敵なデザインを作り出してくれるような気がします。


担当ディレクター 市井

#4392017年10月1日

台湾/台中 世界一のスクーターパフォーマー

今回取材したのは台湾でバイクパフォーマンスの練習に励む安倍優さん。

なんと優さんが台湾にいるのは「充実した練習環境がそこにあるから」一点のみ。
高架下のスペースを利用して365日・毎日スクーターで練習しています。

日本にも似たようなスペースはあるそうなのですが・・・
バイクをウィリーさせて乗り回す、その姿が日本ではなかなか受け入れられず
どうしても白い目で見られてしまうとか・・・。
あくまでパフォーマンスのプロフェッショナルとして練習する以上
一般の人に嫌なイメージを持ってもらいたくない・・・
そんな思いで、バイク大国である台湾に拠点を置き、練習に励んでいます。

ウィリーをしながら激しいスピンを繰り返すだけに
タイヤが5日も練習すれば擦り切れてツルツルに。。
激しい技の連続で靴や手袋もすぐにボロボロになってしまうとか。。
練習の邪魔になるからと、スマートフォンも電話契約をせず、
WiFiのある場所でしか使えない状況にしているといいます。

台湾に渡り5年。
日々の練習でメキメキと実力をつけてきた優さんは
現地のバイクパフォーマンスショーでも有名な存在に。
大型バイクでのパフォーマンスは世界的にも有名ですが
スクーターでパフォーマンスができるライダーはそうはいません。
「このジャンルで世界の頂点に立ちたい。」
強い思いを持ち続け、ストイックに練習に励み続けた優さんは
ついに昨年5月、ウィリー連続走行の世界記録を樹立。
13時間の連続走行の末、前人未到の記録を打ち立てました。
それでもさらなる向上を目指し、今も練習に没頭しています。

限られた収入の中で節制して、経済的に苦しい時期もあったといいます。
そんな優さんの台湾生活を支えてきたのは他でもない、台湾の人たち。
黙々と練習する優さんに、人懐っこく声をかけ、
事あるごとに飲み物をくれたり、食事に誘ってくれたりしたそう。
近所の飲食店のお兄さん、バイク屋のご夫婦、金属加工業のオーナー。
周囲に友人はもちろん日本人すらいなかった孤独な環境で
幾度となく台湾の温かい人たちに助けられたといいます。

その人たちの温かい思いに応えるためにも
スクーターパフォーマーとして世界の頂点に立とうと
必死に前を向いている優さん。

いつか世界中で活躍する優さんを想像しながら
陰ながら応援させていただきます。

担当ディレクター 市井

#4252017年6月11日

イタリア/フィレンツェ 唯一無二の和紙画作家

今回取材したのはイタリア・フィレンツェで和紙画作家として奮闘する横山明子さん。

彼女が作る作品は「和紙のちぎり絵」。
絵の具を一切使わず、色のついた和紙を一枚一枚ちぎり、貼り付けながら絵を描いていきます。
薄く貼り付け和紙の透明度を生かしたり、依って細く濃くして、線を描いたり。。
しかも、光の効果によってまったく違う絵が浮かび上がるという独自の技法を使った作品です。
作品の表情がガラッと変わるその瞬間、美術に造詣が浅すぎる僕でも思わず圧倒されてしまいました。

取材に伺ったのは、展示会真っ只中。
石の象嵌細工作家のお二人、リトアナ・ディ・サバティーノさんと小山聡美さんとの合同展示会。
明子さんの作品もインパクトと美しさを兼ね備えていましたが・・・
こちらの象嵌細工も、繊細で貴重な作品だということが一目で伝わってきました。

「フィレンツェは芸術家が集まる街なんです。
 この街にいると、インスピレーションが湧いてきます。」と明子さん。
まさに芸術の町フィレンツェ。

また、街のはずれにある元修道院の建物を尋ねると・・・
なんと各お部屋が、職人や芸術家たちの"アトリエ"に。
建物を街が管理し、一般に提供しているんだとか。。
芸術家が自分のアートに没頭するにはもってこいの場所です。
庭の穏やかな雰囲気がとても気持ち良く、心が洗われるようでした。
明子さんが芸術家としてこの街で骨をうずめたいという理由がわかった気がします。

そしてそんな明子さんをなにより支えてくれているのは夫のミロさん。
いつも冗談をいいながら笑顔で明るくお話をしてくださいました。
明子さんの作品を誰よりも理解し、その活動を支えてくれています。
そして、ミロさんのご家族も。
時間を見つけては明子さんのお手伝いをかって出てくれます。
「本当ありがたいですよね、こんな嫁に・・・(笑)」
芸術家活動に没頭し、なかなか結婚に縁がなかったという明子さん。
お互いを尊重しあえるパートナーに巡り会い、感謝の気持ちでいっぱいだといいます。

これからも自分が信じる芸術を
自分が大好きな街で心置きなく描き続けてください!

担当ディレクター 市井

#4112017年2月19日

インドネシア/バンジャルマシン 『0』を『1』に

今回取材したのはインドネシアでラーメン店を営む清家威一郎さん。

世界一イスラム教徒が多いこの国の中でも・・・
さらに敬虔な信者が多いという"バンジャルマシン"という町での取材でした。

イスラム教の戒律を守る人々にラーメンを食べてもらうために
豚やお酒、みりんを使わないメニュー、ハラルフードを考案されています。

鶏ガラでダシを取り、野菜をたっぷり使った"こってりスープ"。
夜中から翌日の営業スタート時間まで、不眠で作業してようやく出来上がるスープです。

僕は地球便のロケで海外へ行く時は必ずと言っていいほど
現地でラーメンを食べますが・・・このラーメン、
今まで食べた海外のどのラーメンよりも美味しかった!

どうすればわずか2年間でここまでの味が出せるのか。。
しかも、ハラルラーメンで!
「相当な研究と試作を繰り返さなければ、この味は出せないぞ、きっと!」
そう感銘を受けながらも取材を続けるのですが
威一郎さんは、いたって明るく、ざっくばらんなキャラクター。

「しんどいことは他人にまかせたいですね〜」と
笑いながらも、考えていることは常に新しいことへの挑戦。
「同じアジアでも、タイやベトナムは日本人多いですからね。
インドネシアはビザも取りにくいんで、日本人少ないんですよ。
そんな中で、日本のラーメンを再現できたら・・・
チャンスありそうでしょ?」
もともと日本で飲食店の立ち上げ店長として
何店ものお店の立ち上げを成功させてきた威一郎さん。
「出来上がってるものを、増やしていくのはそんなに難しくないんです。
でも、『0』を『1』にするのはとんでもなく大変で・・・・
そんでもって、めちゃくちゃおもろいんすよ。」と。

月に一度の貴重な休日も、手に工具を持って大工仕事。
お店自体もほとんど自らの手で1から作り上げたのだとか。。
「全く経験なかったんで、Youtube見て大工仕事覚えました。」
溶接機と、溶接マスクを片手に黙々と作業する威一郎さんは
バイタリティと行動力のカタマリです。

そんな威一郎さんを「イチさん」と呼び、兄貴のように慕うのがお店のスタッフ。
みんなインドネシア人の大学生です。
学校に行きながら、ビジネスを学びたい人、レストランを出したい人、
学費のために働いてる人、様々ですが・・・
みんな明るく生き生きと働いているように見えました。
日本語混じりのインドネシア語で熱心に指導する威一郎さん。
それで伝えようとする威一郎さんもすごければ、
それを理解するスタッフもすごい。。
月に一度のミーティングでは、
みんなで食事しながら、一人一人スピーチを行っていました。

「テーマは自由。人前で自分の思いを伝えることで
それぞれのコミュニケーションの向上につながれば・・・って
思ってやってみたんですけど、コイツら想像以上におもろいですわ!」
常に笑顔が絶えない現場です。
その関係性はもう・・・
"ボスとスタッフ"ではなく"先生と生徒"、まるで寺子屋のようでした。

今年が勝負の年と意気込む威一郎さん。
このラーメン事業で成功したら、さらに違う国で、違う事業にも挑戦してみたいと言います。
威一郎さんと同い年の僕ですが・・・
こんなに濃度の濃い人生を突き進む同い年はなかなかいません(笑)
改めて濃度の濃いアラフォーを目指すべく、
素敵な刺激と出会いに感謝がつきない取材でした。

D 市井

#3952016年10月9日

カンボジア/シェムリアップ カンボジアの家族

今回取材したのはカンボジアで保育士として奮闘する高橋春香さん。
とても明るくて、思いのまま突き進む、すごい人でした。

春香さんは、カンボジアに大好きな村があるといいます。
幼稚園建設がきっかけで携わった「クバールチャーム村」。

この村の空気・空・木・人々に惚れ込んだんだそう。
建設した幼稚園の授業を手伝うだけでなく、
幼稚園施設の壊れた部分を一緒に直したり、敷地内に畑を作ったりしています。

村では、村人の家族構成を調べてリスト化する調査をすることも。
来年幼稚園に来る子の人数を調べたり、親兄弟の仕事の状況を確認をしたりして
現状を維持するだけでなく、さらにより良い形を探ろうとしている春香さん。
村人も「ハルカー!」と声をかけて温かく迎え入れてくれます。
その行動力にも驚かされたのですが、
もっと驚いたのは・・・
言葉がしゃべれないのに、それをガンガン推し進めていること。
しゃべれないのに!ですよ!

村人と複雑なことを話する時は、まず電話をかけます。
日本語をしゃべれるカンボジア人(シェムリアップ在住)に電話して、
その都度通訳をしてもらってました。

おそろしいバイタリティ(?)!
なにより素敵なのは、そんな無茶ブリな電話にも対応してくれる仲間がいること。
サムさんというそのカンボジア人の方は、春香さんがずっとお世話になっているという大切な友人。

春香さんが、カンボジアにいてお母さんの訃報を受けた時、
相当な落ち込み方をしている春香さんを見てサムさんは・・・
「ハルカは孤児になったな」と笑顔で冗談をかましてくれたとか。
あまりのことに思わず笑ってしまい、逆に心が落ち着いて救われた気分になったとか。
そのあと「ここ(カンボジア)にもハルカの家族はいるよ」と励ましてくれたんだそう。

お母さんが亡くなって急遽帰国し、葬儀も終わって心が抜け殻のようになってしまったという春香さん。
それでも、もう一度カンボジアへと突き動かしたのは、
温かい仲間がそこに待っていてくれたからかも知れません。
今でも亡くなったお母さんへの気持ちの整理がつかないままだといいますが・・・
シェムリアップでも、クバールチャーム村でも、春香さんのことを
本当の家族のように思ってくれる人たちがたくさんいるからこそ
春香さんは春香さんらしいままでいられるんだな・・・そう感じました。

「たいしたことはできてないけど、少しずつ村も幼稚園も変わってきている。
 継続していくことが、きっと自分の目指すところにつながっているんだと思います。
 いつか、母や姉や兄のような立派な人間になりたいんです。」
と春香さん。

その"思い"の強さが、今の春香さんの原動力になっているんだと思います。
これからもカンボジアの空の下、走り続けてください!

D 市井

#3822016年6月26日

ジョージア・トビリシ/ワインとバレエ

今回はジョージアという国でバレエダンサーとして活躍する
鷲尾佳凛(わしおかりん)さんを取材させていただきました。

日本ではジョージアのことを昨年まで「グルジア」と呼んでいたので
一般的には聞き馴染みのない国名だと思います。

グルジアという国名であれば「グルジアワイン」が有名なので
ピンとくる人もおられるかも。
実は取材時に宿泊したホテルでも
部屋に入るとテーブルにフリーワインが置いてありました。
なんとありがたい。

取材前夜に景気付けに一杯いただこうと手に取ったのですが・・・
が・・・ワインオープナーが無い。
そんなはずはないと、部屋中探し回ったのですが・・・無い。
諦めきれず、フロントのお兄さんに片言で説明すると、
「ちょっと待ってて・・」と言われて10分後・・・
戻ってきて・・・「やっぱり無かったよ」と。
ガーン・・・・。そんなことがありうるのか。
グルジア人はどうやってワインを飲んでるんだ!?と
いたたまれない気持ちのまま眠りにつきました。
翌日、現地の人にその話をすると
「うーん、どうでしょう。僕はコルクを瓶の中に押し込んで飲んじゃいますけど。」
と、まさかの答えが。
そ、そうなのか それがグルジア流?僕が素人なだけなのか・・・。
ワイン8000年の歴史は深い・・。
そんな思いを抱えてスタートしたグルジア(ジョージア)取材。

佳凛さんが暮らすのは首都・トビリシ。
20世紀を代表するバレリーナ「ニーナ・アナニアシヴィリ」が生まれ育った町でもあります。

ボリショイバレエ団のプリマ・バレリーナを20年以上、
アメリカン・バレエ・シアターのプリンシパルを16年勤めた伝説的バレリーナ。
国を代表する国立バレエ団の芸術監督として
ジョージアバレエ界を一手にまとめあげるのがニーナ・アナニアシヴィリなわけです。
現役を引退したといいつつも・・・すれ違うだけでもオーラがスゴイ。

トビリシには歴史ある国立劇場や、プロをめざすダンサーのための国立バレエ学校もあり
バレエに対する熱の入れようが尋常じゃありません。

幼い子どもたちも毎日真剣にダンスレッスンに励んでいます。

その学校の理事長も、ニーナ・アナニアシヴィリが兼任しているというから驚きです。

佳凛さんはそのニーナにスカウトされてこの国へやってきました。

世界から注目を集めるバレエ団の一員として、必死でくらいついていく佳凛さん。

まだ主役を演じることはできませんが、周囲にも認められ
上を目指してひとつひとつ階段をのぼっています。

そんな佳凛さんが休みの日によく行く場所が「温泉」。

トビリシの「トビリ」というのは「温かい」という意味だそうで
5世紀ごろこの土地に温泉を発見したことをきっかけに
トビリシの町が作られたと伝えられているんだそう。

古くから残る温泉街が今も人気で、
ダンサー仲間と疲労回復のために訪れるんだとか。
さすがにプロのダンサーとあって体の締まり具合がハンパないです。

それでも海外でダンサーとしてやっていくには力不足らしく
ダンスの練習以外にも体づくりのトレーニングが欠かせないそう。
二十歳にしてここまでストイックな姿をみせられると
僕もアラフォーといえど頑張らねば・・・と反省。
まずは健康な体から・・・。

いつの日にかヨーロッパの大きな舞台で
主役を踊る佳凛さんを見られる日がくることを
心からお祈りしております!

D 市井

#3682016年3月13日

韓国/オモニの温かさ

今回取材したのはソウルで一番の繁華街「明洞」で化粧品販売員として奮闘する森川友利奈さん。

現在、韓国のコスメブランド「A.H.C」で働いています。

18歳で韓国人男性と結婚し、三人の子供に恵まれ幸せな日々を送っていた彼女ですが
一昨年の9月、最愛の夫に先立たれ、現在は義母と子供たちとの五人で生活しています。

取材に訪れたのは1月下旬、暖冬と言われる今シーズンで、最も寒い一週間でした。
外気温はマイナス16℃。体感温度はもっと低かったと思います。
想像を上回る寒さに、友利奈さんもお店の中でダウンジャケット着用状態。
我々も、体力の消耗が激しいし、カメラのバッテリーの消耗も激しい。
あまりの寒さに外でインタビューをすることさえできません。
頑張ってサムギョプサルとマッコリで体を温めるも
お店からホテルに帰るだけで、体は完全に冷凍されてしまいます。

そんな中・・・取材を敢行したわけですが・・・
お店の中はぎっしり中国人のお客さん。

カタコトでしか中国語をしゃべれない友利奈さんですが、
なんとか奮闘している様子。

もちろん、日本人客となると友利奈さんが大活躍です。

しかもその半数が友利奈さんを指名して接客してもらっていました。
お客さんの話を聞くと、友利奈さんのブログがきっかけで知り合い、
日本にいる時から連絡を取り合っている人がほとんど。
友利奈さんのブログは毎日更新され、文章も丁寧に装飾し、
写真もたくさんアップして、できるだけ商品の魅力が伝わるよう工夫されていました。
しかも・・・書き込みはすべてスマートフォンで。

一度ブログを見ていただくとわかりますが、
その投稿のクオリティは到底スマートフォンで作ったとは思えない作り込み具合です。
(僕が時代に乗り遅れているだけかも知れませんが・・・)

友利奈さんは韓国コスメのブロガーとしてはかなり有名らしく
その情報の丁寧さ、新鮮さから多くの人気を集めているそう。
女性の美への探究心はすごいですね〜。

そして今回の取材で一番心に残ったのは友利奈さんのお義母さん。

お孫さんたちを保育園・小学校に送って行ったあと、
そそくさと台所に立つお義母さん。
我々取材班の朝ごはんを作ってくださいました。
自然体でとても情深く温かい人柄、
これぞ「韓国のお母さん」っていう感じ。

ご自身も息子さんを亡くされ、傷心だと思うのですが、
残された孫たちと友利奈さんのことをいつも気にかけておられました。
「この家族は、私にとって四人のかわいい子どもたちです。」

友利奈さんが、ご主人を失った今も韓国で頑張っていけているのは
この温かいお義母さんの存在がとても大きいのだと感じました。

「将来をどのように描いて良いのか、今はまだわからない」
今の友利奈さんの素直な気持ちだと思います。
それでも・・・
家族五人で前へ前へ、力強く歩んでいるその姿を見ると
とても応援したい気持ちが込み上げてきました。

人生の厳しさと、家族の温かさを
改めて感じさせてくれる・・・そんな取材でした。

D 市井

#3522015年11月1日

中国・北京/自由とチャンスの国

今回は中国の首都・北京で建築家として活躍する青山洋子さんを訪ねました。
地球便としては、特別行政区の香港とマカオでの取材はありましたが、
それをのぞけば中国での取材はこれが初めてです。



北京に降り立ち町に出ると、たくさんの自転車が・・・。
交通ルールもあってないような感じで、自由に走り抜けています。
「あー中国っぽいなぁー・・・」と思って見ていると
ん・・・ペダルをこいでない!?
いわゆる電動自転車のようです。しかも8割以上の人が。
日本で言う原付(原動機付自転車)みたいなものだと思いますが
中国では普通の自転車と同じ位置づけなので、免許も必要なければ、ヘルメットも必要ない。
なんとも自由な雰囲気です。


取材で訪れた本屋さんも、ところ狭しと「立ち読み」ならぬ「座り読み」する人々。
通路だろうが階段だろうが関係なく、飲食しながら座り読みです。



一見、日本人の感覚からするとマナー違反にも思えますが・・・
誰一人それを悪びれる人もいなければ、注意する人もいません。
洋子さん曰く
「この国はこういう国で、それが当たり前なんですよね。
もちろん私は建築家として環境を良くするアイデアは出しますが、
ここにいると私のほうが外国人なわけで、
日本の常識を押し付けるのは、また違うなと。」
そうやって文化に寄り添っていくことも楽しいという洋子さん。
自分の思いが赴くまま、自由に行動するのが当たり前の文化。
この国はこの国で、それは成立しているんだなと・・・変な納得。

建築資材が大量にある大きな市場も取材させていただきましたが、
現場の人たちは驚くほどフレンドリー。
普通なら「撮るな!」と怒られそうなものですが・・・
興味津々でカメラをのぞきに来て、楽しそうに話しかけてきます。


とても人懐っこく、言いたいことは言い合い、それでいてすぐにアッケラカンとしている。
それがとても面白く感じ、性に合っているという洋子さん。
「日本人だからといって、中国の人から悪い扱いをされたことはないですね。
むしろ、日本人というだけで、信用が高くなることが多いです。」
日本の中にいるだけでは、現地のリアルな関係性はわからないもんだなと、これまた納得。

そしてもう一つ印象的だったのが
「胡同(フートン)」と呼ばれる昔ながらの建物が立ち並ぶ下町です。

古き良き町並みが残る映画の中のようなノスタルジックな空間で
今にもジャッキー・チェンが自転車に乗って走り抜けていきそうな路地がたくさん。。

この胡同に洋子さんが住むお家があるんですが・・・
ここにも驚きの光景が。
ノスタルジックな昔の中国の雰囲気を味わおうと観光客が急増し、
一部の町並みが様変わりしてしまっているのです。

静かだったメイン通りが、ここ数年で原宿の竹下通りさながらの空間に。
若い観光客が闊歩し、それに合わせるように通りの両側に観光客用のお店がズラリ。
若者向けのスムージーを売ってる店、歴史あるレンガ造りの建物内にある有名カフェなどなど。

イケる!と思ったものは素直に取り入れ、貪欲に攻める!これぞ中国ビジネス。

自由とチャンスの国は、アメリカだけではないようです。
文化は違えど、まだまだたくさんの可能性を秘めている国、中国。
良いことも悪いこともひっくるめてそのすべてが大好きだという洋子さん。
洋子さんとお話をするだけで、中国の本当の姿とその魅力がヒシヒシと伝わってきました。

洋子さんのように自然体のまま・・・
気づけば国の架け橋となるような・・・
そんなステキな人を取材できたことを幸せに思います。
これからもご活躍を応援しております!
ありがとうございました!


D:市井

#3492015年10月4日

イタリア・ミラノ

今回取材したのはイタリア北部最大の都市、ミラノで
ソムリエとして活躍する林基就さん。

基就さんが現在ソムリエとして活躍されているのが
今年3月にオープンした、レストラン「GONG」。

中華料理をベースにしたフュージョン料理を
提供されています。

私もカメラマンも食に関しては五月蠅いタチなのですが、
2人共料理を頂いだ瞬間に「沈黙」です。

「美味しすぎる…。」「こんな中華食べたことない」

決して冗談でなく、それが2人の率直な感想でした。
基就さんはもちろん、オーナーのジュリアさん、
日本人シェフの古閑さんもとても熱心で、このレストランに懸ける
意気込みが伝わってきます。

今後ミラノで注目のレストランになる事間違いなしです…!

基就さんは2010年・2012年にそれぞれ異なる賞ではありますが、
イタリアのNo.1ソムリエに選出されています。
この賞は、いわゆるソムリエであったり、フードライターであったり
ワインに関わる業界関係者によって選ばれた人物が与えられる賞だそうです。

サッカーで言えばバロンドールみたいなものでしょうか。
基就さんは、
「外国人である自分に、賞をくれるイタリアの寛大さに感動した」
とおっしゃれられていました。

確かに、我々日本にはワインならぬ「日本酒」、ソムリエならぬ「利き酒師」がありますが、
基就さんのケースをこれに例えると、、外国人が「No.1利き酒師」に
選ばれたようなものですから、アジア人としてこれらの賞を受賞するということは
本当に偉大なことです。


さて、そんな基就さんですが、イタリアワインを日本にもっともっと
紹介してゆきたいということで、VinoHayashiというワインショップを
立ち上げ、日本にもワインを輸出されています。

万博やワイン輸出業など、ソムリエとしての枠組みを超え活躍する基就さん。
これからも、日本人ソムリエとして世界中で活躍されることを期待致します!

D 清水

#3382015年6月28日

イタリア・カッラーラ/常に想像を上回る芸術家

今回取材したのはイタリア北西部、大理石の聖地と呼ばれる街カッラーラで
彫刻家として奮闘する藤好邦江さん。

邦江さんの朝食は毎日「プロテイン」。
「やっぱり体力勝負の彫刻家だから・・・?」と聞くと
「健康のためです。食事で摂れない栄養を補えるし。。子供の頃、母に勧められて・・・」
予想外の答えが。。。

番組の作り手としてのお話になってしまいますが、
取材をする時って・・・現地で見て、感じたことを質問する。。。
でもある程度「こんな答えが返ってくるかな。。」と思いながら質問します。
しかしながら、邦江さんは時折、想像の斜め上をいく答えを返してくれます。
取材してて、これがまた楽しいんです。

取材中、邦江さんに連れていってもらったのが100年以上続く石工たちの「労働組合」。
昔はたくさんあった労働組合も、今カッラーラで残っているのは唯一ここだけだそう。

仕事を終えたベテランの石工たちが集まり、ワイングラスを片手にポーカーにいそしむ。。。
働く男の一息つくこの空間、なんとも言えません。
ここに邦江さんが初めて依頼を受けた彫刻作品がありました。
モデルとなったのは、20世紀前半に労働組合の代表者として貢献した政治家「ジュゼッペ・ディ・ヴィットリオ」。
どんな人だったのかよくわかりませんが・・・
労働組合の親方チャックがイタリア語で熱く語ってくれたので
とてつもなくすごい人だったのだと想像します。。。

彫刻制作時、邦江さんもこの人がどんな人だったかわからず、写真だけを手がかりに制作したそう。
民衆に向かって、髪を振り乱しスーツをめくりあげながらも、熱く演説する・・・そんな写真だったそうです。
なので、できるだけそのイメージを伝えるべく、ネクタイがスーツからはみ出した形に石を削ったと言います。

邦江さんは、実際の人と寸分狂わず・・・ではなく、
その人の人柄・雰囲気・性格、その人自身が伝わる彫像を目指している・・・そんな風に僕は感じました。

大理石を削る作業場は、まさに彫刻家たちの戦場。
舞い散る粉塵は実に細かく、精密機器の隙間にも入り込むほど。
腕時計は防泥構造のモノを使い、スマートフォンも防水パックに入れて使わないといけないんだそう。。

「腕時計も安全ゴーグルも、日本製がいいですよ、工具はイタリアの方が安いですけど(笑)」

そういいながら、日本とイタリアの良いところそれぞれをバランスよく彫刻に取り入れる邦江さん。
「これからは日本で模型を制作して、イタリアで石にする・・・そんなことができたら・・・。」と像を見上げます。

最初は・・・
「ストイックな芸術家」それが邦江さんの魅力。
そう思って取材してきましたが・・・
ホントは「常に前に進もうとするその心意気と覚悟」が、邦江さんが輝いて見える理由なのかも知れない。
日本に帰国して、編集しながらも、また想像をくつがえされた気持ちになりました。

これからも熱い魂で彫刻を作り続けてください!!

D 市井

#3232015年3月1日

アメリカ・ロサンゼルス

今回取材したのはアメリカ・ロサンゼルスでアパレル会社を経営する三兄弟。
洋服作りはほぼ独学。渡米のきっかけは、バスケットボール留学と、異色の持ち主です。

彼らの取材をしてみたい。
そう思ったのは、彼らのブランドのHPにあった“画”がきっかけでした。
すごい画力・・・。一体これは・・・!?

これは三男の雄佑さんが描いた絵でした。
雄佑さんが画を好きになったのは、お母さんやお父さんがきっかけでした。

それにしても、一体どうして彼らが洋服作りを始めたのか?
次々と疑問と興味が湧き起こってきました。

三兄弟の洋服作りの原点を知る人物、
バスケットボール元チームメイトのミーシャさんの部屋を訪ねました。

ミーシャさんは村松兄弟がバスケットボール選手になる夢を諦め、
T シャツ作りをはじめた時から、その夢を応援して来た友人。
T シャツは、記念すべき一番最初に作ったものから、
全作品を今も大切に保管していました。

兄弟も今は持っていないというT シャツ。
ミーシャさんは「それぞれのT シャツにストーリーがあるんだ。
ショッピングセンターで買うT シャツとは違うんだ。
T シャツによっては色あせているものもあるけど、捨てるつもりはないよ」と。
外国から来て、バスケットボールから、また新たな夢を追いかけ始めた、
大佑さんと雄佑さんを近くで応援し続けて来たミーシャさん。
「兄弟はアメリカンドリームだ」と。
ミーシャさんの言葉を近くで聞いていた大佑さんは
「T シャツをまだとっておいてくれて応援してくれるのは嬉しいよ。
兄弟で貯金して、T シャツを作って、ブランドを立ち上げて…。
遠い昔みたいに感じるけど、それが始まりだったんだ」
と言って、ミーシャさんの友情を大切にする気持ちに感銘していた。
こんな素敵な友達が近くにいて、ずっと仲良くしている姿を見て、
素敵だな、と改めて兄弟の人柄を感じました。
そんな、彼らの洋服作りの行程を取材しました。
洋服作りで、まず始めに行くところが「パターンナー」と言われる洋服のデザイン画を元に、型紙をおこしてくれる職人さんの家。
兄弟とは長い付き合いになるという、パターンナーのレスリーさんがとっても明るい声で家に迎え入れてくれた。

レスリーさんに三兄弟について聞いてみたところ、
「彼らの人間性、そこが私の気に入っているところね。とにかく礼儀正しいわ。
商品を取りに来るときも、チェックを私に来るときも、
(お辞儀をして)ありがとう、ありがとうって。みんな礼儀正しいのね、って。
それは間違いないわね」と。
「デザインに関しては、本当に素敵なメンズの服ばかりよね。
トップもボトムスもTシャツも全部私が好きなものだし、
それに何より、変なダサいデザインの服を作らないところかな。
駆け出しのデザイナーは、『嘘でしょう?誰が買うのよ』って言いたくなるようなものもあるわ」とのこと。
アメリカでは大手ブランドのパターンも手がける有名なパターンナーであるレスリーさんだが、三兄弟との仕事は手放したくないそうだ。
若い人の洋服デザインは、少しすればゴミ箱行きのデザインの洋服が沢山ある中、
三兄弟の洋服は生き残っていくものだと、言っていました。

最後にそんな彼らがほぼ独学で洋服作りをしたと告げると、目を丸くして驚き、
「知らなかったわよ!それならなおさらすごいわ。
彼は十分な訓練を受けていたのだろうとは思っていたけど、
きっと彼は目が肥えているのね。間違いないわ。
この仕事をもう40年やってるけど、その中でも彼らは心に残るわね。
私はフレンドリーで賢くてセンスが良い人と過ごしたいし、
そのほうが時間を無駄にしたと思わずにすむわ。
私はかなり忙しいから、出来るだけ優秀な人と仕事をしたいし、彼はその一人よ。
間違いないわ」と太鼓判を押していました。

次の行程は、生地を裁断する「カッティング」。
信頼のおける職人レオナルドさんが兄弟の人柄を語ってくれました。
「言葉使いも丁寧だし、兄弟三人と良い関係を築けて仲良くなっているよ」

カッターですいすい切って行く作業は見ていて気持ち良いが、熟練の技術が必要。
三兄弟が信頼できる職人さん達や工場と出会うまでには、
お金だけ払って上手く上がってこなかったり、騙されたりと、苦難も沢山あったそう。
ブランド立ち上げから、7年。やっと全行程で信頼できる職人と出会って、
洋服作りを軌道に乗せる事が出来始めたと言います。
そしてフィニッシングと言われる最後の行程を行う工場でもまた、
三兄弟の現場での信頼の厚い仕事風景を取材出来ました。
ボタンを付けたり、手作業で一点一点飛び出ている糸を切ってエラーがないか
綿密にチェックした後、パッケージに入れる最後の行程を行う工場。

工場長のアレックスさんに、三兄弟の仕事ぶりを聞いてみた。
「すごく快適な仕事相手だよ。良いお客さんというだけじゃなく、
兄弟が力を合わせてチームワークを発揮している。
わからない事があればすぐに答えてくれるから、君らにはすぐ聞ける。
他の顧客だと時間がかかってしまう反面、彼らはとても仕事が速い」とアレックスさん。

三兄弟は全ての仕事先の相手と、仕事の発注先という関係性にとどまらず、
仲間のように困った時は助け合い、お互いに仲間として、
信頼し合って仕事を進めているということでした。

普段は節約していて、飲み会も年にたまーにの、1、2度という三兄
弟。取材は一月上旬。新年会にお邪魔しました。トーランスという街
に住んでいる三兄弟。トーランスは日本人も多い街で、飲み会に選
んだお店ビストロ・ボウズも、オーナーも日本人で、なんとなく三兄
弟もほっとできるお店。

会社を立ち上げた5人が集結すれば、大佑さんの昔話や武勇伝に花が咲き、大盛り上がり。
大佑さんがかつて言ったという「べガスにホテルを建てる」という、
突拍子もないような夢も、実は会社の大きな原動力となっているそう。
大佑さんは「まずは自分たちのブランドで不自由ない生活を送れるようにして、
それからだ…」と堅実な話しもしていました。
大型コントを見ているような、プロスペクティブのメンバー5人のかけあいが絶妙で、
一緒にいて本当に楽しそうな5人のパワーは、こちらも元気にしてくれました。
山を駆け巡って泥だらけになりながら遊んでいた、少年の心のままに。
心を許し合える仲間と作る会社の強さと楽しさを目の当たりにしました。
5人の結束力はもちろん、
沢山のアメリカで出会った人々に三兄弟は支えられ、導かれてきました。
三兄弟の洋服がアメリカで注目されるようになった流れは、
「人づて」によるところが大きいのです。
アメリカンイーグルスや来年はディオールなど、
世界的に活躍するモデル、ケニーさんも三兄弟の洋服を広めた一人。
三兄弟のブランドのモデルに選ばれたのをきっかけに三兄弟と知り合いました。

兄弟と知り合った時、ケニーさんはまだモデルの仕事を始めた頃で、
地方から出てきたてで、ロサンゼルスにも慣れていませんでした。
モデルと言えば仕事現場では人形のように扱われるのが常で、
あまり人間付き合いはなかったそう。
しかし、三兄弟と仕事をしたとき、とても温かな交流があり、
その時の恩が忘れられなかったそうです。
洋服の素晴らしさを伝えたい、という思いはもちろんのこと、
いつか三兄弟の人柄にも恩返しをしたいと思っていて、
ケニーさんの知り合いであるファッション業界の雑誌社などに売り込んだといいます。

ケニーさんから紹介を受けた、
WEB ファッションマガジンの「ファンタスティックマガジン」の編集長。
プロスペクティブフロウの縫製の良さを伝える為、モデルに裏返して着せたりもしました。
プロスペクティブフロウを特集した号は他の号と違って、桁違いにアクセス数が増えて、その反響の多さに、編集長は何が起こったか最初わからなかったそうです。
編集長によると、「彼らは新しくて、新鮮で、今を生きる人達だから。
ファッション業界でまもなくメジャーになるだろう。」とのことでした。
洋服作りだけにとどまらず、今年始まった新しい試みがあります。
LAで1980年代に大流行したグラフィティアートの元祖であるグループ「K2S Crew」と一緒に、アートとファッションを融合した商品を開発することになりました。

K2S Crew.は、バンパーさんとプライムさんの二人のユニット。
ロサンゼルスの街にはびっくりするような美しいグラフティーアートが目に入る。
縫製工場がたくさんあり、三兄弟の仕事場である、LAのダウンタウンには、裏道を入れば、それらに容易に出会う事ができます。
ロサンゼルスの長い歴史を知るK2S Crew.。
その二人と自然とコラボレーションが進んで行く。
新作のモモヒキにも新たにペイントされるようだ。

「僕らが何でも話してしまうと、いいコラボにはならないから」と雄佑さんが言えば、
プライムさんが、「僕らが表現したいことが自由にできるのは素晴らしいね。
よりよいコラボとして」と答える。
「僕らが全部決めてしまったら、いいコラボとは言えないしね」と大佑さん。
そこではお互いを尊重し合いながら、人種や国籍など全く関係ない、
アーティスト同士の話し合いが熱く行われていました。

K2S Crew.と三兄弟を巡り会わせたのは、LA在住のPhotographer、Chika Okazumi さん。プロスペクティブフロウのカタログ写真を撮り続けています。
その世界観は洋服をさらに自由に羽ばたかせているようでとても素敵でした。
実は番組のリサーチャーが最初にコンタクトを取って三兄弟を紹介していただいたのもChika さんからだと、この場で分かりました。
たくさんの巡り合わせを作り出すChika さん、本当にこの度はありがとうございました。

(Photo by Chika Okazumi)


日本と海外双方のお届け物があった今回。
家族は大佑さんの言葉通り、離れていても「つながっている」ことが出来るんだ、と
改めて教えてもらいました。
謙佑さん、大佑さん、雄佑さん。三人の名前に入っている「佑」という漢字。
「かばい、助ける」という意味があり、
佑の字に恥じない大人になって欲しいと願って兄弟三人に佑の字を付けたそうです。
なぜこんなに仲の良い三兄弟なのか?と
最初に感じたことに答えを一つ一つ体現していってくれるような、
そして、自分も仕事に対して考え直したい、そんな気持ちになった4日間の取材でした。

D名倉

#3202015年2月8日

カナダ/カルガリー マジシャンのパートナー

今回取材したのはカナダでマジシャンとして奮闘する小野厚さん。

マジシャンの方を取材するのは初めてだったのでとても楽しみでした。
目の前でいろいろなマジックを見せていただいて、ただただ驚くことばかり。

日本での経験だけでなく、洋書のマジック本も研究し続けているという努力家な厚さん、
近所のマジックグッズ屋さんでよくマジックの古書を発注するそう。

そのお店のマスターもマジシャンで、いろいろマジックを見せてもらいました。

「いろんな人にマジックを見て喜んでもらえること」がマジシャンとしての一番の「喜び」。

厚さんもマスターも口をそろえておっしゃっていました。
我々、映像作りをする人間にもどこか通じるものがあるなぁと、共感。

しかし、世界の舞台で戦えるマジシャンになりたいとカナダに来たものの、
ビザの関係で4年間もマジシャンとして働くことができなかったという厚さん。
さらに、マジシャンとして仕事を始めてからも、簡単な道のりではなかったそうです。

プロマジシャンを名乗ったものの全然仕事が入らず・・・
ホームページやチラシを作ったり、異業種交流会へ参加したり・・・
思いつくまま活動したといいます。
宣伝や人脈作りでかなりお金を投資し、経済的に苦しい状態が続き
「この方法でいいのか?このままでいいのか?」と悩み、苦しんだそうです。

そんな時、一緒に暮らしている婚約者の直実さんは
「必要なところには迷わず投資すべき、そうしないとお金は帰ってこない!」と強く背中を押してくれたそうです。

厚さんの迷いは消え、まっすぐな思いで営業活動に力を注ぎ、
その後、徐々に仕事が増え始めわずか2年間でカルガリーマジシャン界の中でも
トップクラスのギャラをもらえるまでになったといいます。

まだまだ上を目指したいという厚さん、
心強いパートナーがそばにいる限り、きっとその夢は現実のものに。。。
これからもご活躍お祈りしております!!

D市井

#3052014年10月12日

イギリス/ロンドン 「戦う23歳」

今回取材したのはロンドンでフォトグラファーを目指して奮闘するレモン・花奈(ハンナ)さん。
名前からもわかるように、お父さんがイギリス人・お母さんが日本人のハーフの方でした。

終始明るく、親しみやすい雰囲気のハンナさん。
ご家族から事前にお聞きしていた情報では
「奔放でのんびりマイペース」だということだったのですが・・・
お会いしてみるとその片鱗はいたるところにうかがえ、
「部屋は片付けない方が落ち着く」とか、「左右違う靴を履いてしまってたり」とか、
「届け物の梅干を見たとたん、お腹をならしたり」とか・・・。

でも、そのすべてが魅力的に感じさせられるのが、ハンナさんのスゴイところ。
立ち振る舞いや、お話の内容、細かな気遣いなど23歳とは思えないしっかりしたところと、
ちょっぴりドジで変わっているところが見事にマッチして魅力的な人柄を作り出していました。

ハンナさんが日本を出たのは15歳の時。
自然大好き、いたずら大好きな女の子だったというハンナさん。
ニュージーランドの大自然の中、カメラ片手に裸足で駆け回ってたそうです。
ご両親曰く「社交的という言葉からかけ離れた娘」。
そんな彼女が大都会ロンドンで、なんのツテもない状態で、
会社にも入らずフリーランスとして一人で仕事を始めるなんて
無謀というか、思い切りがいいというか・・・。
大学院に通いながら「ネットワークパーティー」と呼ばれる業界人が集まるパーティーに参加し
プロのフォトグラファー、洋服のデザイナー、メイク、スタイリスト、様々な人に話しかけ
自分をフォトグラファーとして売り込んだのだと言います。
そのおかげもあって、少しずつフォトグラファーとしての仕事も増え
スタジオアシスタントの仕事も紹介してもらい、ひとつずつ階段を登ってきたんだそうです。

もちろん不安になることも多いようで
「全部自分で宣伝して、勉強して、お金の管理もして
 仕事どうしようとか、来月仕事入れないととか・・・いつ休もうとか
 常に考えて・・・悩んでます」とハンナさん。

まるで「独立したての社長の悩み」のよう。
「23歳の女の子が考えることではないよなあ。。」と思いつつ
若くして、しっかり悩んで・・・しっかり戦うこと・・・は
自分自身を強くして、人生を豊かにするんだろうなぁ・・・としみじみ。

もうひとつ驚かされたのが・・・
彼女の実家にある「カマキリ」のレプリカ?作品。
子どもの頃、ハンナさんはカマキリが大大大好きだったらしく・・・
名前をつけて一緒に遊び、生活の中に常にカマキリがいたそう。
その思いが強すぎて、中学生の時、等身大のカマキリのレプリカを
ペットボトルや針金などを使って手作りしてしまったのだとか。
その実物を見せてもらったのですが
本物と見分けがつかないくらい精巧にできていて、大人顔負けの作品に仕上がっていました。

ご家族の元を訪れた山口さんも、それを見て驚嘆!
細部に至るまで自分の思い描くディティールを再現する、アーティスト魂がそこに感じられました。
中学生の時からこれだけ強いアーティスト性を放っていたのなら
今の仕事における高い才能、そしてそれにかける強い思いもうなずけます。

「部屋を片付けるよりも、絵を描きたい、写真を撮りたい。」
これからもその魂を貫き続けて、素敵なフォトグラファーになってください!
心から応援しております!

D 市井

#2942014年7月20日

アメリカ/ニューヨーク 「NYは世界の中心」

今回取材したのはアメリカで女優として奮闘する筒井あづみさん。
場所は、世界を代表する大都市ニューヨーク。
実は個人的には初めてのニューヨーク取材でした。
タイムズスクエア・自由の女神・セントラルパーク・エンパイアステートビル・・・

ベタなニューヨークワールドに圧倒されつつも、意外だったのが
街中の至るところに「撮影をしている人たち」がたくさんいることでした。
映画規模のものから、テレビ・CM・自主制作らしきものまで・・・。
多種多様な文化・芸術が集まるこの町は、どこを切り取っても映像として成立してしまうのかも知れません。

街としても撮影に協力的なようで・・・町中の電柱にある張り紙が。
「○日○○時〜撮影が行われるので、この場所には駐車しないように!」という趣旨のことが書いてあるようです。
普段は路肩に所狭しと車が駐車されているのですが、この張り紙がある場所にはいっさい、車なし。

人々の生活よりも、撮影が優先されているようです。
街の人たちもそれが当たり前のようで不満な顔ひとつしていません。

アメリカで映画といえば「ハリウッド」のイメージでしたが、ニューヨークもかなり「映画の街」!
むしろ街自体がセットのようなものなので、ロケーションの宝庫なんですね!

そしてもう一つの驚きは「ラーメン」でした。

話に聞くところニューヨークは今、かなりのラーメンブーム。
日本のラーメン店が続々と進出し、ニューヨーカーに大ウケしているとか。
値段も決して安くないのですが、日本のラーメンの味はかなりのレベルのようで
国際色豊かで舌の肥えたニューヨーカーでも、大満足のよう。
なかでも今回見つけた異色のラーメン料理がコレ!
「ラーメンバーガー」。
ラーメンとバーガー?ラーメンをバンズで挟んでいるのか!?
あまりの異色の組み合わせにもおもしろそうで注文してみると・・・
逆でした。。
バンズの代わりにラーメンが使われていました。

恐ろしい・・・。
こんなものが世にあるとは。そしてこれまた売れているではないですか。
とんがったモノも「個性」として快く受け入れてくれるニューヨーク。
こんな魅力的な街だからこそ世界中からいろんな人が集まるワケです。

あづみさんが学生時代、ニューヨークを訪れた時「ここが世界の中心なんだ」と実感したといいます。
あづみさんがニューヨークを選んだ理由、今すべてをかけてニューヨークで戦っている理由、
それがその一言で伝わってきた気がしました。
自分の可能性に思いっきり挑戦できる街。
素敵な街で挑戦し続けるあづみさんをこれからも応援させていただきます!

D 市井

#2802014年3月30日

ハンガリー/ジュンジュシ 師弟の絆

今回取材したのは、ハンガリーでハンドボール選手として活躍している銘苅淳(めかるあつし)さん。
グッと!地球便、初のハンガリー取材となりました。
「ドナウの真珠」と称される美しい町並みもさることながらヨーロッパ随一の温泉大国といわれるハンガリー。
首都ブダペストには数多くの温泉施設があります。


男女混浴・水着で入るのがスタンダードのようで、中はちょっとしたテーマパークプールのような状態。
温泉プールに入りながら一日中チェスをやっているおっちゃんも。。


しかし、昔ながらの古い施設かと思いきや・・・
着替え用の個室が一人一つずつ割り当てられていたり、カードキー操作になっていたり、
システマチックな構造になっていてビックリです。


そんなハンガリーで取材した淳さん、練習も生活もめちゃくちゃストイック。
チームの練習が休みの日は、トレーニングルームで筋トレ。
脂身は一切食べず、身体にいい食材を選び、毎日自炊。
夜寝る前の歯磨きも、身体の軸を整える器具(?)を装着しながらゴシゴシ。
部屋着は身体のバランスを整える磁気入りのトレーニングウェア。
世界のハンドボールリーグで戦い抜くため、鍛え抜かれたボディです。

実はそんな淳さんを取材中、日本から一人の日本人男性がやってきました。
淳さんの恩師・東江コーチの息子・雄斗さん。
雄斗さんも大学でハンドボールをしていて、全国制覇も果たした実力者。
海外のハンドボールを学ぶため、淳さんを頼ってやってきました。

淳さんが中学生・雄斗さんが保育園児の頃からのつきあいだという二人。
まるでホントの兄弟のように仲が良くハンドボールについて語り合っていました。
銘苅家と東江家はハンドボールを中心に、家族ぐるみの関係を続けてきたのだそう。
ここまで師弟の絆が深いからこそ、あれだけまっすぐにハンドボールに打ち込めるんですね。

将来、オリンピックで二人の勇姿が見られることを期待しております!


D市井

#2632013年11月10日

タイ/バンコク バブリーなタイ

今回はタイで不動産業を営む櫻井要さんを取材させていただきました。
現地で日本人向けの不動産屋さんに5年間努め、独立しておよそ2年半。
タイ人の奥さんと共に二人三脚で少しずつ会社を大きくしてこられました。


今回驚いたのは、タイの急激な変貌ぶり。
僕が、以前タイを訪れたのは7年前、
その時のバンコクは三輪のタクシー「トゥクトゥク」が走り回り 、
おびただしい数の屋台が立ち並ぶ、土着感のある熱気に包まれていました。
それが今回取材をしてみると、トゥクトゥクは激減し、
カラフルで綺麗なタクシーが走り回り、すっかり近代化した様相。
(バンコクすべてを見てきたわけではないですが・・・)


話を聞くと、タイは現在、景気が向上しバブルまっただ中。
物価もあがり、給料もあがり、街の中もオシャレな雰囲気に包まれ 、
日本の好景気時代を彷彿とさせる盛り上がりを見せています。
特に外国人居住率の高いスクンビットという地域では、
日本の飲食店が次々と進出してきていて、日本全国のご当地食が楽しめるほど。
大浴場が楽しめる「スーパー銭湯」もあれば、
居酒屋の店員さんも、注文をメモするその手にはスマートフォン。
日本なのかタイなのかわからない、奇妙な感覚にみまわれながらも取材を敢行しました。


要さんが扱う物件のほとんどは、一人暮らしやファミリー向けの物件なのですが、
過去には800平米を超える広さの工場を仲介したこともあるとか。


「日本で製造している機械の修理部門としてタイに工場を開きたい」という注文。
もちろんそれまでそんな物件(工場)を仲介したことのなかった要さんですが
以前住まいの仲介をしたお客さんからのお願いだったそうで、
一生懸命走り回って工場を探し出し、注文の条件に見合う物件を見つけ出したそうです。
その時に得たお客さんの信頼は大きく、今でもこまめに連絡を取り合い、
とてもいい関係が築けているといいます。

「扱っているのは不動産でも、一番大事なのは人と人とのつながり。」
要さんは取材中、何度もこのことを言っておられました。

「この要さんの情熱と誠意が、お客さんとのつながりを深めて、
 会社の成功につながっているんだなぁ。」としみじみ。

今一度原点に立ち返ることで・・・
日本も景気が上向いてくれたりしないかなぁ。。。

(D市井)

#2432013年6月9日

モンゴル/ダルハン 心地よい時間

今回は地球便初のモンゴルへ。
モンゴルについて知っているのは大相撲で活躍する力士たちくらいで、ほとんど知識がなかった私。到着後すぐコーディネーターに「今夜の食事はジンギスカンですか?」と聞いたところ、「モンゴルにそんなものはありません」と笑われてしまいました。
予備知識ほぼゼロで行った今回のロケでしたが、そのゆったりとした雰囲気には終始癒されました。とりわけダルハンという街はモンゴル第2の都市でありながらもそこら中を馬や牛や羊が歩いているような場所だったので、そう強く感じたのかもしれません。そして何より大の親日国であるモンゴル。街で日本のイメージを聞くインタビューをしても、「日本は兄弟のような国」「日本人はとても親切」などうれしい言葉が続々と。何も知らなかった分、見るもの聞くものすべてが新鮮で、ぜひプライベートでもう一度訪れてみたい国となりました。
そんなモンゴルで小学校教師として働く岡本悠希さん。彼女が勤める学校では、この国でも唯一の「日本式教育」を取り入れています。廊下には「日本語で話しましょう」と書かれた紙が貼られ、生徒たちが合唱していたのは森山直太朗の『さくら』。誰もが当たり前のように日本語で話すので、学校にいる間は海外でロケをしている感覚を忘れるほどでした。
ゆったりと流れる時間、そして日本人に優しいモンゴル人の気質が大好きだという悠希さんは、とても明るく、よくしゃべり、そしてよく食べる方でした。打ち上げで食事に行ったときも、立て続けにパフェを2杯ペロリ。聞くと普段は食費を切り詰めているため、甘いものは久しぶりだったんだそう。そういえば届け物の「お父さん特製八宝菜」も美味しそうに食べていたなぁ。ただ、モンゴルの食事は肉と淡水化物ばかりなので、8か月で6キロ太ってしまったそう。これからもお体には十分気をつけて、モンゴルの子供達に日本の素晴らしさを伝えていってください!(この仕事を始めてから5年間で20キロ近く太った私が言える立場ではないですが…)

(D遠藤)

#2412013年5月26日

オーストラリア/パース  カナーボンの落とし穴

今回は西オーストラリア、パースでトマト農場を営む大熊栄久さんを取材させていただきました。
65歳になってなお新しい農場を作り始めるパワーに圧倒されました!
ということで影響を受けた僕も日本に戻ってからベランダでミニトマト栽培に挑戦したのですが、2週間で青枯れ病になって終了してしまいました・・・

ところで今回、撮影でカナーボンという町に行きました。
とても小さな町で自然がいっぱい!
舗装されていない道もたくさんありました。


海がとてもきれいだというので、町外れの景色のいい場所に行ってみようと車を走らせていると・・・車がスタック!
実はこの地域は地面の状態がとても不安定。さっきまでカチカチの土の道かと思ったら急にサラサラの砂地になったりするのです。


最初はすぐに脱出できるかと思っていたのですが、状況はどんどん悪化!しかも元から小さな町で、さらに町外れという事もありほとんど車は通らない。JAFのように便利なサービスもない・・・
炎天下の中30分ぐらい格闘し、飲み水もつきかけたその時、一台の車が!
助けを求めると快く応じていただき、車についていたウインチで引っ張ってくれました!引っ張ってくれたその車も砂にタイヤをとられかけたのですが、タイヤの空気を抜き、設置面を多くする(?)ような方法で回避し、無事砂地から脱出させていただきました!この辺りに住む人はスタックにとても慣れているようでした。
命の恩人に、ただただ感謝!!


みなさんもカナーボンに行く事があったらスタックに十分注意して下さい。

#2402013年5月19日

タイ/ナーン

日本からほぼ一日かけて、たどり着いたフアイ・ユアック村。
村の入り口で出会った二文字屋さんは思った以上にさわやかな青年で、
ムラブリの村に入るとみんなから慕われていて、村の人気者といった印象でした。

しかし、その生活ぶりを追いかけるうちに、やはりムラブリ族と生きるたくましさを
随所に感じることになりました。私たちは、現地の飲み水や食べ物は
お腹をこわしてしまうため口にすることができません。
脩さんはムラブリの人と同じ水や食べ物を口にする。風呂も当然ないので入らない。
調理器具は火のみ。辞書もないムラブリ語を習得するために、最初は身振り手振りで言葉を覚え、すっかり習得しつつある脩さん。
とにかくわからない言葉は今もメモしながら覚えていきます。
27歳の青年がそんな生活をすでに1年経験してきたかと思うと、
よほどの思いがないとできないと感じさせられました。

脩さんに教えてもらったのですが、
ムラブリ族には「ありがとう」という言葉自体がないそうです、
物はみんなで分け与えるというのが昔からの習わし。
食べ物などをもらうのは当たり前だそうで、お礼の言葉そのものがないというのです。
「家族」という言葉もなく、部族全員が仲間であり兄弟であり家族なのです。
そんなムラブリ語で印象に残っていることばがあります。
人の前を横切るときなどにやたらと耳なじみのある言葉が聞こえてくるので
集中して聞いてみると、なんと「すんまへん」と聞こえるのです。
脩さんに聞いてみると日本語とほぼ同じ音で同じ意味のムラブリ語だそうで、
まさかタイの山奥で日本語と同じ、しかも関西弁と出会うとは思いませんでした。

いつか集めた資料をまとめ、ムラブリ族を論文にするという脩さん
更なる飛躍を期待しています。

(D橋本)

#2392013年5月12日

ボリビア/ウユニ・天国に一番近い湖

今回は中南米各国でツアーコンダクターとして活躍する本間賢人さんを取材しました。
それぞれの観光地のベストシーズンに合わせて各国を飛び回る賢人さん。
取材に訪れた3月は、ボリビアでツアー中。
観光客のお目当ては"天空の鏡"と称される"ウユニ塩湖"。
その広さは、日本の四国の約2/3といわれ、すべてが塩で覆い尽くされた真っ白な大地。
雨期にはその大地に薄く水がはり、青い空と白い雲が水面に映り込み
まるで天国のような絶景がのぞめます。
晴れていないと絶景がのぞめないこともあり、天気に不安を抱きつつもたどり着いた塩湖でしたが
取材した日はすべて晴天。恐ろしいくらいありえない光景が目の前に広がっていました。


そして観光客のもうひとつのお目当ては「塩のホテル」。
塩湖の周辺にあるホテルなのですが、塩湖から切り出された塩で作られています。
壁も、床も、受付のカウンターも、ロビーのソファーも、ベッドの土台まで"塩"。
女性客や新婚旅行のお客さんには大好評だそうです。
あまりの大胆さに撮影スタッフも
「ここには、ナメクジいてないんやろなぁ」とつぶやいてました。。。


そうこうしつつ、塩湖だけでなく、ウユニの町も取材しなければと
町中を歩くと・・・"あるモノ"を見つけました。
理髪店の店頭に置かれていたのですが、
あまりに町の雰囲気と不釣り合いなモノだけに
二度見、いや三度見してしまったこのシロモノ。


そう、ゲームセンターによくある「クレーンゲーム機」です。
標高3700mのウユニの町で「クレーンゲーム機」???
見るからにかなり年代物だとは思うのですが、
動くのかどうか・・・試しにコインを入れてみると・・・
動きました!
やってみました!
・・・見事に撃沈。。。

それを見た現地の子供たちは大笑いで
スペイン語でなにやらレクチャーしてくれるので再度挑戦。
そして・・・・・・撃沈。
「きっとこれは機械の作りが悪いのだろう」
そう、自分に言い聞かせていると・・・
その子がお金を入れ、一発で商品をGET!
なんともはや・・・。


「遠い異国の空の下でも、子供たちが夢中になる"モノ"はつながってるんですかねぇ。」
とかなんとかいいながら・・・遠い目で天空の鏡を見つめてました。。。

話がだいぶ脱線しましたが・・・
僕もカメラマンも「一生に一度は行きたい場所」に行くことができたので感無量の取材でした!
みなさんも機会があれば、ぜひ訪れてみてください。
本間さんは現在独立されていて「Only One travel」という会社でがんばっておられるそうです。
これからも素敵なツアーコンダクターとして活躍されることをお祈りしております。

(D市井)

#2342013年3月31日

アメリカ/ニューヨーク 大雪のニューヨーク

今回はニューヨークで着物の生地を使ったアート作品を作る、アーティストの岡田真由子さんを取材させていただきました。

今回訪れたのは大雪のニューヨーク。実は関空からインチョン経由でニューヨーク着の予定だったのですが、関空出発2時間前にニューヨークの空港が大雪で閉鎖するという情報が!
それはマズい!急遽各所に連絡し、関空→インチョン→ロサンゼルス→ワシントンDCというフライトに出発5分前に変更。ギリギリ出発する事が出来たのです。そしてワシントンDCで一泊し、翌日の朝一の電車でようやくニューヨーク入り。
さすが5年も番組やってるとスタッフのトラブル対応も俊敏やな〜、と関心致しました。ご協力いただいた皆さまありがとうございました。

そんな苦労の甲斐あって(?)とても素敵な取材をさせていただく事が出来ました。
弟の泰治さんも言っておられましたが、真由子さんの周りには国籍を問わず、自然と多くの方が集まり、真由子さんの活動を応援されていました。特に感じたのは皆さんとても穏やかで笑顔の多い方ばかりだったという事。そんな仲間が集ってくれるというのは、やはり真由子さんの人徳なのでしょうか。

作っておられる作品もとてもかっこよかったです。今度真由子さんは日本(大津)でも個展をされるそうなので、ご興味のある方は岡田真由子さんのホームページをご覧下さい。

真由子さん、これからも素敵な作品を作り続けて下さい!応援しております!

#2322013年3月17日

オーストラリア/シドニー 鬼頭家の“法則”

今回の配達先は2000年のオリンピック開催地、オーストラリア・シドニー。
イアン・ソープをはじめ数々の競泳代表選手を輩出してきたこの街で、水泳コーチとして奮闘する鬼頭亮介さんを取材させていただきました。
亮介さんが教えているのは、水泳大国オーストラリアでも最大規模を誇る強豪スイミングクラブです。今ではそんな一流の場で小学校高学年レベルのヘッドコーチを任されているのですが、日本にいた頃はIT企業でカーナビのシステム作りをしていたといいます。まさに情熱の人!

そんな亮介さんの夢は、オリンピック代表のコーチになること。決して簡単な目標ではないですが、少年のように目を輝かせて夢を語る亮介さんを見ていると、「この人なら数年後、オーストラリア代表のジャージを着てテレビに映っているに違いない」と思わせてくれます。ヘッドコーチを務めるクラスの生徒たちがオリンピックを目指すのは、2020年。つまり…東京オリンピックになるかもしれない大会です。その時は日本で会いましょう!

大いなる夢を目指す亮介さんですが、実は鬼頭家にはある“法則”があると言います。それは…
●2000年(シドニーオリンピック) 亮介さんオーストラリアへ
●2004年(アテネオリンピック)  華苗さんと結婚
●2008年(北京オリンピック)   長女スカイちゃん&長男シドニーくん誕生
●2012年(ロンドンオリンピック) 次男サニーくん誕生
                  ・
                  ・
                  ・
まさにオリンピック一色。これはもう、オリンピックコーチへの“フラグ”が立っているとしか思えません!誰にも負けない「情熱」と最強の「法則」、2つを味方にこれからも夢に向かって突き進んでください!

(D遠藤)

#2312013年3月3日

ニューヨークで「建造物修復師」として活躍する日本人 前川宗人さん(43)

今回の届け先は、アメリカ合衆国のニューヨーク。

大都会マンハッタンを訪れてみて、意外だったのが、立ち並ぶ高層ビルの隣に100年以上前の教会や住居などが並んでいたりと、新しいものと古いものが美しく調和していたことです。この街で建造物の修復師として活躍しているのが前川宗人さん。これまでに、メトロポリタン美術館やニューヨーク公立図書館など数々の建物の修復をされてきた方です。


私たちが取材で訪れた時、ニューヨークは大寒波。
今回取材させて頂いたセントパトリック大聖堂の修復の作業も、-10度という過酷な状況の中で行われました。
修復の過程で出る粉じんの舞う中、一日中作業することもあるという宗人さん。足場の悪い中、電動のノミが寒さで止まっても、できることを探して修復の作業を続ける宗人さんは、まさに職人だなと感じました。


昔からものを作るのが好きだったという宗人さん。去年購入した自宅の、棚や家具などは手作りされたそうです。
また、撮影の最終日には「ラーメン」をスープから麺に至るまですべて手作りし、友達に振舞われていました。
こだわり出すと、なにからなにまで自分で作るという宗人さん。
モノづくりへのこだわりが強く、社長からも信頼され、後輩たちからも慕われていました。

修復の仕事が忙しいため、今はご自身の作品が作れないのだそうですが。
いつかまた、宗人さんの納得のいく彫刻の新作を楽しみにしたいと思います。

(D橋本)

#2302013年2月24日

イタリア/クレモナ

今回、イタリア北部のクレモナへ。クレモナはバイオリンの聖地として
世界中からバイオリン作りを学ぼうと職人が集まる街です。
取材した一朗さんのバイオリンつくりに対するこだわりは番組で紹介させていただきましたが、一郎さんには趣味にもこだわりが。


番組でご紹介できなかったのがズバンディエラトーレという、イタリアの中世から続く旗振りの踊り。当時、戦勝祝いで、王様や貴族の前で披露していたのだとか。毎年行われるお祭りでは、街全体が中世にタイムスリップするそうです。町中にワラを敷き詰め、服装や食べ物も中世のもの、ワインも陶器の器で飲み、明かりもランプだけ。楽しそうです!!
この日は今年初の練習に参加されました。


実は一朗さん、この趣味も中世のイタリアを知るために始めたそうです。
ストラディバリが生活していた時代を知ることで何かヒントになるのではないか?
という一朗さん。普段は工房にこもりきりで物静かな一朗さんも、メンバーと大声で笑ってはしゃいでおられました。一朗さんのこだわりには頭が下がります。

(寿木)

#2262013年1月27日

オーストラリア/ゴールドコースト

今回はゴールドコーストでライフガードとして奮闘する、朽木豊さんを取材させていただきました。
日本でよく聞く「ライフセーバー」とはボランティアらしく、「ライフガード」というのは公務員、という違いがあるそうです。
いわば警察官、消防員の海バージョンという感じです。


豊さんの夢は日本で「ライフガード」という職業を確立させる事だそうで、そのために日々勉強、仕事に励んでおられるのです。
日本の行政を動かす事になるかもしれない豊さんの挑戦、応援しています!

話は変わりまして、今回の取材では毎日ゴールドコーストのビーチにいました。おかげで火傷かと思うほどに黒こげに焼けた訳ですが・・・、ビーチで頻繁に目にしたのがセスナを使ったプロポーズ!
「NAOMI I LOVE YOU. WILL YOU MERRY ME?」
セスナはビーチ上空を2往復ぐらいしていました。メッセージが確認できたのは5分ほどでしょうか。


こんな感じの物を一日に数件見かけました。人気のあるサービスなんですね〜。
ぼんやり見ながら思っていたのは、男はどうやってこのメッセージをNAOMIさんに見せたのかということ・・・

ショッピングに行こうとしていたNAOMIさんを無理矢理ビーチに連れ出し、炎天下の中何時間か待機。他のメッセージが飛んでいる時に見せてしまうとネタバレになってしまうので注意しつつ、自分のメッセージを見つけた瞬間に間違っていないか確認し、「NAOMI!空を見てくれ!」と言ってサプライズプロポーズ!

なかなか難しいですね〜。ピンポイントでそのタイミングにいい感じで彼女に見せるのは。トイレに行こうとしたりすると「もうちょっと待ってくれ!」って言ってたりするんでしょうか。

と、こんな事を考えている自分は、なんてロマンのない男なんだ、と寂しくなってしまうのでした。

(D佐伯)

#2252013年1月20日

イタリア/ボローニャ 一流ジェラート職人の元気の源は「サザエさん」

今回の配達先はイタリア・ボローニャでジェラート職人として活躍する入江真琴さん。

ローマのジェラート店で3年間修業し、日本でジェラート作りの講師として働いていた真琴さんは
昨年再びイタリアに渡り、現在はジェラート大学の講師として奮闘しています。


将来、自分自身のジェラートショップを開きたいという夢に向かって突き進む真琴さんですが・・・
実はもう一つ、大きな夢が。。

それは"あたたかい家庭"を築くこと。

子供の頃、働き盛りのお父さんが、忙しい中でもちゃんと時間を作ってくれて
季節の行事は必ず家族で過ごし、いろんなところに連れて行ってくれていたといいます。
九州男児のお父さんは、"家族の絆"をとても大切にする家庭に育てられ、
真琴さん自身も、おじいさん・おばあさん・親戚が大好きだったそう。

日本を離れた真琴さんの脳裏には今もその思い出が強く残り、
自分自身もそんな家庭を築きたいと常々考えているといいます。

真琴さんのご実家に伺った時、リビングの隅にノートパソコンと置き時計が並べて置いてありました。
でも、置き時計は全く違う時間をさしています。止まっているわけでもありません。
「なんでだろう・・・」と不思議に思っていたのですが、
よくよく計算してみると、その時計が示していたのはイタリア時間。

ご両親と真琴さんをつなぐ、唯一の手段が、インターネット電話。
それをかけれられるタイミングが、一目でわかるようにと時間が調整されていたのです。

親が子を思う気持ちというものが強いのか、
入江家の家族のつながりが強いのかわかりませんが
なんだか温かいモノを感じました。

「"ジェラートショップ"と、"幸せな家庭"作り。
 どちらも、子どもの頃から抱いてきた大きな夢なので・・・」

と、自身を奮い立たせながら、毎日イタリアで奮闘している真琴さん。
そんな真琴さんの元気の源は・・・

毎朝見る"サザエさんのビデオ"だそうです。
あの平凡でどこにでもありそうな、幸せな家族風景を見ると
ほっこりするんだとか・・・。

地球便で海外に取材に行くとよく思うのですが
日本を出て、海外に住んでいる人こそ、日本の事を強く想っている。
そんな気がします。

離れているからこそ、気づける大切な事ってきっとあるんですよね。。。


真琴さんが大家族でおいしくジェラートを食べられる
そんな幸せな日が一日も早く来ることをお祈りしています!

(D:市井)

#2242013年1月13日

アメリカ/ボストン ホタテの島!

今回はアメリカ・ボストンでナンタケットバスケット作家として活躍する八代江津子さんを取材させていただきました。ひとつ100万円以上の値がつくこともあるナンタケットバスケット。それは伝統工芸品としての付加価値だけではなく、一作品を完成させるのに200~300時間もかかるため。そんな気の遠くなるような作業を「とても楽しい」と笑顔で語り、バスケットに関するインタビューを始めると嬉しそうに何時間でも話し続ける江津子さん。ナンタケットバスケットに対する深い“愛情”と、好きなものはとことん極めたいという強い“情熱”にただただ感服いたしました。


そんな江津子さんが惚れこんだこのバスケットが生まれたのが、アメリカ屈指の高級リゾート地・ナンタケット島。取材で訪れたのは冬だったため少し閑散としていましたが、6~8月のハイシーズンには紫陽花などの花々が咲き誇り、観光客で溢れかえるんだとか。また、島には超豪華な別荘やゴルフコースがズラリ。ここに別荘を持つことがアメリカ人にとってのステータスであり、価格は数十億円が当たり前なんだとか。いや~、セレブです。


さらにこの島には名物が。それはナンタケット島でしか採れないというホタテで、地元での愛称は“ナンタケットゴールド”。身は小ぶりですがとにかく甘い!何と糖度が30度もあるんだそう。私たちも江津子さんの師匠であるアランさんが作ってくださったパスタでいただきました。あ~美味しかった!


島民にとってこのホタテはとても貴重なもので、島の“象徴”とも言えるもの。あちこちで見ることができます。お店の看板から家のポスト、そしてクリスマスシーズンということもあり街中のツリーにも飾られていました。貝好きにはたまらない島ですよね!


(D遠藤)

#2192012年12月2日

チュニジア/マハディア おもてなしの心

今回は「地球便」初めての国、チュニジアのマハディアという街でバレエ講師をされている及川可奈子さんを取材させていただきました。
チュニジアといえば、2011年に「アラブの春」の発端となった「ジャスミン革命」が起こった国。
ニュース映像で暴動の様子なども見ていたため、怖いイメージを持っていたのですが…そんな心配は杞憂に終わりました。治安も良いし、気候も穏やか、さらには景色もきれい。特に“チュニジアンブルー”と呼ばれる鮮やかな青と白のコントラストは、息をのむ美しさでした。


魅力いっぱいのチュニジアですが、特に強く感じたのは、人々が優しく、とても親切だということ。異国の地から突然やってきた私たちを快く受け入れ、取材がうまく運ぶようにと積極的に動いてくださる姿に、感動すら覚えました。可奈子さんに聞くと、「わざわざ遠いところから来てくれたお客さんだし、マハディアを知ってもらういい機会だから!」とおっしゃっていましたが、まさにそれは“おもてなしの心”。ロケ期間中は、心がずっとあったかくなっていました。
とりわけご主人のハセンさんがナイスガイ。番組でもその優しさが十分に出ていたと思いますが、それ以外でもとにかく親切にしてくださいました。ロケ最終日には、お世話になった学校に生徒さんや保護者の方々をたくさん集めての“お別れ会”まで。その時いただいたのが、チュニジアの特産品でもある鮮やかな金属のお皿。そこには、スタッフ一人ひとりの名前が平仮名で彫られていました!こんなに優しいご主人がいれば、可奈子さんも絶対、幸せですよね。


最後に。現在妊娠中の可奈子さん、ご出産は来年の春頃の予定です。元気な男の子が生まれてくるのを、心より楽しみにしています!

(D遠藤)

#2182012年11月18日

イタリア/ベネツィア ヴェネツィアでガラス工房を営む日本人

今回の届け先はイタリアの北部に位置するヴェネツイア。
干潟の上に作られた海上都市ベネツィアは、何百もの水路が入り組んでいてまるで迷路のようでした。
街では車や自転車の通行が禁止されており、移動手段はゴンドラや水上バスといった船のみ。
大型客船が一日に数隻やってきては、観光客が繰り出す、昔から交通の要衝だった雰囲気そのままで
今この街が沈下する問題を抱えているとは思えないくらい穏やかな印象でした。
そんなヴェネツィア本島で旦那さんのピノさんと共にヴェネツィアングラスの工房兼ショップを経営する
井上佳奈枝さん。
ヴェネツィアングラスに魅せられ、ついにはその職人さんと結婚し自らも職人を目指していて、
とてもバイタリティーあふれる方でした。

旦那さんのピノさんはこの道50年のベテラン。
10歳のころから培った技術が生み出す作品は、本当に美しくまさに芸術品。
1年に出会えるか出会えないかという作品が出来た時は、
いくら積まれても売る気にはならないとおっしゃっていました。
佳奈枝さんとピノさんはさながら師匠と弟子といった様子。
とはいっても、仕事が終われば仲のいい夫婦で、
ご自宅ではまだまだ新婚さんのように共にキッチンに立っていました。


料理と言えば、撮影中、佳奈枝さんと魚市場に出かけたのですが、
両親が魚の卸し業をやっているということで目利きはさすが。
店員さんも取り込んでいきのいい魚を手に入れていました。
家で魚をさばいていたらしたのですが、少し手間取ると
「母に見られたら怒られる」ととても焦っているところが
魚卸し業の家で育ったプライドを感じさせる一面でした。


そんな佳奈枝さん夫婦に目標を訪ねると、
ヴェネツィアでこのままゆっくり暮らしていけたらいいとおっしゃってました。ヴェベツィアングラスと共に、一歩でも旦那さんに近づこうと奮闘する佳奈枝さんの今後の活躍に期待しています。


(D橋本)

#2132012年10月14日

スイス/ゾロトゥルン

今回はスイスの農場に嫁ぎ、看護師としても活動する土居内タンレル愛子さんにお会いしました。
生命に関わる仕事、時間も不規則、患者さんへの細かい気配り…、
看護師の仕事は日本でも大変な仕事なのに、言葉の違うスイスでの苦労は
計り知れないと思います。
しかし、愛子さんは非常にパワフルで気遣いもバッチリ。
本当に患者さんから信頼され、愛されているなぁ〜と実感しました。

そんな愛子さん、謙遜されていましたがお料理も大変お上手!
取材中、何度か食事をごちそうになったのですがベーコン料理、野菜料理、
どれも旨いんです。
中でも感激したのがスイスの家庭料理「チーズフォンデュ」。
日本では野菜や肉などパン以外の食材を使用する場合も多いですが、
本場スイスではパンのみ!
チーズソースに関しては何種類かのチーズを混ぜ、秘伝の味付けもあると思いますが、それを聞くのを忘れるほど?旨かったです。
重たくなく、飽きる事もなく、どんどんパンに手が伸びてしまうのです。
多分ですが、一人でフランスパン2本分くらい食べたかも?
そして食事中もパンが無くなる前に追加して頂いたり、飲み物をついで頂いたり、随所に愛子さんの気配りが…。本当にごちそうさまでした!

来年早々に出産を控える愛子さん、多分パワフルで元気なお母さんになるんだろうなぁ!

(D中西)

#2102012年9月23日

スペイン/バルセロナ スーパースターが認めた才能

今回のお届け先は、スペイン・バルセロナ。
人生初のスペインだったのですが、バルセロナはとにかく素晴らしかった!
気候は気持ちいい、食事はおいしい、女性は美しい……「いったい何拍子揃っているんだ!?」と思えるほどの心地よさで、私の中での「住んでみたい海外の街・第1位」に一気に躍り出てしまいました。


そんなバルセロナは“芸術の街”としての顔も持っています。この場所で画家として活動する松本佳久さんを取材させていただきました。「画家」と聞くと少し固そうなイメージがありますが、佳久さんの印象は全くの逆。最初の顔合わせから「まいどー!」とやたら高いテンションで現われた佳久さん。取材を進めていくうちに、長年の友達だったのではないかと思ってしまうほどフレンドリーに接してくださりました。おかげでめちゃくちゃ楽しい1週間でした!
そんな佳久さんの人柄もあって、今、続々と新しいお仕事が舞い込んできているようです。レストランだけでなく、バルセロナのホテルやカルチャー教室の壁や天井にも次々と描いているとのこと。さらには(これはお仕事ではないのですが)、世界的サッカークラブFCバルセロナのエース・イニエスタ選手からも依頼を受け、結婚式用にお祝いの絵もプレゼントされたそう。世界的プレイヤーにも認められた佳久さんが、“バルセロナ発の世界的な売れっ子画家”になることを心から楽しみにしています。

ちなみに佳久さんは、「yoshi sislay(ヨシ シスレイ)」のアーティスト名で活動されています。「松本佳久」では彼のHPには行き着かないので、興味のある方は「yoshi sislay」でぜひ検索してみてください。


(D遠藤)

#2092012年9月9日

カナダ・ホワイトホースで写真家として活躍する日本人

今回の配達先は、カナダ・ホワイトホースに暮らす上村知弘さんです。

知弘さんは、ユーコン準州の自然や、そこに生きる動物たちを撮影する写真家です。
我々取材スタッフが、ホワイトホースに到着したのが、夜の9時を回っていたのですが太陽はまだ高く、まるで日中のようでした。そのまま街に出てみると、明るいのに人はいないという、白夜特有の不思議な光景でした。

取材のため、街から少し離れたのですが、とてつもない規模の大自然が広がっていました。夏とはいえ、まだ山頂付近では雪が残っていて、ウィンドブレーカーが必要なほどの肌寒さでした。

森の中で暮らしている、知弘さんの自宅はモンゴルのゲルというテント式のものでした。見た目よりも実はしっかりしていて、15年は持つそうです。マイナス20度になるという冬は、薪ストーブで暖を取るのだそうです。

ホワイトホースは、オーロラでも有名だそうで、知弘さんもオーロラの季節には写真を撮ったり、ガイドもするそうです。残念ながら私たちが行った季節は白夜のためオーロラは見ることができませんでした。

知弘さんの夢は、オーロラの中でドールシープ(羊の一種)を撮影することだそうです。
今回その撮影に同行させていただいてその大変さがひしひしとわかりました。
知弘さんが「2つ向こうの山頂にいるドールシープを追いかける」と望遠鏡を見ながら言ったときは、正直、気が遠くなりました。知弘さんは、大きな荷物を背負いながらどんどん山を登っていく。正直、我々は付いて行くのだけでも困難でした…

結局10時間近く歩き続け目的地にたどり着いたのですが、ドールシープはすでにその場からいなくなっていました。それでも、さらに知弘さんはあきらめず、川を渡って次の山へ向かうそんな時でした。一頭のドールシープが突然現れたのです。まるで奇跡のような瞬間でした。
そして撮影できたのがたった一枚。何時間かかろうが、準備からその出会えるまでの過程や、その後のテントで泊まるまで含めて楽しんで撮影する一枚が好きだという知弘さんは、本当に情熱あふれる人でした。
いつの日か、オーロラの中のドールシープの写真を見れる日を楽しみにしています。

(D:橋本)

#2082012年9月2日

アメリカ/テキサス州 観光にオススメ!独立リーグ

今回はテキサスで野球の独立リーグで活躍する西本泰承さんを取材させていただきました。


現在所属しているのはテキサス州に本拠地を置く、グランドプレーリー・エアホッグスというチーム。こちらの監督が、「メジャーでも通用する選手。なぜ日本のプロ野球にいないか不思議だ!」といっていたほどの実力者で、実際タイミングさえ合えばプロ野球に入っていたという方です。
野球の世界は実力だけでなく、タイミングや巡り合わせという事がとても大きく左右しているようで・・・。
しかし、目標に向かって進み続ければ絶対に道は開けると思います!西本選手頑張って下さい!そして大スターになっても僕の事を忘れないで下さい!

ところで、西本選手が活躍する独立リーグ。これがとても楽しいものでした。
もちろんメジャーリーグも楽しいと思いますが、独立リーグには、ならではの楽しさがいっぱい!
球場には公園があったりプールがあったり!(この球場だけかもしれませんが・・・)
プールでビールを飲みながら観戦なんて最高じゃないですか!しかも入場料も8ドルぐらいから入れたと思います。


そして選手との距離が異様に近い!試合前、試合後は普通にサインがもらえますし、レストランでは選手と一緒に飲む事も出来てしまいます。
なんやったら試合中も、普通に選手に話しかける人がいたりとか・・・
選手は元メジャー選手もいたりするのですが、気さくな人ばかりで、おかげさまで取材もとてもしやすかったです。

(写真の陽気なおっちゃんも一流の選手です。)


アメリカに観光に行ってお時間があれば、
のんびりと独立リーグ観戦がオススメです!

#2072012年8月19日

ウガンダ共和国/熱い国で熱い男が作る最高のチョコレート

今回取材させて頂いたのは、アフリカ大陸赤道直下に位置するウガンダ共和国。
行く前は「灼熱の国」的な印象だったウガンダ(個人的な勝手なイメージですが・・・)
行ってびっくり、昼間でも日陰であればかなりすずしく、
雨の日の夜は、防寒対策が必要なくらい冷え込んでいました。

テレビでよく見る、あの"暑さ"はなんだったのか・・・

と・・・町に出れば、車とバイクがごった返し、渋滞の嵐、
ものすごい人々の熱気。
キングサイズのマットレスを頭の上に乗せて歩く人、
車のタイヤを首からさげて歩く人。
二度見せずにはいられない光景が、次から次へと目の前に。
なるほど、映像で切り取ると、イメージしていた"灼熱の国"がそこにありました。
きっとこの国は"暑い"んじゃなくて"熱い"んだ。


そんなことを思いながら、
ぎゅうぎゅう詰めのワゴンタクシーに乗り20分。
今回の取材先、和孝さんのチョコレート工房へ。


平屋建ての大きな家ですが、表の入り口は完全に封鎖。
裏の勝手口を、メインの出入り口にされていました。
治安の悪いウガンダ、外国人(日本人)の一人暮らしは、かなり用心が必要だそうです。

そんな中で、もくもくと作られていくチョコレート。
撮影しながら試食させてもらったその味は、日本のチョコレートとは全く違うモノでした。
香りがとても強く、どこか豆の味がしてほろ苦く、濃いめの大人の味、
甘さは、食べ終わりの頃にほのかに感じる程度。。
めちゃくちゃおいしいじゃありませんか!


ウガンダ産の「高品質カカオ豆」、自作の焙煎機による「焙煎」、
特注のグラインダーを使った「粉砕」、材料は「カカオ・砂糖・カカオバターのみ」といった
こだわりよう。
遠いアフリカ・ウガンダまでやってきて、やっとの思いで作り上げた最高のチョコレート。
こんなおいしいチョコレート食べたことありません。
「気候も料理も生活も合わない・・・でも、ここでチョコレートを作りたい!」
和孝さんのたしかな"熱い"想いが伝わってくる・・・そんなチョコレートです。


しかし・・・残念なのは、手作りのため大量生産ができないこと。
そしてその分、どうしても割高になってしまうこと。
日本の高級チョコレートに比べると全然安いのですが、
現地ではやはり高級品として扱われてしまうので、今はまだ口コミでの販売が多いとか。

少しずつ間口を広げ、今は日本にも輸出できるよう、ホームページを作成中だとか。
今年の夏中に作りたいとおっしゃってたので、もうそろそろできてるかも。。。

ああ、またあの味が楽しめる日がくるのが待ち遠しい。。。。

(D:市井)

#2062012年8月12日

イギリス/ロンドン

オリンピックで燃え上がったロンドン。でも撮影は6月・・・まったくもってオリンピックムードはゼロでした。地元の人はオリンピック開催前に逃げ出さないと街が大変なことになると焦っています。ロンドンに昔からある「オリンピック」という喫茶店が店名を変えさせられたり・・・
ちなみに「オ」を取って「リンピック」にしたとか。道路に車をチェックするゲートが作られたり
いろいろあったようです。取材した智子さんからはイングリッシュガーデンのことや美味しいお店なども親切に教えて頂きました。イギリスと言えば定番の料理、そうです、アレです。
魚とポテトフライのアレです。シンプルなあの料理です。フィッシュ&チップス。
まずいという方もいるようですが、智子さんに教えていただいた店は美味しかったです。


魚はギンダラ、どこかのアナゴ天のようにデカイです。衣は天ぷらっぽい感じでさくさく、
塩と酢をつけて食べるのが基本らしいです。店にタルタルソースがあったので
頼みましたが、ロンドンではフィッシュ&チップスにタルタルソースは邪道だそうです。
やはり日本とは勝手がちがうもんですね。合うと思うねんけど・・・ 塩と酢で美味しく頂きました。
ポテトはこれでもかと丼鉢2杯分、美味しいのですが、フィッシュの部分でもうお腹いっぱいです。よく食べるカメラマンもポテトは残してました。何でこんな多いのか?聞くと、日本みたいに出されたものは全部食べるという風習がないそうです。余ってもOK!持って帰ってもOKという感じです。皆さん、残しても遠慮なく、時には堂々とテイクアウトして下さい。

話それましたが。智子さんのイングリッシュガーデンデザイン素敵でした!今後のご活躍楽しみです!イギリスへ行くことがあれば、いろんな「庭」に注目してみて下さい。


寿木

#2042012年7月29日

台湾

今回は台湾で製茶修業をしている渡辺拓哉さんを取材させて頂きました。
とにかくお茶作りは我慢と根気の連続!
茶葉を摘んだらすぐに製茶作りが始まり、乾燥、醗酵と進むのですが、
作業~待ちというサイクルが続き、深夜はもちろん24時間以上かけて
製品に仕上げていきます。
そのような苦労の末、出来たお茶を渡辺さんは本当に我が子のように愛おしく見つめていました。
これからは日本でも台湾茶を広めるべく苦労が続くと思いますが、
是非、乗り越えて頂きたいと思います。
ところで番組でも紹介しましたが、取材中、台湾は観測史上最高の雨量!
一説によると200年ぶりの豪雨なんだとか…。
豪雨の前日の夜、徐々に雨量が増えて嫌な予感がしたのですが、
翌朝、ホテル前は足がつかるほど水浸し。
しかし、なんと普通に飲食店も営業しているのです!
台湾の人たちの力強さというか商魂のたくましさを感じずにはいられませんでした。
ちなみに飲食店、どこのお店も最高に美味しい!とだけ付け加えさせて
頂きます。

(D中西)

#2032012年7月22日

カナダ/ブリティッシュコロンビア州アボッツフォード

今回はカナダで彫刻家として奮闘する、河野守行さんを取材させていただきました。
「彫刻一本で生きていく」というのは生半可な気持ちで出来るものではありません。
しかしそれを実現出来ているのは守行さんの相当なる勇気と覚悟、そして奥さんのサポートがあればこそだと思います。

今回の取材で、守行さんが言われた言葉で最も僕の心に刺さったのは「無いとしたらお金だけ。あとは願っても手に入らないものがたくさんあって、それに気付いて日々生活できている事が幸せ」というものです。

守行さん一家は本当に、見ていてうらやましくなる素敵なご家族でした。
僕も心にゆとりと愛と感謝の気持ちを持って、日々生きていこうと思います。
ということで、ベランダでゴーヤを育てる事から始めました。

守行さんの作品は日本からでも購入可能です。ご興味のある方は河野守行さんのホームページをご覧下さい。

#2022012年7月15日

アメリカ・カリフォルニア 47歳、不屈の魂

今回はアメリカ・カリフォルニア州でプロの女子アメリカンフットボール選手として奮闘する、鈴木弘子さんを取材させていただきました。
そもそも女子のアメフトがあること自体知らなかった私。知らない世界をのぞくのは、いつもワクワクします。
取材初日、チームの練習場に着くと、そこには大きな体の女性たちが!中には150kgを超える選手もいるそうです。弘子さんの体重は65kg。こちらが心配してしまうほどの体格差なのですが、そのことについて尋ねると、弘子さんからは意外な答えが。
「体格差をハンデと思うなら、柔道とかボクシングみたいに階級別のスポーツをやればいい。私はアメフトを好きでやっているのだから、ハンデだなんて思ったことないです。」
この言葉を聞いた時、彼女がいかにアメフトを愛しているかが一気にわかった気がしました。自宅のロサンゼルスからチームのあるサンディエゴまでは車で3時間ほどかかります。ロスで仕事も持ちながら収入のほとんどないアメフト選手を続けているのも、「アメフト愛」以外の何物でもないはずです。
そして驚くべきは(こう言うと弘子さんに怒られてしまいそうですが…)、やはり彼女の年齢。47歳になった今も第一線で活躍しているのは、ご本人の努力と高いモチベーションの賜物です。一日に摂取するたんぱく質の量なども緻密に計算されており、その姿勢はまさにアスリート。弘子さんより20歳近く若いのに、不摂生でこの4年間で15kg近く太ってしまった私とはえらい違い。お恥ずかしい…。
そんな弘子さんにはスポーツ界からも大きな注目が。私たちの滞在中にもロサンゼルスで活躍するスポーツカメラマン、三尾圭さんの取材撮影を受けていました。

海辺でアメフトのユニフォームは少し違和感がありましたが、弘子さんの表情、キマッています!

近い将来、弘子さんが全米チャンピオンまで登りつめ、この時の写真を様々な場所で目にする日が来ることを期待しています。

(D遠藤)

#2012012年7月8日

バングラデシュ・ダッカ 世界住みにくい街ランキング2位の街は、もう一度行きたい街1位だった

 今回は初めてのバングラデシュ。あのハバネロの2倍の辛さを誇る“ジョロキア”と
いう超恐ろしい唐辛子を加工している、竹内僚さんを訪ねた。
僚さんは一見怖そうな風貌だけど、中身はめちゃくちゃ優しくて、いい感じに男っぽくて、
2日目には“ツレ”感覚で話してしまうような、とってもいい兄ちゃん。一緒にビールを
飲み、一緒に12時間船に乗り、一緒に反政府デモの中をタクシーで通り抜け、一緒に
ゴキブリ退治をし…一緒に色々味わった。いやぁ、今回のロケは本当に刺激が多かった!

行く前から僚さんに「バングラは面白いけど大変ですよ」と聞いていたのだが、一応こちらも地球便を番組開始からやってきて、世界の過酷な場所を多少なりとも味わった身。
ウガンダでは穴だらけの蚊帳で寝たり、カンボジアでは洪水の中をオンボロ船で魚獲りに行ったり、オーストラリアでは巨大アリに襲われたり、ケニアではカツアゲされたり…。
しかももちろん今回の相方も、いつもの百戦錬磨カメラマン、まざきっち。1つ前のロケでは、タイでネズミの丸焼きを食べてきたと言う。「ま、バングラデシュ位行けるでしょ?」と、すっかりタカをくくっていた……のが大間違い!!
いや、ダッカはスゴイ!!色んな意味で熱い!!何せ人が多すぎるし、渋滞がハンパねぇ!たかだが30kmの所に行くのに余裕で3時間はかかってしまう。時速なんぼやねん?
僚さん曰く、、「ダッカって、世界住みにくい街ランキングで2位なんですよねぇ」
……はよ言って、それ!!

まず、外国人が珍しいらしく、どこに行っても人に囲まれ動けない…「僚さん助けて~!」
高い金を払って乗った“船の一等室”はゴキブリの棲みか…「僚さん助けて~!」
いきなりの反政府デモで街への車での立ち入り禁止「僚さん助けて~!」
たった4日の滞在で、色んな事が起きすぎる街。それがダッカ。

でも、でもですよ、皆さん。ぜひ一度行ってみてください。面白いです!
あんなに活気があって、あんなに刺激的で、あんなに色んなことを考えさせられる、
あんなにカレーのうまい国はありません!!
段取りやら何やらに追われる職業上、2度と仕事では行きたくない街だけど
プライベートでならぜひぜひもう一度行きたい街、それもダッカ。
“世界住みにくい街ランキング2位の街”は、“もう一度行きたい街1位”になりました。
ちなみに世界住みにくい街ランキング1位は、ジンバブエのハラレ。…どこそれ?

あ、あと、僚さんが作っている激辛ジョロキアパウダーは小瓶サイズがあり、それが何と、インターネットで買えます!!豚汁やマヨネーズにかけたりすると激ウマです!
欲しい方はりょう君のジョロキアで検索してみてください!買えます!!告知です!
パーティにもオススメです!

あ~あ、もっと書きたいこといっぱいあります。。おもろかった

(D光岡)

#2002012年7月1日

ピッツバーグで金管楽器奏者として働く日本人

今回の配達先はアメリカ・ピッツバーグで金管楽器奏者として活躍されている鈴木孝一郎さん。
ピッツバーグの街を拠点に活動する「リバーシティーブラスバンド」で、唯一人の外国人メンバーとして参加されています。

当たり前かもしれませんが、孝一郎さんの周りにはほとんど日本人がいません。
バンドのメンバーはもちろん、婚約者、そして友達のほとんどがアメリカ人。
お会いした当日は、日本語を忘れてるのかしら??と強く感じるほどでした。
(撮影が進むにつれ、徐々に沖縄なまりの日本語が戻ってきて安心しましたが…)

華やかに見えるブラスバンドの世界。実はそれだけで生計が成り立っているという人は
ほとんどいないそうで、バンドメンバーも大学や高校の先生をしながらプロとして演奏を続けている方が多いそうです。

そんな中で、孝一郎さんは、ブラスバンドのメンバーで結成したリバーボトム カルテットや、
高校のマーチング部のコーチ、そのほかにもタンゴのインストラクターなど様々な活動に
意欲的に取り組んでいて、それぞれ違った仲間たちと充実した毎日を送られているそうです。

そして、カーネギーミュージックホールでの演奏会にもお邪魔しました。
舞台の装飾はもちろん、限られた人しか立てない一流の舞台でのソロ演奏。
孝一郎さんの演奏後には、拍手がなりやまず、会場全体が一体となりました。


「もっと音楽家として大きくなりたい」
孝一郎さんが撮影の間を通して常におっしゃっていた言葉です。
もう7年も帰国していない孝一郎さんが、
いつかその夢を叶えたとき故郷沖縄の、
お母さんの店で演奏会が開かれる日を楽しみにしています。

(D:橋本)

#1992012年6月24日

モザンビーク、ある村の真実

アフリカ大陸南東部に位置するモザンビーク。
世界遺産の美しい島や大きく美味しいエビが有名です。が!今回伺った村は凄まじいまでに貧困でした。
まず仕事がありません、村に工場などあればいのですが…働けないからお金が入りません、自給自足をすれば…と思いましたが、作物は収穫時期に盗まれてしまいます。
ヤギや牛を放牧しようものなら、あっと言う間だそうです。また、大型の野生動物は食べ尽くされもういません。家作りに使う「土」ですら、人の土地から盗むのです。

HIVも蔓延、原因は一夫多妻制だったり、病院の注射針だったり、粉ミルクを買うお金が無いお母さんからの母乳感染もあります。目の前で泣いてる赤ちゃんにあげられるのは自分の母乳しかないのです…他国からの支援物資は途中で盗まれて無くなり、貧しい人達までは届きません。でもそんな貧しい村で子どもたちはたくましく明るく生きています。

取材した、さやかさんの団体アシャンテ・ママに所属している6歳ぐらいの女の子、突然僕を呼び、手に持っていたグァバの実を3つ「これプレゼント」と差し出してくれました。食べるものが少ないのに…この気持ちに感動です。

この村で人々の為に一人で活動するさやかさん、本当にすごいことです。「アシャンテ・ママ」のホームページから活動がわかりますので気になる方は是非。アシャンテママとは現地語で「お母さんありがとう」と言う意味です。

日本の常識が通用しない日常、地元の人たちはそれが当たり前、貧困は長く続いた内戦の影響です。もし自分がこの国に生まれてたらと色々考えさせられました。今回の撮影、一生忘れません。早く治安が回復して、国が良くなることを願ってやみません。

(寿木)

#1982012年6月10日

エルパソ

今回のお届け先は、アメリカ合衆国テキサス州エルパソ。
エルパソといえば、古い西部劇映画などに出てきた街であることぐらいしか知らない私でしたが、
なかなか面白い街でした。

何と言っても、ダウンタウンのすぐそばにあるメキシコとの国境です。
リオグランデ川という川が、アメリカとメキシコを隔てる国境線なのですが
想像していたのは、乾いた大地の中を大きな川が流れている景色でした。
しかし行ってみると、高い山の上に上がってもそれらしき川は見えません。
あるのはコンクリートで作られた高い堤と、それに繋がる無骨なコンクリートの長い河川敷。
川の流れを見ることは、国境を繋ぐ橋の上に行かなければほぼ不可能で
国境付近の撮影も非常にデリケートな雰囲気でした。

それもそのはず。
メキシコから不法にアメリカへ入国する人は、いつの時代も後を絶たず
国境付近はいつも緊張状態にあるようなのです。
近年は特にメキシコで起こっている麻薬犯罪がらみの問題もあり
特に厳しくなっているとか。
こればかりは、地続きの国境を持たない日本で育った私には
普通だと実感できない感覚です。

しかしエルパソの街に住む多くのメキシコ系住民の皆さんは
底抜けに明るく、人生を楽しむ達人のような方ばかり。
お届け先の一美さんもそんな中にすっかり馴染んで
ハッピーな空気を周囲に振りまいているようなすてきな女性でした。
どんな場所に住んでいても、幸せは自分自身の心の中から
産み出されるものなんだという事を実感させられる旅でした。

#1962012年5月27日

ドイツ/ブラウエン

今回はドイツの東の端にあるプラウエンという小さな街に一人で暮らす夏子さんを取材させていただきました。とてもチャーミングな女性でした。しかし、その生きざまは本当に壮絶で清いもので、まさに神様が作った人生という荒海に果敢に立ち向かい、一筋の光明を探し続けるかのようでした。“夢”“無償の愛”“絆”…現代では忘れ去られそうな言葉をまさに実践していた夏子さん。その夏子さんとの出会いは一枚の企画書からはじまりました。

某日の番組会議に世界各国から集められた、自薦他薦の候補者リスト。その中にあった、夏子さんのデータは、チェコ人の男性と共に結婚してドイツへ渡る。そして子供を産むも離婚、息子はチェコに暮らし離れ離れ。そして夏子さんは旧東ドイツの小さな街に水墨画家として一人暮らし、というものでした。

結婚して子供をつくり3年で離婚、そんな話は五万とあります。私が気になったのは、なにも未だにそんなに裕福な街とは思えない旧東ドイツに暮らさなくてもいいじゃないか、なぜ聞いたことも無い旧東ドイツの街に暮らし続けているのか?水墨画家としてどうやって生活を成り立たせているのか?そこにはいったどんな思いがあるのだろうか?そんな疑問から取材はスタートしました。

夏子さんは、水墨画家として自らが立ち上げたネットショップで稼ぐ生活。月10万円ほどの収入で細々と暮らしていました。ネットで水墨画を販売するなら、ドイツのこの街でなくても良いと思うのですが、それはこの街に住めば、息子の住むチェコまで3時間ほどで行けるとう理由からでした。では、なぜチェコにすまないのか?それはチェコ語というのは世界でも稀にみる難しい言語だから、おいそれと話せるようにはなれないからなんです。

ひと月に一度、チェコの息子に会いに行く…。その為だけに一人でドイツの片田舎に暮らす。全ての生活、人生が子供を中心にして成り立っていました。その夏子さんの息子への愛情はどこから来るのかと思っていたのですが、取材でお会いした夏子さんのお父さんの影響だという事がのちにわかりました。

お父さんは娘への愛情を表現するのが苦手らしく、また夏子さんもお父さんへの敬愛の気持ちをうまく伝えることができないようでした。お話を聞けば聞くほど、実はお互いを認め合っているのに、どことなくボタンを掛け違ってしまった親子関係を感じたのです。

しかし、お父さんは実際にお話をすると、実に夏子さんのことを思ってらっしゃることがヒシヒシと私には伝わってきました。「孫がかわいいから」とおっしゃいますが、その言葉の裏には「愛する娘が産んだ子供だから…」という思いが隠れています。「娘は自由に生きればいいんだよ」と気にしていない素振りを見せられますが、実はドイツでの生活ぶりをよくご存じだったのです。お父さんは、夏子さんのブログやホームページを一週間に何度もコッソリ見ているそうです
(これは娘にはナイショだよ。とお父さんに口止めされましたが、あえて書かせていただきました。お父さんゴメンなさい~)

父と娘、さまざまな関わりの形があると思いますが、一見すると切れているかのような愛情の糸は、実は太い絆で繋がれていたのです。
夏子さんの姿を通して、ともすると忘れがちな「絆」、それも「親子の絆」を感じてもらえればと思います。

(D田尾)

#1952012年5月20日

ケニア ちょっぴり賢くなった旅

今回取材させていただいたのは、ケニア。
個人的には人生初、
番組としても実に1年ぶりのアフリカ大陸です。
こんな機会がないとめったに行ける場所じゃない!
と意気込んでいたものの、1つ大きな失敗を。
それは、「ケニアは赤道直下の国だけど、
高度が高いから暑くない」
というのを拡大解釈して、
大した日焼け対策もせずにロケに臨んでしまったこと。
その結果…真っ白だった私の肌は滞在4日余りで、
茹でダコのような色になってしまいました。
いや~、お恥ずかしい。。。

肌を真っ赤にしながら取材させていただいたのは、国際農業研究員として活動されている森元泰行さん。
聞きなれないお仕事ですが、貧困国の農業を発展させ、その国の栄養面や経済面の向上を図るべく様々な研究を続けています。

その中で泰行さんが目をつけたのは、ケニアに昔から栽培されてきた伝統野菜や伝統穀物と呼ばれる農作物たち。西洋の野菜が入ってきたことで目を向けられなくなったこうした農作物の栄養価に着目し、流通させるべくプロモーション活動を行っているのです。
泰行さんはアイデアマンで、ケニアで昔から食べられてきたパームミレットやトウジンビエという伝統穀物を、様々な食品に加工することも。

ポン菓子に始まり、パンやビスケット、さらにはカップラーメンの麺にまで練りこもうと試行中なんです。

まだ試作段階ではありますが、日本の某メーカーと共同で開発しているとのことなので、近いうちに「パームミレットヌードル ~ケニア風~」なるラーメンが売り出されるかも!?

食べ物つながりでもう1つ。とにかくケニアはごはんがおいしかった!正直、食にはまったく期待していませんでした。しかし、出てくるもの出てくるものがとてもおいしい。味つけにクセが無く、素材も新鮮だから日本人の口は合うのです。村に滞在させていただいたときも、お母さん方が作ってくださる家庭料理をガツガツ食べさせていただきました。

きれいな景色や野生動物はもちろん、様々な魅力に溢れたケニア。
ちょっと遠いですが、訪れる際はぜひ日焼け止めをたっぷりと。

(D遠藤)

#1932012年4月29日

ロンドンでストリートフォトグラファーとして働く日本人

今回は、イギリス・ロンドン、そしてフランス・パリでストリートフォトグラファーとして働く藤原悠さんを取材しました。

ストリートフォトグラファーとは、よくファッション雑誌で見かける「街行くおしゃれな人」の写真を取るカメラマンのことをいうそうです。

悠さんが、よく撮影をするというストリートに連れて行ってもらうと、そこを行き交う人たちはとてもスタイリッシュ!!撮影した写真を見せてもらうと、よりおしゃれ感が増していました。素敵な街並みとおしゃれな人たちは絵になりますね。もちろん悠さんの腕もありますが!

そんな街中で、ひたすら声をかけ写真を撮る悠さん。イギリスに10年暮らしているとあって英語もペラペラで、被写体の方とのコミュニケーションもなんなくこなされていました。取材中に強い雨が降ってきたにもかかわらず、悠さんはびしょ濡れになりながら、傘をさすおしゃれな人たちをカメラに収めていました。

日本ではパリコレと呼ばれている「ファッションウィーク」期間中は、街にモデルやおしゃれな人たちであふれます。そしてその街並みと人物を撮影するストリートフォトグラファーも街に集合し、パリのあちこちが撮影会のようでした。何度か訪れたことのあるとはいえ、ショーの時の悠さんはやや緊張した様子でした。あのアニエス・ベーさんに名刺を渡し、挨拶をされているのを見た時は、海外でチャンレンジし続ける悠さんの責めを感じました。当面の目標である、「写真だけで生計を立てる」に向って本当にがんばっておられました。
そんな悠さんのますますのご活躍を期待しています。

(D橋本)

#1922012年4月22日

大韓民国/90年代にタイムスリップ

今回取材させていただいたのは、お隣の国・韓国。
実は地球便で韓国を取材するのは初めて。
いつもハブ空港として「仁川空港」に立ち寄ることはあるものの、他の国への乗り継ぎでスルーするだけ。僕個人は韓国の街におりたのは初めてでした。

関西空港から仁川空港まではおよそ800km、海外と呼ぶにはあまりにも近すぎますね。
街に入ると、その雰囲気は90年代前半の日本。
不景気の風を感じさせない、活気溢れた空気に満ちています。

そんな中、車で移動中目にとまったのは路肩付近にいた二人組の若い女性。
お立ち台にのぼり、ミニスカートにルーズソックス、大音量の音楽と共に車道に向かって
思いっきり「パラパラ」を踊っていました。。。
まさに90年代。あっけにとられてしまいました。

彼女たちは「ナレーションモデル」という職業だそう。
大型の電気店などが、リニューアルオープン時など、
宣伝のために起用していて、女性が店前で車道に向かって、
パラパラを踊りパフォーマンスをしながら
マイクでお店の宣伝をする仕事らしい。

確かに目をひく、いや、凝視してしまった。

日本でも店前の広報活動はたまに目にするけど
ここまでインパクトのあるのは見たことがなかった。
しかも気温は氷点下。。。
その二人は
「踊りながらやってるんで、そんなに寒くないです。」
と言ってましたが・・・。

そんなこんなで、たどり着いたのは金泉という田舎町。
ここに中学卒業後すぐに韓国に渡り、テニスのアカデミーに入校した中村錬くんがいるんです。韓国語を一言も勉強することなく飛び込んだという彼、
言葉の違いに苦労したのは最初だけだったといいます。
「最初は単語を覚えるだけでした。一日10コ覚えたら、一週間で70コでしょ。
 そしたらだいたい会話、成立するんですよ。」

・・・。
理屈はわかるけど、日本人が一人もいない環境で
それをさらっとやってのける「勢い」と「能力」には、
若さを感じられずにはいられませんでした。
最近は夢の中でも韓国語でしゃべっているそう。
韓国人に囲まれてしゃべっている錬くんを見ていると
あまりにもなじみすぎて、日本人だと言うことを忘れてしまいそうになります。

錬くんが世界の舞台で活躍する日が楽しみです。

(D:市井)

#1902012年4月8日

タイ・オムコイの村

チェンマイから車で約4時間。標高1000mの山岳地帯にあるオムコイ群ソボムヘッド村。
はじめはどんな所か不安もありましたが、着いてみればこんないい所があるのか!という
印象でした。取材させて頂いた清さんも言われていましたが、50年前の日本という感じで
どこか懐かしい雰囲気が漂う村です。カレン族は自然と共に生きる知恵が豊富、でもとっても
恥ずかしがり屋さんです。最初は撮影隊の様子を遠くで見ていた村人でしたが、慣れていくととても人情深く人懐っこい人々、番組で紹介した村人のシーンはだいぶ慣れてから
撮影しました。

番組では紹介できませんでしたが、カレン族がまとうカレン服、白い色は未婚の女性だけが着ます。小さな女の子も白い民族衣装を着て走り回っていました。みな可愛いくとっても元気です。女の子はゴム飛び、男の子はビー玉に夢中になっています。自分の子どもの時もこんなんやったなーとカレン族の子どもたちを感慨深く見ておりました。

また、村から近くの町には1軒外科専門の病院があるのですが、村人は悩み事や怪我をしたら、霊力を持つ人の所へ行きます。撮影の最中にも突然清さんの家に現れ、我々の撮影の無事を祈ってくれました。奥さんのラーさんは怪我をしてもまじないで治ると信じていますし本当に治ったそうです。昔からの言い伝えが今もすごい効力をもっているようで、驚きました。

突然ですがお知らせです!今回撮影した吉田清さんがオムコイの様子をまとめた本を
晶文社から出版します。興味のある方は是非ご覧になってください。

タイトルは「遺された者こそ喰らえ とトォン師は言った~タイ山岳民族カレンの村で」です。
貴重な体験を沢山した今回の撮影、一生忘れません。
清さんの今後のご活躍、楽しみにしています!

#1892012年4月1日

新しい自転車欲しい。

今回はヒューストンで自転車のフレームビルダーをされている案浦攻さんを取材させていただきました。

攻さんは元競輪のトップ選手!そんな攻さんが作っておられる自転車はスマートで機能的で、シンプルだけどとてもカッコイイものでした!

今回の取材で初めて知ったのですが、パイプとパイプを接続する方法で「ラグ」という留め具を使っているものがあるそうです。
これまで何気なく見ていたものでしたが、あらためて注目するとこれがめちゃめちゃカッコいいんです!メカメカしいところが男心をくすぐるのでしょうか・・・。とにかく次に自転車を購入するときは「ラグ」に注目しようと思いました。
もちろん攻さんの自転車も要チェックです!
気になった方は「Samurai Cycle Works(サムライ・サイクル・ワークス)」で検索下さい。

さらに今回の取材ですごく面白かったのがハンドメイド自転車ショーです。
番組の中で紹介できなかった、カッコイイ自転車がまだまだありました。

こちらは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でおなじみの「デロリアン」の自転車!なぜかボトルホルダーにはスパークリングワインが入っています。

こちらはビール樽を二つ運べる自転車!果たして自転車で運ぶ必要があるのでしょうか…

他にも木製自転車や竹フレームの自転車など、何でもありの自転車展示会でした。

お金があれば10台ぐらい買って帰りたかったところでしたが…、結果パンフレットだけもらってきました。

#1882012年3月25日

ラオスのハプニング

 今回は東南アジア・ラオスで子どもたち・妊婦さんを守るために奮闘する、小児科医の窪田祥吾さんを取材させて頂きました。

 祥吾さんはラオスの中でも都会ではなく、おもに少数民族が住む村をまわっては病院に通う事の大切さを伝えたり、システム作りの手伝いを行っています。
聞くところによるとラオス人は日本人と似て?外国人に対してはおとなしく、恥ずかしがりの方が多いそうですが、祥吾さんは持ち前のキャラクターでどんどん彼らの懐の中に入っていき、溶け込み過ぎるほど溶け込んでいます。
祥吾さんの赴任の期限が決まっているのを知っている地元の病院スタッフからは「もっと長くいてほしい」という声があちこちから起こっていました。
改めて祥吾さんが、この地で絶大な信頼を得ている事を感じました。

 そんな祥吾さんと村の病院へ向かう途中にハプニングが!
祥吾さんと我々取材クルー、保健局のスタッフ、計3台の車で移動。途中、橋の無い川を渡ったり、牛や豚が道を塞いだり、道無き道を進みます。
祥吾さんと我々の乗った車は5時間近くかけてようやく到着。
しかし、保健局スタッフの乗った残り2台の車が一向にやってきません。
心配になった祥吾さんがスタッフの乗った車に電話をすると、なんと
「事故に巻き込まれた」という連絡!

 実は移動中ほとんどの道が未舗装で対向車線の無い細い山道、そんな時、
残り2台の車の目の前で対向車のトラックが横転して道を塞ぎ、先へ進めなくなったそうなのです。
 
 あとでわかった事なのですが、そのトラックは急にブレーキが利かなくなり、
車体を側面の土手に当てて止まろうとして横転したらしいのです。
トラックに乗っていた3人は幸い軽症、そこで保健局スタッフは彼らを乗せて
街中の病院へ連れて行き、結局、2時間ほどして村に到着。
大きな事故にならずひと安心でしたが、もしトラックと正面衝突していたら、
と考えると…。
取材中は本当に予期しない様々なハプニングが起こります。
次回こそは楽しいほうのハプニングを紹介します!
                             (D中西)

#1862012年3月11日

アメリカ・ソルトレイクシティ バスケと犬と少年と

今回はアメリカ・ソルトレイクシティでNBA選手を目指す辻隆太くんを取材させていただきました。
私の過去の取材先がドイツやニュージーランドの「村」だったため、ソルトレイクシティはかなりの都会といった印象。冬季オリンピック会場跡地やモルモン教の総本部など名所も数多くあり、これまで苦労していた実景の撮影は順調に進みました。

しかし今回の取材、実はトラブル続き。関空発のフライトが2時間以上遅れたのに始まり、カメラマンのスーツケースが現地に届かないというハプニング!当然その中には機材も含まれており、到着するまでの2日半は、たまたま予備で持ってきていたおもちゃのような三脚で代用。頑張ってくれたカメラマンには本当に感謝です(もちろんその間は着替えもできず…お疲れ様でした!)。
さらには予定していたイベントが前日に急遽中止になったりと、なかなかの試練続き。
この番組の難しさと、逆にその場で対応していくことの楽しさを感じた1週間でした。
さて、取材相手の隆太くん。一回りも年下の彼からたくさんのことを学んだ気がします。取材前に電話で話をしているときはやけにおっとりしたしゃべり方だったため、「大丈夫かな?」と少し心配もあったのですが、実際に会ってみると彼の意志の強さ、真剣さに心打たれました。普段の練習はもちろん、朝は5時頃に起きてストレッチ&ランニング。夜はチームメイトや監督とのコミュニケーション能力向上を目指して英語の勉強と、見えない部分での努力も怠りません。

自分が17歳の頃を振り返ると、これほど明確な夢も夢中になれるものもありませんでした。
NBA選手になったアカツキには、また取材させてね!

そしてもう1つ、素敵な出会いが。


それは隆太くんのホームステイ先の
バトラーさん宅で飼われているブルドッグのベフくん。


愛嬌たっぷりな顔つきをしている彼ですが、
とにかく人懐っこい。
初対面であろうと人見知りいっさいなし。
巨体を揺らして近づいてきて、何と、
大きなお尻を突き出してくるのです!

そして振り向きながら物憂げな目を投げかけてきます。「叩いて…」と。
強く叩けば叩くほど嬉しそうな表情のベフくん。
これにはスタッフ一同大笑い。この名物犬に会いたい方は是非、ソルトレイクシティまで。


(D遠藤)

#1852012年3月4日

ブータンのティンプー市役所で働く日本人

今回は、ブータンに憧れ、ブータンに住むために勉強し、ブータンへやってきた中島民樹さんを取材しました。ヒマラヤの高い山々に囲まれて、その間を縫うように着陸するパロ空港は、世界一パイロットの技術を要求する空港といわれているそうです。

空港から車でティンプー市に向かう道中、川で洗濯する人、牛を放牧している人、自転車の車輪を棒で押して遊ぶ子供たち、昔の日本を見ているかのようなあたたかい風景が広がっていました。

しかし、首都ティンプーでは、そんな景色が一変します。小さな街の中をたくさんの車が走り、映画館、ボーリング場、インターネットカフェもあります。携帯電話が爆発的に流行し、店頭にIPHONEが並ぶなど、想像以上に都会でした。

民樹さんは、そんなティンプーが今抱えている問題に取り組んでいます。
ブータンが急速に近代化し、ごみの処理が追いつかないというのです。民樹さんは市役所に勤め、ゴミの収集ルートの改善や、分別回収の推進など様々な面からゴミを減らそうと努力されています。民樹さんのようにパソコンで地図を作れる人がいないため、他の部署からも防災の地図やルートの作成を依頼されるなど、とても頼りにされていました。

とにかく、民樹さんがよくおっしゃっていたのが「ブータン人に合ったやり方でやる」。
そのため、民俗衣装を着こなし、自宅で朝夕のお祈りも欠かさずやり、休日に遊ぶ友人もほとんどがブータン人。

ブータン人と同じ生活を送り、ブータン人の気持ちになってゴミ問題に取り組む。
ブータンに身も心もささげる民樹さん。今後の活躍を期待しています。


(D橋本)

#1842012年2月19日

ブラジル/クリチーバ

今回のお届け先は、ブラジル南部最大の都市クリチーバ市で、シングルマザーとして2人の幼い息子を育てるシルバ千夏さん。

「グッと!地球便」では取材に出かける前に、行った先で撮影がスムーズにできるよう、技術的な準備をたくさんします。
例えば、お届け先が厳寒の雪山で働く方であれば雪の中でも撮影が出来るよう、万全の防寒装備を。
細かいジュエリーを作っておられる方なら、ごく小さな物でも美しく撮影が出来るレンズを。
小型機のパイロットであれば、操縦席のあちこちに仕込める超小型カメラなどを準備するのです。
この準備は、ディレクターの悩みどころであり、よりよい映像を撮影するための腕の見せ所でもあります。

そして今回。
今回は幼い子供たちと共に暮らす千夏さんの生活ぶりが取材の中心になってきます。
彼女の生活の中で、特にコレといった見せ場や大事件などが起こるわけではありません。
むしろ淡々と過ぎていく当たり前の日常こそが、取材の対象なのです。
今回の準備は、たった一つだけでした。
それは・・・・。

幼い子供たちに好かれるような「面白いスタッフを集める」ことでした(笑)

まずは、カメラマン。
ずんぐりむっくりの体型で、口を開けばノリツッコミばかりやってる
いつも笑顔のオモシロおじさん、Tカメラマン。
そして現地での通訳や細々とした段取りなどを担当してくれるコーディネーターには
ご自身にもお孫さんがいるという日系ブラジル人のLさんに来ていただきました。

結果・・・狙いは的中。
Tカメラマンの人懐っこい笑顔に、やんちゃ盛りな6歳と5歳の子供たちはあっという間に打ち解け、空き時間には一緒にチャンバラごっこ。
千夏さんにゆっくりインタビューする間、常に大暴れの子供たちはちょっとお邪魔な存在。
するとコーディネーターのLさんが、子守役に大変身し公園で遊んでくれています。
30分後、インタビューが終わって帰ってきた時には、子供たちから「おじいちゃん」と呼ばれる始末。


たった5日間の取材でしたが、一緒にご飯を食べ、遊び、まるで千夏さんファミリーと我々取材班が本物の家族のように仲良くなれました。
別れの時が何だか本当に辛く感じてしまう、そんな取材になりました。

#1832012年2月12日

地球便 香港編

今回は香港で空間・照明デザイナーとして奮闘中の盛世匡(もりせいき)さんを取材させて頂きました。
現在はイベントやお店のデザインを手がけ、今年ついに香港デザイナー
No.1の賞を受賞、というすごい方なのですが、さらに社長、大学講師、父親、
など多くの顔を持ち、体が1つでは足りないほど忙しく活動されています。
まもなく2人目のお子さんも誕生、これからも活躍を期待しています。

ところで香港で気になった飲み物がありました。
食事中にコーヒーを注文しようとしたところ、現地香港コーディネーター・
マリアさんが注文したのが「ユンヨン茶」という飲み物。
ユンヨンとは現地の言葉でオシドリの事だそうですが、
オシドリと言えば日本ではオシドリ夫婦など仲が良いイメージですよね?
で、出て来た飲み物は……コーヒーと紅茶を混ぜたもの!
コーヒーと紅茶、楽しむタイミングは同じでも、好みが分かれる “水と油”の
飲み物、それがボクのイメージだったのですが香港では結構、一般的な飲み物だそうです。
ものは試し、そう思ってチャレンジしたところ、一口めは紅茶、
しかし、じわじわとコーヒーの味が…しかも甘い!でもおいしい!
そう、おいしいんですこれが!
というわけで取材中、僕と澤井カメラマンはすっかり「ユンヨン茶」にはまってしまったのでした。
ちなみに帰国後、何度か家でも試してみようと思ったのですが、
いざとなると「コーヒーでいいや」となって、いまだチャレンジできず…。
やっぱり本場・香港で味わうのがいいようです。
皆さんも香港に訪れた際は是非お試しを!

(D・中西)

#1822012年2月5日

ブラジル リオ・デ・ジャネイロの熱い夜

過去に一度、ブラジルのサンパウロは撮影に訪れましたが、リオは初めて。
雰囲気は全くちがいました。今回取材した歌手の雅子さん曰く日本に例えるなら
サンパウロは東京、リオは大阪らしいです。確かに、みんなよく喋ってくるしどこも賑やかで
関西のノリ以上のパワフルさを感じます。

特に面白かったのは「ラパ地区」、ライブハウスが密集していて毎日がお祭り騒ぎです。
仕事を終え午後5時ごろから朝までサンバやボサノバで踊るというのがカリオカ(リオっ子)の常識。僕たちが撮影でライブハウスを訪れ、雅子さんの出番を待っていたその時、60歳ぐらいの大きなおばさんが近寄ってきて僕の手を引っ張っていくではありませんか!カメラマンからも離され、おばさんと二人っきりに・・・周りは踊りに熱狂する人々、どうしたらいいか迷ったものの1人だけ踊らないものアレやし・・・おばさんめっちゃ踊りたそうやし・・・見よう見まねで踊りました。僕より大きなおばさんをクルッと回転させたりなんかして、あれ意外と難しいもんですね。でも楽しかったです(笑)

リオのラパ地区、行かれる機会があれば是非!食事も比較的日本人が好む味でした。
今回取材した雅子さんも関西の方なので、地域には馴染みやすかったのかなと感じました、
2枚目のCD、期待しています!1枚目のCDは東京の「大洋レコード」さんでインターネットでの購入が出来るそうです。アーティスト名は「MAKO」です、気になる方は調べてみてください。
(※時期により販売終了などになっていたらすみません、ご了承ください)

雅子さんの今後の活躍、楽しみにしています!
(D寿木)

#1792012年1月15日

ポルトガル/リスボン

今回はポルトガルで母として、修復家として頑張る太田めぐみさんを取材させていただきました。

めぐみさんはお父さんが元外交官で、
小さな頃から転々と世界各国に暮らして来た、憧れの!帰国子女。
はじめはさぞかしリッチな暮らしに慣れた贅沢大好きな方かと思っていたのですが、
話を聞いたり、実際にお会いしてみると、地に足のしっかりついた、堅実な方でした。

そんなめぐみさんの言葉で印象に残っているのが
「便利で物に溢れた都会より、田舎で暮らしている今の方が
 生活の質はずっといい」
「キューバで暮らして物を大切にするという事を学んだ」
「物欲は全くない」
という言葉でした。(何と!洋服は何年も買っていないそうです!)
そんな風に言い切れるのは、ほんとにかっこいいなと思いました。

ちなみにご主人とめぐみさんはポルトガルでの小学校時代の同級生で、
実はご主人の初恋の相手がめぐみさんだったそうです。
めぐみさんが転校して、それっきりになっていたところを、
なんと!十数年もたってからご主人がもう一度会いたい!と
FACE BOOKで当時の知人を辿りたどって、めぐみさんを発見!
そして再会し結婚したそうです。
ご主人の努力もすごいですが、FACE BOOKの威力もすごい!とびっくりでした!

もしかしたら今後、他の国に住む事もあるかも?とおっしゃっていためぐみさん。
でもめぐみさんならどんな国に行っても、楽しくhappyに暮らしていけると思います!
そして私もめぐみさんを見習って、物を大切にしたいと思います!!

(ディレクター まつばら)

#1782012年1月8日

NASCARレーサー 尾形明紀

 今回は、アメリカのシャーロットでNASCARのカーレーサーとして頑張る尾形明紀さんを訪ねました。NASCARの人気は日本では考えられないほど高く、アメリカンフットボールに次ぐ全米で第二位の人気モータースポーツです。


 そのNASCARで唯一の現役の日本人レーサー明紀さん。日本の家族とは離れて暮らしていたのですが、昨年の東日本大震災後、妻と二人の子供を呼び寄せました。家族への責任、そして自分の夢でもあり目標でもあるNASCARでの優勝を目指して頑張る明紀さんの姿に、取材を通じて教えられる事がいっぱいありました。

 まずは、どんなに忙しくても家族とのコミュニケーションを欠かさないことでした。反抗期(こう言うと長男に怒られます)の長男とも正面から向き合い、全てを受け止めている父親としての懐の大きさに羨ましささえ感じました。

 そして、明紀さんの不屈の闘志とガッツにも遭遇することができました。取材チームは明紀さんの出場するNASCARのレースに密着取材をしました。レースは4台のカメラで撮影。ディレクターの私もカメラを持って、明紀さんのピットでの顔と、第1コーナーを疾走する明紀さんのマシンの撮影担当です。

 予選レースが始まり、後方からスタートの明紀さんを4台のカメラが狙います。私は第1コーナーで凄まじいエンジン音を轟かせるマシンをギリギリの距離まで近づき、明紀さんの迫力ある映像を撮ろうと狙っていました。
 しかし、6周を回ったとき、本来なら20秒ほどで帰ってくる明紀さんのマシンが戻ってきません。レースコースでは“イエローフラッグ”が振られています。“ペースカー”がコースに入っていきます。これは事故が起こったということです。

 私の頭の中では様々なことが一斉に叫びはじめました。「明紀さんは無事か?」「撮影は中断なのか?」「番組として成立するのか?」たぶん、このレースの関係者、観客の中で一番パニックになっていたのは私だったと思います。
 気は焦るばかりで何もできない私はトランシーバーでコース全体を撮影しているカメラマンに呼びかけました、しかしそのスピーカーから応答は聞こえません。そのカメラマンも事故の撮影に必死になっていたのでしょう。

 その時、私の目に周回遅れで走る明紀さんのマシンが飛び込んできました。「キターッ」と喜んだのも束の間、なんとボンネットはめくれ上がり、フロントは潰れた悲惨な明紀さんのマシンだったのです。ピットに飛び込みエンジンをチェック、まだ走れるとメカニックは判断、明紀さんも運転席から降りません。


 満身創痍の明紀さんのマシンはコースに飛び出していきました。周回遅れ、決勝進出は絶望的、しかし明紀さんは最後までリタイアすることなく走り抜けていきます。


 その姿は本当に恰好良く、ここでは言い表せないほどの感動を受けました。涙もろい私は目頭を熱くしウルウルしながらカメラを回していたんです。男は走る、結果が分かっていても走り抜ける。日本から同行したカメラマンも「不覚にも涙しながらカメラを回していた。」と上気した顔で申しておりました。

 その勇姿をしっかりとカメラに収めることができ、私にとても大きな取材になった事に感謝しました。それにしても「最後まであきらめない」ってホント、カッコイイです。ディレクター人生を何歳になってもあきらめません!

(グッと!地球便 最年長ディレクター田尾)

#1772011年12月25日

アメリカ/ニューヨーク

今回はアメリカ、ニューヨーク州でケーキデザイナーを目指し勉強中の鈴木ありささんを取材させていただきました。

ありささんが通っているのは全米ナンバー1の料理学校、CIA。
CIAと言ってもミッション・イン・ポッシプル的なものではなく、カリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカの略です。
取材のお礼にと広報の方に「CIA」と全面に入った帽子をいただいたのですが、なかなかそれをかぶる勇気が出ず、まだ押入れに眠っております。
申し訳ございません・・・

しかしCIAのレベルは本当に高く、ニューヨークのトップ10のレストランのうち7軒のシェフはCIAの卒業生と言われているほどなのです。

番組の中でも紹介していましたが、
全米でもトップクラスの
料理コンテストにありささんが挑戦し、
見事最優秀賞を受賞していました。
本当にすごい事です!
しかし実はデコレーションケーキ部門以外の、
パン、チョコ、アメ細工部門でも
全てCIAの作品が
最優秀賞に輝いていたのです!

そんなCIAを卒業し、将来的には日本でケーキデザイナーの仕事がしたいというありささん。
ケーキデザイナーとは結婚式等のイベントで、その人にあわせた世界に一つだけのケーキをデザインし、制作するという仕事だそうですが、そういった文化自体が日本には少なく、まずはその文化を浸透させる事から始めたいとおっしゃっていました。

今回取材させていただいて、あれほど難関な学校を卒業され、またあれほど素晴らしい作品を作っていたありささんならきっとその夢を実現させ、成功されるだろうと思いました。
ビッグになられても、僕の事を忘れないで下さい!今後ともよろしくお願いします!!

#1762011年12月18日

湖と星空の町・テカポ ~パワフル&ポジティブ!~

今回はニュージーランドのテカポという小さな村で、チョークアーティストとして奮闘する松本良子さんを取材させていただきました。

映画『ロード・オブ・ザ・リング』や『ラスト サムライ』などの
撮影も行われたというニュージーランドの南島。イメージどおりの
大自然が広がる美しい景観の中でも一際輝いていたのが、村の象徴
ともなっているテカポ湖!見てくださいこの輝きを!絵の具やクレ
ヨンで色付けしたかのような濃い水の色は、一目見た瞬間、
「すげー!」とカメラマンと声をそろえて叫んでしまうほどでした。

そんな素敵な環境で生活する良子さんは、とても元気でかわいらしい方でした。取材中も終始明るく対応してくださり、同棲するパートナーの悟志さんとも常にニコニコ(仲の良さをちょっと見せつけられたかも!?)。本当にニュージーランドでの暮らしを楽しんでいるんだなぁと感じました。実際、「日本よりもニュージーランドの方がゆっくりと時間が流れていて、こっちの方が自分にあっている」と話す良子さん。まだまだチョークアーティストとしては駆け出しの身で、その収入だけでは生活できない状態。それでも、チョークアート不毛の地で奮闘する姿はとてもパワフルで、「私からポジティブさをとったら何も残らない」という前向きな姿勢には同世代としてとても刺激を受けました。

そしてテカポにはもう1つの名物が。それは、「世界一」とも言われる満天の星空!生活灯りで星空がはっきり見えなくなるのを防ぐため外灯がすべて下向きに作られていたり、星の研究機関があるマウント・ジョンでは「〇〇時以降は許可なく入ってはいけない」「灯りをつけてはいけない」などのルールがあって、村全体でこの星空をPRしているのが伝わってきました。僕らが取材に行った日はちょうど新月で、月明かりもないという絶好の条件。「晴天になる率がニュージーランド1高い」と言われるテカポだけあって、雲ひとつない状況で素晴らしい星空を満喫することができました。

南十字星も流れ星も堪能!

帰国後の編集時には編集マンがその絶景に大興奮。すぐさまADにテカポ旅行にかかる費用をリサーチさせていたほどでした。


(D遠藤)

#1752011年12月11日

オーストラリア/スーツとネクタイとシャンパン。

オーストラリア東部に位置するニューサウスウェルズ州リッチモンドで
調教ライダーとして活躍する佐藤太朗さんを取材しました。
「調教ライダー」とは、調教師の指示通りに競走馬を走らせて、効果的なトレーニングをさせる仕事。
牧場のお仕事なのでもちろん朝は早いんです。。

取材初日、さっそく夜が明ける前の牧場へ。
牧場そのものは暗かったんですが、
厩舎に入ると中は煌々と明るく、
照明がびっちり設置されていました。
馬小屋自体もきれいに掃除され、
とても清潔感があり安心できる感じ。
僕の祖父母の家は牛を飼っていたので、
厩舎のイメージは
「薄暗く、独特のにおいでちょっぴり怖い空間」でした。
あまりのギャップに思わず「きれいですね~!」を
連発してしまいます。

深い朝霧の中、朝日を浴びながら、めちゃくちゃ広い
プライベートコースを駆け抜けるたくさんの馬たち。

毎朝体温計で体温をはかってもらって、常駐の獣医さんもいて、ストレッチもしてもらう。
新しくてきれいな厩舎、専用のプール、専用の砂場、なんでもござれ。
世話をするスタッフの数も40人以上。お金がかかってます!

それもそのはず、オーストラリアにおいて「競馬」はとても格式の高いイベントなんだそうです。
レース場に行けば、みんなドレスアップ&正装。
シャンパンを飲みながらレースを楽しむわけです。
場所によってはスーツとネクタイでないと入れないスペースも。
もちろん我ら取材陣も、スーツにネクタイ。
ちょっと地味な感じだったので、パーティーに紛れ込んだサラリーマンみたいになってしまいましたが。


レース場を取材した日、出走したのは太朗さんの牧場の競走馬。
一応ポケットマネーでその馬に賭けてみました。
みんなで盛り上がりながら応援して、結果、大当たり。
当たり馬券は瞬く間にシャンパンに化けて、乾杯!

格式ある競馬の楽しみ方を知った意義ある取材でした。。。




#1742011年12月4日

ポーランド、ウッジ市でバレリーナとして活躍する日本人

今回は、ポーランドのウッジ市でバレリーナとして活躍する四柳育子さんを取材しました。
首都ワルシャワから車で三時間。到着したウッジ市の気温は0度。
「寒いときはマイナス20度を超えるポーランドでは温かいほう」と、地元の方がおっしゃっててびっくりしました。

そんな中、街のシンボルともいえるウッジ大劇場に向かうとバレエ団でたった一人のアジア人、育子さんが出迎えてくれました。

「厳しいバレエの世界でソリストとして生きてられる方なのだから、相当気が強い方なんだろう…」と、覚悟をして取材に挑んだ私でしたが、育子さんはとても穏やかで、優しく、マイペースな方でした。

しかしその後レッスンが始まると、表情は一変。同僚のバレリーナと激しく演技論をかわすなど、とても凛々しく感じました。

体が資本という職業なので、ケガをすれば踊れない、即ち働けないという生活のため、街に出かけても、つまづいたり階段を踏み外したりしないよう、足には特に注意を払っているそうです。

話しかけるのが難しいくらいの緊張感が漂う中、「くるみ割り人形」の本番が始まりました。
子供たちがたくさん訪れる中、派手な衣装で舞台せましと踊る育子さん。
一番背の低い彼女が後ろで踊るほかのバレリーナの誰よりも、大きく感じる位に目立っていました。
バレエを鑑賞していた子供たちに感想を聞いてみても、育子さんの演技はとても素敵だったと口々に言うくらい、印象的だったようです。

そんな育子さんがよく言っていたのが、「劇場が家で楽屋が部屋」。
日本人が全くいない環境の中、ポーランド語、ロシア語、英語を駆使して、他のバレリーナやスタッフとコミュニケーションをとり、今のソリストという地位を掴んだ育子さん。今後の活躍を期待しています。

(D橋本)

#1732011年11月27日

フラワーアーティスト

今回は、ニューヨークのフラワーアーティスト、竹中健次さんに密着しました。
自分のイメージを、花だけで表現してしまう健次さんには感動しました!

撮影では年に一度の大仕事、カーネギーホールのオープニングイベントで飾られるフラワーアレンジの制作を追いかけました。しかし、世界的に有名なホールとあり、何かと決まり事が多く、任された健次さんも気をつかって苦労の連続。。。

カーネギーホールに飾られる花の色は最高額の寄付をした方が決めます。今回は数10億円!という巨額を寄付した銀行の元会長婦人が「オレンジ色にしたいわ」との事で決定。しかし、カーネギーホールの決まり事はきつく、演奏者を気遣ってニオイのする花はNG!花粉が飛んでもNG!ホールに入れば契約スタッフ以外が、花を触るのもNG!壁に花が触れるのもNG!ホールスタッフを映すのもNG… 
すべて昔から決められたルールで、ホールの広報担当者もどうすることもできず困惑している感じでした。世界的な重要文化財なので敷居が高いのはわかりますが…

そんな中一睡もせず巨大なアレンジを完成させ、花を見たお客さん、ホールスタッフの誰もが絶賛し大成功を納めた健次さん、本当にお疲れ様でした。

社長のお父さんはじめ、ご家族も初めて制作過程を見たと喜んでおられました、
お父さんからの届け物、「福を呼ぶお父さんの腕時計」を早速腕にはめ、さっそく交渉に挑んだところ、見事成立したそうで、健次さんもたいへん驚いたそうです。

日本が誇るフラワーアーティストとして、ニューヨークでのご活躍を期待してます!


(D寿木)

#1702011年10月30日

カンボジア/夢追う夫婦に学ぶことばかりの旅

今回は、カンボジアの淡水魚図鑑を作ることを夢見て、
たった一人で調査を続ける佐藤智之さん(35)の元を訪れました。

カンボジアは今、雨季。空港から市内に入った途端、街中が水浸し!
排水整備が行き届いていないらしく、シェムリアップ川の上流から流れてきた水が
街中にあふれだしていました。しかし、現地の人は慣れっこ。その水で洗濯したり、
網を張って魚を獲り始めたり、子供達も平気で川に飛び込んだり…
「たくましいなー!ウチの1歳の娘なんか、公園で遊んで少し砂がついただけで
すぐにゴシゴシ洗ってるのに。」と、子育てについて考え直させられる僕。

佐藤さんは本当に魚好きな純粋な人で、知識も豊富。
来る前からカンボジアに憧れ続けていたというだけあって、毎日が楽しくてしょうがない感じでした。
雨のせいで一月ほど魚獲りに出ていなかったらしく、船に乗ってからは本当に嬉しそう。
「同い歳でこんなに夢を持ってる人はカッコイイな」とまたも考え直させられる僕。

そして、一番ビックリしたのは奥さんの典子さん(30)
お会いする前は「亭主のわがままでカンボジアに連れてこられて、ストレスとか
溜まってるんじゃないか?」なんて勝手に邪推していたのですが、ご本人は全く逆!
日本で美容師をされていたことから、「カンボジアに来たら美容院を作ろう」と決めて
おられたそうで、来てすぐ自宅で美容院を開業。
さらに驚いたのは、現地で新しい夢を見つけておられたこと。

 それは「孤児院の子供達に美容師の技術を教えるため、いつか学校を作りたい」と
いう夢。今は、現地の孤児院に行って無償で子供達の髪を切ってあげる活動をされて
おり、そこの子供達が院を出た後の就職に困っている話を聞いて思いついたんだとか。
全く感服…。

家賃だ保険代だ税金だに追われ『自分の人生を充実させる、夢を抱く暮らし』を
いつの間にか放棄していた自分…何か目標を持って生きてみたい!すぐには無理でも
今のタイミングにそう思えただけで、たくさんエネルギーを頂いた4日間でした。
                              

(D 光岡)

#1692011年10月23日

ニュージーランド/男のロマン

今回はニュージーランドでボートビルダーとして
奮闘する布施弘太郎さんを取材させていただきました。
取材を行なったのは5日間。
これまでの人生でこれほどクルーザーを見た、
そして○億円という言葉を聞いた5日間は初めてです。

今回の取材で特に印象に残っているのは、
弘太郎さんが造ったクルーザーも展示されていたボートショーの撮影です。
そこかしこに軽く一億円を超すクルーザーがずらり!
この会場に入るだけで確か2000円ぐらいしたかと
思うのですが、それにも関わらずとても多くの人が来ていました。

確かに、これだけクルーザーを見る機会もないし、見ているだけでも楽しいもんな~と思いながら、「何をしに来たんですか?」と聞いてみると、「うちのクルーザーが小さく感じてきたのでもうワンサイズ大きいクルーザーを探しにきたんだ」との答え。
軽い敗北感を覚えながらの取材は続きました・・・

しかし取材をしているとものすごい欲しくなってきます。クルーザー。お金が余ってどうしようもなくなったら、是非買いたいと思います!

弘太郎さんは、「日本から発注があったら僕が責任もってクルーザー製造を担当させていただきます」とおっしゃっていました。
クルーザー購入を考えておられる方がいらっしゃったら、ニュージーランド、オークランドの「フォーミュラ・クルーザー」に是非お問い合わせください!

#1682011年10月16日

ドイツ/ザクセンカム

今回はドイツのザクセンカムという小さな村で金管楽器職人として奮闘する
勝谷広人さんを取材させていただきました。

このザクセンカム、出発前に現地コーディネーターさんとやり取りした際に、
「そこはどこですか?」と真剣に聞き返されたほどの田舎。
到着してみると…期待を裏切らない牧歌的な雰囲気!
牛、花、教会、馬車と、まさに西洋のおとぎ話の世界のような美しい風景が広がっていました。

そんな自然豊かな環境で働く広人さん。
とてもおおらかな方でした。

ドイツの食事といえば、やはりソーセージ。
日本ではおかずの1つに過ぎないソーセージですが、本場ドイツではこの通り!
横には山盛りのポテトフライが添えられていて、それはそれはもうお腹いっぱい。
確実にこのロケで太って帰って来ました。

ドイツといえばもう1つの名物が。そう、ビールです。
しかもこの期間中、近くのミュンヘンでは世界最大のビール祭りである「オクトーバーフェスト」が開催されていたんです。 取材も兼ねていざ会場へ。
そこはもう…異次元ですね。ドイツだけでなく、世界各国から集まった人、人、人。
やはりビール好きは世界共通。みんな陽気に昼間から飲みまくっています。

ちなみにこのビール、通常のものよりアルコール度数も高く7~8%ほどあるのだとか。
それを1リットルジョッキで豪快に飲み干す姿は見ているだけで気持ちいい!
ただし、テント内では席を確保していないとビールは買えないシステムだったため、
取材目的の僕たちはビールを買えず飲めず…(外では飲みましたけどね!)
「次は絶対プライベートで来るぞ!」と強く心に誓ったのでした。


(D遠藤)

#1672011年10月9日

ベルギー・ブリュッセルで
   プロのジェットスキーライダーとして活躍する日本人

今回の届け先はベルギーでプロのジェットスキーライダーとして活躍する倉橋優樹さん。
首都ブリュッセルの郊外の自宅兼ガレージを拠点にヨーロッパを転戦する31歳の女性です。

ジェットスキーの事は、なんとなくしかわかっていなかった自分は、レースがあることすら知りませんでした。しかし、実際に見るとスピードやエンジン音などマシンはもちろん、そのレースの規模の大きさ、携わる人々、そして皆さんの情熱に驚きと感動の連続でした。
ひと際、目立っていた優樹さん。
フィアンセのベンジャマンさんのチームでエースライダーを務める彼女は、他のメンバーのマシンの最終調整を任されているチームの中心的存在。常に他のライダーの手伝いやアドバイスなど忙しく動き回っていました。

雨が降ったりやんだり、気温も低く、余りいいとは言えない条件で、優樹さんのレースが始まりました。
そんな中、声をかけてもいいものかと迷っていると、向こうから声をかけてくれた優樹さん。
気さくで明るく、余裕さえ感じられました。
しかし、レース直前になると表情が一変、一気に集中し気持ちを切り替える彼女の表情は非常に凛々しく、緊張感が伝わってきました。
結果は大逆転のベルギーラウンド優勝。惜しくもヨーロッパチャンピオン連覇はかないませんでしたが優樹さんの照準は10月のワールドファイナルに既に向いているようでした。
父、亡き母、チーム、そして自らの夢をかなえるワールドファイナルは10月9日アメリカで行われます。
世界チャンピオン、そして結婚。優樹さんの夢がかなうことを心から願っています。

(D 橋本)

#1642011年9月11日

今回は夏真っ盛りのハワイ・オアフ島ホノルル。

ここでネイルサロンのオープンを目指す(オープンされました)、
安住ウィリアムズさんを取材させて頂きました。
ハワイと言えば海! 正直、行く前は「どんなけ日焼けすんねやろ?」と
思いながら安住さんと初対面…、しかしオープン前のサロンを訪れて
ビックリ!
安住さんは海&リゾートとは無関係のペンキ職人の姿。
そう、放送でも紹介しましたがオープンが遅れに遅れ、
リゾートを楽しむ多くの観光客を尻目に、安住さんはずっとペンキを塗ってたのです。
そこに追い討ちをかけるのが毎日のように起こるトラブル。
内装が当初と違っていたり、家具が届かなかったり、…
“ハワイアンタイム”と呼ばれ、何事もゆったりした土地柄とはいえ、
「日本では考えられないことが起こりますね?」と安住さんに訪ねると
「サロンをオープンさせるためには、これくらい全然平気です!」ときっぱり。
安住さんは本当に頼もしく前向き過ぎるくらい前向きな方なのです。
ちなみに、その後も電話設置に関するトラブルなどがあったようですが、
無事オープンを迎えたとのことで、とりあえず?一安心です。

ところでホノルルで意外に思ったことがありました。
それは弁当!
取材中、食事の時間が無くお店に入れないときは、大体、ハンバーガーなどの
ファストフードになることが多いのですが、そんな時にコーディネーターさん
が「弁当を買ってきましょうか?」の一言。
「ハワイで弁当ってロコモコ?」と思っていたら…シャケ弁、のり弁、とんかつ弁当、
さらにはデパ地下で売っているような豪華な弁当だったりと、
弁当の充実ぶりにびっくり!
地元の日本人向けに弁当店が何軒かあるそうなのですが、
これを快晴の空の下で食べるとめっちゃ美味しいんです!
ハワイに観光で行かれる方、ホノルルの弁当は侮れませんので
“ワイキキビーチで弁当”に是非チャレンジしてみてください。
もちろん、そのあとは“ハワイ一番店を目指す”安住さんのネイルサロンに
立ち寄る事をお忘れなく!


(D 中西)

#1612011年8月14日

『スペイン/カナリア諸島』 同い年として…。

今回はスペインのカナリア諸島で板前として奮闘する、
櫻岡友和さんを取材させていただきました。
「2年でミシュラン」という明確な目標を持って作る彼の料理、
「こんな場所でこんな美味しい日本料理が食べられるなんて」とスタッフ一同感激しきり。
おかげで、“食事が口に合わない”という海外取材特有の悩みに苦しむことなく、
楽しい日々を過ごすことができました。


そんな、日本ではあまり馴染みのないカナリア諸島。
友和さんの暮らすグラン・カナリア島以外の
島もぜひ撮影したいと、
隣に位置するテネリフェ島の取材にも行きました。
「せっかくだし、空撮を」ということで、
ヘリコプターに乗って移動することに。
撮影をしながらとはいえ、気分は若干観光モード。
いや、ほぼ観光気分で遊覧飛行を楽しもうと
キウキとヘリコプターへと向かう、僕とカメラマン。

しかし、今回のヘリコプター、
撮影のため両サイドのドアが無い機体でして。
当然、上昇するにつれ、気温は下がるわけでして。
しかも、離陸と同時に天候が悪くなりまして。
何もない両サイドから、
容赦なく雨風が吹き付けるわけです。

揺れる機体で鼻水を垂らしながら、凍え続けた1時間。
考えていたことと言えば
「早くトイレに行きたい」ということだけでした。

さて、実は今回の取材、僕もカメラマンも友和さんと同い年。
しかし、彼のしっかりとした信念や落ち着いた
立ち振る舞いを見たADから
「とても同い年とは思えないですよね」と、
苦笑混じりの厳しいお言葉。
大変なことは多いと思いますが、
ぜひ友和さんには同い年の仲間として、
ミシュランから評価してもらえるよう頑張ってほしいと思います。
僕も、ADから評価されるように頑張ります。


(D 高柳)

#1602011年8月7日

『アメリカ・サンタローザで介助犬訓練士として奮闘する日本人』

今回の届け先はアメリカ、サンタローザの介助犬訓練士。
サンフランシスコから車で2時間くらいのところのある町で、介助犬を育てながら、
訓練士の養成もする27歳の女性です。

介助犬の事は、なんとなくしかわかってなかった自分には、
車椅子の方の手となり足となる介助犬の動きには驚きの連続でした。
冷蔵庫やドアを簡単に開けたり、部屋の電気をつけたりはもちろん、
車椅子の方が落としたものを拾って渡すのですが、
その渡し方も、手を自由に動かせない方には膝の上にきちんと運ぶ徹底ぶり。
そんな介助犬に全てを捧げているといっても過言ではないのが鋒山佐恵さんでした。

介助犬とその訓練士を養成する大学で自ら修士課程を学びながら、後進の指導にもあたっています。
佐恵さんと朝一番に学校に行くと、学校の犬に全て挨拶して、コミュニケーションをとっていくのですが
犬たちも待っていたかのようにダッシュで嬉しそうに駆け寄ってきて、
話しながらじゃれあっている佐恵さんを見ると、犬の心が本当にわかるのではないかと思いました。

取材中、臨月を迎えていた雌犬がいて、先日、無事生れたそうです。
出産時は徹夜で犬と一緒に過ごして、佐恵さんが子犬たちを取り上げたそうです。
学校ではもちろん、家でも遊びに行くときも常に犬と一緒。
いつも前向きで、全力で走り続ける佐恵さん、
彼女なら「日本で介助犬をもっと知ってもらいたい」という目標をいずれ実現できると感じました。