今回の配達先はオーストラリア・パース。ここでドルフィンスイムのガイドとして働く廣田知洋さん(30)と、兵庫県に住む父・豊さん(62)、母・君子さん(64)をつなぐ。日本を飛び出し、パースに渡って6年。父は「日本に戻って、そろそろ人生の足場を固めて欲しい」、母も「いつまでもできる仕事ではないので…」と、自由奔放に生きる娘を心配している。
ドルフィンスイムガイドは、世界中からイルカと泳ぎたいと集まってくる人たちの夢を叶える仕事だ。ドルフィンスイムのツアーは、ロッキングハムの港から出発する。出港すると、知洋さんはまず船のデッキに上がり、イルカの群を探す。知洋さんが案内するツアーは、野生のイルカと泳げるのがウリなのだ。
知洋さんはこの海域にいるイルカ約200頭のうち、80頭は見分けがつくという。イルカの群を見つけると、知洋さんは水中モーターを手に真っ先に海へ入る。水中をクルクルと泳ぎ回ってイルカたちの興味を引くのだ。船の周りにイルカを長く留めておけるかどうかが知洋さんの腕の見せどころ。イルカを十分慣らしたところでツアー客が海へ入る。野生のイルカと泳ぐという貴重な体験にお客さんたちも大興奮。その間も知洋さんは休むことなくイルカにアプローチし続ける。体力的にはキツイが、お客さんにとっては一生に何度もできるわけではない貴重な体験。知洋さんは時間の許す限り何度もトライする。「このツアーには夢を持って来られる人が多い。夢が叶い泣きながら海から上がってくる人もいる。その瞬間が本当に嬉しい」。知洋さんはこの仕事のやりがいをそう語る。
登山が大好きな両親の元で育ち、幼い頃から山登りやキャンプに連れて行ってもらったという知洋さん。家族全員で日本全国をめぐり、旅する楽しさを教えられ、旅行業に興味を持つようになった。中学2年の時には父と40日間にわたるヒマラヤ登山にも参加した。この旅が海外へ興味を持つきっかけになったという。「ヒマラヤではいろんなことを考えました。生き方や生活の仕方、ものの考え方…すごく影響を受けました」と知洋さんは振り返る。日本の大学を卒業したあとは、タスマニアで環境旅行学を学び、その後この地でドルフィンガイドの仕事と出会った。6年が経った現在は、若手の育成も任される責任者に。ツアー会社の社長は「彼女は最高の人材。長く働いてくれて私はラッキーだ。ここにいてもらわないと僕が困る」と、知洋さんを高く評価する。同僚との絆も深まり、知洋さんはだんだんパースを離れがたくなっているようだ。
だがこの仕事は夏だけの季節労働。体力的にもキツい上、収入も安定せず、将来の保証もない。「常に不安はあります。40歳、50歳になって出来る仕事ではないですから」。知洋さんは仕事に充実感を感じながらも、将来への漠然とした不安を抱えていた。だが、豊かな自然や野生動物と触れあう機会が多いパースに暮らすうち、新たな目標も芽生えてきた。「動物が大好きなので、野生動物を扱う獣看護師になれたら…。でも日本に帰りたくないわけじゃないんです」。
さまざまな思いに揺れ、1人思い悩む知洋さんに両親から届けられたのは、ヒマラヤ登山で苦労を共にした思い出のリュックサック。添えられた手紙には、ヒマラヤで弱音を吐かずに頑張っていたことが讃えられ、“今悩んでいることがあれば1人で抱え込まず相談して欲しい。家族の力も大きな力です”と綴られていた。知洋さんは「心配させないようにと思ってきましたが…察していたんでしょうね。手紙を読んでよくわかりました。これからはいいことも悪いことも両親と言い合っていきたい」と話す。