今回の配達先はイタリア・ラツィオ州のヴィテルボ。ここでワイン醸造家目指す林延行さん(31)と、茨城県に住む父・幸嗣さん(57)、母・洋子さん(56)をつなぐ。「ワイン作りといってもどういう仕事かよくわからない。親として援助してやれないが、どうやって食べているのか…」。両親は、あまり詳しいことを知らせてこない延行さんの様子を心配している。
昨年からグロッテディカストロという街のワイナリーで働く延行さんは、オーナーと共に収穫の時期を決めたり、品質管理や外回りの営業の仕事など、ワイン作りの全工程に関わっている。現在は昨年の秋に収穫されたブドウの熟成期間で、色や味、香りから熟成具合をチェックする重要な仕事も任される一方、タンク内に沈んだ“澱”を取り除くなど地味な作業も延行さんの仕事だ。「こういう裏仕事があってこそ、ワインが表に出て行く。自分がきっちりやっていればそれがワインに出る。そこが醍醐味」と、延行さんは話す。オーナーも「彼の真面目な仕事ぶりには満足している」と、大きな信頼を寄せている。
コツコツと努力を惜しまない…それを教えてくれたのはスポーツだった。子供の頃はサッカーのほか、野球のリトルリーグにも所属していた延行さん。両立がつらく、野球を辞めたいと父に弱音を吐いたこともあったが、「一度始めたことは最後までやりなさい」と許してはもらえず、延行さんはリトルリーグを最後までやり抜いた。その後、サッカーに専念し、兵庫のサッカー名門校「滝川第二高校」に進学。そこでレギュラーとして活躍し、Jリーグのスカウトも注目するほど逸材といわれた。卒業後はイタリアのセリエAでのプレーを夢見てこの地へ渡ったが、待っていたのは外国人枠という厚い壁。5年間、地域リーグでプレーをしたが、夢が叶うことはなく、自らサッカー人生にピリオドを打った。「やれると思ったが…甘くなかった。日本でもう一度サッカーをやることも考えたが、挫折して帰るより、イタリアに残って何かを見つけたかった。それがワインだった」。
第2の人生を切り開くため、ワイナリーで働く傍ら、5年前には地元国立大学に入学。ワイン醸造コースで学んでいる。イタリアでは大学を卒業しないと「ワイン醸造家」を名乗ることができないのだ。
延行さんには今、両親に紹介したい女性がいるという。彼女も現在、あるワイナリーで醸造家として働いている。延行さんは今回、そんな彼女にいきなりのプロポーズ。何も知らされていなかった両親は、その様子を見てびっくり。山口智充に「おめでとうございます!」祝福されると、目を丸くして「言葉がないですね」と戸惑いを隠せない様子だ。
現在は3つのワイナリーの仕事を掛け持ちし、給料は16万円。かつての実績を買われて地元フットサルチームにも助っ人選手として所属。月に10万円の収入もあるが、学費も合わせると生活は決して楽ではないという。「でも日本に帰るつもりはない。彼女と一緒に小さな畑を持ち、僕たちのワイナリーで望むワインを作りたい…」。そんな夢を胸に醸造家の道を歩み始めた延行さんへ、父からリトルリーグ時代のグローブが届けられる。「野球同様、一度決めた道は最後まで諦めずやり通せ」。そんな父の思いが込められていた。延行さんは「言葉が出ませんね。“やりたいことをやらせてくれてありがとう。僕はこの道で頑張ります”と言いたい。もうちょっと待っててほしい。いつか恩返しがしたい」と、両親への想いを語る。