今回のお届け先はオーストラリア・シドニー。この街で、菓子パンや総菜パンなど日本式のパン作りにこだわるパン職人・宮本豊さん(54)と、福岡県に住む母・フサヱさん(86)、兄・登さん(60)をつなぐ。
宮本さんが営むフジジャパニーズベーカリーは創業26年。フランスパンなどのシンプルなパンや、極端に甘いデザートのようなパンが一般的なオーストラリアで、小豆からアンを炊きあげるあんぱんや、手作りにこだわった総菜パン、さらには和菓子まで100種類を提供している。当初はまったく受入れられず、「一口食べて捨てられることもあった」という豊さん。それでもオーストラリア人の好みに合わせることはせず、ふっくらと優しい味わいの日本式パンを貫いてきた。やがて豊さんの作るパンは次第に受入れられ、今や地元の人々に愛される存在に。現在は妻と、二代目として修行中の長男も店を手伝い、日本食品のスーパーに卸したり、ビジネス街で訪問販売も行うなど、今や月に300万円を売り上げる人気店に成長した。
元々パン職人になるつもりはなかった豊さんだが、大学卒業後、半ば強引にパン屋に勤めていた父の跡を継がされる形でパン職人の道へ。「僕が会社に入ったとき、父はすでに社長をしていたので、直接教えてもらう機会はなかったが、僕が作ったものを家に持って帰って食べてもらうことはありました。自分が父親になって分るんですが、息子を100%褒めたらつけ上がるので、いろいろ難癖をつけられました。褒めてもらったのは研修期間の3年が経ってからですね」と、豊さんは笑顔で振り返る。
そんな時、知人の誘いがきっかけで、父と2人でシドニーに店を出すことになった。「父は"俺も会社を辞めて、お前の片腕として手伝いに行く"と楽しみにしてくれていた」と豊さん。父子はようやく同じパン窯の前に立つ機会が巡ってきたと喜んだ。ところが店はオープンしたものの、永住権を取るのに2年近くかかり、その間に父がガンになって帰らぬ人となってしまった。豊さんは「父はものすごくこっちに来たかったと思うんです」と、父の無念を想って涙を浮かべる。
それから26年。今や地元で愛される店にまで成長させた豊さんに、兄は「夢見ていた姿そのものです。あれを父がやりたかったんだと思うと…たまらない」と涙をこぼす。これまでがむしゃらに働いてきた豊さんは、徐々に二代目へバトンタッチしつつあり「あと1,2年すれば暇もできるので、日本で母とゆっくり旅行がしたい」と話す。その言葉に母は「これまで気を使わせてはいけないと思い口には出さなかったが、どんな様子だろうといつも心配していた。立派にやっている姿を見て安心した」と涙をぬぐう。
かつて父と果たせなかった夢を、いま息子と叶えた豊さん。そんな豊さんに、日本の家族から届けられたのは、父の形見となった和菓子の木型。そして、それと一緒に大切にしまわれていたというモノを見て、豊さんは男泣きする。それは父がシドニーの店で使おうと用意していた名刺だった。息子と一緒に働くことを夢見ていた父の想いに、豊さんは「本当に一度、父をこっちに来させてやりたかった…」と声を詰まらせる。