今回の配達先は南太平洋に浮かぶトンガ王国・トンガタプ島。いまだ観光化も進まず、昔ながらの生活が残るこの島で、中学校の音楽教師として奮闘する鈴木真一さん(37)と、大分に住む母・浩子さん(65)、姉・英里さん(39)をつなぐ。6年前に日本を離れて以来、ポリネシアのゆったりとした生活にはまり、ほとんど日本に帰らない生活が続いている真一さん。だが今年の春、父が緊急入院。急遽帰国し、父の最期を家族と看取ったが、その後またすぐにトンガに舞い戻った。母は「せっかく帰って来たのだから、日本にいてくれたらいいのに…。"僕は南の国のほうがいい"と言って…」と残念がる。37才の真一さんはいまだ独身。その将来に、母の不安は募るばかりだ。
小学生の頃、ブラスバンド部で音楽の楽しさを知った真一さん。その楽しさを、音楽教育の未発達な国の子供たちに伝えたいという想いを抱き、6年前にソロモン諸島の学校に赴任。3年勤めた後、今の学校で音楽教師を続けている。トンガの音楽の授業は、楽器を使うことも歌を歌うこともなく、楽譜の読み方や音楽理論など座学が中心。トンガの伝統的な楽譜は、音符ではなく数字で表されているため、これを一般的な五線譜に直して理解することが主なカリキュラムになっているのだ。そのため、生徒にとって授業はどうしても退屈なものになる。そこで真一さんが取り入れているのがピアニカ。トンガのカリキュラムにはないやり方だが、生徒たちに音楽の授業の楽しさを少しでも伝えたくて始めたという。
真一さんの給料は日本円でおよそ25000円。トンガの平均月収にも満たない額だ。だが「お金のことを考えれば日本にいるほうが効率はいい。でもそれで自分が満足するかというと、しないと思う。そういうところは父の生き方を引き継いでいると思う」と真一さんはいう。お金を稼ぐことより、自分の生き方を大切にする…仕事の合間を縫っては、大好きなバードウォッチングや魚釣りに出掛けていた父の姿に、大きく影響を受けているというのだ。
今はトンガの人たちと触れ合うため、地元警察のブラスバンドに所属して交流を深めたり、顧問を務める学校のブラスバンド部を率いて、島の葬儀で演奏したりと、ますますトンガの社会に馴染みつつある真一さん。父を看取った後、日本に残ることも考えたが、積み重ねてきたトンガの人たちとの関わりを捨てきれず、再びこの地に戻ることを決意した。「家が大変なのに飛び出してしまい、母には申し訳なかった。でも後押ししてくれて感謝している」と、真一さんは話す。
そんな真一さんに母から届けられたのは、父の形見のビデオカメラ。その中には、父がこのカメラで撮影した最後のテープが残されていた。そこには地元・大分の山の風景や野鳥の姿が映っていた。真一さんはその映像をしみじみと見ながら、「父が一番好きだった風景だと思います。好きなことを思う存分やって生きる…そういう人が身近にいたことは幸か不幸か分りませんが、僕は幸と思っている」と語り、このビデオカメラでトンガの生活を撮り、日本の家族に送ることを約束する。