今回のお届け先はアメリカ・ニューヨーク。プロのボーカリストを目指して、8ヵ月前にこの地にやってきた吉岡尚子さん(22)と、吹田市に住む父・勝己さん、母・容子さんをつなぐ。元々歌が大好きだった尚子さんは、高校2年の時にうつ病を患い、学校を中退。歌も諦めた。その時期のことを「生きているだけでしんどかった」と尚子さんは振り返る。そして8ヵ月前、自分を見つめ直すためNYに行くことを決意。母は「当時は生きているのか死んでいるのか分からない感じで、本当につらそうだった。そんな中でも唯一彼女が好きだったのが音楽。これはもうNYに行く以外にないなと。本当は行かせたくなんかなかったですが…」とその時の複雑な想いを明かす。
尚子さんは渡米してわずか8ヵ月にして、全米最大規模のゴスペルフェスティバルの女性ソロ部門に挑戦し、4万人の中からたった6人のファイナリストに選ばれていた。日本人初の快挙だった。間もなく迎える決勝に向け、尚子さんはかつて「セサミストリート」の音楽プロデュースも担当したステーシー・ベンソン氏の厳しいレッスンを続けていた。ベンソン氏は「海外から多くの人が歌の勉強のためアメリカにやって来るが、彼女は短期間ですごく成長している」と、尚子さんの実力を高く評価。尚子さんは「決勝の結果がどうであっても、私に良い影響を与えてくれることは確か」と、決勝を控えた心境を語る。
今ではすっかり病を克服した尚子さんは、小さい頃から自己主張が強く、高校時代はバンドのボーカルとしてコンテストに優勝するなど、目立つ存在だったという。だがそんな性格から人間関係に行き詰まり、次第に心を閉ざすように。結局うつ病を患い、大好きだった歌も完全に諦めてしまった。そんな尚子さんを支えてくれたのが母だった。「その時期は絶望感がすごくて、ずっと死にたかった。でも母は毎日夜中まで私の話を聞いてくれた。自分が自分を諦めそうなのに、なんでお母さんは私を諦めへんのやろうって…」。そう語り、涙ぐむ尚子さん。今の自分を変えたい——そんな思いでやって来たのがNYだった。自由と活気に溢れるこの街で、尚子さんの心に再び生きる意欲が湧き上がった。そしてもう一度歌うことを決意したのだ。
ゴスペルコンテスト決勝前日、母から尚子さんに贈り物が届けられた。ファッションデザイナーの母が着物の生地を使って手作りしてくれた華やかなステージドレスだった。添えられていた手紙には「きっと尚子らしく歌うんだろうなー」と、さりげなくも温かい言葉が綴られていた。涙があふれる尚子さんは「みんな"頑張れ"じゃなく、"いつもの尚子らしく"と言ってくれる。それが嬉しい。これからもよろしくお願いしますという気持ちで歌いたい」と、決勝へ向けて大きな力を得る。
決勝当日。ロバータ・フラックら大物ゲストも多数出演するフェスティバルだけあり、会場の「プルデンシャル・センター」には全米から2万人もの観客が詰めかけた。お母さんのドレスに身を包んだ尚子さんがいよいよステージに立つ。全米の音楽関係者も来場しているこの大会で優勝すれば、デビューへの大きな足がかりになる。さまざまな思いを胸に全力で歌いきった尚子さんは、ステージを降りると「やれることはやったんじゃないかな」といい、涙が止まらない。それは清々しい涙だった。
残念ながら優勝の夢は叶わなかったが、「すばらしい経験ができた。目標は"グレートシンガー"。心から自分を表現できるようになりたい」と、尚子さんは新たな夢に向かって再び歩み始める…。