今回のお届け先は南アフリカ共和国。広大なサバンナの一角にある「モジャジ自然保護プロジェクト」で、チーターなど保護している動物を野生に戻すボランティアをしている家原裕子さん(46)と、滋賀県・大津市に住む父・康寛さん(80)、母・節子さん(74)をつなぐ。外資系の銀行員だった裕子さんは、2年前に突然すべてを捨ててアフリカへ。両親は「小さいときから、やりたいことはなんでもやってきた子だった」というものの、「猛獣相手なので心配。日本に帰ってきて欲しい」と、裕子さんの生活のこと、将来のことを案じている。
「モジャジ自然保護プロジェクト」で保護されているチーターは現在7頭。大きなネコ科の動物の中でも一番弱いチーターは、子供の生存率が自然の中では10〜15%だという。そこで裕子さんらボランティアが施設で保護して育て、野生に放しているのだ。裕子さんは毎朝チーターをフェンスから出し、散歩へ連れ出す。狩りのトレーニングをさせるためだ。狩り場となる約3700ヘクタール(甲子園球場1000個分)もの広大な敷地は「ゲームリザーブ」と呼ばれ、すべてフェンスで囲まれている。南アフリカにはもはや、こうしたゲームリザーブの中にしか大自然本来の姿は残っていないという。
その中で裕子さんたちは、獲物を追うチーターを見失わないよう、灼熱のサバンナを何時間でも徒歩でついて行く。獲物を捕まえるまで、長ければ1日でも2日でも追いかけるという。そしてチーターが獲物を捕らえると、それを取り上げ、再び施設まで誘導しなければならない。肉体的にも精神的にもハードな仕事だ。一頭では食べきれない大きな獲物を捕らえた時には、裕子さん自らナイフを手にし、血だらけになりながら解体してほかのチーターに分け与える。「昔は魚や肉を触るのも嫌だった。解体できるようになるまで半年かかった」と裕子さんは笑うが、父は「こんなことをできる子ではなかった」と絶句する。
幼い頃から動物が大好きだった裕子さんは、アフリカで動物と暮らすことが夢だったという。実際には外資系の銀行員としてイギリスなどで20年のキャリアを積んできたが、そんな裕子さんが2年前に休暇で訪れたこの地でチーターと出会い、人生が一変。半年後には銀行を辞め、幼い頃の夢を追う決意をした。現在、ボランティアとして食事と部屋は用意されているが、給料は一切なく、生活費はこれまでの貯金と退職金でまかなっている。「両親は金銭面や老後のことを心配して、普通に結婚してほしいと思っていると思う。でも私はこうして大好きな“ネコ”たちと暮らせるのが本当に幸せ」と、裕子さんは顔を輝かせる。
上下水道もなく、飲み水は雨水。郵便物すら届かないここでの生活にこだわるのは、裕子さんが生後3ヵ月からここで育ててきた2歳半のチーター・ブシュレの存在があるからだ。「かけがえのない我が子。この子が自然に戻る時を見届けるまでは帰りません」と、裕子さんがこの仕事に賭ける決意は固い。
そんな裕子さんに母から、手縫いの作務衣が届けられる。毎日汗や泥にまみれて働く娘のためにと作った一着で、そこには「夢を叶えるため自分で選んだ道。後悔しないように頑張れ」と応援する想いが込められていた。そして裕子さんも、わがままな生き方を見守ってくれる両親に感謝の言葉を返すのだった…。