今回のお届け先はイタリア・サルディーニャ島。この地でプロの車椅子バスケットボール選手として活躍する安直樹さん(32)と、茨城県に住む母・嘉美さん(61)をつなぐ。中学生の時、左足の病気のために受けた手術が失敗し、重い障害を負った直樹さん。高校に入って車椅子バスケットと出会い、今ではパラリンピック日本代表にも選ばれ、3年前からはイタリアリーグで活躍するまでになった。だが女手ひとつで直樹さんを育ててきた母は「息子からはほとんど連絡がありません。息子が書いているブログを見て様子が少し分かるぐらいで…」と寂しそうに笑う。
直樹さんは2年間在籍した2部リーグから今年、イタリア最高峰リーグ・セリエA1部チーム「サッサリ」へ移籍。得点を稼ぐフォワードとしてオファーを受け、セリエAのコートに立つ初めての日本人となった。そんなチームの練習では、車椅子同士の激突や転倒も続出。直樹さんは「"車椅子の格闘技"と呼ばれる激しさに惹かれてここまでやり続けてきた」と、その魅力を語る。
直樹さんは小学生の頃まで人一倍スポーツが大好きな少年だった。足に障害を負った時のことについては「当時自分には障害者=最悪というイメージがあって、自分がそうなったことのショックが大きかった。同級生に見られるのも嫌だった」と振り返る。一時は不登校になったが、母が見学に連れて行ってくれた車椅子バスケを見て、障害を感じさせない選手たちの勇姿に心を奪われた。「最初は担当医を憎んだこともあった。でも車椅子バスケのおかげで立ち直れたし、今は"手術をミスしてくれて感謝してます"ぐらいの気持ちです」と…。そして「母は毎日仕事のあと僕を練習場に迎えに来て、車の中でご飯を食べ、そのあとリハビリに連れて行ってくれた。僕より母の方がきつかったと思う。感謝しています」と、母への思いも明かす。
実は「サッサリ」は今シーズンの成績が思わしくなく、現在4連敗中。次の試合で順位を上げないと、大きな大会への出場権を失う厳しい状況にあった。そして、直樹さん自身も期待通りの活躍ができず、解雇の瀬戸際に立たされていた。そんな生き残りを賭けた大事な試合に臨んだ直樹さん。結果、チームは見事な逆転勝利を収め、チームプレーでは評価を受けたものの、自らの得点数は納得できるものではなかった。直樹さんの崖っぷちの戦いは今も続いているのだ。
そんな状況を何も知らなかった母。直樹さんに、何故母に連絡しないのか尋ねると「連絡しなくてはと思うが、その余裕もなくて…」と言葉を濁す。車椅子バスケに出会うきっかけを与えてくれた母を気にかけながらも、今は自分のことで精一杯のようだ。そんな直樹さんに母から届けられたのは、車椅子バスケを始めた頃の直樹さんが写った地元の広報誌。お母さんがずっと大切にしていたものだ。初めて見る当時の自分の写真に、直樹さんは「懐かしい。この頃は純粋にバスケが楽しかった」と、その頃の気持ちを甦らせる。さらに大量のファイルも届けられる。それは母が7年前から直樹さんのブログをプリントアウトして保存していたものだった。母にはそれでしか息子の様子を知る手だてがなく、繰り返し読みながら息子を応援していたのだ。ファイルの束を前に直樹さんは「すごいですね。陰で僕を思って応援してくれていたことが分かりました。うれしい。もう一踏ん張りできそうです」と、母の思いに大きな力を得るのだった。