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#082「アフリカ大陸/ブルキナファソ」 11月29日(日) 午前10:25〜10:55


 今回の配達先は西アフリカのサハラ砂漠南端に位置するブルキナファソ。この地で孤児院建設を目指す飯田勉さん(55)と、茨城県に住む妻・幸子さん(53)、母・澄子さん(76)をつなぐ。美容師として成功を収めながら、50才でそのすべてを捨て、「孤児院を完成させれば帰ってくる」と言い残し、単身日本を飛び出した勉さん。美容院を預かる幸子さんは「妻や子、ましてや親まで捨てていくのか、と言いましたが…それでも行ってしまいました。行くときに離婚届に判を押してもらったんです。本当は離婚しようかとも思いましたが…今は預かっています」と諦め顔だ。澄子さんも「1日も早く帰ってきてほしい」と願っている。

 ブルキナファソは世界でも特に貧しい国のひとつ。多くの人が貧困と病気に苦しみ、国内には71万人の孤児がいるという。そんな子供たちを一人でも助けたいという思いから、勉さんは私費で土地を購入し、地元の村人に手伝ってもらいながら孤児院「竹の子の家」の建設を進めている。「まだ電気も通っていなくて、全体の30%ほどしか完成していない。でも、だからこそやりがいがあるんです」という勉さん。村では勉さんが持ち込んだ丹波産の黒豆を育てており、「これを村の特産品にしたい。私は施設を作るが、あとの運営は村人が自分たちで稼いでやっていけるようにしていきたい」と将来の計画を語る。

 日本では美容師として4店舗を経営するほど成功し、何不自由ない生活を送っていた勉さん。なぜ50才にして突然ブルキナファソ行きを決意したのか?「父が肺ガンで他界したんですが、亡くなる直前、"自分はもっと人のために尽くしたかった"と言ったんです。それを聞いて、父ができなかったことを少しでもできれば、と思って…」と、勉さんは家族にも語っていない父との秘話を明かす。

 実はほかにも勉さんには家族に話していない秘密があった。それは現地で日本風の居酒屋をオープンしたこと。「今までは家族から仕送りをしてもらっていた。でも、それで孤児施設を作るということにずっと申し訳ない気持ちがあった。この国で自分でお金を稼ぎ、この国に還元するのが一番いいと思ったんです」と勉さん。ブルキナファソ唯一の日本食居酒屋ということで、日本大使館の職員など、現地で働く日本人に大好評で、お客さんたちも「私たちのためにもこの店と飯田さんは必要です」と力説する。

 店に飾られている着物や、手打ちラーメンを作るための製麺機を何も知らずに日本から送っていた幸子さんは、呆れながらも「本人も一生懸命にやっているし、お客さんにも必要とされている。お店をやるのは賛成ですね。多くの人たちに囲まれて幸せそう」とちょっとホッとした様子だ。

 「ここで1日1日完全燃焼したい」と夢に向かって進む勉さんだが、孤児院建設にはまだまだ時間がかかり、「完成すれば帰ってくる」という家族との約束を果たせるのは、ずっと先になりそうだ。「ただ寂しいのは、孫の顔をまだ見ていないこと」。そう語る勉さんに家族から届けられたのは、今年8月に誕生したその初孫の写真。そこには"早く日本に帰って、その手で抱きあげて欲しい"という家族の願いが込められていた。写真を愛おしそうに眺める勉さんは「かわいい…感激です」といいつつ、「結果を出し、晴れ晴れとして日本に帰って、いいおじいちゃんになりたい。それまでもうちょっと勘弁してください」と、家族に申し訳なさそうに語るのだった…。