今回のお届け先はブラジル・サンパウロ。この街で小さな寿司屋を営む松栄孝さん(58)と、千葉・習志野市に住む母・フミ子さん(92)をつなぐ。息子を見送って35年。「ブラジルへ行きたいと言ったとき、子供のしたいことはさせてやろうと思った」「行きたくて行ったのだから、(思いを)全うしてほしい」と、今も遠く離れて暮す息子を案じ続けている
1年半前に寿司屋をオープンし、一緒にブラジルに渡った妻の泰子さん(54)や娘さんたちと共に切り盛りする孝さん。店の経営は最近やっと軌道に乗ってきたという。実は孝さんは店を始めるまで、観賞用の魚を捕る熱帯魚ハンターをしていた。35年前、一旗揚げようとブラジルへ渡り、漁師の資格を取得。熱帯魚を日本に輸出して生計を立てていたのだ。だが2003年頃からドルが暴落し、熱帯魚の価格が下がって収入が激減。生活のためにやむなく寿司屋を始めたという事情があった。
今も物置に備えた水槽で、昔捕った珍しい熱帯魚を大切に育てている孝さん。現役の頃は日本の熱帯魚専門紙に写真や記事を載せるほど、熱帯魚の世界では有名だった。泰子さんも「熱帯魚の仕事をしていた時は、夫は生き生きしていた」と話す。「今でもやっぱりマナウス(アマゾン)へ行って熱帯魚を捕りたい…」。孝さんは大好きな熱帯魚を追う夢を諦めきれないようだ。
孝さんは今でも休日になると熱帯魚を捕りに出かける。いつか熱帯魚ハンターに復帰できる日を夢見て、魚の捕れるポイントをチェックしているのだ。ジャングルの奥や山の麓など、孝さんしか知らない穴場を訪れ、網を手に川の中へと入っていくその姿は、人が変わったように生き生きしている。孝さんが魚の生息するポイントを見極めて網をすくい上げると、日本では滅多に手に入らないような貴重な熱帯魚が次々と捕れる。「死ぬまでこうして夢を追い続けていると思います」と、孝さんは熱帯魚への熱い想いを語る。
そんな孝さんにとって気がかりなのは92歳になる母のこと。最近は耳が遠くなり、電話で話をすることも難しくなった。最後に会ったのは母が脳梗塞で倒れた3年前。「ブラジルに帰るとき、"もう母とは会えないかもしれない"と思いながら別れました。それだけが日本を去るときの気がかり」「母に会いたいけど…また別れる時が寂しい」と孝さんは語る。
孝さんが熱帯魚を捕っている姿を初めて見たと言って喜ぶ母。「熱帯魚のことは忘れられないやろうな…と思っていました。末っ子だから、あの子のことだけはずっと気になっていたんです」と、いくつになっても子を思う気持ちは変わらないようだ。そして夢を追い続ける孝さんに「好きで始めたことだから、自分が納得するまでやれば必ずできる」と励ましの言葉を贈るのだった…。
そんな母からのお届け物は七福神の刺繍。脳梗塞で不自由になった体で、母が3ヵ月もかけて一針一針縫ったものだった。そこには孝さん一家の幸せと、商売がうまくいくようにとの願いが込められていた。刺繍を手にした孝さんは「ここまで回復したんですか?」と驚きつつ、母の想いを感じ、「"心配することはない"と伝えて、母の気持ちを楽にしてやりたい…」と、しみじみ語るのだった…。