多くの外国人移民が住むアメリカ・サンフランシスコで僧侶として活動する佐竹英里子さん(37)と、京都に住む父・哲英さん(67)、母・吉子さん(61)をつなぐ。寺の長女として育った英里子さんは大手銀行に就職し、ごく普通のOL生活を送っていたが、寺を継いでくれる僧侶との結婚を望む母から何度も見合いを勧められ、それが嫌で8年前に日本から逃げ出した。その時の気持ちを山口智充に聞かれた母は「娘には早くお嫁に行ってほしかった。アメリカに行くことは反対した」と、当時の複雑な思いを語る。
現在英里子さんは、語学学校で受付の仕事をしながら、幼い頃から親しんできたお経の教えを肩肘張らずに分かち合おうと、ボランティアで月に1回「写経の会」を開いている。自らも得度して僧侶となった英里子さんの親しみやすいお経の解説は「心が洗われる」「セラピーのよう」と評判で、故郷を離れた多くの日本人の心を癒す場となっているのだ。「お寺から逃げてきたはずなのに、ここでまた同じようなことを始めているのがおかしいんですが(笑)…でもやっていて落ち着くんです」と英里子さんは語る。
そんな彼女が写経の会を開催するきっかけとなったのはひとりの友人だった。数年前、飼っていた猫を相次いで亡くし、ひどく落ち込んでいた友人のために、英里子さんは猫のお葬式を挙げ、唯一覚えていた短いお経を唱えてあげた。お経を読むことで友人の心を救うことができたというのだ。「お葬式だけど、とても幸せで温かい気持ちに包まれた。友人が"お経でこんなに気持ちが落ち着くなら、書いたらいいんじゃないか"と言ってくれて…」。それをきっかけに、"多くの人に癒しを与えたい"と「写経の会」を始めた英里子さん。今では「故郷を離れた人々の心の拠り所となるようなお寺を作りたい」と夢は大きく広がる。
20代の頃は、早く結婚してほしいと願う母の勧めで35回も見合いをした英里子さん。娘の幸せを想ってのことだったが、当時の英里子さんはそんな母が理解できなかった。「母はとても愛情深い人。でも愛情があふれすぎて窒息しそうになっていた」と英里子さんは振り返る。だがそんな母への気持ちも徐々に変わってきた。日本を離れて8年。この地でさまざまなことを経験し「自分自身が変わったから」と英里子さんはいう。一方、母も「自分なりに精一杯娘を育ててきたつもりやけど、それが負担になったんやろうし…今は反省している」と、いつしか娘への思いは変わっていた。
そんな母からのお届けものは、英里子さんが幼稚園の頃に使っていた鞄と弁当箱。母が30年以上大切に取っておいたものだった。弁当箱の中には英里子さんと家族の歴史を綴った手作りの小さなアルバムが収められていた。そこには「今は心からあなたの人生を応援しているから、自分の選んだ道を堂々と歩きなさい」という母の想いが込められていた。アルバムを眺めながら「私はこの両親を選んで生まれてきたんだと今すごく思います。母は私の一部です」と英里子さんは涙をこぼし…。