今回の配達先は、街全体が世界遺産に指定されているイタリア・フィレンツェ。この地でジュエリー・デザイナーとして活躍する檀純世さん(48)と、京都・八幡市に住む父・真一さん(70)、母・保子さん(69)をつなぐ。イタリアに渡って16年。山口が「何が一番心配ですか?」と尋ねると、両親は「娘は負けず嫌いで弱音を吐かない。本当のところはどうなのか…」と案じる。
フィレンツェへは1万キロ、14時間の旅。中世から芸術や工芸技術が花開いたルネッサンス発祥の地で、今もなお様々な職人技が息づいている。そんな宝石店や金細工店が軒を連ねるベッキオ橋近くに、純世さんのジュエリー工房はある。共に働くのは金細工職人で、純世さんのパートナーでもあるマルコさん(52)。純世さんがデザインし、マルコさんが製作する共同作業で、お客さんのオーダーに合わせて一点一点を手作りしている。中でも、カッティングの技術だけで金属にダイヤのような輝きを持たせるという"トラフォーロ・フィオレンティーノ"は、作れる職人も減り、マルコさんが最後の世代と言われている。
今や日本人ならではの独創的なデザインが高く評価されている純世さんだが、ここまでの道のりは平坦ではなかった。芸大を卒業後、商社で服飾デザイナーとして活躍していたが、自分の才能に限界を感じて29歳で会社を辞め、イタリアに語学留学。通訳としてフィレンツェで第2の人生をスタートした。「40歳になるとき、自分へのプレゼントにブレスレットを買おうと思ったんです。それをマルコのところで作ったのがきっかけでした」と純世さん。マルコさんの工房に通ううち、そのデザイン力を買われて工房を手伝うように。やがて「この街でもう一度デザインの仕事をやってみたい」と、一度は諦めた道を再び歩み始めたのだ。
現在も自分の技術を向上させるために絵画教室で毎週ヌードデッサンの練習をしている純世さん。「子供の頃から、『やってみれば何でもできる』という風に育てられてきました。何もしてもらってないと思っても、いろんなことをしてもらったんだなぁと思いますね」と、両親へ感謝の気持ちを語る。その言葉に母は「娘は一切何も言わないし、私も主人も意地っ張りで、あまり優しいことを言わない。娘がそんな風に思ってくれているとは…」と、胸をつまらせる。
フィレンツェで奮闘する純世さんへ、母の思いを込めたお届けものは、純世さんが幼稚園の時に使っていた自由画帳。そこにはカラフルな洋服を着た女の子の絵がたくさん描かれていた。純世さんは「現在につながるものがありますね」としみじみ。デザイナーとなった純世さんの原点ともいえる作品を、母は40年以上経った今も大事に取っていてくれたのだ。そして同封されていた手紙には、頑張る純世さんを後押ししてくれる素敵な言葉が綴られていた…。