今回の配達先はカナダ・バンクーバー。この町でギター職人として働く川上祐介さんと、岐阜県・可児市に暮す同じギター職人の父・秀穂さん(67)、母・紀子さん(62)をつなぐ。
秀穂さんのギター工房を訪ねた山口は、たくさんのギターや工具類に囲まれて興味津々。同じ道に進んだ祐介さんについて聞くと、秀穂さんは「楽器作りは難しい。独り立ちするのは無理だと思っていた」という。夫の苦労を見てきた紀子さんも「普通のサラリーマンになったほしかった」と祐介さんを案じる。
バンクーバーへはおよそ8000キロ、15時間の旅。一年を通してほどよく乾燥した気候と、豊かな森林資源から、世界でもっとも木工製作に適した土地といわれる。7年前、「本場でひとりでやってみたい」と、日本屈指のギター職人である父の元を離れてこの地にやってきた祐介さん。現在は自らのブランドを立ち上げ、手作業にこだわったオーダーメードのギター製作をたった一人で行っている。工房では小刀を手に、ひとり黙々と木を削ってパーツの微調整を繰り返す祐介さん。お客さんひとりひとりに合わせて木材を選び、ギターの大きさや形を調整するため、1ヵ月で3本作るのが精一杯だという。
もともとギター製作には興味がなく、サラリーマンになった祐介さん。だがある日、父の元にイギリスのロックバンド、ディープ・パープルのギタリストだったリッチー・ブラックモアから注文が入ったことが転機となった。ロックが好きだった祐介さん憧れのギタリストだった。あらためて父の偉大さに気づいた祐介さんは、「自分も物づくりが好きだったし音楽も好きだった」と、ギター職人という仕事に興味を抱くように。そして24歳で脱サラ、父に弟子入りした。ところが父が教えてくれたのは基本的な道具の使い方だけ。祐介さんはひたすら木工の基礎を練習し、父の技術を盗んだという。このとき叩き込まれた道具の使い方が、祐介さんのギター作りの基礎になっているのだ。
日本にいれば一流のギター職人である父と一緒に恵まれた環境で働くこともできた。だが祐介さんは「日本にいれば楽だった。でもそんなところで作っている奴が、いいものを作れるはずがない」ときっぱり。「いつか絶対に父を追い抜きたい」と熱く語る。
そんな祐介さんへ、父からの届け物は、ギター作りに欠かせない木工道具の小刀。父が自ら手作りしたもので、柄の部分には「迷いは一瞬、汚点は一生、作品は心なり」という言葉が記されている。それは、同じ道を歩む息子へ、初めて伝える職人としての心構えだった。そして添えられていた手紙には、東京で偶然見かけた、祐介さん製作のギターについての感想が。その言葉に祐介さんは胸を熱くする…。