日本と海の向こうをつなぐのは、山口智充。
今回の配達先は、マレーシア。マレーシアは、マハティール前首相の経済政策により急激に発展し、アジアでも有数のIT先進国として成長を続けている。マレーシアにパン文化を広めるため、マハティール前首相から直々に呼び寄せられたパン職人・松原裕吉さん(40)と、兵庫県西脇市に暮らす父・精一さん(68)、母・多稼子さん(67)をつなぐ。
「裕吉さんのどんなところが見てみたいですか?」と聞く山口に、「どんなところに暮らしているのか、どんなところで働いているのか知りたい。」とお母さん。お父さんは「パン屋さんが繁昌しているかが心配。」と。
マレーシアへは、香港を経由して4800キロ、およそ10時間の旅。
パン職人の裕吉さんのお店「ザ・ローフ」はブランド店が軒を連ねるショッピングモールの中にある。裕吉さんは、銀座木村屋などの有名店で修行を重ね、2004年には世界的な製パンコンテストでグランプリを受賞した。その腕を見込まれた裕吉さんは、マレーシアにベーカリーの出店を考えていたマハティール前首相に口説かれ、2007年2月にマレーシアにやってきたのだ。お店のコンセプトは「日本のパン屋さん」だという。裕吉さんは、パン職人として厨房に立つのはもちろん、商品プロデュースやスタッフ教育などお店の一切を任されている。オープンして一年、今ではお店の評判を聞き、わざわざ海外からやってくるお客さんもいるという。裕吉さんの事をマハティール前首相は、「完璧を求める姿がすばらしい。彼はマレーシア人にはない心構えを持っている」と絶賛する。
裕吉さんが、パン職人を目指したきっかけは22年前のある出来事。一代で織物工場を築き上げたお父さんだったが、不景気の波が一家を襲った。裕吉さんが高校3年生の冬に、両親から「経済的な理由で大学に行かせてやることができない」と打ち明けられらたのだ。裕吉さんは「どうしてこんな目に合うのか?と思ったが、両親がずっと努力してきたのを見てきたから何もいえなかった…」と。そんな時に、お母さんが何気なくいった「パン屋さんになってみたら」という一言で裕吉さんはパン職人を目指すことになったのだ。
そんな裕吉さんへ両親からの届け物は、「『努力無限』の書」。お父さんがずっと掲げてきた松原家の家訓だ。そして、お母さんからの手紙には、家庭の事情で大学進学を断念させてしまったことへの自責の念と、遠く離れた息子の成功を祈る気持ちが綴られていた。届け物を受け取った裕吉さんは、目に涙を浮かべて…。