日本と海の向こうをつなぐのは、山口智充。
今回の配達先は、南米大陸の中央に位置するパラグアイ。
現地の子供たちに農業を教えている小谷博光さん(27)と、京都府京丹後市に暮らす父・勝郎さん(57)、母・次代さん(54)をつなぐ。
「最初に博光さんからパラグアイ行きの話を聞かれたときは、どう思われましたか?」と山口が聞くと、「最初は二人とも反対した。長男なので、家業を継いでほしいと思っていた…」と両親。
パラグアイへは、18000キロ、およそ26時間の旅。博光さんが暮らすのは、ジャングルを切り開いて作られた村、サン・ホアキン。目立った建物はほとんど無く、ただただ大地が広がる村におよそ1500人が暮らしている。これといった産業もない、貧しい村で博光さんは子供たちに農業を教えている。
博光さんは1年前、JICA国際協力機構に入隊した。博光さんの職場はこの村の学校で、幼稚園児から高校生までおよそ400人が通っている。親が出稼ぎでいないため、学校に寝泊りしている子供たちも大勢いるという。博光さんが教えているのは、お金が無くてもできる有機農業。なぜ博光さんが有機農業を教えているのか?それは、サン・ホアキン村は食糧を自給自足している人がほとんどで、しかも貧しさゆえに農薬や肥料を買うお金が無いからだ。家にある小さな畑で自分たちが食べる野菜を育てているが、十分な収穫をあげられていないのが実状という。そんな環境で育つ子供たちに、お金をかけない有機農業を覚えてもらい、将来的に安定した収穫を得られるようになってもらう、それが博光さんの目的だという。
そもそも、博光さんがパラグアイに来たきっかけは、一枚の写真だった。ガリガリにやせ細り、道路にうずくまっている少女を、ハゲタカが死ぬの待って食べようと狙っている写真。博光さんはその写真を見て、「こんな世界もあるんだ」と衝撃を受け、国際協力の勉強の道を志したのだ。
父の反対を押し切って選んだ道を今、博光さんは着実に進んでいる。そんな博光さんに日本からの届けものは、「使い込まれたクワ」。実家の畑で、おじいちゃん、お父さん、博光さんと親子三代が使い込んだクワ。この届け物を送ったお父さんの想いを博光さんはどう受け止めるのか?