日本と海の向こうをつなぐのは、山口智充。
今回の配達先は、カリブ海に浮かぶ楽園・ジャマイカ。この国で、貯金を投げうって体操のジムを開いた西田慎さん(27)と、京都市に暮らす父・富士夫さん(58)、母・順子さん(55)をつなぐ。
「どんなことが心配ですか?」と山口が聞くと、「息子の書いているインターネットの日記では良いことばかりが書いてある。本当の生活はどうなっているのかが心配」とご両親。
ジャマイカへは、飛行機で24時間、1万3000キロの旅。
慎さんが開いた体操ジムは、ジャマイカの首都・キングストンにある。
慎さんが体操を始めたのは、高校時代。大学生のときには、関西大会で優勝。大学卒業後、海外青年協力隊としてジャマイカに派遣され、3年半子供たちに体操を指導。除隊後もジャマイカに留まることを決意し、今年8月、念願の体操ジムを開いた。
慎さんは、海外青年協力隊時代の貯金をはたき、荒れ果てた倉庫を仲間とともに改装、手作りでジムを完成させた。ジムを開業して、3ヶ月。生徒の数はまだまだ少ないのが実状で収支は赤字。慎さんの給料はゼロ。自分の部屋を借りる余裕は無く、ジムの2階で寝泊りしている。
元々は、海外青年協力隊の仕事が終わった後は日本で体育教師になろうと思っていた慎さん。しかし、日本に戻る日が近づくにつれ、日本に戻り教師になるか、それともジャマイカに残って体操の指導を続けるか、悩んだという。最終的に、この地に留まる決意を後押ししたのは、お父さんの「貧乏になるのは、夢を追う代金と思え」という言葉だった。
慎さんの夢は、ジャマイカ初のオリンピック選手を育てること。慎さんが協力隊時代から教えている上級者クラスの生徒たちは、ゲットーと呼ばれるジャマイカのスラム街に暮らす子供たち。営業時間が終わった後、遅くまで指導しているが、彼らから授業料はもらっていない。貧しい彼らを救いたいと使命感から始めた体操の指導だったが、逆に彼らから教えることの楽しさを学ばせてもらったという。
そんな慎さんへ、日本の両親からの届け物は、「慎さんが日本で活躍していた証、表彰状」。ジムに飾ることで少しでも生徒が集まりますように、という両親の想いがこめられていた。