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『アニメ村のステキな住民たち』アニ民98人目
- 2011.07.07
今週はテレビ東京プロデューサー 東不可止さんです。
当時の上司・アニ民60人目で紹介した岩田圭介さんに紹介されたのは(ややこしい)、おそらくまだ20世紀1999年年末の出版社パーティーだったでしょう。その風貌とその時の担当作品から僕は東さんをある呼び方で呼ぶことになるのですが…。
テレビ局のアニメーション番組プロデューサーのお仕事は簡単には言い表せません。局ごとの違いはもちろん、番組ごとにもかなり動きに違いが出ます。が、こと作品への愛情というか思い入れのある場合は、なんとなくですが仕事に対するタッチは人が異なっても共通してくるものが出てくるかなって思います。
東さんの場合は、明らかにその担当作品数が多いのが特徴です。プロデューサーデビューが「キョロちゃん」ですが。それ以降いったい何作品のプロデュースをされたことでしょう。いつ会っても汗かいてて忙しそうで電話してて。いつだったか「今同時に7本抱えてるんですよ」って笑ってたこともあったけど、仕事って言うレベルを超えたアニメ制作に対する姿勢は本当にアタマ下がるものがあります。
昨年アニメ評論家・藤津さん司会で、NHK斉藤さん、MBS丸山さん、東さんと僕で「MAGネット」というNHKBSの番組に出演させてもらいました。この日記でも昨年の9月23日付けで書いてますが、3時間にわたってマジメなシンポジウムのようにみんなでしゃべり倒しました。その中でも東さんの“アニメ制作を好きなことが好き”発言は心に残ってます。その後このメンバーで3度は食事できてますね。そのときどきのさまざまな悩みやトラブル発言はお互いに似通った立場同士、かなりありがたく染み入ることばかりです。
で、正直言いますと僕の作品プロデュース方法と東さんのそれも似通っているのを感じてます。ただその深さとか質・量などは僕がどうしても及ばない領域を、東さんが持っていることも残念ながら理解しています。そんな東さんが会社の人事異動でアニメーションの担当を外れることになりました。新しい部署は「経営戦略室」だそうです。やっぱりアニメのエリートだったんだ、てな感想を持っちゃいました。
冒頭でお話した出会った当時の担当作品は「レレレの天才バカボン」でした。なので僕が年長でえらそうな態度ではありますが、その時から東さんを「バカボン」と呼んでおります。また近く会って食事をすることになるでしょう。新しい部署も問題なく切り開いていくバカボンを頼もしく思うことでしょう。どんなカタチにしろバカボンからアニメ制作を切り離すことはできないと思います。そしてこれからもわれわれアニメ業界は、バカボンと一緒に情報を共有しながらゆっくり歩んでいきましょうね。