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24歳、日本人ジャーナリストが見た“戦争の現実”

【独自取材】恐怖に震える兵士志願の青年、何度も響く爆撃音、「普通の生活を装う」ことで“抵抗”の意思示す市民…ウクライナ取材のジャーナリストが“戦火の街”で見たもの

 ロシア軍が無差別ともいえる長距離砲撃を続けているウクライナに渡り、首都・キーウで現地取材を行った24歳のジャーナリスト・小西遊馬(こにし・ゆうま)さん。3月11日から18日間、現地に滞在したという彼が目の当たりにした“戦争の現実”とは…。

入国時に出会った青年 兵士志願も、恐怖に指を震わせ…

ジャーナリスト 小西悠馬さん(24)

 小西遊馬さんは、大学に通いながら世界を飛び回り、ドキュメンタリーを制作。2019年に起こった香港の民主化デモや、バングラデシュやインドにあるロヒンギャ難民キャンプなど、世界各地の社会問題を取材しています。

小西さんの取材ルート

 ウクライナへの入国は3月11日、隣国ポーランドから。そこでは、兵士として戦うためにドイツから帰国する、ウクライナの若者と出会ったということです。

Q.その若者とはどんな会話をされたのですか?
(ジャーナリスト 小西遊馬さん)
「彼は『ドイツでの勉強が終わって、大学を卒業してからも向こうで暮らしていた』という話や、『両親とはあまり仲が良くなくて、今は全くコンタクトを取っておらず、どこにいるかもわからないという状況だが、“自分は祖国のために戦いたい”という思いでウクライナに戻ってきた』という話をしていました」

小西さんが出会ったウクライナの若者

Q.これから戦火に飛び込むという彼から、恐怖心のようなものは感じましたか?
(小西遊馬さん)
「非常に強く感じました。『怖くない』とは言っているのですが、そんなに気温も低くない中で、体や指先がぶるぶる震えていたりするのを隣で見ていて、僕にも非常に緊張感というものが伝わってきました」

リビウそしてキーウへ 列車から見えた爆撃

ウクライナに向かう列車の車内

 ポーランドからウクライナの首都・キーウへは、電車と車を乗り継いで6日間かけ移動した小西さん。国境の町からリビウに向かう列車では、乗った車両の乗客は小西さんただ一人だったと言います。

Q.列車は動いていたんですね?
(小西遊馬さん)
「列車は動いています。ポーランド側からウクライナの方へ入る、またウクライナ国内で運航している一部の列車は、無料で運航していて、誰でもお金を払わずに乗ることができる状態になっています。海外から来た義勇兵の方や、ジャーナリストの方、ボランティアの方、あるいはウクライナから逃げる人たちはお金がないので、無料で使えるようになっていました」

Q.列車に乗っているときに危険を感じるような光景や破壊された町が、車窓から見えたりしましたか?
(小西遊馬さん)
「僕自身そのようなイメージを持っていたのですが、少なくともリビウに行くまではそのような光景というのはなくて、普通の田園風景があるという感じでした」

帰路の列車から見たリビウの爆撃

Q.キーウからの帰路の列車が、リビウに到着する直前に爆撃が見えたということですが、初めて間近で見た戦争や爆撃はどのように映りましたか?
(小西遊馬さん)
「色々な側面において初めてなので驚いたり、怖いと思ったりするんですけど、『これぐらいなのか』という気持ちもありました。爆撃というのは、距離が離れていればそんなに怖くないシーンもありましたし、離れているのに『1個の爆弾でこんなに風が起きるのか。窓がこんなに揺れるのか』とか、色々な発見というか気付きはあって。でも、とにかく自分が今住んでいる場所に爆撃が起きるか起きないかというのは誰も分からないし、いつでも起きうるので、そういう意味では常に『死ぬんじゃないか』っていう思いはありましたね」

1日に何度も響く爆撃音、衰えない士気

当初は恐怖との戦いも…

Q.「ミサイルの攻撃が朝方と夜に多く、当初は怖くて眠れなかった」ということですが、段々爆撃の音に慣れ、聞き分けられるようになってくるものなのですか?
(小西遊馬さん)
「そうですね。音の大小などで、大体の種類やどちら側からの爆撃なのかというのは聞き分けられるようにはなりますね。ただ、自分が全く知らないような兵器が新たに使われる可能性もあるので、あんまりそれで油断してはいけないのですが。今のキーウに関しては、ミサイルやそれを打ち落とすための迫撃砲みたいなものが中心だったので、ある程度は分かりました」

Q.爆撃の音は1日に何回くらい聞こえましたか?
(小西遊馬さん)
「10回ぐらいはいつも聞こえますね。その大小は様々でしたが。爆撃といっても、キーウの街のどこかにヒットした爆撃以外にも、ロシア側から撃ってきたミサイルに対してウクライナ側が迫撃砲を撃つと、空中で非常に大きな爆撃音がなるので、そういう音はいつも聞いていました」

Q.街にヒットした音と、迫撃砲で迎え撃って空中で爆発する音の違いも、段々分かってくるのですか?
(小西遊馬さん)
「そうですね、距離的にも全然違うので。一度、500メートルぐらい先に落ちたんですけど、その時はさすがに迫撃砲とは全く違う規模の爆風と音だったので、響き方とか距離的な問題で、分かりはしますね」

Q.「これはシェルターに行かないとまずいな」とか、「ひょっとしたら自分がいる所が狙われるかも」という恐怖心はありましたか?
(小西遊馬さん)
「僕だけではなくて市民の方々も、開戦した当時は爆撃がどこから来るのか判断できないので、『最初の方はとにかくずっとシェルターにいた』と言っていました。ただ、ここまで長期化してくると、1日2、3回鳴る空襲警報に合わせて毎回シェルターに行くのは難しくなってくるので、私が滞在しているときはほとんど皆さん、空襲警報が鳴っても普通に自分の部屋にいたという感じでした」

“女性がプーチン大統領に銃を向ける” ポスター

Q.リビウの至る所に“女性がプーチン大統領に銃を向けるような絵”が描かれたポスターが置かれていたということですが、ウクライナの方からは『自分たちの領土が侵攻されているということは許せない』というような、士気の高さは感じましたか?
(小西遊馬さん)
「非常に士気は高いですね。僕がキーウに滞在した約2週間、徐々に徐々に爆撃の音も大きくなってきて爆撃をされる回数というのも増えていく中でも、決してその士気というものが衰えることがなかったのを感じて、そこは驚きました」

“ロシア工作員一掃作戦”だった「外出禁止令」

キーウでの「外出禁止令」

Q.キーウでは3月15日~17日に「外出禁止令」が出ていて、小西さんの滞在期間とも重なっていたということですが、その中でもジャーナリストは出歩くことができたのですか?
(小西遊馬さん)
「ジャーナリストに関しては、発行されたプレスカードに、外出禁止令の中でも『コンバットゾーン』、いわゆる市街戦などが起きている場所の取材もできる、というふうに書いてあります」

Q.「外出禁止令」の目的は、ただ「空爆の恐れがあるから」というだけではないのでしょうか?
(小西遊馬さん)
「そうですね。防弾チョッキや防弾ヘルメットの着用は、必ずしも強制されているわけではないのですが、僕が何故着けたのかというと、今回の外出禁止令で考えうるメインの目的は、“キーウ市内にいるロシア側の工作員を一掃する”ような作戦を実行するためだと思われたからです。工作員を見つけた、追っかけ合いになった、銃撃が町中で起きる、となったときに、外出禁止令を出していない場合は市民が巻き込まれる可能性があるので、外出禁止令を出したというふうに考えています。本当に、その日は午後の1時までに150人ぐらい捕まったんです」

“普通の生活を装う”という「抵抗」、キーウ市民の生活

キーウでは市民の家に滞在

Q.小西さんはキーウの市民の家に滞在をされていたということですが、キーウでは住民の方が家に泊めてくれたり、避難されている方がジャーナリストに家を提供して下さるようになっているそうですね?
(小西遊馬さん)
「オフィシャルというわけではないですが、そのような形でジャーナリストや海外から来たボランティアの方々を手助けをするという方々は多くいますね」

キーウでの生活状況

小西さんは、キーウでの滞在先では毎日手作りの料理を食べており、スーパーは品薄ではなく価格も上がっていなかったそうです。ただ、ペットフードやたばこは品薄で、酒の販売はなかったということです。小西さんが感じた街の印象は「物価がほんの少し上がった程度で、ライフラインに影響はなく、テレビも放送していた。公衆トイレも清潔に保たれていて、治安も悪いとは思わなかった。闇市ではお酒がよく売れていた」ということでした。

Q.この料理の写真だけを見ると、本当に戦火に包まれているとは思えないのですが、キーウの方はあえて普通の生活をしようとしている、それが抵抗だという思いものあるのですか?
(小西遊馬さん)
「まさにそうだと思います。本当に“普通の生活”、“普通の日常”を装うということでしか、この戦禍という非常に大きなストレスから逃れることはできないので、なるべく自分の、今までの日常を装うということ、それから毎日毎日、『明日死ぬかも分からないから、精いっぱい今日を楽しみたい』という話を、現地の方々もしていました」

Q.子どもたちも少なからずいると思いますが、幼稚園や学校には行っているのですか?
(小西遊馬さん)
「まず、今は学校自体やっていないですね。僕は一度、学校を取材させて頂いたんですが、学校の給食室をボランティアの方々のためにオープンにして、市民の方々が兵隊の人たちのために毎日1000食分ぐらいのお弁当を作る活動をしていました。その時に学校長は『学生の半分はすでにキーウには居ない』と話していました。実際、僕が滞在している間に、キーウ市内で若者に会うということはほとんどなかったです」

Q.最近ではポーランドに逃げた方で、ウクライナに戻る方が増えているそうですね?
(小西遊馬さん)
「逃げた当初は、誰もここまで長期化すると考えていたわけではないので、『戦争が始まった。自分の妻子は先に逃げて欲しい』といって逃げたケースの場合、向こうでお金が徐々に無くなってくるので、生活が苦しくなって帰って来るということが、私がキーウから出るときに丁度始まったという感じでした」

「見せたいものを積極的に」ウクライナの“メディア戦略”

ウクライナの「メディアセンター」

 リビウや首都・キーウには、「メディアセンター」が開設されています。ゼレンスキー大統領のオフィスの近くにあるということですが、小西さんによると、メディアセンターに“こういう取材をしたい”と伝えると手配してくれたり、通訳やドライバーを安い価格で手配してくれることもあるということでした。

Q.メディアセンターはゼレンスキー大統領のオフィスの近くということですが、攻撃はされないのですか?
(小西遊馬さん)
「ゼレンスキー大統領のオフィスの近くの方が安全だ、というふうに思っています。戦争の中で色々交渉を進めていかないといけないと思いますが、その交渉の当事者が亡くなってしまった場合、非常に複雑な戦争の終わらせ方をしなければいけなります。また、ゼレンスキー大統領が爆撃などで亡くなったりした場合、国民の怒りが大きくなって、ロシア側がウクライナを統治したとしても、その後内側から崩壊が始まる可能性があるので、爆撃が直接そこに行くことはなく、比較的安全ですね」

ウクライナ政府の“メディア戦略”

Q.ウクライナ政府は「外国から来た人は、どんどんメディアで伝えてくれ」という考え方なんですね?
(小西遊馬さん)
「そうですね。そしてその際に、どうやって『自分たちが報じて欲しいものを積極的に押し出していくか』ということを考えていると思います。メディアセンターを中核にして、そういうことをやっていこうとは思っていると思います」

Q.一方でウクライナ政府は、ウクライナにいる一般市民の方々には「SNSなどに動画や写真を上げないでくれ」と頼んでいるようですが?
(小西遊馬さん)
「はい。厳密には、例えば事故や爆撃が起きても、『すぐには上げないで欲しい』というのが、正しい言い方です。情報の確認が取れていないときに、正規の記者でない方々が情報をばんばん上げ始めると、それが悪用されたり、常にピリついている戦地に変な混乱を起こさないために、『ちゃんとした調査を待ってから上げて欲しい』ということを言っています」

小西さんの思いは…

Q.小西さんが日本に帰ってこられて、日本の方々に伝えたいウクライナの現状と、日本にできると思うことは何ですか?
(小西遊馬さん)
「僕が帰ってきて一番に思ったのは、今、メディアでの情報も含めて、どうしても“どっちが正義でどっちが悪か”そして国家として“ウクライナ側にいくのか、ロシア側なのか”という話になりがちですが、情報の強さは大なり小なりあったとしても、“罪なき人が亡くなっている”ということは事実です。自分たちができることは、その狭間で右往左往されている“力の弱い人たちの側にちゃんといる”こと。その人たちのために何ができるのかということを、まずは考えていけたらいいなと、そういう機会を自分が作れたらいいなと思っていました」

Q.人を殺害してはいけない、こういう争いは起こしてはならない、という原理原則みたいなところに立ち返らなくてはいけないということですよね?
(小西遊馬さん)
「本当にそう思いますね。それからもう一つ思うのは、やはり誰しもが“暴力性”というものを自分の中に秘めているものだと僕は思っているですが、よく『なんでこんなことを21世紀にもなってやっているんだ』という話を聞きますが、環境によって人というのは、いかようにでもなり得るということを、今回戦場に行って改めて感じています。自分たちの中にある“暴力性”という、ある種グロテスクなものをちゃんと認めて、『どうやったら一緒に生きていくことができますか?』ということを考えないと、また戦争というのは起きてしまうのではないかと思いました」

(情報ライブ ミヤネ屋 2022年4月13日放送)

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