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習国家主席 異例の総書記三期目へ

【独自解説】習近平国家主席 “異例”3期目 慣例を破り建国の父・毛沢東氏と並ぶ存在に 権力へ執着は“北京の王子様”から“農村時代の土ベッド”への転落が原因?

 10月16日に開幕した中国共産党大会で、習近平国家主席が異例の三期目に入る見通しとなっています。建国の父・毛沢東氏に匹敵する権威と並ぶ存在になるか注目される習国家主席ですが、その生い立ちをひも解くと、権力への執着心の背景がみえてきました。神田外国語大学の興梠一郎教授が解説します。

習国家主席 慣例を破り、建国の父・毛沢東氏と並ぶ存在になるか

習国家主席 党員9671万人の頂点へ

 5年に1度の中国共産党の党大会が、開幕しました。この党大会で全国から選出された、約2300人の中から、党中央委員会の委員などを選出します。その後行われる、第一回中央委員会全体会議、いわゆる「一中会議」で、党のトップを含む、最高指導者が決まります。その最高指導者は、中国共産党員約9671万人の中から約200人の中央委員を選びます。その中から25人の政治局員を選び、その中からさらに政治常務委員7人を選んで、そこからトップの総書記が選ばれます。

総書記は最長2期・党大会時に68歳以上で引退の“慣例”だが…

 総書記は、慣例として1期5年を最長2期までで党大会時に68歳以上なら引退といわれています。習近平国家主席は、現在2期目で69歳なので慣例なら引退なのですが、今回この慣例を破って「異例の3期目続投確実か」といわれています。

神田外国語大学の興梠一郎教授

Q.慣例という事は、実は決まっていないのですか?
(興梠一郎教授)
「明文化されていません。実際に例外もたくさんあります。そして今回、慣例をそのまま残すか、無くすか2つの見方があります。ただ、慣例は便利な道具なのでこのまま残し、習国家主席は例外だとして他の人には適応するんじゃないかという見方もあります」

前回は後継者候補なし

 注目される後継者候補ですが、2017年の習国家主席2期目の時に若手が登用されれば、その人物が後継者だと言われていましたが、50歳以下の若手の登用はありませんでした。今回3期目になって、「後継者の常務委員入りがあるのか」が注目されています。

Q.前回はなぜ後継者がいなかったのでしょうか?
(興梠教授)
「習国家主席は2018年に憲法を改正してそれまで任期が10年だった国家主席を永遠にできるようにしました。この時点で、『一生“主席”をしたい』という事が分かったのです。党の総書記は慣例で10年でしたが、国家主席は憲法で任期が決まっていたのを無くしてしまったんです」

党の規約を改正し毛沢東氏と並ぶ存在に?

 今回、中国共産党の規約を改正して、習国家主席の核心的地位と思想の指導的地位を確立することを盛り込むのではないかといわれています。もし盛り込まれれば、建国の父・毛沢東氏と並ぶ存在になるかもしれません。

Q.この「思想」という言葉が重いと聞きましたが…
(興梠教授)
「『思想』というのは、『決めたことが間違っていようが間違ってなかろうがすべて従わなければいけない』という意味があります。党員に拘束がかかります。鄧小平氏の政策は『理論』なんです。江沢民氏や胡錦涛氏の政策には名前も付いていません。『思想』とついているのは毛沢東氏だけなんです」

幼少期は「北京の高級住宅地の“王子様”」

父親が文化大革命の混乱の中、失脚

 習国家主席は、1953年に共産主義革命の英雄で、元・副首相の習仲勲氏を父に持つ“エリート”として生まれました。習国家主席の幼少期を知る友人は、「北京の高級住宅地で育ち“王子様”のようだった」と語っています。しかし、1960年に父・仲勲が、文化大革命の混乱の中、政争に巻き込まれ失脚してしまいます。そして、1969年、当時15歳だった習国家主席は、中国内陸部の貧しい農村に送られたのです。

父親のような“中途半端”な立場ではなく頂点に登り詰めないと危ない

 その15歳から22歳まで、習国家主席は崖をくりぬいた作った家で、“土のベッド”で寝起きし、ノミに刺されるのに耐えながら暮らしていたそうです。一緒に暮らしていた人によると、「当時はおかゆや山菜くらいしか食べるものがなかった」そうです。興梠教授は、「『父親のような“中途半端”な立場ではなく、誰にも攻撃されないために頂点に登り詰めないと危ないと思い知った』ことが、いまの“習近平政治”を突き動かしているのではないか」といいます。

Q.ほかにエピソードはありますか?
(興梠教授)
「日本と違い中国では副首相というのはそんなに権力はないので、父親は田舎に飛ばされたのです。そして中国では伏せられていますが、習国家主席は、田舎生活に耐えられずに、一度北京に逃げ戻っています。しかし、親類に『逃げ戻ると危ない』と説得されて田舎に戻っています。そこから腹を決めて農作業に励んだということです。

20歳の時 村人の支持を得て共産党に入党

 習国家主席は、20歳の時に、村人の支持を得て共産党に入党し、22歳に清華大学へ入学します。それから20年以上にわたり地方で政治のキャリア積んだのち、2012年11月から党総書記に、2013年3月からは国家主席に就きます。興梠教授は、「以前の習国家主席は影が薄く、“無害”な存在だと思われていた。誰もいまの姿を想像できなかった」といいます。

Q.農村部から大学に入るのも、地方から都市部へ移るのも大変だとききますが…
(興梠教授)
「表には出ていませんが実は、これは父親が復活したからです。そして当時大学の入学試験はないので、農民や労働者の推薦ということで入学しています。地方でキャリアを積んだ時代は、江沢民氏の部下の賈慶林氏が習国家主席を重用したり、習国家主席の母親が、色んな知り合いに手紙を書いて『うちの息子を軍の事務局に入れてくれないか』など就職活動をしていたようです」

Q.父親の運命次第なのですか?
(興梠教授)
「こういうエリート層の場合、本人だけでなく一族郎党が父親の運命に従って上がったり下がったりするんです。こういう人を“紅二代”とか“太子党”とかいって、一般の人からみると、別世界の人なんです」

汚職撲滅とイメージアップの情報操作

「虎もハエも叩く」と国民に宣言

 “習近平政治”の代名詞と呼ばれているのが、汚職撲滅です。習国家主席は、党総書記に就任した際、「一部の党員幹部に発生した汚職・腐敗・形式主義・官僚主義などの問題については必ず力をいれて解決する」と発言。特に、汚職については、大物から末端の人物まで容赦なく汚職を撲滅するという意味で「虎もハエも叩く」と国民に宣言しました。興梠教授によると、「過去の権力者同様 習国家主席も汚職撲滅を政敵排除に使ったが、これまでタブーとされてきた存在にも切り込んだことで『これは本気だ』と党内を震撼させた」そうです。

 習政権になって摘発されたのは、最高指導部のメンバーで江沢民派の周永康氏です。彼は約26億円の賄賂を受け取ったなどとして、収賄・職権乱用・国家機密漏洩の罪に問われ2015年6月、無期懲役を言い渡されました。
また、胡錦涛前・国家主席の側近、令計画元・全国政治協商会議副主席もおよそ12億円の賄賂を受け取ったなどとして、収賄・職権乱用・国家機密違法取得の罪に問われ、2016年7月、周氏同様に、無期懲役が言い渡されました。

周永康氏の関係者には死刑判決

 その後、習国家主席は“周氏一派”を壊滅するために、事務員や料理人、運転手など周永康氏に関係するすべての人物への調査を命じ、周氏と“経済面”で関係があると指摘されていた実業家の劉漢氏に、殺人などの罪で死刑判決が言い渡されました。

信頼を置くのは“地方時代”の友人・同僚・部下のみ

 そして現在、政権中枢にいるのは、習派だらけで、劉鶴副首相は、10代からの友人。陳希中央組織部長は大学時代のルームメイトと、古くからの友人を要職に当てています。興梠教授によると「いまの立場になってからすり寄ってくる人物は一切信用せず、信頼を置くの“地方時代”の友人・同僚・部下のみ」だという事です。

Q.習派は何人くらいいるのですか?
(興梠教授)
「政治局員は25人ですが、その内6人が地方時代の部下です。公安部長も福建省時代に子どもの世話をしていた人だったりします」

「くまのプーさん」も規制対象に

 習近平国家主席になってからの中国は、数々の厳しい規制が有名ですが、習国家主席が「くまのプーさん」に容姿が似ているとSNSで話題になった時、当局は、くまのプーさんの画像投稿や、実写映画の公開を禁止にしました。さらに、中国国内でニュース映像を作成する際は、習国家主席を際立たせ他の人物が目立たずに作成するよう指示が出ているそうです。興梠教授によると「権威ある姿を示して、国民をバックにつけて、共産党内で物事を優位に進めることが可能になった」といいます。

「視察がきっかけで脱貧困した村」を外国メディアに公開

 中国政府が「視察がきっかけで脱貧困した村」を外国メディアに公開した際には、その村で、習国家主席が座った椅子を展示していたり、住民が「生活と体がどんどん良くなる」「習国家主席と共産党に感謝します」と感謝の言葉を口にしていました。興梠教授によると、「習近平思想は、小学校の教科書にも盛り込まれていて中国国民の習国家主席個人への崇拝精神広げようとしている」という事です。

Q.視察した村は本当に豊かになったんですか?
(興梠教授)
「習国家主席が視察に行った後に、政府が村のミネラルウォーターを購入して支えているようです。そういうことは毛沢東時代からしています。モデル村を作って、そこに重点的にお金を流し込むので、自力で村が豊かになっているかは分かりません」

“習一強体制”台湾統一は習国家主席の至上命令だが…

経済に悪影響の「ゼロコロナ」・「共同富裕」

 習国家主席の代表的な政策の一つが「ゼロコロナ」です。都市封鎖などの強力な施策で徹底的に感染を封じ込める方法をとっています。また、「共同富裕」という政策もあって、高所得者や民間企業を規制にかけて貧富の格差を是正しようとしています。興梠教授は「2つの政策はともに経済に悪影響もある。しかし習国家主席が一度掲げたものは引き込められないので、メンツを保ちつつ調整せざるを得なくなるだろう」と言っています。

Q.習国家主席一番の業績といえば何になりますか?
(興梠教授)
「経済は低成長で上がれない状態ですし、汚職の撲滅以外はあまりうまくいっていなんじゃないでしょうか。少子化も構造的に一番大きな問題です」

“台湾統一”は習主席の至上命令だが…

 2021年10月に習国家主席は演説で、「台湾問題は中国の内政であり、外部のいかなる干渉も許さない。祖国の完全な統一という歴史的な任務は必ず実現しなければならないし、実現できる」と述べています。また、中国では憲法レベルに重要視されている共産党の“党規約”の中で、現在「祖国の統一を完遂する」と短く記載されているのを今回の党大会で「台湾問題を解決し祖国の完全統一を実現することは、党のゆるぎない歴史的使命」になるのではとの推測もあります。興梠教授によると、「台湾統一は習国家主席の至上命題、体が元気なうちは何期務めてでも達成に動く」とのことです。

Q.台湾統一はできるのですか?
(興梠教授)
「中国は自国の経済力などがアメリカを圧倒的に上回れば、台湾はなびいてくるので、血を流さずに統一できるという見方をしています」

Q.台湾はどう見ているんでしょうか?
(興梠教授)
「台湾の国家安全局長は、『習国家主席は、台湾統一を掲げないと任期延長の理由がなくなる』と面白いコメントをしています」

Q.中国は少子化が進むので、経済力などがアメリカを抜くのは難しいのではないですか?
(興梠教授)
「今の政策では難しいと思います。以前のような改革開放路線に戻らないとだめでしょう」

(情報ライブミヤネ屋2022年10月14日放送)

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