新潟県の妙高で「空師(そらし)」として奮闘する伊藤雅文さん(38)へ、三重県で暮らす父・一弥さん(66)、母・純子さん(66)の想いを届ける。
新潟を代表する山であり、雄大な裾野を広げる姿から「越後富士」とも称される妙高山。その麓で暮らす雅文さんは、「空師」として活動している。空師とは、体一つで高い木の上に登って枝や幹を切り落としていくという伝統的な職業。特に、根元から木を切り倒すと周りの建造物に被害を与えてしまうような狭い場所で必要とされる。ある時の作業は杉の伐採。隣のケヤキの木と絡まり、このままでは腐って倒れてしまう恐れがある杉を間引きすることに。重なり合った木はどちらに倒れるか予測が難しく、特に危ない作業。さらに自身が落下すれば命を落とす恐れもあり、常に危険とは隣り合わせだ。足に昇柱器という幹に刺さる金具を装着し、腰に胴綱を回した雅文さんは、高さ15メートルほどの杉に登り作業ポイントを確認。そして枝を切り落として幹にロープを巻き付けると、地上にいるスタッフと協力して、切った幹を安全な場所に降ろしていく。こうして雅文さんは2時間近く木の上に登ったまま作業し、ケヤキは傷つけず杉だけを無事伐採した。
三重県で育った雅文さんは、地元の小学校に入学。母の勧めで、5年生から2年間は親元を離れて群馬県に山村留学した。「今でいう発達障害のような子だったのかな」と振り返る雅文さんは、地元では周囲の子ども達とうまく付き合えなかったが、山村留学をきっかけに自然や野生動物に興味を持ち、やがて動物学を学ぶため妙高にある専門学校に入学する。卒業後は自分に合った仕事を求めて全国で様々な職に就くがどれも長くは続かず、再び妙高へ。こうして空師の仕事に出合い丸9年になった。4年前に結婚し、現在は妻と1歳4か月になる娘の3人暮らし。実家を離れてからおよそ20年になるが、実は雅文さんと母の間には大きな溝があった。27歳の頃、生活に行き詰まった雅文さんは、意を決して「実家に戻りたい」と連絡。しかしそれを母に断られたことが今も心に引っかかっていたのだった。
「空師」になったと聞いてはいたものの、働く息子の姿を初めて見た父・一弥さんは「防波堤になるようなものが何もない、危険な仕事だなと…」と改めて驚いた様子。また母の純子さんは、関係がこじれたいきさつについて、当時は雅文さんが職を転々としていたことから「『ここで受け入れてしまっては本人のためにならない』という夫婦の結論を私が伝えた」と明かす。だが、この真意までは伝えていないという。
新潟・妙高でようやく見つけた「空師」という天職ともいえる仕事。この地に根をおろし、家族とともに生きていくことを決めた息子へ、母が届けたのは山村留学時代の記録。当時、雅文さんや先生から生活ぶりを聞いた母がその都度記していたもので、懐かしい思い出に雅文さんから笑顔がこぼれる。そして母が綴った手紙を読み、「そんなに悪い関係ではないと思うけど、一般の家庭よりは距離感が大きいかな…。親が今後どうするのかは気になるし、年を取って足腰や気持ちが萎えたときは子どもが面倒を見なければいけないと思っています」と、これからの想いを口にしたのだった。