今回の配達先は、南太平洋に浮かぶ島国・フィジー共和国。現地の国立高校で理事長を務め、語学学校を運営する谷口浩さん(47)へ、福井で暮らす母・三千代さん(71)、妹・かおりさん(43)の想いを届ける旅を2週に渡っておくる。浩さんは21年前に父親と大ゲンカして実家を飛び出して以来、日本の家族とは絶縁状態で、母から届く手紙もすべてごみ箱に捨てているほど。三千代さんは息子が家を出た当時を思い返し、せめて今は「動いていて、楽しくしている様子が見れたら」と願う。
四国とほぼ同じ面積におよそ89万人が暮らすフィジーは、1970年にイギリスから独立し、現在も英語が公用語。浩さんは、首都に次ぐ第二の都市・ラウトカにあるバ・プロビンシャル・フリーバード高校で理事長を務めている。イギリス統治時代に創立された由緒ある国立高校で、昨年はフィジーの国民的スポーツであるラグビーの全国大会で優勝も果たした強豪校だが、以前は国立高校でありながら教科書もなく、資金不足で施設もろくに整備されていなかった。教師や生徒の士気は下がり生徒数も減少の一途をたどる中、16年前に日本人向けの英語学校を設立し成功を収めた浩さんはその手腕を買われ、政府からこの高校の再建を託される。学校を劇的に変えたアイデアが、「英語を学びたい日本人留学生を受け入れる」というもの。日本人の学生から授業料をもらい、代わりに現地の学生が英語を教え、世話をする。その結果生徒数は増加し、現在では全校生徒が700人、うち日本人留学生は約80人。一躍人気校となったのだった。
父親が建設業を営む裕福な家庭に生まれた浩さん。しかし高校時代のある出来事がきっかけで父親に反発するようになり、親から離れて自立すべく奨学金が受けられる中国の大学に進学する。その後、海外で仕事がしたいとタイに渡るも通貨危機が勃発。日々の食事代にも事欠くほど生活が困窮したため、父の会社に入ることを条件にチケット代をもらい帰国する。しぶしぶ入社した3年後、後継者問題が起こり親子の間には大きな亀裂が。「会社に入ることには同意したが、“継ぐ”ことには同意していない」という浩さんは父と大ゲンカになり、「帰ってこない」と言い残して家を飛び出した。それからは、貯金をはたいて貿易会社を設立。そして仕事で必要な運転免許を再取得することになり、フィジーならば運転免許の取得がスムーズだと知って訪れたのがこの国との出合いだった。滞在するうちに地元の人の優しさに触れ、この地での起業を決意する。
実は5年前、浩さんは血液のがんと言われるリンパ腫を発症。既に末期のステージ4であることを宣告された。英語学校で校長を務めるレヴカさんは、16年前からずっと現地で浩さんを支える人物だが、そんな彼女が心配して「これまでにいろいろと世話をしたお返しに望むことは一つだけ。お母さんに会ってちょうだい」と諭しても、浩さんの決意は固く…。21年前に家を出たきり頑なに日本の家族との再会を拒絶する息子へ、母の想いは届けられるのか。