今回の配達先は、南米・パラグアイ。切り絵作家として奮闘する立川いずみさん(28)へ、新潟県で暮らす父・清弥さん(64)、母・のり子さん(62)の思いを届ける。
パラグアイの首都、アスンシオンは比較的治安も良く日系人も多く暮らす街。日本文化を教える学校もあり、いずみさんが特別講師として切り絵の授業を行うことも。建築士である夫の巧雪さん(28)は小・中学校の同級生。成人式で再会し交際を始めるが、巧雪さんは現地の子どもたちのために学校を作るという夢を追ってパラグアイへの移住を決意。いずみさんは24歳で結婚し、巧雪さんについて行く形でこの地へと渡ったのだった。現在は展示会を控え、パラグアイでは生活の身近にあるという「薬草」をテーマにした作品作りに取り掛かっている。
いずみさんが創作するのは、様々な色を使いながらパーツを何層も重ねた立体的な切り絵。奥行きを持たせることで一番表現したいテーマを浮かび上がらせている。どの部分を立体にするか、仕上がりをイメージしながら下絵を切り、紙で色彩を重ねる。紙を切り抜くのに全神経を集中させるため、気付いたら朝になっていたこともあるとか。ある作品では、15個のパーツを仕上げるのにおよそ1カ月を要したという。
小学校の頃、折り紙をきっかけに紙を使ったものづくりに夢中になったいずみさん。高校生になると美術大学への進学を希望するが、父親に「美大に行かせる価値がない」と却下され、断念。4年制の大学へ入学する。しかし美術の夢は捨て切れず、その後もひたすら制作を続けていた頃に出合った表現方法が切り絵だった。プロの切り絵作家を目指し、作品作りに没頭するも評価は得られず卒業後は就職。社会人になっても切り絵を続けていたある時、大きなコンテストに出展するチャンスが訪れる。仕事に追われながらも、帰宅後に深夜まで作業する毎日。だが、最終的に納得のいく作品を仕上げることができず辛辣な評価を受けたいずみさんは、未完成のまま発表せざるを得なかった自分の不甲斐なさに意欲を失う。そして切り絵から離れたまま、パラグアイに移住したのだった。
母ののり子さんは、父・清弥さんが美大行きに反対した理由を「美術で食べて行くことは難しいという意味だったんだと思う」と代弁する。一方、清弥さんはかつてのいずみさんに、「中途半端な作品を作ったときに“やっつけ仕事”と言った記憶はある」と言い、「本人はこれでもかと一生懸命作るけど、それを超えた時がプロの仕事になるものだと…」と、その真意を明かす。
パラグアイで穏やかな日々を送っていた中で、再び切り絵と向き合う力を与えてくれたのは夫・巧雪さんだった。「自分が何より、切り絵が好き」ということに気付かされたいずみさん。最近では、写真を元に似顔絵を描いて切り絵にするという新しい試みの作品が口コミで広まり、仕事の依頼が増えてきた。また定期的に切り絵教室を開いて、現地の人々に切り絵の楽しさを伝えている。「日本で働きながら切り絵を趣味としてコソコソとやっていた時よりは称賛してくれる人も、買ってくれる人も、好きだと言ってくれる人もいる。切り絵で生きて行く道っていうのは見つけられたかなと思う」。パラグアイで自分の価値を見いだし、ようやくプロとしての第一歩を踏み出したいずみさん。悔しさをバネに自らの道を切り拓いた娘の元へ、父の想いが届く。