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#3019月14日(日)10:25~放送
ケニア/ナイロビ

 今回の配達先はケニア・ナイロビ。医療支援団体「チャイルドドクタージャパン」の現地代表・宮田久也さん(38)と、兵庫県に住む父・武国さん(74)をつなぐ。父は「大変なところへ行ったとは思うが、自分で決めことだから、ぜひやり抜いてほしい」と、見守っている。

 ナイロビ市内にはいまだ200以上のスラムが点在し、人口の半分以上、およそ250万人もの人々がこのスラムに暮らしているといわれる。チャイルドドクタージャパンは2006年に設立されたNPO団体で、日本の支援者から寄付を募り、医療費の払えない子供たちに無料で診察や治療を行っている。

 難病や障害を持つ子も多いが、久也さん自身は医師でないため、直接子供たちを治療することができない。「僕にできることは何なのだろう?と。自分では治療も手術もできず、親としての愛情もかけられない。ならば、自分たちは“キー”を持っている大人なのだから、なんとか彼らを助ける方法を考えたいと…」。そんな思いで久也さんが考えた支援の仕組みが、日本の支援者とケニアの子供がペアを組むことだった。日本の支援者には子供の情報が写真や文章で定期的に送られ、自分がどんな子供を支援しているのかが分かるようになっている。子供の成長を身近に感じてもらうことで、より長く支援を続けてもらえるのだという。

 久也さんがこの仕事を目指すきっかけとなったのは、学生時代に留学先のカナダで巻き込まれたある事件だった。地下鉄で暴漢に襲われてナイフで刺され、瀕死の重傷を負ったのだ。「これで死ぬんだ…と思った時、自分がほかの人に対して何もして来なかったことをとても後悔した。それまでは自分のことしか考えていなかった。もう一度そういう瞬間が必ず訪れる。その時に絶対後悔しない生き方をしようと」。

 大学卒業後はチャイルドドクターの前身となる団体に所属し、2002年から現地代表としてケニアへ。当初は移動診療の形で支援活動をしていたが、うまくいかず、試行錯誤の末、日本の支援者とケニアの子供がペアを組む現在の形にたどり着いたのだ。

 だが、限られた予算ですべての子供を支援することはできない。その優先順位をつけるのも久也さんたちの仕事だ。「誰かを助けることは、誰かが死ぬかもしれないということ。どんな選択をしても、このプロジェクトは後悔する」と久也さんはいう。

 ケニアに来て12年。さまざまな葛藤や困難に直面しながらも、子供たちのために奮闘し続ける久也さんに、父から届けられたのは手作りの「落款」。2年前に脳梗塞で倒れ、書道家を引退した父が、「いつまでも信念をもって突き進んでほしい」との思いを込め、久也さんの名を彫ったものだ。久也さんは「父はもう彫らないと思っていた…うれしいですね」と感激し涙する。そして、さっそく筆を取ると「感謝」の二文字を書いて父の落款を押し、「父と母に感謝です」と両親への思いを語るのだった。