今回の配達先はラオス人民民主共和国。乳児と妊婦の命を守るために奔走する窪田祥吾さん(34)と、大阪狭山市に住む小児外科医の父・昭男さん(62)、母・由紀さん(60)をつなぐ。東京で小児科医をしていた祥吾さんは、途上国の医療に関わりたいと日本赤十字の活動でタンザニアなど世界の難民キャンプを飛び回り、2年前JICAの職員としてラオスに赴任した。母はラオスに行くと聞かされたとき「危険なところに行くなと言っても息子は行って来たし、“また行くのか”と…」と当時の心境を振り返り、父は「ラオスで役に立っているのだろうか」と現地での様子を案じている。
祥吾さんはラオスで小児科医をしているわけではなく、医療が遅れた奥地の村を訪れ、健康教育など母子の医療問題に取り組んでいる。こうした地域では、妊婦が一人で籔の中で出産するなど昔の風習が根強く残っており、感染症などにより乳児死亡率が日本の20倍、妊婦死亡率が200倍以上と東南アジアでは最悪の水準なのだ。妊婦にいかに病院に来てもらうか、祥吾さんはそのために各地でさまざまな活動を行い、地元医療関係者を指導している。
祥吾さんは幼い頃、医師という職業が嫌いだったという。「家族で生駒山のスケート場に遊びに行ったとき、スケート靴を履いて“さぁ滑ろう”と思った矢先、父が病院に呼び戻された。自分はそんな父親を取られるような仕事には就きたくないと思った」と祥吾さんは振り返る。中学時代は父に反発し、両親も手を焼く不良だった。両親はそんな彼をタイへ留学させたが、祥吾さんは親に黙って現地で出家してしまった。「自分の将来を考える機会になると思って出家した。その時“どこの国でも役に立つ仕事は何だろう”と考え、医者になろうと思った。あの1年があったから今の自分がある」と祥吾さんは語る。
平日は3~4日の泊まりがけでいくつもの村を回る祥吾さんは、休日になると地元の病院の小児科でボランティアをしている。日本の医師免許は持っていてもラオスでは法律上医療行為が出来ず、直接手助けは出来ないが、少しでもラオスの医療を学ぼうと検診について回っているのだ。「ずっとデスクワークをしていると、元々目指したゴールを忘れがちになる。患者さんの近くにいることが僕自身のモチベーションになるから」と祥吾さん。帝王切開手術に立ち会うなど、彼がそこにいるだけで現地の医師には心強い支えにもなっているのだ。
父に反発しながらも結局は同じ道を選んだ祥吾さん。「医者になってから“父ならどうしただろう”と思うことが多くなった。知らない間に父の影響を受けていたんだなと感じますね」。そんな言葉に父は「嬉しいですね。息子はよくやっている。いい形で(活動が)根付いていくんじゃないかと思いますね」と安心する。
そんな祥吾さんに両親から届けられたのは、16歳の時、タイで出家した際にまとっていた袈裟。添えられた父の手紙には「あの出家は人生を見つめ直す出家だったように思う。この袈裟はこれからのお前の人生に意味があるものだと思う」と綴られていた。祥吾さんは「初心忘れるべからず…ですね。面と向かって言うのは恥ずかしいけど…あらためてありがとうございます」と、見守ってくれている両親に感謝の言葉を贈るのだった。