網野善彦さんが亡くなって、あと2か月ではや3年。その網野さんと鶴見俊輔さんの対談は(網野さんの)生前に2度、雑誌を舞台に行なわれている。1992年(『朝日ジャーナル』)と1993年(『月刊Asahi』)である。本書はそれを収録し1994年に出版されたものが、網野さん追悼の意味で2004年5月に出たもの。
随所に興味深い発言があるが、一番「ホーッ!」と思ったのは、以下のところ。
「日本の国家と社会の構造は一種の二重構造になっている。村と大名の関係でも、村に対する税金の基礎になる石高(課税の基準高)もそんなに厳密なものじゃなくて、かなり政治的なもの」
「幕府は大名の実態を知っているけれども、やはりなかなかその中まで踏み込めない。キツネとタヌキの化かし合いでやるのがあたりまえになっている。そうした構造でずっときたんです。律令国家が崩れ出して、請負で税金を取るようになり始める平安後期から、この構造ができはじめますね。表と裏の世界がはっきり分かれてきて、どんなところでも裏帳簿は必ず持ってやっている。現代に至るまでそうだと思うんですけれども、これも問題がなかなか鮮明にならない理由の一つだと思います。」
いま、次々と発覚する都道府県の「裏金」の歴史は、昨日今日に始まったことではなく、なんと平安後期からだったとは!「談合」に関しても、恐らく同じような歴史を持つのだろう。そうすると、ここ最近の出来事のみを糾弾しても、始まらないのではないか?発覚した自治体だけでなく、きっと全ての都道府県で、そして全ての自治体で、こういった裏金作りは行なわれているであろう事は、想像に難くない。発覚した自治体を非難するだけではなく、もっと根本的な解決策の提示を考えなくてはならない、そういったことを、この本を読んで感じた。 |
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