この本を見たときに、短気な私は「これは買いだ!」と購入。さっそく「怒りを抑える方法」を見つけるべく読み出したが・・・・ダメだ、これは。
途中までは納得して読むのだ。具体的な事例は「ふんふん、そうだよな」と納得できるのだが、そこから引き出される結論は、いつも私が思っていること180度反対、今風に言うと「真逆」なのである。
だから目次だけを見ると、「そうそう」と納得できる。
「『怒り』についてだれも知らない」「誰も彼も『怒りたい』」「世の中の破壊の原因は『怒り』」「『私は正しい』と思うから怒る」などなど。そのとおりでしょ?
でも、ダメ。私はここに記されたぐらいの考え方では納得できない。もっと深いところを、やさしく納得できるように書いた物はないのかなあ?
大体この著者のスリランカ初期仏教長老・アルボムッレ・スマナサーラという人は、だれ?それは置いといても、訳者の名前が書かれていない。このアルボムッレ・スマナサーラさんは日本語で書いたのか?この本を?略歴を見ると1980年に来日と書いてあるから、もしかしたら日本語で書かれたのかもしれないが。「私の日本語がつたないから、分らないと怒る人がいる」とか書いてあるけど、ダメだろそれでは。単なるエクスキューズ=言い訳ではないか?ただまあ、我を張ることはよくないなあとは思いますね。
この本を読んだ翌日のこと。
梅田からH電車に乗って長椅子の端に座って本(漫画)を読んでいたところ、なにやら話し声が聞こえる。中年の女の人の声だ。どうやら子どもと携帯電話で話しているらしい・・・結構、長い間、話している。切るに切れなかったのか。静かな車内にその女の人の声だけが響いている。うるさいな・・・と思っているうちに電話が終わったようだ。よかった。と思ったのも束の間、またおばはんがしゃべり始めた。今度はご主人とか?そのうち、なにやら電話で夫婦喧嘩を始めたようだ。声が段々と大きくなる。これは何とかせねば!緊急事態発生!・・・と思っていたら、そのおばはんの向こうの長椅子あたりから、男の人の大きな声が!!
「おばはん、電車の中で電話すんなや!うるさいんじゃ!」
おばはん以外でその車両に乗っていた人全員が感じていたことを、ズバリと言ってくれたこのひとことで、流石のおばはんも黙りました。よかった!!
再び本に目を落として数分後、なにやらまたヒソヒソと話す声が聞こえてくるではありませんか!あろうことか、おばはんは、携帯電話を切っていなかったのです、そしてまた話し始めたのです。しかもその声はP(ピアノ)からポコ・ア・ポコ・クレッシェンドしてくるではありませんか!それを感じた瞬間、私は席を立ってそのオバハンの前に立っていました。怒りに静かに燃えた私の顔を見て、おばはんは慌てて、
「切ります、切ります」
と、受話器を耳に当てたまま早口で言いました。その様子を見た私は瞬時に、
「こいつは電話を切るつもりなどサラサラない。私が席に戻ったら、また会話を続けるに違いない」
と判断し、その瞬間、手が動いて、おばはんの手から携帯電話を奪い取り、電源をOFFにして、オバハンに返しました。そして何も言わずに自分の席に戻り、また漫画を読み始めたのです。
車両には、その日初めて、静寂が訪れました。
この本、『怒らないこと』を読んだ効果はどこに出たか?
最初に怒りの声を上げなかったことと、無言で行為に及んだことでしょうか。
これでいいのか?
これでいいのだ!!!!
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