梅花女子大学教授で若者語や集団語、手話の第一人者、米川明彦先生の最新刊。
言葉は常に変化するものなので、研究者の立場から言うと、「正しい日本語」とか「言葉の乱れ」という主張はおかしいと米川先生はおっしゃる。私は、ただ最近はその変化のスピードがこれまでと比べて早すぎることから混乱が起きているのだと思う。
読んでいて、なるほどそうだったのか、と思ったのは、192ページ。「洗礼」が「厳しい経験をする」意味に転じたのは『新約聖書』の福音書からで、1893年、北村透谷の『情熱』では、
「情熱はすべてこのものに奇異なる洗礼を施すものなり」
というふうに使われているとのこと。つい先日、用語懇談会で共同通信の委員から、
「『洗礼』を宗教以外に比喩的に用いるのはいかがなものか?」
という話が出たばかりだったので、目が留まった。もう比喩的な「洗礼」は、100年以上前に「先例」があったということですね!
また、193ページに「ゴスペル」というのは「良い知らせ」のことで、「グッドニュース(吉報)」が語源だと出ていた。遡れば『新約聖書』の言語・ギリシャ語の「エウアンゲリオン(良い知らせ、吉報の意)」に基づくんだそうです。おお!「エウアンゲリオン」ってあのアニメの「エヴァンゲリオン」のこと?そういう意味だったのか!そう言えば「グッバイ」は「神がおそばにいますように」という意味の祈りの言葉からなんですよね。「復活」「狭き門」もキリスト教用語から出たもの。宗教は奥が深いなあ。
関係ないけど、134ページには、「ベンリフル」という言葉も出てくる。とっても便利の意。「シューチレス」=羞恥心がない、は大滝詠一の曲にも出てきたな。
とってもためになる本だが、残念だったのは98ページの「ゼネコンは何の略?」というところで「ゼネラル・コンストラクター」とあるが、正しくは「ゼネラル・コントラクター」の略。「ス」はいりません。また、28ページで「が」が、一つ多くて「がが」になっていた。
最近、誤植などについ気づいてしまう自分がコワイ。(他人の本の場合。なぜ自分が書いた物はチェックできないのだろうか?) |
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