ヘッダー Space『サド侯爵夫人・わが友ヒットラー』
(三島由紀夫、新潮文庫:1979、4、25)
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これを購入したのは高校3年の時か、あるいは大学1年の時か。三島由紀夫は、中学の時に、友人のお姉さんが高校の文化祭で演じた「班女」を見て感動し、『近代能楽集』を買ってきて読んだのが最初。その後に、おそらく「ヒットラー」というタイトルに釣られて購入したのだろう。でも四半世紀の間、読まれずに、でも捨てられもせず、うちの書棚に眠っていた。先日『三島由紀夫のレター教室』を読んだおかげで、久々に三島を読もうと思い立ったのだ。
まず「わが友ヒットラー」を読んだ。独裁者は最初から独裁者ではなく、民衆がそして側近が独裁者を作り上げていくのだということがよくわかる劇。
そして「サド侯爵夫人」。なんだか「サド・マゾ」と聞くと、電車の中でカバーもつけずに読むのは勇気がいるような感じだが・・・。なかなか真理描写でドキドキさせる。サド侯爵は最後まで姿を見せない。ようやく最後に、召使のシャルロットの口を通して登場したサド侯爵の風貌は、とても「あんなことやそんなこと」をやるような人とは思えないような・・・。
実はこの2つの作品が、なぜカップリングされているかというと、『サド侯爵夫人』は女の、そして『わが友ヒットラー』は男の心理を描写したという意味で、陰陽、男女両性の原理を記した「一対の作品」だからと言う。
どちらも戯曲なので、本を読むのもいいが、実際に劇を見てみたい。映画にするのならば、サド侯爵は登場せざるを得ないな。回想シーンなどで。その辺が本と映像の違いです。

★★★
(2006、5、21読了)
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