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『ナポリのマラドーナ〜
イタリアにおける「南」とは何か』
(北村暁夫、山川出版社:2005、11、5)
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『1990年7月3日、ナポリ。地元イタリアとマラドーナ率いるアルゼンチンとのサッカーW杯準決勝。なぜ、この対戦がサッカーの試合を超えて国家分裂の危機として人々の関心を集めたのか。「南部問題」や移民の歴史から、その理由を探る。』
この本の表紙にそういった文章が刻まれている。それを見て購入を決めた。
と言うのも、この試合の直前の1990年6月、私はナポリで、ワールドカップの1次リーグ「アルゼンチン対ソ連」のマラドーナを、そしてローマでは同じく「イタリア対オーストリア」で決勝点を決めたスキラッチを見ていたからだ。初めて現地で見たワールドカップだったから、印象深かった。そのナポリ、(ローマからの日帰りだったのだが)地元のセリエA「ナポリ」に所属していたマラドーナが「アルゼンチン代表」として試合に出ることに対して、イタリア代表のサポーター、ナポリのサポーターは、どういう感情を持つのかについては、当時も私の興味の対象だった。
そしてそのスタジアムで私は、今では日本人の誰もが耳にしたことがあるであろう、あのメロディを、初めて聞いた。
「♪オーレー、オレオレオレー♪」
というアレである。このあとにナポリの人たちは、
「♪ディエゴー、ディエゴー♪」
と、マラドーナのファーストネームを歌っていた。(私はそのメロディを、五線譜に書き取って帰ってきた。しばらくするとこのメロディは、日本人にも広く知れ渡った。)そう、ナポリの人たちはマラドーナを、アルゼンチン代表を応援していたのだ。まあ相手がソ連だったから当然と言えば当然だが。
そしてこの本に記された準決勝の「イタリア対アルゼンチン」では、ナポリの人たちは、どちらを応援したのか?それは本書を読んでいただきたいが、イタリアにおいては当時、北部と南部の対立という「南北問題」があり、アルゼンチンは「出稼ぎの国」として、南部の「さらに下」に位置づけられていたということだ。また、「北部」の選手で固められていたイタリア代表チームの中で、このワールドカップの得点王になったサルバトーレ"トト"スキラッチは、唯一南部のチーム出身だったそうだ。(その後スキラッチは、Jリーグのジュビロ磐田にもやってきたが。)
さまざまな社会的な条件を、否応なしに背負ってグラウンドで戦うサッカーの選手たち。国際的なスポーツになると、サッカー以外の競技でもこういった問題は出てくる。というか、既に出てきているのではないか。サッカーから見る「国際政治学」「国際経済学」ですね。
おお、よく見たら、この本の出版社はあの「歴史の山川」ではないか!大人向けにこんな歴史書を出しておったのか。知らなかった。

★★★
(2006、3、29読了)
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