ヘッダー Space
『三島由紀夫レター教室』
(三島由紀夫、ちくま文庫:1991、12、4第1刷、2000、11、25第21刷)
トップページ
過去掲載分
ヘッダー

Space
テクストは、1974年8月25日新潮社刊の三島由紀夫全集十六巻を使用、とのこと。おそらく書かれたのは1960年代後半か。三島由紀夫の自決が1970年だから、1960年代より前なのは確か。三島由紀夫もこんなの書いてたんだなあ、という驚きがあった。正直に言うと、『文章読本』のようなものかと思って購読したのだが、読んでビックリ、菊池 寛の『真珠夫人』みたいなものか?(これも、実は読んでないんだけど)
全編「手紙のやり取り」を掲載した形式の読み物。当時でさえ「万事電話の世の中」と三島は書いているので、こういった手紙のやり取りを、若者もするということについて「登場人物は全員『筆まめ』である』と、わざわざ断ってある。これを今やるなら、全編「メールのやり取り」になるのだろう。あれ?それって、もう既にあるよね?
この「レター教室」は当時、女性週刊誌に連載されていたものらしいのだが、そのせい(週刊誌のせい)か、三島本人の「現代批判」のようなものが、登場人物の設定や発言の随所に見られる。たとえば、ヒロインのいとこで、テレビ大好きのぐうたらな若者・丸トラ一(25歳)の手紙では、
「それはそうと、紅衛兵さわぎも一段落したようですね。でもカラー・テレビもなくて壁新聞だけなんて、ずいぶん野蛮な国ですね。」
とあるが、唐突な中国批判は三島本人の見方だろうし、実は、「裏返しの日本の文明批判」なのかもしれない?丸トラ一の人物設定なんか、その頃の「最近の若者批判」だろうし(今もしその人物が生きているとしたら、50代後半かな)、主人公の一人、炎タケル(23歳)の、熱いが向こう見ずの生き方の表現だって、一般的な「若者」を冷ややかに見ている表れのような気がする。
三島はこれを書いた頃は40歳前後だったろうから、主人公の氷ママ子(45歳)と山トビ夫(45歳)に年齢は近いが、自分よりは少し上に設定しているみたい。ということは、この主人公2人も批判の対象か。まあ、批判というよりは軽いタッチで、未来永劫変わらない「人間喜劇」を皮肉っているような感じなのだが。そして、
「このごろ流行している温蔵庫というのがあったら大変便利だと思いますが」
「温蔵庫」生るものが当時、流行ったのかな?とか、
「ファシスト(たとえば三島由紀夫のような男)」
と言うような「おちゃらけ」や、主人公の若いふたりは、今で言う「できちゃった婚」「おめでた婚」で披露宴を開くのですが、その様子を見た、丸トラ一君が、
「この御新婦さんが御産婦さんだと思うと、僕はおかしくてたまりませんでした」
と言っている場面などは、当時の「できちゃった婚」に対する若者の見方のようなものが垣間見えます。
そして、カラーテレビ好きの若者・丸トラ一君に対して、投じの大人・氷ママ子(45歳)が、
「この世のことは、みんなブラウン管の中の幻想と思い込めれば、そしてベトナム戦争でござれ、人殺しでござれ、あのちょっと手を触れると懐炉ほどに熱い凸面ガラスよりもこちらへは、絶対に飛び出してくることはないと知ってしまえば、人生を楽に生きられ、人生すべてがたのしみになってしまうかもしれません。でも、同じテレビ番組でも、視聴率の低い小むつかしい番組よりも、視聴率の高い人気のある番組ばかり見るという心がけが肝腎なのね。」
と発言している場面。当時から「視聴率」なんて言葉が取りざたされて、それを一般の人も知っていた、というのがちょっと驚きでした。しかも「視聴率の高い番組」ばかり見ると楽に過ごせる、つまり大衆の意識の中に溶け込んでしまった方が気楽であるということに対する有閑マダムの意識を表していて、大変興味深いですね。テレビというものの本質を、既に三島由紀夫は知っていたということなのでしょうか。

★★★★
(2006、3、25読了)
Space

Copyright (C) YOMIURI TELECASTING CORPORATION. All rights reserved