• 『アニメ村のステキな住民たち』アニ民80人目
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  • 2011.02.24

 今週は株式会社ガイナックス代表取締役社長・山賀博之さんです。

 80年代の名作といわれる「王立宇宙軍〜オネアミスの翼」(1987年作品)を観たのは、僕がアニメーションに携わってまだ間がない頃でした。今現在調べればそのストーリーを反復するのは簡単ですが、その当時受けた印象はけっこうショッキングなもの。言葉にすれば“青春の若き血がたぎる、でも静かに”なんだけど、アニメーションのひとつの黎明期モノだ!、として僕には深く刻まれている作品でした。手探りでTVアニメの仕事を始めていた僕は、YTVローカル放送「アニメだいすき!」でとにかく何とかこの作品を放送したいと思い、たしか91年ごろ実行できたと覚えています。

 この作品をきっかけにこの業界の中心に位置することになった山賀さんですが、メジャー系TVアニメ中心に動いている僕との接点はもうひとつありませんでした。言ってみればお互い別の島で働いているようなもので、お名前は強く意識しても出会うチャンスはなかなか、でしたね。

 ところがあれは2007年秋、当時の在デンマーク日本国大使・岡田さんの招聘で、僕はデンマークで行われたアニメイベント「J-POPCON」に参加いたしました。この日記(2007年11月7日付)にも詳しく書きましたが、その時のメンバーの一人が山賀さんでした。なにせ初めての出会いにして会話です。でも食事などでその後かなり一緒の時間をすごすことができて、それまでの知識でどんな人かなと思っていたナゾな要素は次々に氷解。一緒に参加していた貞本さんも含めて、アニメ制作の旗手としての顔から、実に楽しい趣味人な素顔までいろんな面を感じられました。

 宿泊してたホテルの庭で早朝の散歩で偶然に一緒になった数十分、それまでまったく別のレールを走っていた山賀さんと人生が少し擦り寄ったかな、なんて思ったのは事実です。デンマークの人たちの前でそれぞれの立場から、互い違いにでもお互いを認識しながらお話できたのはとっても楽しい時間でした。

 最近は島本和彦さんのマンガ「アオイホノオ」(小学館・ゲッサン連載中)にも山賀さんはすごく登場してますね。ここには作者を中心に?のちに「エヴァンゲリオン」にいたる当時の学生仲間たちが、どのようにしてアニメーションの世界に進出していったかが面白く描かれています。冒頭に記した作品「王立宇宙軍〜オネアミスの翼」はスタッフの平均年齢が24歳だったそうで、脚本・監督をされた山賀さんも当時24歳。うーん、ちょっとそこいらへんがもう今の僕には想像しにくい快挙ですよね。

 このタイミングで映画「ソーシャルネットワーク」を観ると、山賀さんたちのアニメ黎明期の汗と共鳴している気がしてしまいます。もう僕たち世代は黎明期なんていえませんが、こらからもずっと先に、これが始まりだったんだね、なんて言われる企画をまた精力的に造っていきたいですね。