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『アニメ村のステキな住民たち』アニ民94人目
- 2011.06.09
今週は元エイケン プロデューサー 小野辰雄さんです。
エイケンと言えばアニ民 6人目に書いた村田英憲さんでありますが、僕が直接長いこと仕事をさせていただいたのは小野さんです。あれは1988年秋のことでしたか、村田さんがYTV東京支社へ連れて来られたのが小野さんで、そこが初対面でした。
小野さんにはハッキリしたミッションがありました。エイケンは「サザエさん」を制作している会社です。なので?読売新聞連載の「コボちゃん」を読売テレビでアニメ化させることだったです。これはあとでわかったのですが、YTVにいらっしゃる数年前から企画成立のために、小野さんは「コボちゃん」の原作者・植田まさし先生の元に通ってたそうです。そんな小野さんの努力とプロデューサーとしての能力がアニメコボちゃんの原動力になったのは間違いありません。
もう20年以上前になる制作となります。当時は当然いろいろ大変だったと思うのですが、つらかったという記憶はほとんど無く、エイケンがあった三ノ輪という土地を舞台にさまざまな思い出シーンが頭の中に連なってくれます。
思い起こせばとにかく小さい5歳児コボちゃんが主人公のアニメなのに、なぜかスタッフには身体の大きな人が集まっていました。文字通り“大の大人”って感じ。宣弘社の伊藤プロデューサー、脚本家の城山さん、監督の森田さん、そして小野さん。僕も一緒にタクシーにその中の4人で乗るともう車に申し訳ない感じ。あ、その中では僕はそんなに大きくないんですよ。
だから、打ち合わせ後の食事などはみんな豪快でしたね。僕もひたすらビールを飲んでいた時期でお店のものを全部飲み干すかの勢い、プロデューサー3人は誰もヒケをとらなかったように記憶してます。そんな中、小野さんは途中から日本酒に行ってそれからもすごい。アフレコスタジオは信濃町で、アフレコ時間は午前中から午後にかけてでした。そのあとダビング作業が終了してから役者さんも呼び出して再集合なんてことも何度もありましたね。そう言えば主役のコボちゃんを演じたのは大谷育江さん。当時は新人だった彼女を大抜擢したのもこのチームならではな気がします。
小野さんは定年退職されてかなりになります。山梨県の方に家を建てられ、その悠々自適なステキスゴイ生活は僕もたまにのぞかせてもらってます。なにがスゴイかって自分の窯を持たれたことです。実はコボちゃん制作時代に植田先生との打ち合わせを重ねてた折、そこの近所の陶芸教室に通っていたそうで、それが今の生活につながっているなんて、その長い視点の持ち方には敬服するしかありません。
実はコボちゃんというアニメ作品は足掛け7年間も続きました。新聞連載は10000回をとっくに越えコボちゃんには妹までできてしまいました。これはひとえに植田先生の成せる驚異な技ですが、少なからず小野さんの仕事の良い影響もあると思います。
もうみんなイイ年をしたアニメコボちゃんスタッフが小野さんの家に集まった事がありましたね。楽しかったなあ、垣根の無い気心が知れた仲間と言うのはこーゆーみんなを言うのでしょう。とにかく6月7日現在10350回!読売新聞「コボちゃん」の連載は快調に続いています。小野さんの陶芸人生もまだまだどんどん続いて行くことでしょう。あ、今度は僕も華麗な陶芸にチャレンジさせてくださいね。