• 【追悼:再掲版】 『アニ民28人目』トムスエンタテインメント(TMS)・吉岡昌仁さん
  • 【追悼:再掲版】 『アニ民28人目』トムスエンタテインメント(TMS)・吉岡昌仁さん

  • 2016.02.18

※今回は、先日1月14日にご逝去されました、トムスエンタテインメント吉岡昌仁さんのアニ民ご登場の回を再掲載させていただきます。
偶然にもその掲載日は、6年前の今日でした。
心よりご冥福をお祈りいたします。

2010年02月18日掲載
『アニメ村のステキな住民』略してアニ民28人目。

 今週はトムスエンタテインメント(TMS)・吉岡昌仁さんです。

 「名探偵コナン」では僕と並んでチーフプロデューサーでクレジットされてる吉岡さんも僕と同学年。サンライズ富岡P同様アニメ業界に3人いる同学年友人の一人です。先述の飛行船にも同船した吉岡さんを今回はよっしーと呼ばせてもらいます。実は僕は「ロボタン」というTVアニメで1985年から当時のTMS・東京ムービー新社に出入りしているんですが、なぜかお互いを知ることもなく、それから10年後の1995年3月「魔法騎士レイアース」2人目のプロデューサーとして突然出会うことになります。

 僕にとってよっしーは古い言い方ではありますが“戦友”みたいなものです。その年齢で出会ってそんな戦友感覚になれるのは、やはりそれからの短期間にいくつもの戦いをくぐってきたからでしょうか。仕事には違いないそれを戦いと言ってよいものかどうか、いずれにしろどんなときにもよっしーは真正面からぶつかっていく、そんなイメージがあります。

 伝説の作品「魔法騎士レイアース」はその作品が求めるものの高さゆえ、現場は強烈な戦場状態でした。この業界では良くあること、なんですがこの作品ではいろんなことが特別でした。特にすべての点において優秀合格な成績だったこの作品、ただひとつTVでの視聴率が苦戦していたのです。その責任はもちろんこの僕、いろいろ悔しい思いもしました。でもとにかく作品の面白さやクオリティアップのために奮闘していたよっしーの姿は、そのデスク周りの雰囲気とともによく覚えています。作品のためにもそしてわれわれスタッフのためにも、いったい何度朝まで語り合ったでしょうか。
 
 そのころお世話になっていたのが小学館の奥山さん。当時の少年サンデー編集長代理という立場だった奥山さんは、2人にとっての師匠であり良き相談相手でした。何度も3人の舞台になった歌舞伎町という街は、僕にとってはそのころの色彩のままです。その奥山さんの指導の下、レイアースに続いて1996年1月8日スタートしたのが月曜夜7時30分「名探偵コナン」。

 実はコナンはよっしー率いるレイアースチームが、大きく柱となったスタッフの作品となりました。お互い気心の知れているTMS柳内Pのフォローも受けて、よっしーの踏ん張りもあって普通ではあまりないパターン、同じ枠で同じ制作会社の続投となったのです。こだま監督の参加オファーもして準備期間をしっかりとって、ほぼ万全のカタチで放送開始した「名探偵コナン」の視聴率は関東地区8.5%(ビデオリサーチ調べ、以下同)でした。
 
 へこみそうになる気持ちと自信を持とうよという気持ちを抱えながら、よっしーと新井薬師Tでどろどろ飲んだ記憶が鮮明です。ちなみに2週目には11.9%となり以降10年近く一桁視聴率には無縁な躍進が続くことになります。
 
 ちなみに今の土曜18時の視聴率は関東関西ともに10%前後。できれば常時2桁でありたいですね。それを支えるのはまず今のプロデューサーTMS山川君とYTV北田君ですが、もうひとつ大事なのがそれを後ろで支える、よっしーと僕の体力かもしれません。お互い50歳を超えてそうムチャをしていてはいけないんですよ。あ、ムチャをしていっちゃうのが僕ら猪年生まれの宿命なのかな。とにかくご自愛しましょーね。