【未解決】吉川友梨さん行方不明事件 「命か、捜査か…」元捜査員15人の証言から見えた裏側と帰りを待つ人たちの記憶

2003年5月20日、大阪・熊取町で当時9歳、小学4年生だった吉川友梨さんが下校途中に行方不明になった。事件から20年、いまだ解決に至らないのはなぜなのか。かつての捜査員15人から証言を集めて見えたのは、被害者の命を守りながら捜査を進めようと慎重な判断を重ねてきた刑事たちの苦悩、事件の“ウラ側”だった。
そしてあの日、一緒に下校していた同級生3人は通学路を歩いて記憶をたどり、初めてテレビカメラの前で胸の内を明かした。「忘れられないようにしないといけないと思った」。紆余曲折しながら続く捜査と、帰りを待つ人たちの“今”を取材した。

【未解決】吉川友梨さん行方不明事件「命か、捜査か…」元捜査員15人の証言から見えた事件の裏側と帰りを待つ人たちの記憶

20年前行方不明になった吉川友梨さん

 小学校からの下校途中、当時9歳、小学4年生だった吉川友梨さんが行方不明になった略取誘拐事件から20年が経ちました。 事件をめぐっては、有力な情報を提供した人に報奨金(最大300万円)を支払う制度の対象に指定されていて、適用の期間は7月2日に1年間、延長されています。大阪府警が「最大の懸案」と位置付けているこの事件、かつて捜査に携わった15人の関係者への取材から見えてきたものとはー。

残された同級生の記憶

友梨さんの同級生みさとさん

 大阪府の南部に位置し、豊かな自然環境にも恵まれた熊取町で、2003年5月20日、いつもの通学路を歩いていた女の子の行方が分からなくなりました。当時9歳、小学4年生だった吉川友梨さんです。一人の同級生が初めてテレビカメラの前で胸の内を明かしました。

(友梨さんの同級生みさとさん)
「最後になるなんて思わないですよね。全く想像していなかったので・・・。私達ですら思い出せることがだいぶなくなってきているので、なんとかして今の心境を話すとかで忘れられないようにしなきゃなと・・・」

帰り道が一緒だった4人(右から2番目が友梨さん)

みさとさんは当時の写真を見せてくれました。

(みさとさん)
「これ地元のだんじり祭りの写真だと思います。この4人が帰り道が一緒だった4人です。」

小学3年生の時に友梨さんと同じクラスになったみさとさんは、あの日、最後まで一緒に下校していた同級生です。

(みさとさん)
「小3の時に、私が引っ越してきて、友梨と同じクラスになって、席が近くて帰り道も途中まで一緒だったので仲良くなって…」

記憶にあるのは、朗らかでしっかり者だった友梨さんです。事件当日、友梨さんたちは社会見学を終えて普段より30分ほど早く学校を出ました。一緒に下校していた同級生3人と別れ、友梨さんが1人になったのは午後3時ごろでした。

(みさとさん)
「たぶん…坂に向かって手を振ったのは覚えています。1人で上に歩いて行って、坂だから友梨の姿が見えるので、『バイバイ』って。私たちがそのまま行って、という感じだったかもしれない」

友梨さんが最後に目撃された場所

 友梨さんは交差点で3人とわかれた後、およそ140メートル離れたところで別の同級生の男の子とすれ違いました。男の子は『遅いな、バイバイ』と声をかけたということです。ここが友梨さんが目撃されたのが最後の場所です。最後に目撃された場所から友梨さんの自宅まではおよそ400m、子どもが歩いても6分ほどです。犯行があったのは、このほんのわずかな隙間だと推定されています。

みさとさんが異変に気付いたのは、事件当日の夜でした。

(みさとさん)
「大人がすごい慌てて探している様子を見て、大変なことになってると気付きました。急に友達がいなくなるというのが、どういうことか分からなさ過ぎて…そんなに長くいなくなるなんてことは一切想像できなかったし、したくもなかった。時間がたてばたつほど、すごい無力感みたいなのがあります」

 友梨さんがいないまま同級生たちに20年という時が流れました。友梨さんと小学3年生から2年間同じクラスだった中川さんは、2021年に母親になりました。

友梨さんの同級生中川さん

(友梨さんの同級生中川さん)
「もちろんずっと帰ってきてほしいという思いは変わらないですし、時間を重ねるごとに、どんどん会いたいという気持ちは強くなってると思います。最近の夢は、帰ってくる夢だったんです。友梨が帰って来て『おかえり』と言っている夢でした。なんで急にそんな夢を見たかは分からないですけど、急に…」

 涙ぐみながら語る中川さん。夢に浮かんだ友梨さんは、あの頃のままの姿でした。

(中川さん)
「私もアルバムと比べて結構顔が変わっているので、どんな姿になってるのかなと思うのですが、旅行に行ったときとか、もしかしたらすれ違ってるかもしれないと思うことはあります。もしかしたら気付けるんじゃないかと…」

家族で過ごす幸せな時間の中でも、友梨さんへの思いは変わりません。

捜査に関わった関係者15人の証言

第一線で捜査にあたった加津一真さん(2013年)

 事件に動員された捜査員は、これまでに延べ約10万7000人、寄せられた情報は5500件あまり(2023年5月末時点)にのぼりますが、いまだ捜査は難航しています。第一線で捜査にあたった加津一真さんは、2010年に定年退職するまでの7年間、捜査の指揮を執った人物です。退職した後の加津さんを我々が2013年に取材した際も、事件現場へ足を運んでいました。そのときも、「一時も早く解決したい。あの子自身のために。1日でも早く真実を明らかにしたいという気持ちは、いまでも変わっていない」と語っていました。加津さんは2019年、がんのため、69歳でこの世を去っています。奇しくも亡くなったのは、事件が起きた日と同じ5月20日でした。加津さんの自宅を訪れると、妻の恵子さんが残された手帳などを見せてくれながら当時の様子などを語ってくれました。

加津一真さんの妻・恵子さん

(加津一真さんの妻・恵子さん)
「友梨ちゃんの事件をやってるときは、大変そうなのがすごく伝わって来ました。タバコの量が増えたり、本当に考え込んでいることが多かったです。退職するにあたっては、友梨ちゃんの事件が解決できなかったのが自分の警察人生の中で一番心残りと言っていました。」

取材班が集めた関係者の証言

 捜査員らが心血を注いだ日々が、いまだ実を結んでいないのはなぜなのでしょうか。取材班は、加津さん以外にも、かつて捜査に携わった15人の関係者から証言を集めました。元捜査員の1人は、誘拐事件捜査の特性として「初動が難しかったと思う。当時は防犯カメラもドライブレコーダーもほとんどない。目撃情報がカギとなるが、誘拐事件という性質上、直後の聞き込みは慎重にならざるを得ない。被害者の命が優先となる」と語りました。
 また、犯行の動機が特定されていないのも、捜査が難航する要因の1つです。第一に考えられたのは身代金を目的とした誘拐でしたが、金品の要求はありませんでした。ほかにも、わいせつ目的、怨恨、交通事故の隠蔽など様々な可能性を検討し、南大阪地域に土地勘がある前歴者数百人に対しアリバイ捜査なども行われましたが、解決には結びついていません。

目撃情報のあった“白色のクラウン”と同型の車

 苦しい捜査が続く中、事件から10年が経ったとき、新たな情報が寄せられました。事件当日、車を運転していた人の「対向車とすれ違う際、石垣沿いに停まっていた白い車の方を見ると、運転席に男、助手席に女の子が座っているのを目撃した」という証言です。車は白色のトヨタ・クラウンで、1987年から3年間製造されていた「130系」の可能性が高いとみられています。実は、早くから白色のクラウンが不審な車の1台として秘密裏に捜査されていた中で寄せられた情報でした。

目撃者「車内に男と白い服を着た女の子が座っていた」

 車が停まっていたのは、友梨さんが最後に目撃された場所から自宅方向に100メートルほど進んだ場所です。車を運転していた目撃者によると、対向車とすれ違うため、石垣沿いに停まっていたクラウンに接近した際、車内に視線を向けると男と白い服を着た女の子が座っていて、この男と目が合ったといいます。警察は、大阪府南部の同じ型の車約900台のうち、800台ほどの所有者に接触しましたが、有力な手がかりは得られていません。そして、この情報が一般に公開されたのは、情報が寄せられてから5年後、事件からは15年が過ぎていたときです。情報が寄せられた当時の捜査員の1人は、公開しなかった理由の1つを「公開することで新たな情報が集まる可能性がある一方、容疑者に車を処分されるなど事件がつぶれる懸念がある。天秤にかけた時、懸念の方が大きいと判断した」と語りました。

男の似顔絵は現在も非公開

 また、警察は目撃情報をもとに男の似顔絵を複数枚作成して捜査していますが、現在も公開していません。その理由について、ある捜査幹部は、「もし似顔絵が誤っていた場合、幅広く情報を集めることができなくなり、ほかの有力な証言をつぶしてしまいかねない」と話します。

捜査員だった夫の墓参りに訪れた恵子さん

 捜査は紆余曲折しながら20年という月日が流れてしまいました。友梨さんが29歳になる誕生日の前日、捜査員だった加津さんの妻・恵子さんは夫の墓参りに訪れました。

(恵子さん)
「明日が友梨ちゃんの誕生日ということなので、友梨ちゃんのこともどうか力貸してくださいと、手を合わせます。29歳と言ったら、いい時期ですもんね…。本当に解決してほしいです」

現場を訪れた友梨さんの同級生たち

 5月5日、友梨さんと一緒に下校していたみさとさんたち3人は、通学路を歩き当時の記憶をたどりました。小学校の頃の遊びを思い出しながら現場に向かうと、子どものときには急な坂に見えた場所は、大人の目には普通の坂になっていました。視線の違いに成長した自分たちを感じ、大人になった友梨さんに思いを馳せます。あの日、止まってしまった4人の時間。再び会える日が来るのを信じ、今はただ、祈る日々が続きます。

(みさとさん)
「自分が忘れるのと闘っているのも、時間が経ってきてどんどん忘れると思うとすごく悲しいので、忘れないためにも早く今の姿を見せてほしい」

事件発生から、20年が過ぎました。家族だけではなく友人、捜査員、関わったすべての人たちが友梨さんの帰りを待っています。

■現在も吉川友梨さんを捜しています。
些細なことでも構いません。あなたの情報をお待ちしています。
<情報提供先>大阪府警泉佐野署捜査本部
電話:072-464-1234
FAX:072-462-0854
メール:yuri@police.pref.osaka.jp

(2023年5月16日に放送された「かんさい情報ネットten.」をもとに、一部加筆しました)

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