5月10日(金)
葛藤や悩みを抱えながら…誰も歩いたことのない道を ママとして子育てに励むトランスジェンダー女性【かんさい情報ネット ten./カラフル】
ここに少し珍しい家族がいます。4歳の女の子「ももちゃん」と「ママ」、そして「かーちゃん」の3人家族。ママは元男性で今は女性として生きる谷生俊美さん(50)。日本テレビの社員で現在は映画のプロデューサーをしていますが、以前は報道記者としてカイロ支局長としてエジプトに駐在。テロや戦争の取材を行う中で「人はいつ死ぬかわからない、後悔しないように人生を生きなければ」と幼少期からいだいていた女性として生きたいという思いを実現させることにしました。そして10年前にパートナーの女性と結婚。不妊治療の末、娘・ももちゃんが生まれました。谷生さんはパパだけど、ママになりました。葛藤や悩みを抱えながらも誰も歩いたことのない道を歩む彼女が伝えたい思いとは?
【特集】『パパ』だけど『ママ』になりました 「簡単に人は死ぬ。だったら、後悔のないように…」テレビ局の特派員として取材する中で抱いた想い あるトランス女性が守ると決めた家族・未来のために、今できること―
「日本テレビ」映画プロデューサー・谷生俊美さん
「日本テレビ」で映画プロデューサーを務める谷生俊美さん(50)は、戸籍上は父親ですが、“ママ”として子どもを育てるトランスジェンダー女性です。家族は、パートナーの女性“かーちゃん”と、娘のももちゃん―ちょっと珍しい3人家族。
(「日本テレビ」映画プロデューサー・谷生俊美さん)
「男性として生まれて、女の子になりたいと思いながら道筋の見えなかった大人が、女性として生きようと40歳手前で決意して、いかにしてママとして我が子を抱くに至ったかのお話です」
葛藤や悩みを抱えながらも歩む、谷生さんが伝えたい想いとは―。
「私は、誰にも恥ずかしくないように生きている」女の子になる夢を見ていた青年が、自らの気付きで切り開いた“生き方”
女の子になる夢を見ていた幼少期
谷生さんは男の子として育ち、19歳まで兵庫・神戸で過ごしました。
Q.女性になりたいという気持ちが芽生えた、きっかけは?
(谷生さん)
「きっかけは覚えていないけど、物心ついた時には、女の子になる夢を見ていました。すごく小さい時から、トンネルをくぐったら女の子になった夢を見ていた。幼稚園の時ぐらいじゃないかな。それは、ずっとありましたね。でも、どうすればいいかわからないし…」
男子の中で中心的な人物だった
県内有数の進学校に進み、体育祭でリーダーを務めるなど、男子の中で中心的な人物として過ごしましたが、周囲に“思い”を打ち明けることはありませんでした。
「言っても理解されない」と、諦めていた―
(谷生さん)
「言っても理解されないし、性を変えるとかはできるとも思わないし、術もわからないし、ロールモデルも見つからないし…。一般的に良い大学に行って、良い会社に入って、お金持ちになりたいとか、そんなことは思っていました」
報道記者として、キャリアを積む
その後、「日本テレビ」に、男性・谷生俊治として入社。報道記者として、30代でエジプトに駐在。戦争やテロといった危険な中東情勢と隣り合わせの日々の中で、“気付いたこと”がありました。
危険な中東情勢を目の当たりに…
(谷生さん)
「あっという間に、命って奪われるんですよ。簡単に人は死ぬんです。そういうのをいっぱい見て、『人間って本当にあっという間に死んじゃうんだな』と思ったんです。だったら、『後悔がないように生きないといけない』と思ったのが、カイロでの一つの大きな気付きでした」
そして、帰国後―。
谷生俊美として、『news zero』に出演
「日本テレビ」の報道番組『news zero』に、コメンテーターとして出演。
(谷生さん/2018年、『news zero』で)
「谷生俊美です。『日本テレビ』には男性として入社しまして、現在はトランスジェンダー女性として、映画と向き合って7年目となります」
トランスジェンダー女性であることをカミングアウト
39歳の時、女性にトランスして、『谷生俊美』として生きていくことを決意―。広く世間にカミングアウトしたのです。
(谷生さん)
「私は、誰にも恥ずかしくないように生きているし。女性と男性は、見えている世界がこんなに違うんだということに気付いて、そこからいろんな気付きになりました」
「子どもを持てる可能性は、ほぼなかった」それでも生まれてきてくれた“奇跡の子”、ももちゃん!パパだけどママ…書き記したのは、心から伝えたい“ある想い”―
“男性時代”を知る女性と結婚
谷生さんは10年前、パートナーの女性・ゆりさん(仮名)と結婚しました。ゆりさんは、谷生さんが男性として過ごしていた時からの知り合いです。
Q.トランスしたことに、驚きは?
(谷生さんのパートナー・ゆりさん)
「驚きはありました。完全にフリフリしたブラウスを着ていたり、最初は違和感というか、自分の中で『どう消化していけばいいのか』というのはあった。結局、中身は変わっていないので、その人を尊敬したり好きだったりしているから、時間をかけながら、気持ちの整理がついていっているんだろうなと、振り返ると思います」
わずかな可能性に懸け、不妊治療を決意
互いを受け入れ、子どもを持ちたいと思った二人。しかし、谷生さんが女性ホルモンを摂取していたことが、大きな壁になりました。
(谷生さん)
「“自分の実子を持つという選択肢”を自ら消すホルモンを摂取していたので。始めたときに、その可能性は完全に消したつもりだったし、それは重い決断でした。ただ、子どもを持てる可能性があるのかなと調べたら、ほぼなかったんですけど、わずかな可能性があるというので、いろんな負担もあるんですけど、頑張ってみようかということで…」
“奇跡の子”との出会いに、涙
2019年、不妊治療の末に生まれたのが、ももちゃん。それは家族にとって、奇跡に近い出来事でした。
(谷生さん/2019年、病院で)
「ももちゃん、初めて抱っこします」
(ゆりさん/2019年、病院で)
「どうですか、感想は?」
(谷生さん/2019年、病院で)
「……なんかもう、言葉がないねぇ」
(ゆりさん/2019年、病院で)
「ももちゃん、見てるよ」
(谷生さん/2019年、病院で)
「…パパだけど、ママだからね。“ママ(谷生さん)”と“かーちゃん(ゆりさん)”で、守るからね。君を、いっぱい愛してあげるからね」
家族で、ゆりさんの実家へ
この日、家族で向かったのは、ゆりさんの実家です。ゆりさんの両親は、結婚を前向きに受け入れてくれました。
受け入れてくれた、ゆりさんのご両親
(ゆりさんの母)
「会うまでは、反対していた。でも、自分たちで強い気持ちで決めていたから、周りがそんなに言うこともなかった」
(ゆりさんの父)
「“ちょっと見”が違うよね。ただ、そう思っただけのことであって、抵抗はなかったね」
考えるのは、「ももちゃんを守ること」だけ―
でも、ももちゃんの今後については、不安が募ります。
(ゆりさん父親)
「多分、いじめに遭うと思う。これから、そこをどういうふうにカバーしていけるか。説明しても、まだわからないと思うし、そこだけ心配」
(谷生さん)
「私も心配なんですよ。そこは一番気にしています。これから『ももちゃんのママって、本当はパパなんでしょ』みたいなことも絶対あるし、『そうだよ、そういう人もいるんだよ』と言えるような環境を、どうやって作ってあげられるか。あの子をいかに守るか―、それしか考えていないです」
「パパだけど、ママになりました」著:谷生俊美(アスコム)
周りと違った家族の形で、嫌な思いをするかもしれない―。思春期のももちゃんに向けて、自分や家族の歩みを本に記しました。
(谷生さん)
「『パパだけどママって、何?』って、なるかもしれないですよね。その時に、ちゃんとあの子が手に取って、こういうふうにママは生きてきて、あの子が本当に望まれて愛されて生まれてきたんだなというのを、本にしておくと、客観的に知ることができる」
「自分が信じる道を行けばいい。わかる人って絶対いるから」“誰も歩いたことのない道”を正々堂々と歩む、素敵なママからのメッセージ―
“ももちゃんが生きる未来”のため、故郷・神戸の高校へ
ももちゃんが生きる未来のため、“ママ”として何ができるか―。
訪れたのは、思春期を過ごした故郷・神戸の高校です。
高校生の前で、想いを語る―
大勢の高校生の前で、谷生さんは語ります。
(谷生さん)
「パパだけど、ママになりました。神戸の片隅で、自己肯定感の確立に悩みながら夢だけを膨らませていた少年が、いかにして自分らしさを創出して夢を実現し、ハッピーな“ママ”になったか―。ワケわかりませんね(笑)」
誰もが生きやすい優しい世の中に―
高校生たちに、トランスジェンダー女性として、自身の経験を伝えました。望むのは、“誰もが生きやすい優しい世の中”になること―。
高校生から、素朴な疑問が
(高校生)
「最近、すごくたくさんの種類があって、LGBTQQIAAPPO2S…誰にどうやって配慮したらいいのか、わからなくなって」
谷生さんの言葉に、真剣に耳を傾ける高校生
(谷生さん)
「確かにLGBTQQIAA何とかかんとかって、ワケわからないですよね。どこに“地雷”があるのかわからないし、“地雷”を踏まないように、おっかなびっくり歩くような風潮があるの、わかっています。でもね、あんまり気にしすぎなくていいと思います。ただ、他人が傷付くことをしないという気持ちを持っておく。わからないことはわからないで、いいんですよ。仮に、わからないが故に傷付けてしまったら、本当にごめんなさいと言えばいいんです。これってLGBTQだけじゃなくて、出身地とか性別とか、もっとベーシックなこと、それと同じなので、あまり難しく考えなくていい。とにかく他人が嫌がることはやめようと思って、できれば知ることを少しでもやっていくことによって、いわゆる“地雷”と言われていることが、わかってくると思うんです」
自分の存在が、誰かを勇気づけられるかもしれない―
そして、未来の大人たちに示したかったこと―。
(谷生さん)
「私が出続けることで、誹謗中傷を浴びるかもしれないけど、ポジティブな声もあるかもしれないし、少なくとも勇気づけられたり、ポジティブなきっかけになれるかもしれない。なれるんやったら、私はそれを頑張りたい―。そう思いました」
「誰にも肯定されていない気がして…」高校生から“人生相談”
ただ、自分らしく生きることは、そう簡単ではありません。話を聞いた高校生たちが、谷生さんのもとに訪れました。
(高校生)
「自分が生きる意味を見失っていて、なんか誰にも肯定されていない気がして。自分がやりたいことがいっぱいあるんですけど、『どうせ、できひんやろ』とか言われたり…」
「自分が信じる道を行けばいい」高校生の背中を押す
涙ながらに話す高校生に、谷生さんは…。
(谷生さん)
「ごちゃごちゃ言ってくる奴は、どうでもいい人生送っているから」
(高校生)
「ははは(笑)」
(谷生さん)
「私だって“変人”と言われていたけど、『news zero』に出た瞬間、手のひら返しやから。そんなもんよ。気にしなくてもいい。自分が信じる道を行けばいい。わかる人って絶対いるから。どっかで同志って出会えるから、大丈夫!ハグしていい?大丈夫、大丈夫、大丈夫!」
誰も歩いたことのない道を、家族と一緒に―
パパだけど、ママになることができた―。希望を忘れず、誰も歩いたことのない道を歩む生き方が、誰かの道を照らします。
(谷生さん)
「人とは違う人生を生きてきたかもしれないし、ちょっと違う家族の形だけど、生まれてきた“奇跡の子”に恥ずかしくないママでありたいと思っています。皆さんにも、いろいろあると思います。でも、自分自身に肯定感を持って、なかなか好きになれないかもしれないけど、信じる道を歩いてください」
(「かんさい情報ネットten.」2024年5月10日放送)
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