【報道発信PJ】
大阪ディープスポットに「大阪コリアタウン歴史資料館」誕生。
在日コリアンが歩んだ悲喜こもごもの歴史をリアル体験!

韓流ブームの聖地として知られ、年間200万人もの観光客がやってくる大阪市生野区の「大阪コリアタウン」。大型連休初日の4月29日(祝)、すでに昼ごろには韓国スタイルのお洒落なカフェや韓流スターのグッズを扱う店に、大勢の人だかりができていました。
「おかげさまでコロナ禍でも活気は失われませんでした。この連休にどれだけの人が来るのか、期待と不安の両方です」と商店街の役員が話してくれました。

そんな商店街の喧騒を少し離れたコリアタウンの一角に、この日オープンしたのが「大阪コリアタウン歴史資料館」です。アトリエを改装して作られた小さな資料館は、白い壁と緑の木々に囲まれたお洒落な外観です。
1900年代以降、朝鮮半島から移り住んだ在日コリアンの歴史は100年を超え、「日本と朝鮮半島を含む東アジアの歴史が、この生野(いくの)のコリアタウンに集約されていると言っても過言ではないでしょう」と、高正子館長が話してくれました。
明るい雰囲気の館内には、地域の住民らが保管していた写真や資料が多数展示され、関連の書籍なども手に取って読むことができます。韓国のスイーツを取り寄せたカフェもあり、気軽に地域の歴史を学べるようにと、色々な工夫と心配りもされています。

コリアタウンの歴史は古く、かつて「猪飼野(いかいの)」と呼ばれた地域の真ん中にあります。猪飼野という地名は古来、港であった「猪甘津(いかいつ)」に由来し、「猪甘津の橋」は日本書記に記された日本最古の橋ともいわれています。朝鮮半島の百済などから人びとが渡来し、居を構えたと伝わる地域です。
その後、時代を経て、1910年の韓国併合の後、大大阪(だいおおさか)と呼ばれるほどに当時、東京をしのぐ発展を続けていた大都市・大阪を目指して、大勢の人たちが海を渡りました。当時は「日本国・猪飼野」と書くだけで手紙が届いたそうです。そして、大阪の在日コリアンは、戦前、戦後と厳しい差別や偏見に苦しみながらも独自の文化を守り続けて、歴史を重ねてきました。

大阪市生野区の人口は今、およそ12万7000人で、その内の2万人が韓国・朝鮮籍の方々です。そこに中国やベトナムなど海外の出身者を加えると、生野区の外国籍住民は、いまや60か国・地域にも上り、住民の5人に一人が外国籍という多様性あふれる地域コミュニティーを形作っています。
このため、コリアタウンの土台となった猪飼野の歴史は、大阪の生野という特色のある地域で、「多文化共生の町づくり」へと結びついています。歴史資料館の設立にあたった関係者にはこんな想いがあります。

 

「大阪コリアタウン歴史資料館に立ち寄りひとときを過ごすことで、地域に刻まれた歴史に想いを馳せ、共に生きてきた人びとの姿に出会い、誰もが未来を創り出す可能性を手にしていることに気づく、開かれた場づくりを目指していきたいと考えています」

-大阪コリアタウン歴史資料館 設立趣意書より-