「ytv SDGs×難民を助ける会」
日本生まれの国際NGOに聞いた「ロヒンギャ難民の現実と人権の危機」
ミャンマー軍事クーデターから2年、母国に戻れない人々の悲しみとは・・
- ytvSDGs×難民を助ける会
- 日本生まれの国際NGOが見た「ミャンマー軍事クーデターから2年の現実」とは
忘れ去られたロヒンギャ難民の未来をともに考える・・
ytvSDGsを推進している私たちサステナビリティ部の大切なパートナーである「生活協同組合・おおさかパルコープ」(大阪市都島区)。大阪城に近い同じ地域に本部がある生協で、ムダにされている食材を有効活用する「フードドライブ」活動に協力して取り組んでいます。そんな活動にボランティアで参加してくれるミャンマーの若者たちがいます。彼らは学生やエンジニア、介護施設で働く職員など経歴は様々ですが、2021年2月1日に起きたミャンマーの軍事クーデターの後、多くが帰国できなくなっています。母国に残る家族を心配し暮らす彼らを、おおさかパルコープがサポートしています。担当する理事は、政変前から、職員研修でミャンマーを訪問していたという「ご縁」があると話してくれました。遠い外国で起きている問題との思いがけない「接点」が、身近なところにあることに、あらためて気づかされました。「ytvSDGs×難民を助ける会」のインタビュー第二弾は、このミャンマーの問題について語っていただきました。アジア最大の人道危機ともいわれた「ロヒンギャ難民問題」。軍事クーデターの裏側で、国際社会から忘れ去られようとしている人たちがいます。現地で奔走する国際NGOの目に映る、知られざる現実と、懸命に生きる子供たちの姿から、私たちは何を感じることができるでしょうか。
(サステナビリティ部 山川友基)
「AAR Japan難民を助ける会」の中坪央暁です。 私は世界の紛争や難民問題について、人道支援とジャーナリズム両方の視点で取材し、発信をしています。 皆さんはロヒンギャという人々をご存知でしょうか? 最近はウクライナ危機の影に隠れてほとんど報道されなくなってしまいましたが、5、6年前には、アジア最大の人道危機として世界の注目を集めていました。 今回はそのロヒンギャ難民問題についてお話したいと思います。ロヒンギャ問題の舞台となるのは東南、アジアのミャンマー、そして西隣のバングラデシュです。
私は2017年から約2年間、AARのバングラデシュ駐在としてコックスバザールという地域にある難民キャンプで支援活動に従事しました。そもそもロヒンギャとは誰かということですが、彼らは仏教国ミャンマーで暮らしていたイスラム少数民族です。民族的にはベンガル系の人々で、ビルマ人など他の民族と見た目も異なり、日常的に使用する言語もビルマ語、ミャンマー語ではなく、ベンガル語の方言を話します。ロヒンギャは1960年代、ミャンマーがまだビルマと呼ばれていた時代に実質的な軍事支配を敷いたネウイン独裁政権によって、ロヒンギャは不法移民集団であり、ビルマ国民ではないと決めつけられ、国籍、市民権を奪われました。その後、半世紀以上にわたって迫害や武力弾圧を受けて世界で最も迫害された少数民族、あるいは世界最大の無国籍集団とも呼ばれています。
皆さんをロヒンギャ難民キャンプにご案内する前に彼らの母国であるミャンマーの現状について見てみたいと思います。長く軍事政権が続いたミャンマーでは2011年の民政移管以降、ノーベル平和賞を受賞したアウンサンスーチー氏を中心に民主化が進められてきました。ところが2021年2月、国軍が軍事クーデターに踏み切り、国家顧問だったアウンサンスーチー氏を始め、民主化勢力を逮捕し、それに抗議する市民の集会やデモに対して武力弾圧を加えました。ミャンマーは現在、ヤンゴンなど大都市は表面上平和に見えますが、国軍に対する抵抗が続いており、混乱は収まっていません。民主化の流れは残念ながら完全に断ち切られ、アウンサンスーチー氏が復権する可能性もなくなりました。国軍は総選挙の実施を宣言していますが、国際社会が認めるような公正な選挙が行われるとは考えられません。先行きの見えないミャンマー情勢はこれからお話するロヒンギャ難民問題にも暗い影を落としています。
ミャンマーで長年排斥されてきたロヒンギャに対して2017年8月、ミャンマー国軍が徹底的な武力弾圧を行ない70数万人が国境を越えてバングラデシュのコックスバザールという地域に流入する大惨事が発生しました。村々は焼き払われ、住民の虐殺や女性に対する集団レイプが多発しました。死者は少なくとも1万人、あるいは25,000人とも言われています。ちなみに、この大虐殺の首謀者はクーデターを起こしたのと同じミンアンフラインという国軍最高司令官です。コックスバザールには、もともと20万から30万人のロヒンギャ難民がいたと推定され、新たに流入した難民と合わせて、現在累計100万人を超える難民が滞留しています。その多くは世界最大の難民キャンプと言われるクトゥパロンキャンプなど、いくつかのキャンプにすでに5年以上閉じ込められたままになっています。
ここは60万人余りが暮らす世界最大規模の難民キャンプ・クトゥパロン難民キャンプです。 だいぶ風景が変わってきました。これはキャンプの中にある大きな市場です。生鮮食品や日用品など大抵のものが買えます。店側もお客もすべてロヒンギャ難民です。難民キャンプでは表向きビジネスが禁止されていまして、これは非公式の闇市場のようなものです。ちょうど雨季のシーズンで、何度も激しい雨にこうしてふられました。これは難民が住む小屋の一つです。2017年18年当初と比べますとかなり改良されて、いい感じの住居になっていますけれども、当初は本当にビニールのみすぼらしいテントばかりでした。この有刺鉄線にご注目ください。これはAARが活動している別のキャンプです。
ここは私たちが開設した女性たちのための活動スペースです。ミシン仕事や工芸品作りをしていますが、商品にはできません。難民キャンプには政府の学校はなく、こうした仮設学校が営まれています。これはマドラサと言って、コーランやイスラム教の教え習う私塾のようなところ。ご覧頂いたクトゥパロン難民キャンプは60万人余りがひしめき合うように暮らしていて、キャンプというよりもビニールシートでできた巨大都市という感じです。大きな市場もありますが、難民キャンプでは表向きビジネスが禁止されていて、これらはすべて非公認の闇市場のようなものです。数年前と比べると道路がレンガ舗装されたり、木が植えられて緑が増えたりと大きな変化が見て取れました。もう一つ気づいたのは以前にはなかった高いフェンスや有刺鉄線がキャンプの周りに設置されたことで、これはバングラデシュ当局にとってロヒンギャ難民が当初の「保護の対象から、警戒監視の対象」に変質したことを意味します。他方、難民たちは母国ミャンマーに変えることもできず、バングラデシュ社会に受け入れてもらえるわけでもなく、もう6年近く、いわば塩漬け状態になっているという点は絶望的に変わっていません。
さて、難民キャンプでは国連機関や私たちのようなNGOが、バングラデシュ政府と連携して、食糧供給や保健医療、教育など幅広い人道支援を展開してきました。ここではAARの取り組みを例としてご説明したいと思います。私たちの事業は主に二つの分野があります。最初に実施したのは水、衛生改善事業で、井戸とトイレ、それに水浴び室をたくさん建設しました。水浴びというのは、別にシャワーなどがついているわけではなくて、この写真のようにトタンで囲っただけの単純な施設ですが、これは特に女性の保護のうえで、大きな意味があります。これも私たちが設置した井戸ですが、男性や子供たちはこうして昼間、裸になって水浴びをしますが、女性たちはそうはいきません。そこで安心して水浴びができる場所が欲しいと言うニーズがとても多くて、水浴び室をたくさん作りました。 昼間は洗濯場として使い、夕方にバケツや水差しを持ち込んで水浴びをしています。
もう一つ、プロテクション(権利保護)と言われる分野ですが、難民の中でも特に弱い立場にあって、様々な危険にさらされる女性と子供へのサポートのため、女性の活動施設、子どもの活動施設をそれぞれ建設し、運営しました。難民キャンプでは残念ながら家庭内暴力や女性への性的嫌がらせ、更に犯罪グループが絡んだ薬物取引や人身売買などの危険があります。 特に女性と子供がそうした危険にさらされやすいため、リスクへの対応の仕方を伝えたり、必要に応じて心理的なサポートをしたりしておりました。また、子供の施設では年齢に応じて読み書き程度の学習。お絵かきや工作、レクレーションなど、同世代の仲間と楽しんでいます。女性の施設では手工芸やミシン仕事をしたり、それから井戸端会議を開いたり、外で自由に集まる機会が乏しい女性たちが安心して過ごせる場所を提供しました。難民問題のもっとも理想的な解決は、難民が元いた場所に安全な状態で帰り、生活を取り戻すことです。しかし、現実的には一度、難民になると、10年、20年、あるいはそれ以上母国に帰れないというのが世界の通例です。ロヒンギャ難民も当初ミャンマーに関する計画がありましたが、ミャンマー側が何かと条件を付けて事実上受け入れを拒み、帰還プロセスはもはや機能していません。その上、軍事クーデターによってミャンマーそのものが壊れてしまい、とても難民が帰還できる状況ではなくなってしまいました。ロヒンギャ難民が置かれた環境は厳しさを増しています。バングラデシュ政府はなし崩しの提示を決して認めず、一日も早くミャンマーに送り返す方針を堅持しています。当初は難民に対して同情的だったバングラデシュの国民感情も悪化し、ロヒンギャ難民は動くに動けない状態で日に日に希望を失っています。バングラデシュ政府今、難民の一部をベンガル湾のバシャンチャールという島に作った収容施設に移送しています。
また、新型コロナウイルス感染などの影響で、この3年ほどは難民キャンプでの人道支援が停滞したり、最近では食糧配給が減ったりと言うことも見られます。加えて、2021年の、アフガニスタンの政変、今般のウクライナ軍事侵攻、さらに今年2月に起きたトルコの大地震など、大きな人道危機が起きるたびに解決の道が見えないロヒンギャ問題への国際社会の関心が薄れ、支援が先細りしつつあります。そしてこうしたことを難民たちは敏感に感じ取っている。結局は国際社会がバングラデシュを通じてロヒンギャ難民を支え続けるしかないわけですが、私が特に重要だと思うのは、子どもや若い世代の教育と職業訓練です。ロヒンギャ全体の半数以上が18歳未満という非常に若い集団です。この世代が読み書き、そろばん程度のおざなりな教育しか受けられず、技術を身に着けて働く機会も与えられないとすれば、彼らはキャンプで無為に人生を送るだけの「失われた世代」になってしまいます。それは犯罪の増加など治安悪化にも間違いなくつながります。そんな中で、昨年、ユニクロを運営するファーストリテイリングが国連機関と合同で難民の女性たちに縫製技術の訓練をする自立支援プログラムを始めるとのニュースがありました。この間、ロヒンギャ問題をフォローした私としては初めてかすかな希望をみた気がします。私自身、この問題を解決する、アイディアを持っているわけではありません。だからと言って、ロヒンギャ難民が忘れられていくのを仕方がないとも思っていません。アジアの片隅で今も続く人道危機について少しでも多くの皆さんに知っていただければと思います。 ありがとうございました。
プロフィール
中坪央暁(なかつぼ ひろあき)
ジャーナリスト/国際NGO「難民を助ける会」(AAR Japan)
全国紙の海外特派員・編集デスクを経て、国際協力機構(JICA)の派遣でアジア・アフリカの紛争復興・平和構築の現場を継続取材。2017年AAR Japanに入職、バングラデシュ駐在としてロヒンギャ難民支援に約2年間携わった後、東京事務局で広報担当(関西駐在兼務)。2022年に始まったウクライナ危機で同国およびポーランド、モルドバを取材し、人道支援の視点で発信を続ける。同志社大学文学部卒。著書『ロヒンギャ難民100万人の衝撃』(めこん)、共著『緊急人道支援の世紀』(ナカニシヤ出版)、共訳『世界の先住民族~危機にたつ人びと』(明石書店)ほか。